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「元々はさ、国民に慕われた王室だったんだよ」
15年前までこの国には王がいた。
王宮殿は主を失ったあと、建物をそのまま生かして大学の校舎とし、各国から学生を受け入れていた。国名から取ったライグヒト大学は、留学生のほうが多いのが特徴で、この国の出身者は学生の一割程度しかいない。
今までタブーに近かった、ライグヒト王一家の失踪について研究する会──通称「王研」が、変わり者の集まりとして黙殺されているのも、「自由」という校是だけでなく、その国籍比によるところが大きい。事実、ライグヒト出身者はまるで寄りつかないのだ。
「けど、まわりの国からしたら王制そのものが異質でね」
コーヒーを片手に説明をするのは、この「変わり者集団」を集めた首謀者・ヨウ。一年前、入学してすぐに「ライグヒト王について語り合いたい人募集」と声を上げた、自称・王制マニアだ。
「じゃあ王制廃止は外圧だったってこと?」
返すのは、ユリ。この大学に来るまで王のいわくをまったく知らなかったくせに、こうして王研に入り浸っている。それはそれで変わり者だ。ここにいるのは皆、マニアックにライグヒト王家について語るような奴ばかりなのだ。
「外圧っていうと大げさだろうけど、発端はやっぱり外からの影響だったんじゃないかな。国民の王室支持率は高かったようだから、国内から不満が出たとは考えにくい」
二人の会話を聞くとはなしに聞いていて。
「支持率って、情報操作されてたりとかじゃなくて?」
ユリのその言葉に、つい反論したくなる。いや、余計なことは言うまい。けど──。
「それはなさそうだな。国民からは本当に慕われていたみたいだし。まあもっとも──」
「愛されてたよ」
つい、言ってしまった。
「ジェイ」
ヨウがこちらをふり返るのを視界の端に捉えながら、ジェイはユリに向けて言葉を継ぐ。
「国民はみんな、王を愛していたよ」
「…今も?」
ユリの言葉には答えず、曖昧な笑みを浮かべただけで、ジェイは部屋を出ていった。
その背中と、それを見送るユリの泣きそうな顔を見て、こらえきれないといった様子でヨウが吹き出す。
「ほんっとお前は懲りないなあ」
「…またやっちゃった…」
「そら、さっき俺が言いかけたことさ。ライグヒトの人たちは王について決して自分の意見を言わない。ジェイもそうだろ」
そう。ライグヒト人のくせに「タブー」の王研に入っておきながら、何も語らない。一般論や客観的な事実は提供しても、自らの感想は決して述べない──一番の変わり者、それがジェイなのだ。
「まあ何かあるんだろうさ。俺たちにはわからない、この国の人が負っている何かがさ」
だからあんまりジェイを困らせてやるなよ。ヨウはそう言って、冷めかけたコーヒーを口に運ぶ。
でも、と、ユリは思う。その「何か」を知ることができたら、ジェイをジェイの負っているものから解放してあげられるような気がして。ときどきあんな風に、ジェイの嫌がることを聞いてはそのテリトリーに踏み込んでしまうのだ。
「ジェイは王の何が知りたくてここに来るのかしら」
「あいつが固執してんのは姫のほうだと思うぜ」
パソコンから顔を上げ、そう口をはさんだのは、王研の4人目・ロブだ。失踪マニア──なぜ失踪したか、ではなく「どうやって」失踪したかを明かしたい、というユリからすればいちばん得体が知れない男。
「姫? リリー姫、だっけ」
「そ。本人が何か言ったわけじゃないけどさ、あいつ行方不明の姫をなんとかして見つけてあげたいと思ってんじゃないのかな。俺の失踪方法論も真面目に聞いてくれるし」
「…ふーん」
なんとなく面白くない顔になる。
「ジョンソン教授の研究室にいるのもそのためだろ」
「?」
ジェイは薬学部の学生だ。それと何の関係があるのだろう? 聞こうとしたユリをヨウが小突く。
「なに、お姫さまに嫉妬してんの?」
「し…しないよっ」
「まぁあれだな、ジェイが王研にいる目的なんて、王の消息よりも深い謎だってことさ」
だね、と苦笑を返し、ユリも講義に向かうべく席を立った。
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王研のたまり場を出たジェイは、そのまま学生寮へ足を向けていた。学生寮は大学本館から歩いて10分程のところにある。その建物はかつて、王宮殿に住み込みで勤めていた使用人の宿舎だったものだ。
この国の人は、王について何も語らない──そう言われるけれど。
語らないのではない。語れないのだ。
ライグヒトは元々大きな戦乱も内紛も経験したことのない国だった。国民も、本能的に争いを避ける傾向にある。それが15年前の民主化のときは、推進派と王制擁護派とでかなりギスギスしたという。
ぶつかり合うことを知らない民は表立って言い争うことをせず、水面下で疑い合い、互いに不信感を募らせていった。
武力こそ使われなかったものの、誰が敵か味方かわからない。神経をすり減らす日々が疑心暗鬼を生んでいく。
あんな思いをもうくり返したくない──と、人々は暗黙のうちに、王の失踪について口を閉ざすようになった。それを何者かの力が働いた「事件」と呼ぶか、自らの意志による「逃亡」と呼ぶか。それすら口にすることができずに来たのだ。
そうして大人が口を閉ざせば、子どもたちには知る由がない。知らないことは、感想を求められても答えられない。だからライグヒトの人々は、王について聞かれても柔和な笑みでかわすしかできないのだ。
自分だって、ヨウから教えられて初めて知ることが多いのだ。自分の国の王のことなのに。
ましてやあのとき──自分はあのとき、あの場にいたのに。
本館から寮へ向かう道の途中、甘い匂いが鼻を突いて、ジェイはそちらの脇道にそれた。
この花が香る季節が今年も来た──。
オレンジ色の小さな花。庭師だった父。厨房係だった母。散った花びらを掃いて集めるのは自分の役目だった。
今暮らしている学生寮に五歳まで住んでいたことは、誰にも話せていない。この国では、王室との関わりは隠すものだったから。
ヨウたちには明かしてもよいはずなのに、自分の気持ちがうまく整理できていなくて。
「ライグヒト人だから王のことを語れない」以上の何かを隠していることを、ヨウたちは気づきながらも放っておいてくれている。それに甘えて、自分と王家との関わりを言えずにいるままだ。だから時々ユリが、さっきみたいに深く斬り込んでくると、戸惑ってしまう。知ってほしくもあり、知られたくなくもあり。
今まで誰にも触らせずにきた、そしてまた周囲の誰も触ってこようとしなかった部分に、ためらいがちに手を伸ばそうとしてくるユリ。その手をときどき掴んでしまいたくなる。
…ああ。キンモクセイが香る。
キンモクセイの甘い香りをかぐと、彼女の声がよみがえる。
ジェー、と、語尾を伸ばした発音で自分を呼ぶ声。
国王夫妻の一人娘として愛され、宮殿の太陽だった姫。少しわがままで、勉強を抜け出しては、いつもジェー、ジェー、とジャマしに来た。最後に彼女と会ったのもこの場所だった。
「リリー…」
今どこにいる? 何を見て、何を感じている?
きみに言いたいことがあるんだよ。