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「…ではレポートにまとめて来週お見せします」
「うん。資料は取り寄せておくから」
「よろしくお願いします」
ジョンソン教授の研究室で論文の途中経過を報告し終え、資料類を片づけ始めたジェイの手元に、教授が雑誌のページを開いて置いた。
「──何です?」
「その人、知ってるか?」
話題の人、というタイトルで取り上げられているのは、ガーデンデザイナーの肩書きを持つアルフレッド・R氏。ライグヒト出身だが19歳で留学をし、そのまま海外で頭角を表して数々の賞を受賞したのち、15年ぶりに凱旋帰国をしている最中だという。
「こういうものは疎くて…」
「覚えていないのも無理はないか」
「?」
「宮殿にいたころ、見かけたことがある。庭師に弟子入りした若いのが確かこんな顔だった」
「……!」
「君たちはよく遊んでもらっていただろう」
「…フレッド兄さん…」
かすかな記憶と面影を重ねてみるが、心もとない。しかしその存在はよく覚えている。父のもとで庭師の修行をしていた。ジェイもリリーも、いつもまとわりついて遊んでもらっていた。
「懐かしい…」
宮殿にいた者同士は暗黙の了解で連絡を取り合うことを控えていたから、フレッドの消息もあれ以来不明だった。今でも植物に関わる仕事をしているとは。父が喜ぶだろう。
「芸術学部のやつらが講演に招いたらしくてね。うちの大学に来るんだそうだ」
そこでいったん言葉を切り、ジェイの反応を確かめるように継ぐ。
「君んとこのヨウから常々頼まれているんだよ。王家のことを知る人がいたら紹介してほしいとね。彼に連絡してみようかと思うんだが──」
どう思う? そう訊ねられて、即答ができなかった。会いたいけれど、でも。
「君は宮殿にいたことをまだ明かしていないんだろう? 昔を知る人が現れるのは具合が悪いだろうか」
「あ…いえ…はい…けど…」
混乱するジェイの肩を、教授が優しくぽん、と叩く。
「君のことも含めて伝えてみるよ。複雑だろうが会いたいのは確かだろう」
「はい…ありがとうございます」
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…頭が痛い。
ポテトサラダを約束通りジェイの部屋の冷蔵庫にしまい、メモを置いて部屋を出ようとしたところで、ズキリと痛む頭にユリは顔をしかめた。
勝手知ったる洗面所の棚から頭痛薬をもらう。
さっそく、お言葉に甘えて──ね。
薬をもらったこともメモに書き足そう。何か書くものはないかしら。
ジェイの机を見渡したユリは、一冊の本を見つけた。
「これ…!」
もう絶版になっている童話集。児童文学を専攻するユリが研究の資料に使おうと、方々の図書館に在庫を問い合わせていたものだった。
まさかジェイが持ってたなんて。
ぱらぱらとページをめくる。いけない、夢中になって読み進めてしまいそうだ。さすがにメモだけで勝手に借りていくのは悪いよねえ…。ジェイが帰ってきたらソッコー借りよう。
逸る気持ちで改めて本を眺める。凝った装丁。いちばん後ろのページをめくり、初版本であることを確かめる。
と、裏表紙の布がめくれているのに気づいた。
わ、ちゃんと修復しないと。
はがれたところをそっとめくってみる。だいじょうぶ、破れているわけではなさそうだ。そこに何かが挟まっていることに気づき──なぜだろう、手にとってしまった。
……写真?
見たことのある幼い女の子。
カッと熱が上がった気がした。
この顔を見たのはロブのパソコンの画面で、だ。
「リリー姫…!」
どくん、どくん、と脈打つ音が聞こえる。
わからない…頭痛い…。
なぜジェイがリリーの写真を持っているの? やっぱりジェイはリリーとつながりがあった? 隣りに立つ小さな男の子は、じゃあこれはジェイ? 写真の子どもたちの背後に建つのは、
「…ここだ」
この学生寮。かつては王宮殿の使用人の宿舎だったというこの建物。
その前で澄ました顔をしている2人の子ども。
やっぱりジェイは、リリーと知り合いだったんだ。あんなにこだわっているのもただの愛国心なんかじゃなくて、二人にはもっと深いつながりがあって。
「頭痛い…」
湧き上がる苛立ちは、嫉妬? 姫に?
混乱し立ち尽くすユリの後ろで、カチャリと部屋のドアが開いた。
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教授に聞かされた話に軽い興奮を抑えられぬまま、ジェイは寮へ戻った。
部屋へ入ると、ユリがいる。そうだ、夕飯のおすそ分けをくれると言っていた。
「来てくれてたんだ。サンキュ」
返事をしないユリに目をやると、手に持っている本にギクリとする。
「その本、持ってく?」
不自然にならぬよう気をつけながら、ユリの手から本を取り上げ、隠した写真を取り出そうとした。が。
それはすでにユリの手にあった。
「ユリ、その写真」
「リリーだったんだね。ジェイを苦しめてたのは」
「ユリ…?」
「どういう関係だったのかはわかんないけど、なんか深いつながりがあって、だからリリーは今でもこんなふうにジェイをしばりつけていて」
「…やめろよ」
「ジェイを苦しめてるんだ」
「やめろって」
「リリーなんて、もうどこにもいないのに」
「ユリ」
「わたしリリーが嫌い」
「やめろ!」
ハッと我に返る。
初めて聞くジェイの大きな声に、驚いたのはユリだけではなかった。ジェイもまた、自分の怒声に呆然としていた。
視線を落としたままユリが早口に言葉を継ぐ。
「本、借りてく」
「ん」
「サラダ、冷蔵庫」
「ん」
「頭痛薬もらった」
「ん」
「……ごめん」
「……」
バタンと部屋を出て行くのを背中で聞きながら、ジェイは自分の動揺の理由に必死に気づかぬフリをしていた。
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翌日。
ヨウからの招集メールを受けてたまり場に向かったジェイを、ジョンソン教授が出迎えた。
「アルフレッド氏が快くOKしてくれたぞ」
「──!」
「アルフレッド氏は宮殿で庭師の見習いをされてたそうだ」
ヨウが興奮気味に語る。冷静沈着なヨウにしては珍しい。
「オレが作ったリリーの想像図、本人に似てるかどうか見てもらおう」
教授は覚えてないっていうし、とロブがちらりと教授を見る。
「15年前の子どもの顔なんざ覚えていないよ。じゃあ、時間や場所の打ち合わせはヨウから直接してくれ」
教授を見送り、ようやく興奮の覚めたヨウが、ふと気づいたように言う。
「そういえばユリが来ないな。いつもこの時間は講義なかったと思ったけど……具合でも悪いのかな。なんか聞いてない?」
「ああ、そういえば…」
昨夜の去り際に頭痛薬をもらった、と言っていたのを思い出す。昨日は動揺して聞き流してしまったが、だいぶ悪いのだろうか。
「部屋にいたらこのこと伝えといて」
「そうだな。声かけてみるよ」
昨夜は少し体温が高かったかもしれない。熱を出して寝込んでいる姿を想像し、ジェイはスポーツドリンクを買って寮に向かった。昨夜の気まずさはひとまず置いて。
ユリの部屋のドアをノックしても、携帯にかけても反応がない。この寮ではだれも鍵などかけないから、様子をのぞいてみることはできるのだけど、さすがに女子の部屋を開けるのは気が引ける。
ユリの部屋の前でしばし逡巡していると、ユリのクラスメイトが通りかかってくれた。事情を話し、部屋をのぞいてもらう。
「出かけてるみたいよ」
部屋の中を見せてもらうと、確かにユリは不在で──けど──何もかもやりかけで慌てて飛び出したような散らかり具合に違和感を覚える。
「携帯も置きっぱなしだし、どこか近所ですぐ戻るんじゃない?」
「ならいいんだけど…」
礼を言って部屋に戻る。考えすぎかもしれない。単なる頭痛は薬を飲んでおさまったのだろう。
……うちに頭痛薬なんてあったか?
まさか。
飛びつくように薬箱を開ける。茶色いビンに入れたのは、教授の指導を受けて試作した解毒剤だ。3錠減っている。これを飲んだのか?
落ち着け。
これはあの薬の効果を打ち消す解毒剤だ。薬を服用していない人には何の影響もないはず。大丈夫だ。きっと。
震える手を抑えながら、ジェイは教授に電話をかけた。