第九三話 決別できない過去
「ちょっとー? 久しぶりに会えたんだから何か喋ってくれない? ずっと黙ってられるとつまらないんですけどー」
「…もしかしてだけど、まだ自分で喋れないとか言わないよね?」
「………!」
…まさか、こんな場所で出会うなどとは咲とて夢にも思っていなかった二人の少女たち。
しかしそんな咲の反応に対して彼女らはやたらと気軽に接するように言葉を紡ぎ…そして、一向に話そうとしない咲の態度に訝し気な目を向ける。
そこで向けられた目は…あの時と全く変わらない。
かつての彼女が味わってきた。…味わわされてきた状況からまるで変化のない嘲笑の意を含んだ感情がありありと浮かんでいる。
「うっそ!? まさか小学校からずっとそんなだって言わないよね!?」
「うわぁ…でもまぁ仕方ないんじゃん? 本羽さんってあたしらといる時もずっと黙ってたし。まっ、そうやってれば男の方から寄ってきてちやほやしてくれるんだから良いご身分だよねー」
「あー…それは言えてるかも! あっはは!」
…やはり、これだ。
もしかすれば、時間が経ったことで向こうも咲に対する認識が変わっているかもしれないなんて微かな希望を抱きもしたが今の一言でその期待さえも裏切られた。
未だに彼女らの中で咲という少女に対する認識は見下すものであり、そして差別されるものなのだ。
楽し気な話し声に対し、会話の内容からも滲み出ている彼女への侮蔑が籠った発言や笑い声も加味すればその辺りは一目瞭然。
だからこそ、咲は思う。
どうしてこんなタイミングで…充実していたと思っていた瞬間に、彼女らと出会ってしまったのか。
自身が苦しみ、喋れなくなった要因でもある二人と鉢合わせてしまったのかと…言葉にはできずとも考えずにはいられなかった。
「にしてもさぁ…そんな見せつけるみたいに着物なんて着ちゃって、まさか男と一緒に来てるとか言わないよね?」
「………っ!」
「うーわ、まさかの図星だった? まぁ本羽さんくらい可愛かったら男なんて遊び放題だろうしそりゃそっか。…でも、調子に乗ってるのは変わってないんだね? また男を引っかけて楽しんでるとか恥ずかしくないわけ?」
…違う、そんなことはしていない。
そう反論したいのに──少なからず悠斗という男子と神社を巡っていたという事実を言い当てられて動揺してしまったのがまずかった。
普段なら気にも留められないほどに些細な変化だろうとも、目ざとく見破ってくる彼女らの前では言い返す気力さえも奪われたかのように言葉を出せなくなる。
…もう、自分は乗り越えられたと思っていた。
中学で里紗と出会い、悠斗と話すようになり、トラウマでもあった過去とは決別出来ていたと勝手に思い込んでいた。
ただそんなのは、彼女自身の希望的観測でしかなかった。
実際、過去の辛酸の象徴とも言える相手を目の前にして…咲は何も出来なくなってしまっている。
「いやー…でもほんと。ここで会えたのは運が良かったかもね。前はよく話してたのに、本羽さんっていつからか全く話さなくなっちゃったんだもん。ほら、せっかくだしまた…仲良くしてみない?」
「………!」
「あっ、それいーじゃん! ほらほら、本羽さんもまさか…断るなんてしないでしょ?」
…もう、これ以上は駄目だった。
飾る言葉は柔らかくとも、そこで出された声色と向けられた視線からは過去にも味わった嫌悪の感情が見え隠れしてしまっている。
ここで頷くなどすればどんな末路が待っているかなど…咲は想像もしたくなかった。
だが、黙っていればそれこそ何をされるのか。何を言われるのかという恐怖も付き纏ってしまう。
ゆえに震える手を押さえ付けながらも、咲はいつの間にか浅くなっていた呼吸を整えて何とか言葉を返そうとして───。
「…何だ、この状況?」
「…………っ!」
──彼は、そこにやってきた。
◆
…少し時は遡り、数分前。
悠斗は申し訳なく思いつつも電話をするために二人から離れて用件を済ませた。
通話の内容自体はさほど重要度の高いものでもなく、比較的すぐに戻ってこれたのは幸いだったのだろう。
なので直前まで掛けていた電話を終了させ、早いところ咲と里紗が待っている元居た場所へと帰ってしまおうと人混みをかき分けて歩いているとさほど時間もかからずに彼女の姿が視認できる距離まで来れた。
……が、その様子は些かおかしい。
というのも、てっきり悠斗は咲の近くにいるのは里紗だけだろうと予想していたのに、彼女の傍には明らかに里紗とは似ても似つかない人物の影があったのだ。
それも一つのみならず、二人分。
加えてその者達は咲へと何かを話しかけるように語り掛けているが…その雰囲気もどこか違和感を覚える。
…何の確証もない、無根拠な予感だ。
ただそれでも、あそこで見知らぬ誰かと話す咲の表情がどことなく曇っているような…それでいて、理由は分からないが責められているような光景に見えてしまった。
もちろん単なる考えすぎかもしれない。
ともすれば友好的な会話を繰り広げているだけの可能性もあるし、仮にそうだとしたらあの場に悠斗が割って入るのは邪魔をしただけということにもなりかねない。
……だとしても、ここで退くという選択肢はこの時の悠斗からは消え失せていた。
何故なら、ここから見えた彼女の顔は…どこか助けを求めているように見えたから。
少なくとも友好的な関係の相手を前にして、あのような態度になることなど…ありえない。
咄嗟の判断でそう思ったからこそ、悠斗は少しの迷いもなく早々に歩みを近づけて──まだ事情は掴めずとも、そこに踏み込むことを決意して進んだのだ。
そうして近づいていく最中で…悠斗はとある事実に思い至る。
(…ん? もしかしてあそこにいるのって…いや、そうだ。さっきぶつかりかけてきた女子たちか…!)
そう、先ほどまでは距離が遠すぎたのと人混みに姿形が紛れてしまっていたこと。
加えて、咲の周辺を取り巻く異様な雰囲気にばかり目がいってしまったので気が付くのが遅れてしまったが…彼女の近くにいるのは悠斗にとっても見覚えがある者。
どこかで見たことがあるような既視感を感じたのでおかしいとは思っていたが、ここまで近づいてしまえば嫌でも分かる。
こちらの記憶違いでもない限り、ついさっき悠斗と衝突しかけたこととやけに失礼な態度を取られたことから強く印象にも残っているため間違いない。
相変わらず派手な印象を周囲に与える金髪を揺らす少女が一人と、それに追随するように黒髪のロングヘアを垂らした女子が他でもない咲と何かを語り合っている。
…間に漂う空気はどことなく嫌な気配を思わせることに変化はないが、そうなると余計に割り込まないわけにはいかなくなった。
あの時、悠斗の勝手な第一印象に過ぎないがぶつかりかけた時にも悠斗には一切謝る気配さえ見せることなく早々と立ち去って行った。
そして、その際に悠斗が感じた感情は…己に対する明確な侮蔑の情。
向こうの不注意で衝突しかけたにも関わらず、そのような感情を向けてくる者がまともな相手だなんてお世辞にも思えるわけがない。
であれば、今も尚そんな相手と向き合い続けている咲が置かれている現状は……そこから先は、考えるまでも無い。
どう予測してもろくでもない状況下に彼女が置かれているとなれば、悠斗が取る行動は最初から最後まで決まり切っている。
だからこそ、ここでも彼は迷うことなく突き進んで───足を踏み入れた。




