ピアノのピーア
(早く止めなきゃ……!)
あんずは二段飛ばしで階段を駆け上がる。
ようやく昇り終わり、さてピアノはどこだと前を向いた瞬間
「……あら? あなた……どうしてここにいるの?」
……ピアノを、というか犯人を見つけた。
「……え?」
「……? どうしたの?」
エグいピアノ演奏をしていた犯人は、あっさりと見つかった。
というか、階段前にいた。
「あの……なんでピアノ、階段前に……。いや、えっと」
言いたいことがありすぎて何も言えない。
それほど目の前の光景が異様だったからだ。
学校にピアノ、と言われたら一番に音楽室を思い浮かべるだろう。
しかし、ここの廃校は少し変わった学校だったらしい。ピアノが階段前に設置されてあった。
(いや、なんで? 先生さようならした後1曲弾いてから帰るの? 優雅すぎるし意味わからんなんだここ)
疑問が止まらない。
それに、あんなに激しく叩いていたものだから、てっきりヤンキーあたりかと思っていたが……。
あんずは目の前の人物を見つめる。
自分より5、6歳上だろうか。
蛍光灯の光を反射させて輝く空色の髪。
海の底のように暗い青色のドレス。肩を出すようなつくりではあるが、レースを纏いネックインナーのようなものを中に着ているからか清楚な印象を受ける。
カチューシャ。小さな赤色の花と金色に輝くひし形のアクセサリーを左右に下げている。
首には髪と同じ空色のネックレス。宝石には詳しくないが、ダイヤモンドを連想させる光を放っている。
ここまででも充分に幻想的で綺麗だが、一番心を奪われたのは瞳だ。
真っ青だった。光の侵入を許さないとでも言うように、その瞳は青しか映さない。
ハイライトのない暗い青がこちらを見つめる。
一切温度を感じない視線。
「……綺麗」
思わず口に出してしまった。
それを聞いた少女はとても嬉しそうに微笑む。
「ありがとう。このドレス、いいでしょう? お気に入りなの」
「ドレスもいいけど、お姉さんの瞳が……じゃなくて! ピアノ、やめてほしいの」
一瞬何を言うのか忘れかけてしまったが、本題を思い出し慌てて告げる。
急な頼みだったが、少女は申し訳なさそうな表情で承諾してくれた。
「ごめんなさいね。やっぱり、うるさかった?」
「えっと……はい。音というか、調律が狂ってるのが、ちょっと……」
そうよね、とため息をつく少女を見て、少し申し訳ない気持ちになる。
「えっと……なんでこのピアノ弾いてたの? 音楽室に無かったの? 音楽室から持ってきたの?」
変な質問を矢継ぎ早にしてしまったが、少女は笑って答えてくれる。
「音楽室にもピアノはあるわ。でも、劣化してもう弾けなくなってて……。こっちのピアノは元からここにあったんだけど、まだ弾けそうだったから試していただけ。本当は直してみたいんだけど、持ってきていた道具をどこに置いたか分からなくなっちゃって……」
「へえ……え?ピアノ直せるの?」
ピアノが元からここにあったのはもう無視だ。
この学校は狂っているからとしか考えようがない。
それよりも、目の前の少女がピアノを直せることにあんずは驚いた。
「調律師って言うの? それ、お姉さんの歳でなれるの?」
あんずより歳上と言っても未成年にしか見えない。
調律師って未成年でも実力があればなれるのだろうか。いや、顔立ちでそう見えるだけで、もしかしたら成人しているのかもしれないが……。
「ふふ、違うわ。私のはただの趣味」
親が調律師でね、家のピアノを直しているのを見て育ったからある程度のことはわかるの。
そう続ける少女にそんな世界もあるのか、と納得するあんず。
「じゃあさじゃあさ、あれ弾ける? あの──」
「あんず!!!!」
急に名前を呼ばれて驚く。
振り返ると、顔面蒼白なナルシが立っていた。
「あ、もう大丈夫になったんだね。ナルシ、ピアノ弾くのとめてくれるって」
「え? あ、うん……」
「ナルシ……ナルシって呼んでるの?」
驚いた表情の少女があんずに尋ねる。
「うん。ナルシストだからナルシ」
「それは……随分なあだ名ね、ふふ……。一番似合って、一番合わないわ」
「?」
どういう意味、と聞こうとするが、いつの間にか隣に来ていたナルシに肩を掴まれ少女からひっペがされる。
そのまま少女から守るようにあんずを背に隠すナルシに、少女は怒ることなく微笑む。
「……? どうしたの、ナルシ。お友達なんでしょ?」
「お友達……そうだね、お友達だ」
肯定していながら、動く気配のないナルシ。
「……あ、そうだ。お姉さん、出口……昇降口の鍵知らない?」
「え? 鍵……? ごめんなさいね、分からないわ。音楽室の鍵なら持っているんだけど……」
ほら、と音楽室と書かれた鍵を見せてくれる。
「鍵開けたの?」
「そうよ。廃校の音楽室なんて、滅多に入れないじゃない?」
チャンスは逃したくないの、と含みのある笑顔で少女は答える。
「もういいだろ。あんずも早く帰らなきゃいけないし……」
「じゃあさ、あたし達が調律の道具を探すから、お姉さんも昇降口の鍵見つけたら教えてよ!」
「あんず!?」
「あら……いいの? 嬉しいわ。ありがとう」
ナルシを無視してあんずを撫でる少女。
ナルシはそれをすごい表情で見つめているが、少女は気にせず撫で続ける。
「……お、お姉さん、名前なんていうの?」
あんずは流石に気まずくなり、半ば強引な方法で話を切替える。
「……私の名前?」
気を悪くしたかな、と不安になったが、少女はきょとんとした表情でこちらを見つめているだけで、不快に思っているようではなかった。
「う、うん。お姉さんって呼んでるのもあれかなって思って」
「あら。お姉さんって言われるのも嬉しいけど……。ねえ?」
何故かナルシに目を向ける少女。
ナルシは黙って目を細めるばかりで何も言わない。
「い、いやでも、ききたいなー!」
「そう?じゃあ……あのお兄さんの名前はナルシストから取ったのよね?」
「え、うん……」
「じゃあ私はピアノから取って……そうね、ピーアとかにしようかしら」
「ピーア?」
「本名よりこっちの方が面白いじゃない?ふふ、私はピーア。今決めたけれど、よろしくね」
……なんだか掴みどころのない人だ。
あんずはピーアの勢いに圧倒されていたが、こくんと頷き笑う。
「……わかった。こちらこそよろしくね、ピーアちゃん」
握手するあんずとピーア。
「……いいな」
あんずはその言葉に驚く。
小声で聞きにくかったが、今ナルシが確実にそう言った。
(ま、まさか……ナルシってピーアちゃんのこと好きなの……!?)
うわ、絶対そうだ!好きな子に冷たい態度取っちゃうところとか、小学生男子あるあるじゃん!と興奮するあんず。
「……あんず?」
「いや! なんでもないよ! 叶うといいね、ナルシ!」
「は?」
にまーっと笑うあんずに戸惑うナルシ。
そんなナルシの手を取って引っ張る。
「じゃあピーアちゃん、またね! 道具、探しとくねー!」
「ありがとう。茶色い箱に入ってるから、見つけたらよろしくね」
元気に手を振るあんずと半ば引き摺られるように連れていかれるナルシを見て、微笑みながら手を振り返すピーア。
2人の姿が見えなくなってから、ピーアはぴたりと手を振るのをやめる。
彼女の顔に、先程の暖かい微笑みはもう無かった。
「……本当に、変わらないのね、あんずちゃんは……」
歪な笑顔を浮かべ、頬に手を当て首を傾げる。
「……少しくらい悪戯しても、いいわよね?」