第八二話 呆気ない終わり方
悠斗の迂闊な発言によってムスッとした雰囲気に転落してしまった咲のご機嫌を戻すために数分の時を要してしまったが、まぁその点は些細なこと。
全ては彼の無遠慮なリアクションが悪い。完全なる自業自得である。
どちらにしても結果的には彼女の機嫌を回復させることにも成功し、悠斗は大幅に体力を消耗させることとなったが関係なきことだ。
そのままの流れで二人は掃除に取り掛かることとし、結論から言えば悠斗は比較的高所を担当して咲は部屋の壁と家具の間に生まれた隙間やその他の作業を担当。
適材適所という言葉があるように、お互いにやりやすい箇所をやった方が効率も良いだろうという判断ゆえの行動。
若干不和が生まれかけた展開であったが、咲もそれが合理的だというのは理解してくれていたようなので何とかなった形か。
まぁそんなこんなもありつつ二人して各々の担当場所を早く終わらせようということで意見は一致し、取り掛かり始めたわけだが………。
「…もしかして、これで終わりか? もう少し時間がかかると思ってたんだが…」
「………」
…それぞれの持ち場へと向かってから一時間も経たないうちに再びリビングへと舞い戻ってきた悠斗と咲。
呆然と立ち尽くしているようにも思える雰囲気を漂わせる彼らであるが、ある意味そんな空気も間違ってはいない。
というのも、理由は至極単純。
二人がそれまでに取り組んでいた大掃除。
普段は手を出さない様な空間や隙間にも目を光らせ、心機一転して新年を迎えるためにも綺麗にしようと息巻いていたというのに…それが想像以上に早く終わってしまったのだ。
着手し始めた時には一体いつ終わるのか、なんてことも考えていたのにこれである。
時間にして数十分程度で片付いてしまった現状を顧みれば張り切っていた分だけ彼らの間には微妙な空気が漂ってしまい、咲も咲で何とも言えない顔になっていた。
「…一応聞いておきたいんだけどさ。やり忘れてるところとかないよな? 風呂場とか…洗面所とか」
『そこは私がもうやった。…これ以上片付けなきゃいけないところはない』
「マジか…予想以上に片付けられてたんだな」
こうなった原因はひとえにこの家が彼らの想定以上に片付いていたという事実があったからであり、それによって手を着けるべき箇所が思いの外少なかったからだ。
加えて、数少ない汚れがあったと思われた箇所も大して騒ぐほどの規模ではなく、いつもの掃除に毛が生えた程度の労力を足し合わせれば事足りるくらいの作業量だった。
別にそれが悪いわけではない。むしろこの家を清潔な状態に保てたということなのだから、誇らしく思うべきだろう。
……なのだが、悠斗の隣に立つ彼女はどう見ても不満気な表情になっている。
理由なんて言うまでもない。
おそらく彼女の脳内ではもっと掃除するべきポイントで溢れていただろうこの家を磨き上げるためにやる気を漲らせていたのだし、それが半端な形で終わったとなれば不完全燃焼も良いところ。
されど、こうなるほどに常日頃から悠斗の家を丁寧に掃除してくれていたのは他ならぬ彼女本人であるため…過去の自分に文句を言うというのもおかしいといった感じだ。
ゆえに悶々とした気持ちを抱え込みながらも、やりきれない感情を吐き出すように咲は何かを言うでもなく清掃道具を片付け始めるのであった。
◆
「…咲、いつまでもそんなむくれてるなって。ほら、これでも飲んで気分を落ち着けてくれ」
『……分かってるけど、もっとお掃除したかった』
一通り大掃除と後片付けが済んだ後。
彼らはあまりにも呆気なく終わってしまった一連の作業にそれぞれ思いを馳せつつも、終わった事に変わりはないのでソファにて穏やかな時間を過ごすことに。
だがそんな中にあって、まだ納得しきれていない部分があるのか頬を膨らませながらいじけたような態度を見せる咲へと彼は苦笑しながら声を掛ける。
「仕方ないって。あれは咲がいつも掃除してくれてたから今日簡単に大掃除を済ませられたって話だろ? むしろ俺としては感謝しかないよ」
「………」
この前プレゼントしたばかりのマグカップに注がれたホットココアを咲の小さな両手に近づければ、顔は渋々ではあれど素直に受け取ってもらえる。
その挙動を見て悠斗もまた彼女の隣に腰掛け、今回の事は仕方ないと軽いフォローを入れておいた。
もちろんこのくらいの言葉で咲を納得させられるなんてことは思っていない。
だからここは彼女の返答を待たず、言葉を重ねていく。
「それにさ、せっかく家が綺麗になって気持ちいい環境で年を越せるんだ。少し前までの俺なら考えられないくらいに良い年末で……うん、まぁ。流石にこれは俺が単に生活能力無さすぎただけだな」
『…それはそう。あんなに家を汚くできるなんて今でも信じられない』
「反省はしてるって……今となっては俺もあれは無いと思ってるし、片付けも心がけてるし」
「………」
(…お、笑ってくれた。良い感じの流れだな)
これに言及すると悠斗の情けなさが露呈するので諸刃の剣でもあるが、そもそもこの場所が大掃除など不必要になるくらいに整えられたという状況自体が彼にとっては信じがたいことなのだ。
もはや遥か昔の出来事にも思えてしまいそうな数か月前までは、悠斗の面倒くさがりな性格が遺憾なく発揮されて家の全てが見るも無残な状態になっていた。
咲の協力もあって片付けることに成功はしたものの、今振り返ってみればあれはだらしなさすぎた。
若干の自虐も交えた他愛もない会話の流れ。
そうやって少しずつ咲とも言葉を重ねていけば、自然と彼女も悠斗の雰囲気に絆されてくれたのか小さく笑ってくれた。
「まぁそんなわけだ。だからほれ、機嫌も直してくれ」
「………!」
徐々に緩みつつある場の空気。
それに釣られたように笑みを浮かべてくれた彼女に対し、悠斗もこれに関してはほとんど意識もしていなかったが咲の頭を撫でながら機嫌を回復させるように頼み込んだ。
いつもは家事方面でも頼りになり、愛らしい容姿に反して悠斗を引っ張ってくれることもある咲。
けれどこういった時には年相応に子供らしい反応を見せる彼女だからこそ…悠斗も思わずこんな行動を取ってしまったのかもしれない。
『…何だか、悠斗頭を撫でるのに慣れてきてる? 他の子にもやってる?』
「んなわけないだろ。こんなこと他の女子にやったら叫ばれて終わりだし、咲以外になんてやる相手もいないっての」
「………」
「…何だその疑うような目は。嫌ならやめるが?」
『……そうは言ってない。もっとやるべきだと思う』
「はいよ…っと」
同級生を相手にやるようなことではないかもしれないだろうし、ましてやこんなこと…ただの友人でしかない間柄であれば明らかに異様な距離感と接し方と言われるはずだ。
しかしこの二人に関してはそのような意見など無意味であり、心地よさそうに瞳を細める咲とそれを見て頬を緩める悠斗の間には何者も立ち入れない世界が組み上げられている。
…傍から見れば勘違いを頻発させかねない光景の渦中にある彼ら。
だがその中心にいる張本人の心情としては、ただただ目の前にいる友人への心遣いのみがあるだけだった。
───ちなみに余談だが、その後の二人の会話としてこんなやり取りがあったという。
「…そういえばさ、咲っていつも気が付いたら掃除してくれてるけど普段どんなことやってるんだ?」
『そう大したことでもない。基本的にはキッチン周りをお手入れしたりすることが多いけど、あとはお部屋に掃除機をかけたり窓に汚れがあったら水拭きしたり、それとトイレ掃除を定期的にやってるくらい』
「…なんか、本当に色々と押し付けてるみたいですまん」
『……どうして急に謝る?』
何気なく尋ねた質問によって想定よりも遥かにボリュームのある掃除をこなしてくれていたのだと知った悠斗が予想外の角度から申し訳なさを実感させられることになった。
なお、唐突に謝ってきた彼を見て咲が何を言っているのか分からないとでも言うような表情を浮かべていたのが印象的であった。




