第八七話 衝突未遂
──咲が里紗の手によって連れていかれてからしばしの時間が経ち、一人取り残された悠斗はというと無性に退屈になってしまった時間を持て余していた。
(…暇、だな。咲がいる時はこんなことも思わなかったっていうのに…一人になると一気に部屋が静かになった)
現在もソファに腰掛けながら惰性で正月関連の番組が放映されているテレビを眺めてはいるものの、それだって先ほどまでと比べれば比較にならないほどに無味乾燥に思えてならない。
…決して映る番組自体がつまらないとかそういうわけではない。
見ている内容自体がさっきまで見ていたものと大して変わらないし、その時は中々に面白いものだという感想だって抱いていたはずなのだから。
だからここでその瞬間と違う点を挙げるのならば…咲がいない。その一点に限られてしまう。
自分で自分が情けなく思えてならないが、どうやら悠斗はいつの間にか咲が隣にいるという状況を至極当然のものとして捉えていたらしい。
ゆえにこそ、いつぶりかも分からない一人でこの家にいるというシチュエーションに途方もなく違和感を覚えてしまっているのだ。
…これは咲には知られるわけにはいかない事実になってしまった。
彼女がいなければ寂寥感を覚えてしまうだなんて伝えてしまえば一体何を考えているんだと一蹴されること間違いなしだろうし、それに…咲が隣にいるのが当たり前だと思っていたなんて、気恥ずかしくて言えるわけがない。
口にしてしまえば咲から揶揄われることは必至に違いない。
(まぁそこは置いておくにしても、正月早々退屈なままで終わるっていうのも悪くは無いけど…少しもったいない気もするんだよな)
ひとまずそんな悠斗の内心は隅に置いておこう。
何を思おうともこの現状が退屈であるという事実は変わらず、何か動いてみようかと思ってみてもちょうどいい予定など無いため八方塞がり気味にもなっている。
もったいないが、このまま今日は悠斗一人で過ごすことにしてしまおうかと思いながら息を吐いたところで…ふと、眼前で放映され続けていたテレビの内容に目がいった。
「ん…? へぇ、初詣か。そういえばここ最近は行ってないよな」
無機質な思考になりかけながらも見続けていた液晶画面に映っていたのは、まさに正月ならではといった光景。
画面の端でリポーターらしき女性が人混みに揉まれながらも元旦の初詣に有名な神社を訪れた人々の様子を中継しており、それを見て悠斗も関心を引かれた。
昔は両親と一緒になって近くの神社へと初詣に赴いていたものだが、高校生にもなってくると正月のイベントよりも気楽な時間を優先するようになって行くことも無くなっていた。
別に無神論者というわけではなく単に面倒くさいだけだ。
年明けてすぐのこの日ともなれば目前のテレビに映る風景のように人で溢れかえっているのは分かり切っているというのに、好き好んで行こうと思う程悠斗は積極的なアウトドア派ではなかった。
そういった事情もあってここ数年は神社など行く機会も、その意思もなくしていたが…この機会であるし、行ってみるのも悪くはないかもしれないと彼も思い始めていた。
「…ちょうどいいし行ってみるか。こういう日でもないと行ける場所でもないしな」
こういったことは思い立ったが吉日とも言う。
咲が出かけて行ったこともポジティブに考えればタイミングが良かったと捉えられるし、悠斗が一人で外出してみるのも悪くはないだろう。
であれば行動あるのみ。
静けさで満たされた部屋の中でぽつりと独り言をこぼしながらも、そんな思考を経て彼もよっこらせと立ち上がる。
目指すは近所の神社。目的は新年の初詣だ。
◆
(うーむ……予想はしてたし当然っちゃ当然なんだけど、そりゃ混み合ってるよな。当たり前だ)
思い立ってから外出を開始した悠斗は、徒歩で移動し始めて三十分程の場所に位置している神社を訪れていた。
……が、そこは予想できて当然の事実でもあるがかなりの人混みで溢れかえっている有様。
その点は仕方がない。元旦なのだからむしろこうでなければおかしいとさえ思う。
悠斗とてそれを承知の上でやってきたのだから、ここまで来て文句を言うというのはお門違いもいいところだろう。
もとより彼の目的は簡単に初詣だけを済ませてしまい、正月ならではのことを自分もやったという事実を作りに来ただけなのだから人の喧騒に躊躇していたってどうしようもない。
とっとと参拝に向かってしまおう。
(混んでるなぁ…まぁ場所が場所だから人も集まるんだろうが、昔はもっと空いてたような気がするんだよな。記憶違いか?)
けれども悠斗が時折周囲の人にぶつかりそうになりつつも四苦八苦しながら少しずつ歩みを進めていく中で、不意に正月とはいえど流石に人が集まり過ぎではないだろうかと疑問を感じ始めていた。
というのも、この神社は悠斗の自宅近辺でも初詣をするのなら真っ先に思い浮かぶ場所と言えるほどにポピュラーな地であり、実際彼も過去に家族と訪れた経験がある。
だが、何というか…その時の記憶を辿れば今よりも混雑具合はマシなものだったはずなのだ。
具体的な理由は分からないが、その時の光景と比較すれば今目の前に広がっている人の波は明らかにあの頃よりも多い。
まぁ、こればかりはこの近辺の立地も考慮すれば避けられようもない状態なのだろうと悠斗は結論付ける。
彼も訪れている身なのでとやかく言えるほどの筋合いはないのだが、ここ周辺だと初詣に行けるような場所はこの神社を除いて他にない。
あとは少し離れた位置にあったりもするが…そこに関してはいくつか駅を乗り継いでいかなければならないので近場で済ませようとなるとここ一択になる。
ゆえにこそ、彼と同じ思考でやってきた者達で溢れかえった現状が目の前の景色というわけだ。
(それにしても多いとは思うけどな。でも文句ばっか言ったところで混み具合が解消されるわけでもないし、さっさと進んだほうが賢明か…)
ここいらの近くには今悠斗達の通っている高校のみならず、いくつかの小学校や中学校も密集していたりするのでその影響からか家族連れだったり友人同士だと思われる集団も多く見られる。
不注意に足を進めればふとした瞬間に身体をぶつからせかねないため、彼は人の波をかき分けつつ遅々とした速度で歩みを進めていった。
「…よし。ここまで来ればあともう少しってところだな」
亀の歩みの如き遅さではあったものの、徐々に徐々に歩いてきた悠斗は少しずつ神社の境内に足を踏み入れつつあった。
相変わらず大量の人に視界は遮られたままであったが、それもここまで来ればある程度敷地の広さもあってそれなりに周囲は見渡せてくる。
奥に見える賽銭箱へと群がりながら参拝をする者の後ろ姿を眺めつつ、悠斗も早いところ向かおうと勢いを早めようとして…突然スピードを速めたことにより、反対側から飛び出してきた者達に気が付くのが遅れてしまった。
「…っ、危な…!」
「うわっ!? …何あんた、気を付けてよね! ぶつかりそうになったじゃん!」
「あ、すみません……大丈夫で──」
「…ちょっと由莉ー? 止まってないで早く進んでよ! いい加減こんな混んでるところ出たいんだからさ!」
「分かってるって! …全く、人の道の邪魔しないでよね!」
「──…行っちまった。何だったんだ…あれは」
突如として彼の目の前に現れたのは、おそらく友人同士だと思われる女子二人組。
やけに派手な見た目をした金髪の少女と、黒髪でまとめられた少女は装いもその緩み切っており…控えめに言ってギャルに近い印象を受ける。
そんな人物とぶつかりかけたこと……まぁ正直に言ってしまえば原因は彼女らがお喋りに夢中になっていたことで前方不注意であったことに起因しているのだが、とりあえずぶつかりかけたことは事実なので咄嗟に謝ろうとした。
が、その言葉を告げる直前にその二人は悠斗の言葉を聞くまでもなく文句を吐き捨てて去ってしまった。
こういった正月の場だ。時期的な雰囲気とも相まって開放的な気分になることだってあるだろう。
…それでも、人と衝突しかけておいてあの態度は無いだろうともわずかに悠斗は思ってしまう。
「…いいか、別に。気にしたところで意味なんて無いだろうし、早くあっちに行って俺も参拝だけ……っ! …っと!」
しかし既に眼前までいた少女らが立ち去ってしまった以上、気にかけたところで大した意味はない。
もう関わることも無いだろう相手にばかり意識を割いても時間を無駄にしてしまうだけなので、早いところ気分を切り替えようとして再び前を向き直し──またもや、いつの間にか悠斗の傍へと接近してきていた背丈の小さき人物と危うくぶつかりかける。
「すみません、前を見ていなくて…大丈夫ですか───えっ?」
「…………?」
この短時間で二度も発生した人との衝突未遂。
今回もギリギリのところで避けられたから事なきを得たものの、今日の自分の運はどうなっているんだと辟易としかけたところで……彼は、思わず目を丸くする。
今しがた悠斗がぶつかりかけた相手、その……少女が身に纏う恰好。
ここへとやって来るまでにも何度か見かけることもあったが、そこにいた人物は珍しく白色の配色がなされた着物を着ていた。
そうして着物のあちこちには、花の柄───おそらくは椿だと思われる柄によって彩られており、見る者の目を否応にも惹き付ける。
……が、しかし。
悠斗が驚かされたのはその点ではない。
何せ、こうしてぶつかりかけた先にいた少女の姿が…どう見ても………。
「───咲?」
「…………!?」
…本来、ここにいるはずがない少女。
されど、見間違えるはずもない咲その人であったのだから。