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キンモクセイ  作者: 真澄
4/11

この国には15年前まで王がいた。


国民は王室を慕っており、若い国王夫妻と一人娘の一家は国民に愛されていた。


しかし、近隣諸国の目には非常に時代遅れの体制と映った。なにせいちばん遅かった国でさえ、50年以上も前に民主化を果たしているのだ。


国外の知識人の影響を受けて、若い層を中心に少しずつ民主化への気運は高まっていったが、小さいながら歴史の長い国のこと。王制を守ろうとする保守派もまた、一歩も退かなかった。


少しずつ、少しずつ、人びとのあいだの空気が悪くなっていき、いよいよぶつかり合うかと思われたころ。


突然、国王一家が姿を消した。




はじめは互いの関与を疑っていたが、王宮殿の使用人がひとり残らず、十分な手当てとともに暇を出されていたことがわかり、国王自身の意志によって姿を隠したのだとわかった。


民主化推進派は攻撃対象を失い、王制擁護派は御輿を失った混乱のなか、もともと争いを好まない民は手を結び、新しい政府を起こしたのである。


王の失踪には何か意図があったのだと信じる者もいる。疲れ果てて逃げ出したのだと思っている者もいる。


真実はわからないが、一滴の血も流さずに民主化を実現できたのは、王の失踪に寄与するものだと言えるのではないか──。




==========

「…ジェイは王さまの味方なんだね」


ヨウが顔をあげ、問うような視線をユリに向けた。


「これ読むとそんな気がする」


ヨウの視線がユリの頭上を通り越すと、背後からぼそりと聞こえてきたのは。


「そういうふうに育てられてたんだよ、15年前までは」


ジェイだった。


「王さまは敬愛すべき存在だって刷り込まれたんだ。そんなに簡単に憎めない」


でも、とカバンをおろす動作をはさみ──


「許せるかどうかはわからない」


そう言って、ロブのパソコンを覗きにいく。


ジェイがそんなふうに王のことを話すのは初めてで、びっくりして聞き流しそうになった。このあとのジェイの発言を。



「その写真、どこで…」



画面上にいたのは五歳位の少女。先ほど話していた「失踪当時のリリー姫」だ。ヨウの指摘を受けて合成し直しながら、先ほどと同じような説明をロブがする。その隙に、ジェイはスッといつものポーカーフェイスを取り戻していた。


しかし寸前に見せた明らかな動揺。瞳は揺れていて。そして何かがユリの頭に引っかかった。


なんだろう。何かおかしかった。



その写真、どこで…?


その写真、どこで手に入れた?



ハッとする。



それは、“その写真”が何かを知っている人の発言だ。


ヨウも同じことに気づいたらしい。目を眇めている。


ジェイはリリーの顔を知っている? しかし公式の写真は残っていない。ならば直接見た? いや、五歳で一度見たきりの顔が記憶に残るものか。ならば──何かもっと深いつながり──? たとえば非公式の写真が手に入るような。15年も顔を覚えていられるような。


そこに考えが至り、訊いてみてもよいものかどうか、ユリとヨウが目配せをしているのをしり目に、ロブが無邪気に問うた。


「ジェイはリリーに会ったことあんの?」




…凍りついた。ジェイは表情を崩さずに、どうして?と返す。


「未成年だったから公式行事には出てなかったっていうし、だから写真も残ってないけどさ。誕生日の参賀には姿を見せたらしいじゃん。首都に住んでたんならそういうの親に連れてかれなかった?」


…よかった。他意はない。そもそもロブの腹に、見えている以上の感情など隠れていない。ジェイも警戒をとく。


「…あったとしても五歳じゃ顔なんて覚えてないよ」


そこにきっと嘘はないのだろうけれど。


その言葉はユリが知りたかったことの答えにはなっていなくて。


そして、


けれど先ほどの推測を確信に変えたのだった。




========

「ジェー!ジェー!」



いつもとは違う泣きそうな声で、息をきらして走ってくる。



「…はぁ…これ…これ、もってて」



渡されたのは写真。



宮殿は数日前から何かがおかしかった。気づかれない程度にひとりずつ使用人が去っていき、昨日はとうとうフレッドが「故郷に帰る」と言って出て行った。



「わたしの写真をもやしているの」



「どうして」



「わたしのかお、変えちゃうの。名前も、変えちゃうの」



「リリーがいなくなっちゃうの?」



「だから、これ、ジェーがもってて」



澄まし顔が気に入らないと言っていたのに、咄嗟に持ち出せたのがそれだなんて。



「わたしのかお、ジェーはおぼえていてね」



じゅうぶんには理解しきれないままに、ただただうなずく。



「おぼえてる。わすれないよ。かおが変わっちゃってもリリーのことわかるよ。ちゃんとリリーって呼ぶよ。やくそく…」



「はやくかくして!」



姫、と呼ぶ声が近づき、あわててせかす。



「姫、写真を持ち出しませんでしたか?」



「…ごめんなさい。これをジェーに渡そうとしたの」



カモフラージュ用に持ち出したもう一枚の写真を侍女に渡すときには、もう大人に見せる顔になっていた。大人の前では決して泣かないリリー。だから最後に見た顔は、いつものわがままな彼女ではなく、「姫」の笑顔だった。



指切りは間に合わなかった。写真を隠していたから、手をふることもできなかった。



両親と宮殿を出たのは翌日のこと。そのときにはすでに国王一家が姿を消していたというのを知ったのは、大きくなってからだった。



========

引き出しの奥から本を取り出し、そこに挟んであった写真を手に取る。


色褪せ始めた写真。これを見るのは久しぶりだ。はじめの頃は、親の目を盗んでは何度も手に取り、彼女の顔を記憶に焼き付けようとしていた。しかしいつからか、写真のこの澄まし顔しか思い出せなくなっていた。


だから先ほど、ロブが合成したリリーの笑顔を見たとき──予想もしないほどに記憶が押し寄せて、脳裏に甦る彼女のいろいろな表情にうろたえてしまったのだった。


どんな顔になってしまっても、リリーに気づいてみせる。そんな約束を守るために、教授の解毒剤の研究を一緒にやらせてくれと手を挙げたのだ。


けれどどうやって彼女を探したらよいのかわからない。もう一度会えるなんて、自分は本当に思っているのだろうか。



「ジェイ!いるー?」


パタンと本をとじて振り返ると、左手の人差し指をおさえながら、ユリが部屋の入り口に立っていた。

「ね、絆創膏ある? 包丁でやっちゃったの」


苦笑して薬箱を取り出す。指を切った、腹が痛い、と言っては、ユリはいつもこの部屋にくる。


「うちを保健室だと思ってるだろ」


「保健室行くより近くて確実!」


絆創膏を手渡そうとして、ジェイは顔をしかめた。ずいぶん血が出ている。


「手、貸して」


傷口を洗い、座らせて絆創膏を巻いてやる。そのまま手をつかんで、少し高い位置で支えた。


「血止まるまでしばらくこうしてな」


「…ありがとう」


もじもじと視線を逸らし、ユリが話題を探しているのがわかる。


「やっぱあれだね、遠くの保健室より隣りのジェイだね」


「俺、医学部じゃなくて薬学部なんだけどね」


「…薬学部といえば、さっきロブに聞いたんだけどさ」


うん? と顔を見るが、ユリのほうはまだ目を伏せたままだ。ストレートの黒髪から見え隠れするまぶたに、ああユリはまつ毛も黒いんだなあなどと意味のないことをぼんやりと考える。



「ジェイがその…研究してるのって…」


「ああ、解毒剤?」



そこで初めてユリが顔を上げた。至近距離で視線が交わる。


「それってやっぱり、リリー姫を助けるため…?」


問われて、今度はジェイのほうが目を逸らす。


「…正直わからない。どうしたいのか、自分でも」


でも、と続ける。


「もし薬ができたとして、姫に使うことはないよ」


「どうして?」


「薬が薬だからね。本人の承諾なしに使ってはいけないというのが教授の考えなんだけど。本人はその薬が自分に使われていることをきっと知らないだろうから」


たしかに。当時五歳の子どもでは、自分の身に起きたことを知るには限界があるだろう。


「そう…」


二人の間に沈黙が降りて、ユリがまた、目を伏せた。


……ユリが視線を泳がせる理由は知っている。手が少し汗ばんでいる理由も、沈黙を恐れて必死に話題を探している理由も。わかっているんだよ、ユリ。


自分がもう少し軽はずみだったら。あるいは自分がもう少し傲慢だったら。



とうにユリはこの腕の中にいただろうに。自分の中で整理がついていないから、宮殿で育った過去を明かせずにいる。口にできない秘密を持ちながらユリの手をとることはできなくて。ユリの気持ちに──自分の気持ちにも、目を伏せたままでいるのだ。




========

ジェイがこちらを見ている。こんなに近くで。


会話が途切れれば、ユリはもう顔を上げることができない。ジェイの眼差しも、つかまれた腕も、体温を上げていく。


「もう、大丈夫だから」


そう言ってユリは腕をほどいた。


「ね、作ってるのポテトサラダなんだけど、できたら持ってこようか?」


これのお礼、と、絆創膏を見せて言う。


「へえ。子どものころ好きだったな。久しぶりに食べたいけど──」


時計をちらりと見て、


「18時に教授のところに行く約束なんだよ」


「そっか…じゃ、一人分冷蔵庫に入れとこうか?」


「ほんと? それはありがたいな。絆創膏一枚でおかずが一品増えるならいつでも歓迎だよ」


「じゃ遠慮なく。お宅の薬箱、頼りにしてます」


ふふ、と笑いあい、大学へ向かうジェイを見送ってユリは自分の部屋へ戻った。いつもの空気に戻せたことに安堵しながら。

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