フランス研修旅行3
さて、パリ観光。
メインは七月十四日のパリ祭だろう。
パリ祭またはフランス革命記念日、フランス建国記念日。
世界史を勉強すれば、近代史でも最も有名な事件の一つが一七八九年のフランス革命。
それを記念する祭りである。
全体の動員数はシャンゼリゼ通りを中心に百万人と言われている。
ちなみに、パリ祭は日本だけの呼称らしい。
それ以外でも、パリ及びパリ周辺の観光地には回る予定だ。
パリの観光地は主に東のバスティーユ広場辺りからセーヌ川沿いに西のエッフェル塔や凱旋門あたりまでの両岸1kmに散らばっている。
これはそのまま、パリの光の地区と見てよい。
東京ならば山手線の内周といったところか。
それよりも東側、北側、西側は治安が良くないとされる。
もっとも、パリ全体が治安が良好ではないらしいが。
本日は凱旋門の見学に来ている。
この凱旋門から東へ約二kmのコンコルド広場までがシャンゼリゼ通り。
歌でも有名な通りだ。
ずらりと様々なお店が並ぶ。
庶民的なお店が多いらしい。
僕達もずっと広場まで歩いていく予定だ。
パリ祭では通りは混雑する。
だから、その前に見学に来たのだが、
「皆さん、パリで最も注意すべきは」
と先生の口上が始まった。
「それはスリです。カバンを肩下げしたり、口の空いたバッグをもたないように」
特に、グループ詐欺。
実行犯に子供や女性を使う。
一旦スられれば瞬く間に仲間にリレーされていき、警察でも処置できないという。
「あと、知らない人が話しかけてきたら、それは良からぬことを考えていることが多いです」
先生が口上を続ける。
誰かが道を聞いたりしているうちに、もう一人がカバンから財布を盗む。
警官とか名乗っても信用できない。
偽警官かもしれないからだ。
ましてや、警察官や取締官が財布の提示を求めてきたら、絶対におかしい。
先生の言うことは凱旋門に来てよくわかった。
「ねえ、皐月さんと音羽さん。周りに危険信号がたくさん出てるのわかる?」
「うん、びっくりした。まるで迷宮の中みたい」
僕達には気配察知スキルがある。
殺意・悪意には敏感に反応する。
それだけ、犯罪目的の人が多いということだ。
などと話していたら、早速女性が近づいてきた。
悪意プンプン振りまいて。
僕はひと睨み。
それだけで女性は恐れおののいて逃げていった。
目で追いかけると、そっちには仲間と思われる男性が数人。
で、凱旋門に歩いていくと、
「皆さん、注意してください。今皆さんの後ろについてきてるのはスリで~す」
パリに慣れている添乗員さんが注意を促す。
再び、僕は睨みをきかして。
立ち止まって写真を撮ろうとした。
すると、たちどころに
「署名活動お願いします」
これに応じたりするとお金を要求するという。
だから、やっぱり近づいてくる女性をひと睨みする。
すると、仲間が腹を立てたのか、僕達が裏道にそれた瞬間に男が数人近づいてきた。
かなりの怒気をふりまいている。
明らかに狙いは僕だ。
僕もいい加減我慢の限界に来ていた。
睨みの焦点を鋭く絞り、強烈な覇気を相手に浴びせかけた。
「は? あ、あ、あ……」
男たちは途端に気を失った。
僕はこっそり雷魔法で男たちの目を覚ませた。
そして、再び目を覗き込んで精神の深い部分にトラウマを植え付けた。
男たちの処置が終わると、遠くから様子をみている女たちにも強烈な覇気をぶつけた。
気を失わない程度の覇気を長く。
女たちは腰をぬかし、膝をガクガクさせて座り込んだ。
それでも覇気を続けていくと、次々に女たちも気を失っていった。
あたりは騒然とした。
その間に僕達は現場を離れていった。
◇
以上のようにパリに来ていろいろ不満点はあるものの、街並みはやはり美しい。
世界有数の観光地であるだけのことはある。
僕達は概ね満足していた。
「さて、一通り有名な観光地は回ったわね。次はバスにのってパリの抱える裏の世界を見に行くわよ」
先生はそう宣言して僕達を車に乗せた。
僕達にも緊張感が走る。
「今までのツアーはパリの光の面を見てきた。次のツアーは治安が悪いと言われている街をめぐるわ。治安が悪いと言っても強盗や殺人が多いとかそういう場所じゃない。でも、パリ・フランスの抱える問題の一端を見ることができるの」
まず、到着したのが地下鉄Porte d'Ivry駅だ。
パリの南部にある十三区のメトロ七号線の駅である。
「さて、この辺りを周遊してみるわね。特徴は何かしら?」
「中国語が目立ちますね。あと、ベトナム語かな?」
「中華系とベトナム系の多いエリアね。治安が悪いわけじゃないわ。華僑は世界中にいるけど、ベトナム系が多いのはベトナムがかつてフランスの植民地だった影響かしらね」
車はメトロ十七号線に沿って北上していく。
「はい、右に見えるのがGrande Mosquée de Paris。イスラム寺院よ」
「わ、おっきい」
「フランスに住む人の1割近くはイスラム教徒だって言われているわ。もともとはアフリカ北部を植民地化して、そこに住んでた人、マグレブ人、アルジェリアとかモロッコとかチュニジア人がフランスに移り住んできたのよ」
「ああ、ジダンとか」
「よく知ってるわね。有名なサッカー選手ね。今、フランスのサッカーだけじゃなくてスポーツ界は北アフリカ人やさらに南のアフリカ人で占められているわ」
「ああ、柔道なんかでも黒人ばっかりだった」
「たいていは、フランスの旧植民地から来たのね。それらの国は公用語がフランス語だから」
「日本でニュースになってるのは、イスラム教じゃないですか? テロとか」
「イスラム教との揉め事は多いわね。南のほうの黒人はキリスト教徒が多いのに対して、北アメリカはイスラム教。で、イスラム教は排他的って非難されてるわね」
「ああ、めんどくさそう」
「宗教のゴタゴタは私にはコメントできないわ。ただ、スポーツ界が移民ばっかりっていう批判に対しては、フランスは昔からそうだったのよ」
「昔から?」
「フランスサッカーにはプラティニっていう偉大な選手がいたんだけど、彼はイタリア系移民。その他でも代表選手には移民が多かったのよ。ただ、それが白人っていうだけ」
「フランスは移民から多大な恩恵を受けてるわけですね」
「スポーツだけじゃないわ。戦争でフランスのために多くの移民が血を流したことがフランスが移民を受け入れた理由の一つだし。大戦後はフランスも労働力が不足してたしね」
バスはさらに北上を続ける。
すると、黒人の目立つ地域にさしかかった。
「このあたりは十八区。東駅や北駅のあるあたり。アフリカ系の住民の多い場所よ」
他にも、ユダヤ人街、インド人街、アラブ人街など多くの移民の集まる場所を紹介してもらった。
◇
「どう? パリはこの通り美しい街並みと歴史を持っているわ。でも、欧州でも一番と言われるようなスリ天国。 道路には意外とゴミも多いし、ペットのしつけもよろしくない。移民も多いし、彼らの居住地は綺麗じゃない場所も多いわね。彼らがフランスに定住する歴史も押さえておきたいわね」
「パリに来てみると、想像と違った面がたくさんありますね」
「そうね。まだまだ貴方たちはフランス人との交流があんまりないけれど、はっきりいってフランス人は主張が非常に激しいの。それはデモの多さにも現れてるわね。 仏人はしょっちゅうデモをする。それで他の人たちが迷惑を被ってもお構いなしね。そういうメンタルティが彼らにはあるのよ」
「日本人とは随分違う?」
「まあ、控えめに言ってもそうね。昔から『パリ症候群』っていう言葉がある。 日本人はとかくフランス・パリを美しいものと思ってる。それはそうなんだけど、でも一面しかみてないわけ。実際にパリにくると汚い面もたくさんあって混乱しちゃうわけね。『私の思ってるパリと違う』と。で、鬱状態になったりするのね」
「ああ、それ聞いたことがある」
「フランスに限らないけど、どんな美しいものにも汚い面があるということを忘れてはいけないわ。私達が見てきた美しい街並みの間を流れるセーヌ川。ロマンチックの代名詞のような川なんだけど、実は道頓堀の六倍汚いって報道があったわね」
「ああ、パリオリンピックね。トライアスロンであの川を泳いで体調を崩した人が続出したって」
「私達はフランス文学っていうとなにかロマンティックなものに思いがちだけど、美しさには必ずドロドロしたものが横たわっていると思ったほうがいいわ。でも、その両面を受け入れて初めて文学の入口にたったと言えるのよ」
◇
九日間に及ぶパリ研修を終え、僕達は日本に戻ってきた。
『(帰りは乗客の人たちにサービスしてあげたにゃ)』
ジークはみんなが寝てる時間にヒールをかけてあげたらしい。
「ねえねえ、帰りの飛行機って慣れたせいか、楽に感じなかった?」
なんて部員の人たちも話していたけど、ジークに感謝。
ただ、正直な感想としては、パリは美しくて思い出に残る観光地だったけど、こんな長時間のフライトはもう勘弁。
せいぜい、東南アジアぐらいだよな。




