ピーア
「……絶対に、嫌」
「うわああああああああ!!」
「え」
ドシャ!!
ナルシに気を取られていたピーアは、真上から降ってくるあんずに気づかずそのまま下敷きにされてしまった。
目の前の光景に呆気にとられ一瞬固まっていたナルシだが、我に返り急いであんずの元に駆け寄る。
「な……どういうこと!? あ、あんず……大丈夫!?」
「いてて……あれ、痛くない。大丈夫……」
「……私の心配もして欲しいわ……」
「おわ!!ピーアちゃん何でそんなとこに……」
「……とりあえず、降りて……」
あんずは急いでピーアから降りる。
腕をさすりながら上体を起こすピーアを見て、あんずは慌てる。
「あの、ごめんねピーアちゃん。腕……大丈夫?」
「ああ、別に……どうってことないわ。まず私たち、怪我しないし……」
そんなこと無くない? とあんずは心の中でツッコんだが、後ろめたさもあり流石に声に出すことはしなかった。
「それよりどうして出てこれたの? しかも上から……」
「……? えっと、廃墟があって、でも崩れて、ピアノ弾いたらオルゴール壊しちゃって」
それまで大人しくあんずの話を聞いていたナルシだが、急にあんずの肩を掴み涙目で叫ぶ。
「廃墟……崩れた!? あんず、怪我は!?」
「大丈夫だってば。あたしが心配なのはピーアちゃんで……ピーアちゃん?」
そこまで言いかけて、あんずは俯きピクリとも動かないピーアに気付き焦る。
「や、やっぱりどこか痛かった? 大丈夫……?」
「……オルゴール」
「え?」
「オルゴール、壊れたの……?」
なんか、おかしい。
あんずは直感的にそう思った。
攻撃してきた時とはまた違った異常。
「……ごめんなさい。壊すつもりはなかったんだけど……」
これ、とポケットからオルゴールを取り出しピーアに見せる。
俯いたままで表情はわからない。しかし、一瞬ではあるが───あんずにはひどく動揺したように見えた。
「ピーアちゃん……」
なんて声をかけるべきだろう。いや、そもそもここは何も言わないのが正解か?
あんずはぐるぐると悩み頭を抱える。
「……謝る必要は無いわ。元はといえば、全て私が引き起こしたことだもの」
そう言って顔を上げるピーア。表情はいつも通りの完璧な微笑みに戻っていた。
「こちらこそごめんなさい。なんだか少し混乱しちゃったみたい」
「え、いや、あたしは大丈夫だよ」
「少し混乱って……」
「ナルシ、静かに」
「はい……」
あんずは余計なことを言ってくるナルシを軽く小突く。
その様子を微笑ましそうに見つめるピーアの表情は穏やかだった。
「……あ、そうだ。ねえあんずちゃん、そのオルゴールと鍵、貸してもらってもいい?」
「は!? オルゴールは分かるけどなんで鍵も……」
「え、うん。はい、どうぞ」
「ありがとう」
「ちょ、コラあんず! コイツ次は何するか……!!」
不満を隠さず叫ぶナルシを見て、ピーアは笑う。
「大丈夫よ、もう邪魔なんてしないから」
「……」
ピーアの言葉にナルシは口を噤む。
しかし、納得したわけではないようで、ピーアのことを睨みつけていた。
ピーアはそんなナルシに構わずオルゴールの鍵穴に鍵を挿し込む。
「え」
「あ」
かちゃり。
軽快な音をたてて、いとも簡単にオルゴールは開いてしまった。
どこか懐かしいメロディが、不穏な雰囲気を溶かすように流れる。
「……ごめんなさい。実はこの鍵、このオルゴールのなの」
「……」
「ふふ、そんな怖い顔しないで。私はもう邪魔しないって言ったでしょ?」
というか、鍵の形が他のと違ったでしょう? 目視で分からなかったの?
そんなピーアの問い──意地悪に、ナルシは黙るのみだった。
気まずい空気が流れ出したところで、あんずが口を開く。
「なんか、どっかで聞いたことある曲だね。有名なやつ?」
ナルシと睨み合いをしていたピーアは、あんずの問いかけに一瞬きょとんとした表情になる。
「……あんずちゃん、私が言うのもなんだけど……マイペース過ぎるわ」
まあ、そこがいい所なんだけど。
そう言って困ったように笑うピーア。
「この曲は……すごく有名って訳では無いけれど、そうね……知る人ぞ知るって感じかしら。まあ、私もママが聴いてるので初めて知ったから詳しくは無いけれど。古い曲だしね」
「……俺は初めて聞いたな。あんず、この曲どこで知ったの?」
「え、んーと……」
あんずはふと気になったことを聞いただけだったため、思いがけず注目されてしまい戸惑う。
「……友達の家? だっけな……あたしもよくわからないや」
あんずの答えにピーアの動きが止まる。
「そっか……。まぁ、今分からなくても後で思い出すこともあるだろうし、気にしなくていいと思うよ」
「うん……。ごめんねピーアちゃん、分からなくて……ピーアちゃん?」
語りかけても俯いて返事をしないピーアを不思議に思い、あんずはピーアの顔を覗き込む。
「どうしたの?震えてる……え?」
「……?ピーア、泣いてるのか?」
「いや……めっちゃ笑ってる」
「え怖ッ!あんず、離れた方がいいんじゃ……」
「いや……そういう笑顔じゃなくて……」
幼い子供が見せる屈託のない笑顔。
あんずの脳内にはいの一番にその言葉が浮かび上がった。
「ふ、ふふ……あははっ! なんだ、そうだったのね……」
「ぴ、ピーア、ちゃん?」
「てっきりもう、無くしちゃったのかと……ふふ、おかしい……」
ひとしきり笑ったあと、ピーアはあんずを見下ろして呟いた。
「あんずちゃんが、忘れるわけないのに……」
私ったら焦っちゃって。
ピーアはそう続けはにかむが、あんずはもう聞いていなかった。
(忘れるわけないのに?)
何を。
「ねえピーアちゃん……」
「ピーア」
冷たい静止の声。ナルシだ。
こんな声も出せたのかと驚き振り返る。
怒りを静かに抱え込むように暗く赤く煌めく瞳に、思わず見とれてしまう。
「……そうね。これ以上は無粋ね」
ピーアはそう答え、またいつもの微笑に戻る。
ナルシの表情は険しいままだ。
急に重い空気になった理由が分からず、あんずは首を傾げる。
「……なんでもないよ。ごめんね、あんず」
そんなあんずに気づいたのか、ナルシが困ったように笑う。
「あたしは大丈夫だけど……」
なんか、ナルシの方が辛そう。
そう思ったが、なんとなくこれを伝えてもまた困らせるだけな気がして口を噤む。
「……じゃあ、俺たちは上の階見てくるから。いこ、あんず」
「え? あ……うん」
ピーアちゃんは? とか聞いたら怒るかな。
そんなあんずの気持ちを察したのか、ピーアは少し驚いたような表情になり、また笑う。
「私はまだここでピアノを弾いているから……。気をつけてね」
「……ピーアちゃん」
「ん?」
首を傾げ、あんずの言葉を待つピーア。
ナルシも二人の会話を邪魔しないよう静かに立っている。
「えへへ……お邪魔しました!」
ピーアに大きく手を振って、ナルシを追い越し階段を駆け上がる。
「ちょ、あんず!? 俺のこと忘れてない!?」
ナルシもあんずを追うために走り出す。
忙しなく去っていく二人をピーアは呆然と見つめていたが、溜息をつき階段に背を向ける。
「しょうがないわね……」
呆れたような言葉。
しかし、ピーアの表情は晴れやかだった。