転生の間
「……」
太郎が目覚めると、そこはいつもの寝室ではなかった。
異空間の、まさに「それ」。
ただただ一面に広がる、白い空間。
目の前には、息を呑むほどに美しい女神が、静かに佇んでいた。
「お目覚めになられて」
女神は、人間にはあり得ないほどの澄んだ声で、太郎に語り掛けた。
「ここは?」
「転生の間です。本来であれば、死者しか来ることが出来ない場所なのだけど」
女神は、困ったように少し眉を寄せた。
「貴方はあまりにも『特別』過ぎて。他の神々とも話し合った結果、特別な貴方には、特別な方法で、生きたままここに来てもらいました」
「そうか」
女神の言葉にも、この異常な状況にも、太郎は一切動じる様子もなく、ポツリと答えた。
「これから、貴方には転生してもらいます」
女神は、事務的に、しかしどこか苛立たしげに続けた。
「貴方にあのまま地球に居られては、生きとし生けるもの皆が穏やかになり過ぎて、星の寿命は無駄に伸び、私達は、面白くないのです」
「そうか」
「ただ、悔しいけれど」
女神は唇を噛んだ。
「貴方は、貴方に心酔する何十億もの魂によって、あまりにも強固に守られている。神と呼ばれる私、私達でさえ、貴方の魂を1からどうこうは出来ないの。
だから、貴方は新しい世界でも、貴方のままでいい。貴方の大好きな雑草を、思う存分抜かせてあげるわ。
貴方に心酔する、あのお供の男も、そのまま連れて行きなさい。
貴方達には、異世界で生き残れるだけの『力』もあげるから。そこで、好きな様に生きなさい」
「わかった」
太郎は、初めて、はっきりと答えた。
「だから、お願いだから!」
女神の口調が、急に切実なものに変わった。
「次の世界では、どうか、大人しくしていてね。
向こうの世界には、ちゃんと私達が用意した『勇者』がいるから。貴方がわざわざ、虐げられたり、困っている人を助けたりしなくてもいいのよ。
あと、くれぐれも『魔王』は刺激しない様にして。とにかく平穏に、お迎えが来るま……」
女神の言葉が、途切れた。
「………」
太郎が目覚めると、いつもの天井、いつもの景色が広がっていた。
だが、窓から差し込む光と、空気が、明らかに昨日までとは違っていた。
「お目覚めですか、主」
傍らには、ミハドが、いつもと変わらず影のように控えていた。
「ああ」
太郎は、不器用な動作ではない、滑らかな動きで身を起こしながら答えた。
「これからが、楽しみです」
ミハドが、その厳つい顔に、隠しきれない興奮を滲ませて言った。
「そうか」
太郎は、庭に目をやった。
そして、そのままの姿で縁側へと歩き、外に出た。
家の外は、見たこともない木々が鬱蒼と茂る、深い森に覆われていた。
聞き慣れない、鮮やかな鳥の声。木々のざわめき。
「これからが、楽しみです」
ミハドは、らしくもなく、まるで子供の様に、もう一度そう言った。
太郎は、寝巻きのまま、縁側に腰を下ろした。
その虚ろな瞳で、外の景色を見つめる。
「そうか」
そこで、太郎は気付いた。
視界が、いつもより広いことに。
失ったはずの片目が、この異世界の光を、確かに捉えている。
左手に、違和感がない。指が、全て生え揃っていた。
そして、自分は今、義足ではない、自らの両足で、縁側まで歩いてきたことに。
それは、彼が日本を離れたことで、その健康だけを願い続けた、何十億というアナスル国民の魂の御業であった。
新しい世界で過ごす、朝の始まりだった。




