第九四話 話したいか、話すべきか
「…はぁ? 何あんた。急に人の間に割り込んできて…どういう神経してるの? こっちが話してるのが理解できないわけ?」
先ほどまで悠斗が自分のいた場所へと舞い戻ってきた瞬間、彼を出迎えたのは…あからさまなまでの見下しが入り混じった視線。
突如として自分たちの会話に横槍を入れられたことが気に食わなかったのだろうか。
彼女らの容姿が目立つ部類に属することも関係はしているのだろうが…図らずも悠斗は睨まれるような位置関係となる。
が、そこに対して臆するようなことは不思議としなかった。
もちろん向き合った相手から明確な敵対心をむき出しにされれば大なり小なり恐ろしいと思う感情は湧き上がるし、そもそも悠斗は誰かと積極的に喧嘩をしたいなんて思ってもいない。
できることなら平穏に日々を過ごしていきたいと考えている上に、自分が妥協するくらいで争いを回避できるのなら迷わずそうする。
……それでも、今この時ばかりは退いてはならない。
そう決めていたからこそ、悠斗はまるで威嚇でもするかのようにギロリと睨んできた女子に向き合う───わけではなく。
今この時、何よりも声を掛けてやらなければならないと思った少女へと彼は迷わず声を掛けたのだ。
「───咲、戻るのが遅くなった。大丈夫か?」
「………っ!?」
眼前で何かを言っていた女子のことなど、彼の意識には入っていない。
あるいは意図的に外していたのかもしれないが…この瞬間の悠斗にとってはほんの少しの誤差でしかない。
今の彼にとって最優先にすべきことは、咲に自分が戻ってきたことを知らせることなのだから。
理由は分からずとも、足を小さく屈ませ、俯いてしまっていた咲の顔を覗き込むような体勢になりながら…悠斗は彼女の震えていた手をそっと撫でながら。
もう大丈夫だと、言葉などなくとも伝えられる意思を暗に示した行動は…多少の助けになれたのかもしれない。
辛そうに歪んでしまっていた顔を驚きの色に染めながらも、わずかに光を取り戻した咲の顔を見れば直感的にそう思えた。
「…っ、な、何こいつ! いきなり入ってきて何様のつもりなの!? 冬華からも言ってやってよ!」
「ちょっとあんた! 私たちを無視してその子に話しかけるとかどういう神経してんの!? 意味分かんないんだけど!」
(…まぁ、そういう反応になるよな。答える義理も無いんだが…こっちからも聞いておきたいことはあるし、一応返事くらいはしとくか)
だが、そうして咲を安心させようと悠斗が真っ先に彼女の下に向かえば周りからの糾弾は一層激しくなる。
一体何がそんなに気に入らないのか…まるで見当もつかないが、声量だけは高らかに増していく女子二人組───今しがた冬華と呼ばれていた黒髪の女子と、先ほど衝突しかけた際に由莉と呼ばれていた金髪のポニーテールを揺らす女子。
よくよく見ればその見た目も比較的整った者達ではあるものの、正直それ以前に与えられた印象が悪すぎてせっかくの容姿にも一切惹かれる気がしない。
本音を言えば何かを話す義理も間柄もないのだから、早いところここを去ってしまっても良いのだが…この様子を見る限り、その程度で見放してくれるとも思えない。
最悪の場合、向こうの地雷を踏んだとして更に執着されることすら考えられるので最低限の問答くらいはしておこうと考えた。
…まぁ、その結果も気分の良いものだとは到底言えなかったが。
「…あぁ、悪いな。俺はこいつの連れだよ。少し別行動になってたから合流しに来たんだ」
「…はぁ? …じゃあもしかして、あんたが本羽さんの友達だって言いたいわけ?」
「ま、そうだな。ところでこっちからも聞きたいんだが、咲とあんたらはどういう───」
「…ぷっ。あっははは! ないない! こんな地味なやつと本羽さんが友達とか…ありえないでしょ!」
「………と、言うと?」
あまり会話量を増やしたくもなかったので内容は必要最低限のものとし、自分と咲は友人だという事実のみを伝える。
……が、しかし。その返答として返ってきたのは何ともこちらのテンションを沈めてくる不快な笑い声であった。
もうこの段階から悠斗は会話を続ける意思など失せかけていたが、そうするよりも前に彼女らの声は続けられる。
「本羽さんもさぁ…男の趣味悪すぎじゃん? こんなやつとつるんでるとか、流石に見境なさすぎでしょ!」
「まぁ仕方ないんじゃない? この子、全然喋らないし…そんな子と一緒にいるのなんてこういうやつしかいないってことでしょ。可哀そうだよねー」
「…………」
…言いたい放題とは、まさしくこのことだろう。
二人の実情など聞くつもりすらなく、好き勝手に向こうの意見ばかりを押し付けて事実を決定づけていく様は見ているだけでも不愉快極まりない。
「はぁー……にしてもさ。やっぱり本羽さんもあの時から何も変わってないんだね? そうやって黙ってれば他の人が勝手に寄ってきてくれるんだから…可愛い子っていうのはお得だよね」
「ほんとほんと! でもそれ、周りの人に迷惑だとか考えないわけ? いつまでも調子に乗ってるようなら自分を見返した方がいいと思うよ?」
「………!」
「…っ、おい、それ以上は───…!」
だからその先の発言は…流石の悠斗も見過ごせなかった。
ひどく一方的に彼女の人間性を決めつけ、こちらに全ての非でもあるかのような物言い。
大人しく耳を傾けていた彼も我慢の限界は近く、これより先の言葉を咲の耳に入れるわけにはいかないと会話を遮ってでも止めようとする。
「───へぇ、随分と気になることを言ってくれてるみたいね? そのお話…私も混ぜてくれない?」
「…え? …っ!?」
「は? あんた、急に現れて何を…っ!?」
しかし、結論から言えばそんな悠斗の行動は実行されることなく防がれる。
この場に響いた一つの声───決して張り上げられた声量ではない。辺りに満ち溢れた喧騒を掻き消すほど通っていたわけでも無い。
…だというのに、そこから放たれる凄まじい圧。
たなびく髪をかき上げながらも、その身から放たれ続けているとてつもない怒気は…ここにいるだけでも感じ取れてしまうほどに、強烈なもの。
「……里紗。今までどこに行ってたんだよ」
「悪かったわね。少し用があって席を外していたんだけど…ねぇ、あなた達? さっきから散々大きな声で喚いていたけど……私の聞き間違いかしら。……あんたらみたいな連中が、どうして私の親友を貶すようなことを言えたのかしら…!?」
無論、そこまでのオーラを醸し出す人物は悠斗と咲にとってはある意味安心できる者。
どうしてか今まで姿を見せていなかったが、この場において誰よりも頼りになる相手でもある里紗が戻ってきたのだった。
そして、そんな彼女の浮かべる表情は…一切笑っていない顔に凍てつくような感情を宿した瞳。
何よりも、己の親友を嘲笑うような真似をしてくれた無礼者への明確な怒りが爆発しかけている。
「へ…っ? り、里紗って…も、もしかしてあの高西里紗!?」
「は、はぁ!? それって…あ、あの高西グループの娘じゃん!? ちょ、やばいよ! 早く行こ!!」
「……ふんっ、逃げたわね。あまり家の威光を笠に着る真似は好きじゃないんだけど、今はそうも言ってられないし仕方ないわ。まぁ、後から調べていけば問題もない、か……ふぅ。それよりも今はこっちね」
……だが、彼女がやってくるのと同時に悠斗が里紗の名を呼びながら事情を聞き出していれば一気に向こうの表情が青ざめていった。
口ぶりからするに里紗の実家について何か知っているような物言いであったが…おそらくこんな場所で彼女と対峙するなど夢にも思っていなかったのだろう。
彼女らが里紗の何を知っていたのかは不明だが、少なからず里紗を取り巻く立場か何かが二人にとって不利に働くものだったということは間違いない。
結局最後まで失礼極まりない言動だけを振りまき続け、それに対する謝罪の言葉すら投げかけることなく脱兎のごとく去ってしまった女子二人の後ろ姿は…何とも哀れだという感想しか浮かばない。
「咲…ごめんなさい。やっぱり一人にするべきじゃなかったわ。…悠斗も、さっきまで一緒に居てくれてたんでしょう? そこは礼を言わせてもらうわ」
「………」
「いや、気にすんな。正直俺も状況が飲み込めてるわけじゃないし……とりあえず、一旦移動しないか?」
「そうね……そうしましょうか。この辺りも騒がしくしたから注目されちゃったし。あの不愉快な連中のせいで、ね」
終始場を掻き乱すだけ掻き乱して、結局最後は走り出して逃げ去った謎の女子たち。
直接言葉を交わした悠斗ですら何がしたかったのかも分からず、ただただ咲を貶すような言動を繰り返されたわけだが…ひとまず彼の提案した行動としてはここを離れること。
里紗も賛同はしてくれたが、今この場はあの女子たちが騒ぎまくってくれたおかげで辺りからもそれなりに注目されてしまっている。
図らずもトラブルに近い状況を生み出してしまったのでそれも当然なのだが現在の彼らにとってこの状況は望ましくない。
この後の行動指針を決めるにしても、何か話をするにしても。
とにかく落ち着いた場所がなければ一つとして話題が進められないため、聞きたいことは山のようにあったが一旦の移動を彼らは開始した。
「…………」
…その最中にあっても、当事者である咲は何かを言うわけでも無く静けさを保ったままだったのは…ほんの少しだけ気にかかってしまった。
◆
「…この辺りまで来れば大丈夫だろ。人もいないし、もう鉢合わせなんてしたくないからな」
「同感ね。…咲、本当に大丈夫なの? 顔色が悪いわよ?」
「…………」
彼らが移動してきた先は神社の本殿から少し離れた休憩所近く。
先ほどまで人で賑わっていた新年ムードから一転して、この付近には参拝ができそうな御神体や絵馬堂などが置かれてないために人気も比例して少ない。
少なくとも見える範囲では悠斗たち以外に人の気配はないため、さっきの女子とも顔を合わせるような展開は無いと言い切ってしまったも良いだろう。
……しかし、ここまで来ても咲の態度は暗く沈んだまま。
里紗の指摘通り、心なしか顔色すらも悪化しているように思える彼女の雰囲気が快方に向かう様子は全く見られない。
けれども原因など既に分かり切っている。
彼女がこうも様子をおかしくしているのは明らかに先刻の出来事が発端であり、あの女子たちと咲との間柄に軋轢のようなものがあっただろうことは想像に難くない。
詳しい経緯は一切不明だが…その程度のことは容易く察せてしまう。
──ここで本音を語るのであれば、悠斗も色々なことを問いただしたい。
あの女子と咲の間で何があったのかだとか、どうしてあのようなことを言われっぱなしになっていたのかだとか………。
…されど、そこで悠斗は無理に聞き出そうとは不思議と思えなかった。
むしろ今この時においては、彼も…こうするべきだと思った。
「──咲。今さっきのことなんだけどさ…」
「………!」
「…ぶっちゃけ、色々聞きたいことはあるし気になってもいるってのが本音だ。そこに嘘をついても意味ないからな。…でも、無理をしてまで聞こうとは思ってない」
「……!?」
可能な限り、穏やかに。
それでいて彼女の心に寄り添うようにと意識しながら向けられた声色は…静かな周囲に溶けていきながらも咲の耳に届く。
そうして彼の口にした言葉は、先ほどの一件について積極的に問いただすことはしないという旨の発言。
きっとその一言は彼女にとっても青天の霹靂だったはずだ。
あのような状況に巻き込まれてしまえば誰であろうとどんな事情があったのかと気になるのが当然で、実際それは確かな現実なのだから。
…それなのに、悠斗はその事実にまるで反するかのようなことをあっさりと言ってのけた。
「もちろん、咲が話してくれるって言うならそれはそれで構わない。その選択は咲が選んでいいし、どっちにしても俺は受け入れる。…それは、里紗も同じなはずだ」
「……えぇ、そうね。咲がどうするにせよ私はそれでいいわ。だけど、これだけは覚えておいて? …どんなことになっても、私達は咲の味方よ。その事実は覆らないし、覆らせない。言葉だけじゃ信じ切れないかもしれないけど…そう断言できるわ」
「…………」
──おそらく、この数秒の間にも彼女の中では様々な思考が渦巻いていたのだろう。
彼女にとってショックだったと思われる人物との邂逅。
それを経て悠斗と里紗との間にも少なくない変化が生じかけ…それでもなお、この二人は味方で居続けると言ってくれる。
この言葉にどれだけの効力があったのかは分からない。
ただそれでも、その一言だけで…今の彼女には十分だったのかもしれない。
『……ごめんなさい。悠斗と里紗のことは信じてるから、巻き込んじゃったことが怖かった』
「俺たちは巻き込まれたなんて思ってない。あれは事故みたいなものなんだから、咲が気にすることじゃ───」
『うん。だから…二人には聞いてもらいたい。私の…昔の話を』
「…っ、…分かったわ。ちゃんと聞くから、ゆっくりでいいわよ?」
「…………」
何度か呼吸を整えるように深く息を吸っては吐いてを繰り返した咲。
そうして無理やりにでも落ち着かせた呼吸によって整えられた掌で打ち込まれた文字から読み取れるは…謝罪の意。
加えて、他ならぬ彼女自身の…過去を語るという決意だった。
…彼女自身がそうすると決めたのなら、悠斗達も異論はない。
ここから語られることがどのようなものであれ、既に彼らは咲を否定するようなことはないと決め切っている。
だからこそ、今この瞬間にも覚悟を固めてくれた咲の意思を無碍にはすまいと考えて二人揃って彼女の話に意識を傾ける。
『…あの人たちは、私の小学校の時のクラスメイト。昔に…友達だった人達』
───そこから話されるは、彼女の昔話。
絆を紡ぎ、裏切られ、そして折れた果てに奪われた少女の…全てだった。




