無意味なアンコール
「ふふ。自分で言うのは少し恥ずかしいけれど……私、指揮も出来るのよ」
そう言って微笑み、指揮棒を構えるピーア。
ナルシはなぜ今ピーアがそんなことをしているのか分からず立ち尽くす。
ピーアの口が動く。どうやら拍を数えているようだ。
(指揮……普通はリズムを取ったり合図を出したりするもので、一人でやる事じゃ……)
ピーアの行動に気を取られているとドシャッという鈍い音が聞こえた。
視界が回る。
勢いよく床に叩きつけられ、思わず蹲る。
「ッは、げほっ、」
攻撃された、と遅れて理解した。
ナルシはチカチカする頭を抑え、ふらつきながら起き上がる。
ピーアは急な攻撃により混乱するナルシに語りかける。
「ふふ、駄目よお兄さん。どうして指揮を見ないの? 演奏中よ、歌って!」
ピーアがそう叫んだ瞬間、演奏が始まった。
しかし、ナルシは最初、それが曲だと気づかなかった。
「……う、るさ……!?」
一階で聴いた時と比べようにならないほどの不協和音。
バイオリン、トランペット、ギター、歌声、ピアノ。
統一性なんてない。それぞれが最大音量で互いを邪魔するように演奏している。
耳を塞ぎながら、なんとかピーアに近づこうと踏み出す。
それを止めるような素振りも見せず、ピーアは指揮を振り続けている。
ナルシは不審に思いながらもまた一歩近づこうとする。
その時、視界の端に何か黒いものが見えた。
「……ッ!!」
思わず避ける。
それは高速でナルシの横を通り過ぎ、ピアノのタイルにぶつかって爆ぜた。
「……音符……?」
一瞬で消えてしまったが、たしかにあれは音符だった。
……全長10mほどの。
(……じゃあ、さっき俺に当たったのは……)
ナルシはピーアへ視線を移す。
「そうよ。痛かった?」
まあ、これぐらい、私たちとっては別にどうって事ないわよね。
そう言って笑うピーアを見て、ナルシは呆然とつぶやく。
「……なんで」
ピーアは答えず、ただ指揮棒を振り続ける。
(……集中しろ。あの攻撃に規則性は無いのか……?)
ナルシはピーアの指揮を見つめる。
さっきからずっと違和感があった。
急に四拍子になったり三拍子になったりでリズムがバラバラなだけかと思っていたが……。
(……あれ、指揮じゃない……)
でたらめに振っているのかと考えていると、指揮のテンポが少し遅くなった。
ピーアが指揮棒をゆっくりと、そして大きく右へ振る。
「……!!」
一歩前に飛び出る。
右から音符が流れ、またぶつかって爆ぜた。
(……やっぱりそうだ。あれは演奏の指揮をしてるんじゃなくて……)
左。右。後ろ。前。上。左……
ナルシは指揮を見ながら音符を避ける。
(……これなら)
一歩進んで、避けて、進んで。
少しずつピーアに近づいていく。
「……ピーア!」
「っ!」
ナルシの声に気を取られ、一瞬指揮が止まる。
その隙に、ナルシはリボンを操り指揮棒を奪う。
「……!」
リボンから指揮棒を受け取る。
ナルシは一瞬迷うが、ピーアが奪い返そうと近づいてくるのを見て小さく溜息をつく。
「待って!」
悲痛な叫び声。
ナルシはピーアを無表情に見つめ────
「……無理だよ、もう」
独り言のように小さな声で答え、指揮棒を折った。
その瞬間、不気味な演奏がピタリと止み、周囲はいつも通りの廃校へと戻った。
ナルシは俯くピーアを睨む。
「……あんずを返せ」
「……嫌よ」
「はあ? なんで。もう終わりだろ」
ナルシは怒りを通り越して呆れてしまう。
どうしてここまで抵抗するのか。もう何も出来ないのに。
ピーアはそんなナルシの考えを打ち砕くように、強い口調で否定する。
「嫌。あの子は絶対に帰さない……!」
そのまま手を振りかざす。
また、不快な音楽が聴こえてくる。
「……無駄だろ。やめろって……」
「……絶対に、嫌」