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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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夜ごと愛され、朝には肉が届く

作者: 月白ふゆ
掲載日:2026/08/02

 朝の鐘が鳴るころ、領主館から町へ肉が届く。


 大きな荷車に、白い布をかけた籠がいくつも積まれている。籠の中には、朝露のように冷えた赤い肉が、家族の人数ごとに切り分けられていた。


 骨はなく、筋も少ない。

 煮れば柔らかく、焼けば脂が甘い。


「今日も領主様と奥様に感謝を」


 肉を受け取った女たちは笑い、子どもたちは籠を覗き込んだ。


 去年まで、この領地では麦粥さえ満足に食べられなかった。

 三年続いた冷害で畑は痩せ、鶏は卵を産まなくなり、最後の牛は冬を越せずに死んだ。


 けれど、新しい領主夫妻が来てから、朝には必ず肉が届く。


 領主ラウルは、北方で学んだ新しい飼育法を導入したのだという。


 領民の誰も、その牧場を見たことはなかった。

 館の裏手に広がる森の、さらに奥にあるらしい。

 狼や盗賊から家畜を守るため、立ち入りを禁じているのだと説明されれば、疑う者はいなかった。


「奥様、おはようございます」


 館の二階で、エレノアは侍女の声に目を覚ました。

 薄い寝衣のまま身を起こすと、腰から下に重い疲れが残っていた。


 昨夜も、夫は優しかった。

 湯浴みをさせ、髪を乾かし、香油を塗った手で、肩から背中をゆっくりと撫でてくれた。


 ラウルは、毎晩のようにエレノアの身体へ触れる。


 腕を包み、脇腹を撫で、腰の丸みを確かめる。

 とりわけ腿には時間をかけた。

 指先で押し、両手で包み、柔らかさを確かめるように何度も撫でる。


「ずいぶん戻ったね」


 昨夜、ラウルはそう囁いた。


「何がですの?」


「君の元気が」


 彼は笑って、腿の内側へ口づけた。


「昨夜より、ずっといい」


 愛されているのだと、エレノアは思った。


 結婚して半年になるが、ラウルは一度も彼女を粗末に扱わなかった。


 昼間は領主として働き、夜になれば夫として寝室へ戻る。


 忙しい日でも、必ずエレノアを抱きしめた。

 そのことを町の女たちに話すと、皆が羨ましそうに笑った。


「領主様は、奥様を本当に大切になさっているのですね」


「毎晩だなんて、お若いこと」


 エレノアも笑った。


 ただ、朝になると身体が妙に重かった。


 酒を飲みすぎた翌朝のように頭が霞み、ときには腕や腿に、深いところから疼くような痛みが残っている。


 傷はない。


 痣もない。


 鏡の前で寝衣をめくっても、肌は白く滑らかなままだった。


「昨夜は、少し激しかったのでしょうか」


 侍女に尋ねると、年嵩の女は一瞬だけ口を閉ざした。


「旦那様は、奥様を心から愛しておいでです」


 答えは、それだけだった。



 昼の町は明るい。


 窓辺には洗濯物が揺れ、広場には肉を焼く匂いが満ちている。

 以前は痩せて泣く力もなかった子どもたちが、今は脂のついた口で走り回っていた。


 エレノアが広場へ下りると、皆が手を振った。


「奥様!」


「今日もいただきました!」


 肉屋の前には長い列ができていた。


 店主が厚い肉を切り分けている。鮮やかな赤身に、白い脂が細く入っていた。


「見事なお肉ですこと」


 エレノアが言うと、店主は誇らしげに頷いた。


「今朝のものは、とくに柔らかいですよ。若くて、よく手入れされている」


「牧場の家畜が?」


「ええ。もちろん」


 店主は包丁を置き、布で手を拭った。

 その動作が、なぜか不自然に早かった。


「何の肉なのです?」


「何、と申しますと」


「牛にしては小さな塊ですし、豚にしては脂が少ないでしょう」


 エレノアは、並べられた肉を覗き込んだ。


 骨付きの部位を見たことがない。


 肋も、脛も、尾もない。


 届くのはいつも、腿や腰から切り出したような、厚くて柔らかな肉ばかりだった。


「北方の家畜でございます」


 店主は答えた。


「骨がほとんどない種類なのです」


「まあ。そんな動物がいるのですね」


 エレノアが感心すると、周囲の人々も笑った。


「奥様は、お肉を召し上がらないのですか?」


「毎朝、いただいておりますわ」


「それなら、奥様がいちばんご存じでしょう。あの肉のおかげで、みんな生きていられるんです」


 幼い少女が、母親の籠から小さな肉片をつまんだ。


「奥様のお肉、おいしいよ」


 母親が青ざめ、少女の手を叩いた。


「違うでしょう。奥様がくださったお肉よ」


「同じじゃないの?」


「同じではありません」


 女は強く言い、エレノアへ何度も頭を下げた。


 子どもの言い間違いである。

 エレノアは気にしなかった。


 その夜、ラウルはいつもより長く湯を使わせた。


 侍女たちは花弁を浮かべた浴槽のそばで、エレノアの身体を丁寧に洗った。

 腰から腿にかけては、柔らかな布で何度も擦られた。


「そんなに汚れております?」


「清潔にするよう、旦那様から申しつけられております」


 湯浴みを終えると、寝台の横には葡萄酒が用意されていた。


 甘い香りのする、濃い酒だった。


「全部飲むの?」


「よく眠れますから」


 ラウルはエレノアの隣に座り、杯を唇へ運んだ。


 半分ほど飲んだところで、指先が温かくなった。

 身体の芯が緩み、まぶたが重くなる。


「今日は疲れました」


「町へ行ったそうだね」


「皆、幸せそうでしたわ」


「君のおかげだ」


「わたくしは何もしておりません」


「しているよ」


 ラウルはエレノアの寝衣を肩から滑らせた。


 鎖骨に口づけ、胸元へ頬を寄せる。


「君ほど、領民を愛している人はいない」


「あなたほどではありませんわ」


「僕は君を愛している」


 彼の手が、腹を撫でる。

 そこから腰へ下り、腿を包んだ。


「今日は、こちらにしよう」


「どちらに?」


「今夜、愛する場所だよ」


 左の腿に口づけられ、エレノアは笑った。


「昨日は右でしたものね」


「ああ。だから今日は休ませる」


 酒のせいか、夫の言葉が少しだけおかしく聞こえた。


 けれど、考える前に唇を塞がれた。


 灯りが揺れている。


 ラウルの指が、腿の形をなぞった。


 いつものように優しく、念入りに。


「よく育っている」


「太ったということですか?」


「美しくなったということだよ」


「同じ意味に聞こえますわ」


「君は、どれほど柔らかくなっても美しい」


 ラウルは笑い、もう一度杯を傾けた。


 残った酒が喉へ流れ込む。


 意識が沈み始めた。

 最後に見えたのは、夫が寝台の横へ置いた銀色の道具だった。


 細く、鋭く、燭台の火を反射していた。



 真夜中、エレノアは目を覚ました。


 目だけが覚めて、身体は動かなかった。


 寝室ではない。

 白い石壁に囲まれた、冷たい部屋だった。


 高い天井から灯りが吊られ、何人もの使用人が無言で立っている。


 エレノアは裸で、細い寝台に横たえられていた。


 左の腿に、ラウルが触れている。


 いつもの温かい手だった。


「目を覚ましたのか」


 彼は少し困ったように眉を下げた。


 口を開こうとしても、声が出ない。


「心配しなくていい。すぐに眠れる」


 ラウルの手には、銀色の刃物があった。


 寝台のそばには、大きな銀盆が置かれている。


 盆の上には、赤い肉が載っていた。


 湯気のようなものが、まだ表面から立っている。


 それが何なのか分からなかった。


 分かりたくなかった。


「今夜は少し多く必要なんだ」


 ラウルはエレノアの腿を撫でた。


「南の村で、熱病が出た。体力をつけさせなければならない」


 刃が肌に触れた。


 痛みはなかった。


 冷たさだけがあった。


「君は眠っているあいだに戻る。朝には、傷一つ残らない」


 ラウルの声は優しかった。


 初めて聞く説明ではないような気がした。


 ずっと昔から、何度も同じ声を聞いていた気がした。


「君の祝福を知ったとき、神に感謝したよ」


 刃が沈んだ。


 白い肌が開き、その下から赤いものが現れる。


「三年前、君が馬車の事故で腕を失ったときも、夜明けまでに元へ戻った」


 使用人が布を受け取る。


 白かった布が、すぐに赤く染まった。


「だから分かったんだ。君なら、誰も飢えさせずに済む」


 エレノアは叫ぼうとした。


 喉は動かなかった。


 ラウルは慣れた手つきで、腿から肉を切り取った。


 厚く、柔らかな肉だった。


 銀盆へ置かれたそれは、昼間、肉屋で見たものと同じ形をしていた。


「大丈夫」


 ラウルは身を屈め、涙の溜まったエレノアの目元へ口づけた。


「僕は君を愛している」


 その言葉だけは、嘘ではなかった。


「だから毎晩、僕が切るんだ。ほかの男には触らせない」


 薬が再び意識を沈めた。


 最後に、ラウルの声が聞こえた。


「明日の分も、よく取れた」


 朝の鐘が鳴った。


 領主館から、町へ肉が届く。


 荷車の周囲に人々が集まり、今日も領主夫妻へ感謝を捧げていた。


 エレノアは自分の寝台で目を覚ました。


 左の腿が、深いところから疼いている。


 寝衣をめくる。


 傷はなかった。


 滑らかな肌が、朝の光を受けて白く輝いていた。


 夢だったのだろうか。


 けれど枕元には、葡萄酒の甘い匂いが残っている。


 朝食が運ばれてきた。


 白い皿の上に、焼きたての肉が載っていた。


 表面には香草が散らされ、切れ目から透明な肉汁が溢れている。


「今朝は、たいへん上等な部位でございます」


 侍女は俯いたまま言った。


「旦那様が、奥様には必ずこちらをお出しするようにと」


 エレノアはナイフを握った。


 刃を入れると、肉は抵抗もなく切れた。


 驚くほど柔らかい。


 一切れを口へ運ぶ。


 甘い脂が舌の上で溶けた。


 よく知っている味だった。


 毎朝、食べてきた味だった。


 扉が開き、ラウルが入ってきた。


「おはよう、愛しい人」


 彼は何事もなかったように微笑み、エレノアの頬へ口づけた。


「昨夜はよく眠れたかい?」


 エレノアは答えなかった。


 皿の肉と、自分の左腿を見比べる。


 ラウルは向かいの椅子へ座り、満足そうに彼女を眺めた。


「今日は町へ行こう。皆が君に感謝している」


「何に、ですの」


「君がここにいてくれることに」


 窓の外では、子どもたちが笑っている。


 家々の煙突から、肉を焼く煙が上がっていた。


 去年まで死にかけていた町が、朝日を浴びて輝いている。


 エレノアはもう一切れ、肉を切った。


 逃げれば、明日の肉は届かない。

 夫を告発すれば、北方の牧場など存在しないと知れ渡る。


 そのあとの冬を、町の者たちは越せないだろう。


 逃げたいと思ったはずなのに、その言葉は朝の鐘に紛れ、もう自分のものではないように思えた。


「今夜は、どちらになさるの?」


 エレノアは尋ねた。


 ラウルの瞳が、喜びに細められた。


「右を。左は休ませよう」


「そう」


 エレノアは肉を噛んだ。


 昨日より柔らかく、少しだけ甘かった。

私はラムもマトンも好きです。


美味しいですよね、肉。

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― 新着の感想 ―
怖い・・愛してるから自分が切ると言う旦那も、解っても尚肉を食べるエレノアも・・ギャーーー!!
あしか汁思い出しちゃった…コワイ…
うわあぁぁっ!! えっちな雰囲気なのかと思って読み進めていたら、まさかホラーだったとは……!! 全部を説明しないのに、少しずつ散りばめられた違和感だけで真実へ辿り着いてしまう構成が本当にお見事でし…
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