第八八話 晴れた日の装い
「……咲!? な、何でここにお前が…!」
「………っ!?」
神社の境内を歩いていく中で赤の他人とぶつかりかけ、意気消沈としかけたタイミングで現れた一人の少女。
…よもやここにいるはずなどないと思っていた分だけ驚愕の度合いは凄まじく、それは向こうも同様。
まさか彼がこの場にいるわけもないと考えていただろうことがありありと伝わってくるように、目を大きく見開く姿からは咲の驚きがよく理解できる。
だが…いつまでも驚いてばかりではいられない。
どうしてこの場に彼女がいるのか。そして…何故そのような着飾った様相になっているのか。
突発的に遭遇した事態であるために困惑こそしたが、それと同じくらいに尋ねたいことが山のように浮かび上がってくる思考が渦巻き……それより一瞬早く二人の下へと駆けつける者がまた一人やってくる。
「…ちょっと咲! 前に行かれると見失っちゃうから、あんまり離れすぎないでって……あら? …悠斗、あんた何でここにいるの?」
「…まぁ、そりゃお前もいるよな。あと、それはこっちのセリフだっての…里紗」
次に人の波をかき分けて姿を現したのは、もはや予想できた未来だが…これまた咲と同じように思わず視線を引き付けられそうな端正さを誇る着物を纏った里紗が声を掛けてきた。
…ここに咲がいた以上、里紗がいることには大して驚きもない。
そもそも今日の彼女は里紗と行動を共にしていると聞いていたのだから、一方と対面してしまったのならばもう一人の所在も共にしていなければおかしい。
しかしながら、それはそれとしてもやはりこの場に咲がいるという事実そのものが悠斗にとっては想定外もいいところ。
だからこそ、無意識に頭を抱えそうになりながらもその件を里紗に追及しようとして…現在己がいる場所のことを思い出した。
「…とりあえず、少しここから離れよう。そこで詳しいことは聞かせてくれ」
今の彼らが立っているのはお世辞にも余裕のある会話が出来る場とは言えない。
大勢の人で溢れかえった境内の道はどこを見ても誰かしらの姿が確認でき、悠長に立ち止まりなどしていれば間違いなく進行の迷惑になる。
それは流石に彼らも望むところではないため、一旦道から外れて具体的な説明を効かせてもらうことにしたのであった。
「…で? これはどういうことなんだ?」
「…………」
「それはこっちが言いたいことでもあるんだけど。あんた…自分の家に居るんじゃなかったの? 出掛ける雰囲気なんて無かったわよね?」
参拝を目当てとした人の群れから外れ、道脇に置かれていた石垣の傍まで歩いてきた三人。
ここまで移動してきても人混みを完全に回避することは出来ていないが…それでも先ほどまでよりかは幾分かスペースに余裕ができたため遥かにマシ。
…強いて言えば、この場にいる二人の圧倒的な美少女。しかも理由はまだ不明瞭だがどちらも着物という特別な装いをしているためにそこかしこから好奇の視線を集めまくっている。
先にも語ったように、純白の彩りに重ねるようにして花柄の着物を身に纏う咲。
そして片方の里紗はよく見栄えする黄色の布地を同じく花───こちらは牡丹の装飾が施された様相を呈している。
言うまでもなく元の素材からして最上位の容姿を誇る二人が、そこに磨きをかけるようにして着物なんて珍しい格好を披露しているのだ。
当然、周囲と比較しても頭一つ抜けた注目を集めるのは不可避の事実。
なお、そうして集まった視線の中にはカップルで来ていると思われる男が二人に見惚れてしまい、相方の女性に頬を膨らませながら引っぱたかれている姿もあったりした。
…どうか新年早々剣呑な展開にならないよう、心の中で合掌しておこう。
「俺はせっかくの正月だから初詣にでも行こうかと思ってここに来ただけだ。本当それだけだったのに…咲がいるなんて聞いてないぞ。そっちだって出掛けるんじゃなかったのかよ」
それに彼の意識はそちらにばかり向けるわけにもいかず、視線の集中砲火を向けられていようともどうして二人がいるのかを問いたださねばならない。
軽く自分がここにいる経緯を説明しつつ、そこに織り交ぜて彼女らの事情を確かめてみれば…特に言い淀むこともなく教えてもらえた。
「私達だってそれは同じよ。お正月だから咲と一緒に初詣に行きたいって話を出して、オッケーを貰えたからここに来たっていうのに…悠斗がいるとは想定外もいいところよ」
「…いや、さっきの話じゃ咲は里紗の家に行ったって流れだったはずだよな? そこはどうなってるんだよ」
「あぁ、そのこと?」
里紗曰く、元々彼女ら二人の目的地も偶然の一致にはなるがこの神社へと初詣に赴くことだったらしい。
向こうにしてもまさか悠斗とばったり対面するとは夢にも思っていなかったようで、珍しく目を見開いてはいたが…あのリアクションを見ればその言葉に嘘があるとは考えにくい。
だが、そうなるとまた別種の疑問が湧き上がってくる。
というのも数時間前、彼の家でのんびりとした時間を過ごしていた咲を誘った里紗は彼女の自宅に向かうと宣言していたはずだ。
悠斗も傍で聞いていたし、その発言を耳にした咲が異様なまでに抵抗していた姿も目にしているため記憶違いという線もない。
あの時は確実にそう言っていたという前提があったからこそ、今ここに二人がいる事実が尚更ありえないものだと証明してしまっているのだから。
……が、それでも里紗の態度は何ら変わらない。
自分と悠斗。お互いの間にある認識に何かしらの齟齬があるように思えてならない現状において、ようやくその原因に思い至ったと言いたげな表情を浮かべた彼女が発した返答は…こんなもの。
「それも大した事情はないわよ。私の家に行ったのはそれが目的ってわけじゃなくて、二人分の着物を用意してたからそれを着付けするために寄っただけだもの」
「…本当か、咲?」
『本当。里紗の家に行ったら、いきなり着物を着てくれって言われた。…もっと早く教えてほしかった』
曰く里紗の家に向かったのは彼女の自宅で遊ぶためではなく、それはあくまでも必要な過程に過ぎない。
つまるところ、彼女はもとより初詣に向かうために咲を誘ったのであり、その気分を盛り上げるための一助として二人分の着物も準備していたとのこと。
自宅へと向かったのはそれを咲にも身に纏ってもらうため。
そうやって用意も整え終わり、いざゆかんと神社に向かったところで…何の打ち合わせもしていなかったはずの悠斗と偶然の再会を果たしてしまったということのようだ。
…改めて事の流れを聞いてみても、一体どれだけの偶然が重なり合ったのかとツッコみたくなるほどの奇跡だ。
「まぁ、そういうわけなら…納得もできるか。凄まじい偶然に違いはないけどな」
「ほんとほんと。…一瞬悠斗が私たちのことをストーカーしてたんじゃないかって疑いかけるくらいだったわ」
「んなことするかっての。こっちも驚かされた立場なんだから───うん? どうした、咲」
「………」
「………咲?」
道中の巡り合わせの凄まじさに驚愕こそさせられど、一通りの事情は把握した。
どうやらあちらもこちらも狙って対面したというわけではないことがはっきりとしたので、お互いに怪しい動きなどしていないことを証明できてホッとした気分だ。
なのでそのままの流れで変わらず悪態をついてくる里紗に軽く言い返しつつ、数奇な流れを辿ったこの時間についての感想をこぼしたところで…悠斗は、己の袖を引っ張るような感触を覚えた。
その方向に目を向ければ、当然そこにいるのは今までさほど口を挟んでこなかった咲の姿がある。
…だが、そんな彼女はどうしてか何かを言うわけでも無く若干もじもじとした挙動とどこか期待するような上目遣いを彼に向けて…その行動の意図が分からないまま時間だけが過ぎていく。
いきなりどうしたというのか。
似たような心境は里紗も抱いたようで、彼女も咲へと言葉を投げかけようとした直前。
…この無言の時間に耐えられなくなったのか彼女は手元から取り出した携帯に文字を打ち込み始める。
そうして示された意思は…何とも分かりやすい。
『悠斗は…この着物。どう思う?』
「…着物? ……あっ、そういうことか」
提示されたのはただの一言。
文章にしても短く、込められた意味もひどく簡潔なものではある。
が、流石の悠斗もそれを見れば察した。
今更言うまでも無きことだが、現在の咲は日頃であればまず切ることも無いだろう晴れ着に身を包んでいる状態。
現在進行形で周囲の目を集めまくっている状況からも分かる通り、この格好は非日常的なものでありながら彼女をこれ以上なく着飾っているのだ。
であれば、悠斗の勘違いか自惚れでもなければこれはその恰好に対する感想を求められているという判断で間違っていないだろう。
そうでなければいきなり着物に関しての話題など振られないだろうし、触れてもこないはず。
だったら悠斗はこれまで半ば無視をしてしまっていたような形になっていたことを申し訳なく思いつつも、しっかりと素直な印象を伝えさせてもらう。
「咲、その着物よく似合ってるな。色合いもお前に合ってて綺麗だし、新鮮な格好だから可愛くもある。美人さが引き立ってるな」
「………!」
感想を伝える際は誤魔化さず、真っすぐに。
そんなことがほとんど習慣化してしまっている悠斗の発言は非常にストレートなものであり、それは向けられた相手にもしっかりと突き刺さる。
現に証拠として、今しがた彼から称賛の言葉を受け取った咲は期待していた言葉を貰えたからか…満面の笑みになりながら雰囲気を全力で緩ませている。
…危うく、せっかく初詣に着飾ってきていた咲が目の前にいるというのに褒めるのを失念するところであったが、こうも喜んでくれたのならここで出会ったのも結果オーライだろう。
悠斗にしても、咲に嬉しく思ってもらえたのならそれ以上の成果はないのだから。
「……ちょっと。何でいきなり私を無視して二人の世界を作ってるわけ? 当てつけなの?」
──なお、そんな微笑ましき空間を形成している傍らで里紗が引きつった顔を浮かべながら文句を口にしていたのは不可抗力だったに違いない。
誰が悪いのかは、議論するだけ無駄な話だろう。




