表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キンモクセイ  作者: 真澄
8/11

研究室のドアを開けると、見知らぬ中年の男女が座っていた。二人とも黒髪で、男性のほうは少し白髪混じり。ジョンソン教授と話していた顔を上げ、こちらを向いた。



「お父さま、お母さま!」



隣りにいたリリーが駆け寄る。そうか、ではこの人たちが。



「そう呼ぶということは、きみは今リリーなのだね。姿だけではなく、心も」


優しくリリーを抱き止め、声をかけると、部屋の入り口で固まっているジェイに視線を寄越した。



「きみは…」


「あの、このたびは僕の不注意で、」


「ジェイね? ジェイでしょう!」


女性が嬉しそうに立ち上がる。


「ユリがよく話していたのよ。お隣の部屋の“ジェイ”のことを。同じ名前だとは思っていたけれど、本当にあなただったのね」


なんてご縁かしら。そうつぶやき目を潤ませるこの人は、ユリの母親で、そして。


「お……」


おうひさま、と呼んでよいのかわからず、ただ頭を下げるしかできない。



「そうか、きみはあのジェイか」


「…お久しぶりです」



ともかく座りなさい。そう教授が声をかけ、一同が落ち着いたところで、ユリの父──元国王が、ゆっくりと話し始めた。



「いま先生から伺ったのだがね、リリー。きみのその姿はいつまで保つかわからないそうだ」


「はい」



「すぐに戻るならいい。もしもこのままだとしたら、リリー。帰ってきなさい。きみはこの国にいてはいけない」


「お父さま…!」



「もちろんきみだけではない。かつての王族は誰一人、この国にいてはいけないのだよ」


「私は、私でいてはいけないの?」


「まだ15年だ。王政を復活させようと考えている人々はまだまだいる。彼らは王族を見つけ出して担ぎ上げようとしているんだ。利用されてはいけない。この国を混乱させてはいけないんだ」


「せっかく戻れたのに…やっと、思い出したのに」


そう。ここに自分の居場所はないこと。この場所はユリのものだということ。全身で感じ取ってはいたけれど。



「リリー」



父親は優しく手を取る。



「覚えていないのも無理はないがね。きみはあのとき、私の話をきちんと理解してくれた。きみはちゃんと納得して、自分であの薬を飲んだのだよ」



「私…が? 自分で?」


「そうだ。あれがきみの、最初で最後の王族としての仕事だった」



=====


あのとき、平和に民主化を進めるために私は姿を消すという選択をした。


王政を廃止すべきだという考えは持っていたが、それを国王が指導しては意味がない。あくまでも国民主導でなくてはいけない。同時に私たちの失踪を推進派の仕業と疑わせてもいけなかった。だから私は逃亡という形を取った。王妃と姫とともに──そう、あれは逃亡だよ。



「逃亡…」


つぶやいたジェイにひとつ頷き、王は続けた。



「国の平和のために、私たちは存在を消す必要があった。顔も、名前も変えてね。それをリリーにも説明した」



「それで、私は納得を…?」


「ああ。わかりました、と言ってくれたよ」



──そうだ。私は知っていた。自分の身に起きることを。リリーという存在を抹消することを納得したからこそ、ジェイに写真を預けたのだった。彼にだけは覚えていてほしくて。



「小さかったけれど、きみは立派な“姫”だったよ」



「記憶は…? 自分で納得していたのなら、どうして私は覚えていなかったの?」



「…すべて国を思ってのことだったが、きみの記憶を消したことだけは一人の親としての行動だった。きみに、何の憂いもない新しい人生を送らせてあげたかったんだ。だから催眠で記憶を消した。けれどそれは親のエゴだったかもしれないね」


「…お父さまとお母さまを責めるなんてできません…」


リリーを優しく撫でると、ジェイへと視線を向けた。



「さて、ここからは私たちだけで話をさせてくれるかね」



教授が頷き、ジェイを促して立ち上がる。


「ジェイ、わかってくれていると思うが…今日ここで私たちに会ったことは他言無用に願いたい。もちろんリリーのことも。誰にも明かさないでほしい。きみのご両親にも、だ」



「はい、決して」



どこかまだ実感のわかないまま部屋を出たジェイに、教授が声をかける。


「そろそろ時間じゃないのか? 今日フレッド君が来るのだろう。私も行くよ」



「そうでした…!」


向かいかけて足を止める。



「先生…リリーは、フレッド兄さんには会わせてやれないんですね…」


「うむ。残念だがね」



心が晴れない。

一体自分は誰を思い、誰に同情しているのか。いつもわがままを言っては自分を困らせたリリー。いなくなったあともずっとその存在に縛られてきた。そう、ユリに指摘された通りだ。そして姿を現したと思ったら今度はユリを排除しようとする。



もう諦めろよ。俺を解放してくれよ。昨日はそう思ったのに。



いざリリーがいなくなると聞くと、心が重い。一体自分は誰を思い、誰に同情しているのか。ジェイにもわからなかった。




=====


「急にいろんなことを思い出して、戸惑っているでしょうね」


「お母さま…」


小さく首を横にふる。けれど──取っておいてくれたらよかったのに。小さい頃のことなんてどうせ忘れてしまうのだから。あんなに温かい思い出、取っておいてほしかった。



「さてこれからのことだがね」


「はい…」


「きみにはユリに戻ってもらう。それはわかってくれるね? しかし記憶については別だ。今度はきみが決めなさい。自分がリリーであることを、覚えておくか、消してしまうか」



「自分で…?」



うなずくと、王は大きく腕を広げた。



「その前に、顔をよく見せてくれるかい? 久しぶりに会えた、私たちのリリーの顔を」


「お父さま…!」


「大人になったきみに、会えるとは思っていなかった」



父親の胸に飛び込んだリリーの髪を、母親が優しくなでる。



「ねえリリー。“ユリ”も“リリー”も、どちらも同じ花の名よ。どちらも、お父さまとお母さまがつけた名だわ」


「…百合の花」



そうだ。両親にとってはリリーでもユリでも変わらない。どちらも愛する娘。



あとは私が、納得すればいいだけ。



=====

教授と二人、ヨウに指定された教室に行くとロブがいた。ヨウはフレッドを迎えに行っているらしい。



「ユリはやっぱり来られないって?」


「ああ…」


「ふーん。けどまあユリはそんなに興味持ってるわけでもないしな」


たしかに。もともとユリはライグヒト王に関心なんてなかった。王研に入ったのだって、たまたま。ジェイの隣の部屋に来たのだってそうだ。なんて偶然。



そして廊下から人の声が聞こえてきた。


「こちらです。どうぞ」


「失礼──やあ、はじめまして」


ヨウとともに部屋に入ってきた男性は、教授に会釈をし、ロブに視線をやり、そして、ジェイを正面から見た。面影が、あるようなないような。大好きだった兄さん。



「改めて紹介します──教授は面識あるんですか?」


「いや、直接会うのは初めてだね」


「ええ。私は庭師の弟子に過ぎなかったから、主治医でいらしたジョンソン先生を存じ上げてはいたが、接点はなかったよ」


そうでしたか、と頷き、ヨウがこちらに自己紹介を促した。まずはロブが名乗り、そして。


「こんにちは。ジェイです」


「…よろしく」


差し出された手を握る。その目は優しかった。



「さて…何か王家にまつわる話を、とのことだが」


席につくと、フレッドは顔の前で手を組みゆっくりと話し始めた。


「さっきも話した通り、私は王宮殿の庭師の弟子だった。弟子入りしたばかりでね。宮殿で働いていた期間は一年にも満たなかったかな。とにかくあそこでは一番の若造、新参者だった。だからあのとき何が起きたのかを聞きたいのだとしたら、残念ながら期待に沿えない」


「当時は何と言われたんですか」


「何も。ただ出て行きなさいと親方に言われただけだ。親方が宮殿を退職すると言ってね。最後まで面倒をみれずにすまないと。それで私は実家に戻り、留学をしたんだ」


「そうですか…」



「私が今日きみたちに会いに来たのはね、リリー姫のことを話したいと思ったからなんだ。宮殿の太陽だった姫を、忘れないでいてあげてほしくてね」



リリーを、忘れないために…?



「それは願ってもないことです。リリー姫に関する公的な記録はほとんどなくて」



そう答えるヨウに、フレッドも頷きを返した。そして語り出す。姫と、同い年の少年。宮殿にいた2人の子どもたちのことを。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ