僕は乙女ゲームの隠しキャラになりきれなかった
「姉様、綺麗です…っ」
泣きたい気持ちをどうにか堪えて、僕は最愛の姉様に笑ってみせた。
すると、姉様が世界で一番嬉しそうな顔で僕に向かって微笑んだ。
ああ、この顔が見られる僕で、よかったな…。
そう思いながら、姉様の晴れ舞台である結婚式の間、気丈な弟として最後まで振る舞ったのだった。
姉様とはじめてお会いしたのは、僕が8歳の時だった。
2つ年上の姉様は伯爵家のご令嬢で、僕は父様が妾に産ませた庶子だった。
姉様が10歳になっても伯爵家に男児が生まれなかったという理由だけで、異母兄弟の僕は引き取られた。
本来なら、姉様と姉弟だと名乗るのも烏滸がましい存在だ。
それなのに、姉様は僕を受け入れてくれた。
「はじめまして、ギヴォン。今日からここがあなたの家よ、よろしくね」
姉様は10歳とは思えないほど完成された美しさを放ち、羽のように柔らかい笑みを浮かべていた。
細い金の髪と宝石みたいなピンクの瞳が、僕と似ていなくてうれしかった。
こんな美しい人と半分も同じ血を持っているのが誇らしくなったし、僕なんかと半分も同じ血なんてこの世はおかしいと思った。
だから、似てないことにホッとした。
今となっては、もっと似ていたら嬉しかったのかもしれないとも思う。
この時に、天使さまってちゃんといたんだ…、と非現実的なことを思った。
それくらい、姉様は美しかった。
それと同時に、最悪なことも思い出した。
姉様はとある乙女ゲームのヒロインで、僕はその姉様に執着する義弟だということを。
自分の気持ちなのか、ゲームの中の彼の気持ちなのか、わからないものが混ざり合って胸の内を掻き乱されていく感覚に吐きそうだった。
「……よろしくお願いします、エステノーラ様」
「あら、せっかく姉弟なのだから、そんな堅苦しく呼ばないで?」
きゅるきゅるの瞳が僕を覗き込んでくるから、心臓が痛いくらい跳ねたのをよく覚えている。
「……でも、僕」
言い淀んでいると、姉様のすぐ隣に立っていた伯爵夫人であり、姉様のお母様が鋭い目つきで僕を見下ろしているのに気づいて、首を振るしかできなかった。
「僕には、その権利はないので…」
そう答えた僕に、姉様は躊躇うことなく手を握ってくれた。
「ギヴォン、家の中を案内してあげるわ。私の一番のお気に入りはね、お庭なの」
そう言って、伯爵夫人に「庭に行ってきますね」と言い残して、姉様は僕の手を引いた。
取ってつけたように綺麗な格好をさせられた僕と違って、姉様の靡く髪もドレスの裾も優雅に動いていた。
「ごめんなさい、ギヴォン。お母様の前では言いにくかったわよね?」
庭まで来ると、姉様は小さな声でそう言った。
10歳で気遣いまでできる姉様は、やっぱり天使さまだったし、乙女ゲームのヒロインっぽかった。
「私ね、今日をすごく楽しみにしていたの」
目を垂れさせるように笑った姉様の笑顔は、年相応で可愛らしかった。
「あのね、これはお母様には内緒の話なのだけれど…」
そう前置きして、姉様はさらに小声で続けた。
僕はこの時僕だけに向けて笑ってくれた顔を、一生忘れないと思う。
「私兄弟が欲しかったから、ギヴォンがうちに来てくれてすっごくうれしいの!」
エフェクトでもかかったのかと思うほど、姉様の周りはキラキラしていて、だからこそ僕は弁えないといけないと身が引き締まった。
僕は姉様の迷惑にならない弟になる、そう決意したのはこの時だったと思う。
僕は、ヒロインである姉様が攻略対象キャラの誰とも結ばれなかった時にだけ現れる隠しルートの義弟だ。
他の攻略対象者を陰で排除して、無理やり姉様と結ばれようとするイカれたキャラだ。
端的に言えば、『ヤンデレ義弟』であり、半分は血が繋がっているというのに、姉様を欲するけだもののような男。
一部のファンには熱狂的に人気のキャラだったが、それはあくまでもフィクションの中だからだ。
僕が今生きているのは、姉様が本当に息をしている世界。
僕なんかが、姉様を汚していいわけがないんだ。
家を継いだのと同時に当主と夫人を追い出して、姉様を屋敷の中で監禁し、どこにも嫁がせることなく、泣いて怯える姉様に、「僕には姉様しかいないからどこにも行かないで…」なんて言い縋る、ゲームのようになってしまったら…。
姉様には、ずっと笑っていてほしいな…。
それで、できることなら僕にもずっと笑いかけてほしい。
弟のくせに、弟になりきれなかった彼のようにならないために、僕は弟であることを自分に何度も言い聞かせた。
最初の頃は、それでもどうにかなっていた。
だって僕は子どもで、姉様もまだ子どもだったから。
幼さの残る姉様が、僕を弟だと言って仲良くしてくれる。
貴族の子どもたちは大きくなるまで社交の場もないので、基本的には家の者たちしか顔を合わせない。
必然的に姉様に会える同世代は僕しかいなくて、優越感に浸っていられた。
「ギヴォンはどんどん勉強が進んでいってすごいわね。ギヴォンが跡取りとしてきてくれて本当によかったわ」
「エステノーラ様がそうやって褒めてくれるおかげです」
「もうっ、お母様がいない時は『お姉様』って呼んでって言ってるじゃないの」
ぷくーっと頬を膨らませて、僕との距離を気にしない姉様に、心拍は上がったし、満たされるようだった。
この距離感を許されているのは、この時は僕だけだったんだもの。
「……姉様?」
可愛い子ぶって上目遣いで姉様を見ると、くふふと姉様は笑うのだ。
それが見たくて、恥も感じることなくそうしていた。
「ギヴォンは女の子みたいに可愛いわね!もう一回呼んで?」
「姉様、大好きです」
「私もギヴォンが大好きよ」
『嘘つかないで、それは家族としてでしょ?僕とは違う好きでしょ?』と口をつかないように慎重に言葉を選ぶのが癖になった。
「……姉様の弟でいられて、僕は幸せです」
僕の天使さまがいる天国が続いたのは、姉様が学園に通うまでの数年間だけだった。
姉様が学園に入学する、すなわち乙女ゲームの本編がスタートされるということだった。
最初の頃はまっすぐ帰ってきて、僕に学園ではこんなことがあったと楽しそうに話してくれていたのに、いつからか帰りが遅く、一緒にいる時間も減っていった。
暴れ狂いそうになる日ばかりが増えていく。
それは顔中を爪で掻きむしりたいほどの痛みで、姉様が家にいない時間、僕は部屋に篭るようになった。
そのような意図はなかったけれど、部屋にいることは義母である奥様にも好評だったので、結果的にはよかったんだと思う。
枕に顔を埋めても何にもならないけれど、姉様に褒められた勉強だって手につかない。
姉様、姉様、姉様、姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様っ……!
早く帰ってきて、姉様…。
僕とも一緒にいて…。
お願い、僕を置いていかないで。
姉様の役に立つには、僕がこの家を継ぐことくらいしかないのに。
姉様がいない時間が苦しくて、どうにかなりそうなんです。
姉様、帰ってきて…っ。
姉様が攻略対象者と出会うイベントの日、僕以外のキャラとデートをしに行った日、僕じゃない誰かと進展しそうになった日、僕は正気じゃなかったと思う。
自分の気持ちなのに塗り替えられるような苦しみに、いつ溺れてしまうのか、いつも怖かった。
この手でいつ姉様を傷つけてもおかしくない自分が、一番嫌だった。
ああ、僕が僕じゃなくなっていくみたいだ……。
「……ギヴォン、最近調子でも悪いの? 部屋にいる時間が多いって聞いたのだけれど」
ああ、どこの誰だよ、姉様に余計なことを言ったのは。
姉様はお優しいんだから、心配させてしまうじゃないか。
この世界にメンズメイクがあったら、今すぐにクマも何もかも隠していただろうけれど、僕は儚く笑うことしかできなかった。
「……いえ、最近の勉強が難しくなってきて、部屋で復習しているだけですよ」
「そうなの? ギヴォンは頑張り屋さんなのだから、無理しちゃダメよ?」
その優しさが罪だと気づいてほしいような、勝手に罪のように感じる自分を恥じるような、なんとも言えない苦みを見なかったことにする。
僕がこの家に求められたのは、ただの後継ぎとしてだ。
僕の思い、僕の人格、僕の劣情、僕の恋慕は、誰にもどこにも求められていない。
傀儡になるんだ、僕はただの一キャラクターであり、ヒロインと結ばれないただの負け犬だと。
「大丈夫ですよ、ありがとうございますエステノーラ様」
「もうっ、だから〜!」
「ふふふ、姉様。大好きです」
「ねえ、ギヴォン。本当に大丈夫?」
心の底から心配してくれているピンクの瞳に覗き込まれて、一瞬揺らいだ。
ああ、我慢なんかせずに、姉様を僕だけのものにしたい……!
這い上がってくる欲望に吐き気を感じながら、僕はいつものように言葉を選ぶ、探す、迷ってなんとか選ぶ。
言いたいことは、言っちゃダメだ、飲み込め。
「……本当のこと言うと、ちょっと元気がなかったんです」
「あら、やっぱりそうじゃないの」
「あのね、姉様。……最近、姉様と会う時間が少なくて、……寂しいんです」
言葉を間違えずに選び取れて、ため息をついてしまいそうだった。
僕の精一杯の気持ちは、優しい姉様によってうまいこと変換された。
「まあっ!ギヴォンったらずっと可愛いのね!じゃあ、今日はずっと一緒にいましょう。ギヴォンと一緒に夜更かししておしゃべりし尽くしましょう」
ふんわり笑う姉様に、ぐらりと本性が出てきてしまいそうだった。
夜通し一緒にいるなんて言わないでくれ…とかろうじて残っていた理性が、「嬉しいです、姉様。でも夜更かしはダメですよ」と返していた。
「最近、ギヴォンとおしゃべりできていなかったものね。よし、お菓子と紅茶を用意してもらいましょう」
「それなら姉様の好きなクッキーがあったはずですよ」
「嬉しい、一緒に貰いに行きましょうギヴォン」
「はい、姉様」
あの時と違って、もう手は繋いでもらえない。
廊下を歩く姉様の隣に立って、抜かしてしまった背を見つめながら、息を整えて歩いていく。
「ねえ、ギヴォン」
「はい、姉様」
「ギヴォンはね、ずっと大事な私の弟だからね? ずっと大好きよ、それだけは忘れないでね」
あの頃と同じように目を垂れさせて笑う姉様に、もう泣きそうだった。
そうなんです、姉様。僕『ずっと』弟でしかいられないんです。
あなたの弟であることが、血が繋がっていることが、憎らしくて、不快で、疎ましくて、唯一誇らしいところなんです。
ねえ、姉様。 僕、ちゃんと弟でいられていますか?
「……僕も、ずっと姉様が大好きですよ」
「むっ、なんか言い方がお兄さんね!」
「ふふふ、とっくに背も抜かしましたしね」
「そうよ、あ〜〜〜んなに小さかったのに!」
「あの頃もそんなに身長は変わらなかったじゃないですか」
「そんなことないわよ!私、ちゃんとお姉さんだったわよっ!」
「ええぇ〜〜、そうでしたっけ〜?」
「うわー!ギヴォンが生意気に育ってるー!」
きゃはきゃは笑う姉様を、後ろから抱きしめてみたかった。
そんな不純なことを思いながら、僕は姉様の隣を距離を空けて歩いていった。
そうして、姉様は学園を卒業すると同時に結婚式を挙げることとなった。
相手はもちろん僕ではなく、王道のキャラクターとだった。
僕よりも身分の高い侯爵家の嫡男で、攻略対象者の中で一番権力があって、誰よりも姉様を困らせることのないまっすぐな愛を伝えられるキャラクター。
何をとっても僕が敵わない相手で、正直ホッとするようだった。
他のキャラだったら、僕は強制的に隠しルートエンドを発揮してしまったかもしれない。
間違えなくてよかった、庶子だって自覚していてよかった、たまたま運がよく姉様の弟になれたって思い続けてきてよかった。
そう思いながら、僕は姉様の結婚式に臨んだ。
「姉様、綺麗です…!とっても…!」
僕の隣で着てほしかった純白のウェディングドレスに包まれた姉様は、一等美しかった。
あまりにも綺麗で、神様が天使だと間違えて連れて帰っちゃうんじゃないかと思った。
ああ、そう思うと、姉様が生きている同じ地で生きていられることは幸運だったんだな。
「ありがとう、ギヴォン。一番に見てほしかったから嬉しいわ」
「え?」
「私が家を出て大変なこともあるだろうけれど、いつでも味方になるからね。ギヴォンは1人じゃないからね」
「……ええ、わかっていますよ姉様」
「あなたは甘えるのが得意なようで感情は隠しちゃう子だから、ちょっとだけ心配だけど、何かあっても今度は侯爵夫人としてあなたを守るからねっ!」
力強く言い切る姉様に、吹き出してしまった。
半分以上泣き笑いみたいになったけれど、姉様は茶化したりしなかった。
なんだよ、姉様もまあまあブラコンじゃないか…、どんな思いで僕が諦めたと思っているんだよっ…。
「姉様は嫁ぐ身なのですから、向こうのお家のために頑張ってください」
「もうっ、正論で返す場面じゃないわよ」
「ありがとうございます、姉様。元気出ました」
「ギヴォン、大好きだからね」
「はい、僕も姉様が大好きです」
そう答えると、姉様は目を垂れさせて笑ってくれるのだった。
姉様の結婚式に参列しその背中を見守っている時間は、ようやく地に足がついた感触がした。
誰よりも美しく輝いている姉様の笑顔を、僕が奪わなくてよかった。
奪う存在にならなくてよかった。
姉様を悲しませたいわけじゃないという必死な思いがなんとか堪えて、姉様を監禁せずに済んで本当に本当によかった……っ!
姉様に、まだ笑いかけてもらえる自分でよかった…!
姉様は指輪の交換をしたあと、チラリと僕の方を見て自慢げに笑った。
僕もコクリと頷いて返した。
それは姉と弟の姿だった。
僕の天使さま、今日まで弟でいられたことは苦しい日々でしたが、このエンディングを迎えられてホッとしています。
ねえ、姉様。僕を幸せにしてくれて、ありがとうございました。
了
お読みくださりありがとうございました!!
279日目。




