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閑話休題 不死身の神楽伝説

 神楽大尉のことを話しておこう。


 もともと、大日本帝国は大祥時代に大きな変革を迎えた。

 西暦一九二○年のことである。

 時の帝、大祥帝がいわゆるウォーク、目覚めた帝であり、突然「私は帝をやめる」と宣言されたことに始まる。

 無論、いくら帝といえども、そんなことが通るはずがない。宮内庁、保守派や軍部は猛反対した。


 ところが、時は激烈な大祥デモクラシーの真っ只中。

 帝はリベラル勢力、特に若手官僚や知識人たちと結びついて世論を喚起。


 明示維新以来と言われる、国がひっくり返るような大騒動に発展した挙げ句、帝を象徴的な存在としてより民主的な国家となるように大日本帝国を改編してしまったのだ。具体的には、議会の権限強化、軍部への文民統制の確立などが実現した。


 世界的にはこれを歓迎したのだが、よく思わなかったのが米帝国。

 世界の植民地獲得競争で出遅れていた彼らは、最後の権益、中国北部、特に満州地域で日本とバッティングしていたのだ。

 両国間は年を追うごとに悪化し、一九四一年一二月八日、とうとう開戦。


 当初はハワイ真珠湾攻撃での空母機動部隊による完璧な奇襲、続くミッドウェー海戦での空母「エンタープライズ」「ヨークタウン」撃沈の大勝利、そしてハワイ占領までは日本帝国の勝利に沸いた。


 しかし、一九四三年初頭、米帝の大反攻作戦が発動。

 そもそもGDPに十倍近い差のある両国。

 工業生産力では米国が圧倒的に優位だった。

 日本には長期的な継戦能力がない。

 物資も燃料も枯渇しつつあった。

 戦況は圧倒的に日本に不利に転じた。

 連敗に次ぐ連敗で日本はどんどんと押し込められた。

 


 そこで日本がしたのは、一九四四年六月一五日、乾坤一擲の大作戦。

 『パナマ運河大空襲』


 伊号四○○、四○一、四○二の潜水空母に搭載された青嵐Ⅱ型計九機でパナマ運河を破壊する作戦だ。


 そこで登場するのが神楽悠作大尉、当時は少尉である。二十三歳の若さだった。

 神楽少尉率いる青嵐Ⅱ編隊は六月一五日未明、パナマを襲撃。

 なんと、作戦を成功させてしまった。

 パナマ運河のミラフローレス閘門を四五cm魚雷で完全に破壊したのだ。

 

 ところが、対空砲火と迎撃機により四機が撃墜された。

 そのうちの一機に神楽少尉が搭乗。

 彼はなんとか脱出したのだが、右腕骨折、左足に重度の火傷、内臓損傷という満身創痍の重症。


 生存をあきらめた彼は九四式拳銃一つでパナマ駐留米軍に闇夜に乗じて突撃。

 そこの兵器庫から手榴弾を五十発以上奪取。

 それを体にくくりつけて、彼は米軍の司令部に突撃しようとしたのだ。


 ところがあと僅か十数mのところで発見されてしまった。

 銃撃を頭部に受けて、彼は死亡判定を受けた。


 体にくくりつけられた五十発以上の手榴弾を見て、米軍は恐れ慄いたらしい。


「これが日本のサムライなのだ」


 と司令官のジョージ・ブレイク大佐が激賞していたと伝えられている。


 ところが、話はそこで終わらなかった。

 神楽少尉は仮死状態であったようで、なんと六月一七日に蘇生。

 と同時にゴルガス陸軍病院から脱出。

 ついでに兵器庫を爆薬で爆破して逃走。


 どういうルートをたどったのか、パナマ沿岸を南下し、コロンビアを経由して海づたいにペルーのリマまで逃げて、そこの日系人社会、特に野田一族が彼を支援。

 ようやく、一九四五年一月、彼は日本に戻ってきた。



 米国は当初、この事件を軍事機密として隠蔽しようとした。


 ところが、日本側の諜報部による工作と、米国内部の反戦派たちが結びついて、米国内でこの事件を盛んに報道。

 『不死身の神楽』と各紙が大々的に報じた。


 米国民は衝撃を受けた。

 そんな超人的な軍人が日本にいるのかと。


 戦前から、サムライ、ニンジャ、カラテといった日本の伝統が非常に歪められた形で米国には伝えられていた。

 特にハリウッド映画の影響が大きい。

 超人イメージがそれらにはついてまわったのだ。


 そんなとんでも日本イメージと神楽少尉の離れ業が結びついて、米国社会は反戦に傾いたのだ。


 実は、当時の日本も物資不足で苦しかったのだが、米国もかなり疲弊していた。

 何しろ、米国は日本だけでなく、ナチス・ドイツとの欧州戦線にも参戦していた。


 かつてないほどの激戦を戦い抜き、そのしわ寄せは米国民に重圧をかけていた。

 天井知らずの戦費は既に三千億ドルを突破。

 当時の米帝の年間GDPが九百億ドル程度だったから、どれだけの重圧だったかわかる。

 戦死者も三十万人を超えていた。

 今ほど軍人の生命に重きをおかなかったとはいえ、連日報道される軍人の死亡報道。

 これほどの苦しみを米国民はかつて味わったことがなかったのだ。


 そこに来ての不死身の神楽少尉伝説だ。

 米国民はうんざりしていたのだ。



 一方、日本は神楽少尉の偉業を目の当たりにして盛り上がった。

 これで米国を圧倒するぞ、と国民の士気は一気に高揚した。

 新聞を始めとするメディアも強硬路線一色であった。

 そもそも、新聞各社は開戦からして旗を振りまくっていたのだ。


 そこで出てきたのが大祥上帝と正和帝だ。

 日本に継戦能力はない。

 石油備蓄は底をつき、工業生産力も限界だった。

 パナマ運河を叩いたこの一時の凪状態、米国の動揺している間に講和を進めろ、と。



 大祥上帝と正和帝の二人には実権はない。

 しかし、隠然たる強い影響力を持っていた。

 この二人に賛同したのが、海軍。

 彼らは米帝の底力をよく知っていた。


 対して、陸軍省の強硬派は大反対。

 なんと、クーデターまがいの軍事行動にまで発展した。

 そこでクーデターを主導した軍人・政治家を大粛清。

 結局、一九四五年八月、講和状態にまでこぎつけたのだった。


 実はこの裏で活躍したのが神楽大尉、彼は少尉から二階級特進をしていた。

 当初は殉職したと思われていたための二階級特進であったが、生存していたことがわかり、その功績をたたえて大尉のままになったのだ。


 大尉はパルマ襲撃の件でも分かる通り、超人的なスキルの持ち主だった。

 当時、帝都で長期休養にあった大尉。

 クーデターを率いた陸軍省の司令部に闇夜に乗じて侵入。

 そこにいた指揮をとっていた軍人たち十二名を立ちどころに制圧した。



 戦後、大日本帝国は解体・再編成した。

 合わせて内政についても大改革を実施した。

 農地改革、財閥制改革、貴族制改革と多方面にわたり大鉈をふるった。


 植民地に関しても断行した。

 そもそも植民地経営は割に合わなかった。

 大湾はともかく、大陸には圧倒的な持ち出しだったのだ。


 そこで、大湾、半島、満洲は独立させ、イギリスのように穏やかな連邦、日本帝国連邦を形成した。


 満洲には米帝の大資本を入れた。

 結局、米帝が満州の権益をとるような形になった。

 米軍基地も満州に建設した。

 しかし、絶えずロシアや中国と国境紛争が勃発。

 米帝側はプラマイで言うと、満洲権益は+であるのか、と絶えず話題になる。


 逆に日本は満洲で発見された大油田のお陰でエネルギー問題はなくなった。

 安全保障は米帝が受け持ってくれた。

 植民地はなくなって、コストがかからなくなった。

 日本にとってはベストな選択であると、帝に対する信任は増した。



 『不死身の神楽』大尉は、戦後は八重洲で書店を経営。

 これが大発展。

 八重洲には地上十階建ての日本一大きな『神楽書店』本店ビルがたち、日本全国に二十もの神楽書店チェーン店が展開された。


 すでに神楽氏は二○○六年に故人となり、神楽書店は神楽氏の孫である神楽悠真氏、つまり悠星の父親の兄が引き継いでいる。


 現在、神楽書店本店ビルの1階には「神楽記念館」が設けられ、彼の軍服や勲章、パナマ作戦時の遺品、戦後の書店経営に関する資料などが展示されている。

 毎年、多くの見学者が訪れ、伝説の軍人にして実業家であった神楽氏の足跡を辿っているという。


 そして、神楽大尉の活躍の裏に猫がいたことは、ジークたち一部の猫たちしか知らない。



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