第八一話 掃除の捉えよう
悠斗の母、真奈美の襲来があってからというものあれからちょくちょく咲の携帯に向こうから連絡が届くようになったらしい。
内容や詳しいことは彼女のプライベートだろうということで悠斗は聞いていないが…下手なことを漏洩されていないかとヒヤヒヤする毎日である。
まぁそこはいい。
その点も真奈美との接点が出来た時点で不安に思ってはいたが、今更どうこう言ったところで状況を変えられるわけでもない。
あえて言及するなら、最も懸念していた真奈美による咲への悪戯だったりサプライズじみたお節介が実行されていないかということ。
……がしかし、意外にも現状では何かおかしなことをされても言われたりもしていないようだ。
咲本人にも尋ねたため間違いない。
ただ、何というか…真奈美がやってきてからというもの、時折咲が携帯を眺めてビクッ!と身体を震わせる姿を見かけることが増えたのでそれが気になるくらいだ。
…どうしてそんな反応をしているのだろう。
嫌な予感しかしないし、十中八九真奈美から何かを言われているのは想像がつくが踏み込むのも怖い。
足を踏み入れたが最後、思いもしていない形で悠斗までダメージを負う未来が見えるのであまり触れたくないのが本音だ。
致し方ない。あれは尋ねたいのも山々だが、それはいずれやることにして今は忘れておこう。
そう結論付けた悠斗は憂鬱な思考を切り替えていつもの日常に身を浸らせることとした。
よって今、彼はのんびりとした休暇期間を満喫しながら休もうとして……張り切った様子の咲からその流れを断ち切られる。
『悠斗、今日はお掃除をする。手伝ってほしい』
「…掃除? また急に……って、あぁ。そういえばもうこんな時期だもんな。年明け前の大掃除ってことか」
「………!」
ふんふんと鼻息を荒くして気合いの入りまくった様子を見せる彼女の態度に一瞬気圧されかけたものの、言葉の内容はさして奇抜なことでもない。
時期的にも今年一年がもう少しで終わるかというこの頃。
世間でも取り組む家庭は多いだろう大掃除をしようと、そんな誘いを持ち掛けられただけだ。
「そりゃもちろん手伝う……というか、むしろこっちが頼む立場じゃないか? 咲がここにいるのが自然過ぎて忘れてたけど、お前だって自分の家の掃除とかあるだろ?」
『大丈夫。そっちはこまめにお掃除はしてるから、焦ってやらなくても片付け済み。だからやるとしたら悠斗の方』
「なるほど……いや、でもいいのか? 日頃から手伝ってもらってる身で言うのもあれだが、咲にうちの大掃除までやってもらうってのは…」
無論、掃除の手伝いというのなら断る理由もない。
普段はものぐさな性格が目立つ彼であるが咲一人に家事を押し付ける真似をするくらいなら腰も上げるし、手伝うことも厭わない。
悠斗が懸念するべき点があるとしたら、それは…彼の自宅の掃除までも手を貸してもらって負担になってしまわないかというところ。
本当に今更な話になるが、咲は悠斗から頼んだわけでも無いのにいつの間にかこの家の掃除をしてくれていたり、料理のみに留まらず時々洗濯物の後片付けも請け負ってくれていたりする。
…頭が上がらない思いだし、自分のためにここまでしてくれているのは感謝しかない。
かねての日常よりこの家の家事を少しずつ担ってくれている咲の働き。
それだけでも感謝してもしきれないというのに、これ以上彼女の負担を増やすのは如何なものなのか。
そう思ってさりげなく無理にやらなくてもいいと伝えてみれば…むしろ気合いが増したように思える勢いで彼女の言葉が返ってきた。
『問題ない。ここをお掃除してるのは楽しくてやってることだし、大掃除でも同じこと。私の手で綺麗に出来るならそうしたい』
「お、おぉ……じゃあ、まぁ…情けないけど頼むよ」
「……!」
どうやら、彼女にとって掃除というのは料理にも近い一種の趣味らしい。
向けられた言葉からも掃除を楽しいと思っていることは本心だというのが分かる上、瞳をキラキラと輝かせる様からは何としてでもこの場の大掃除をしたいという意思が読み取れる。
…悠斗もまさかそこまで咲が綺麗好きであり、なおかつ掃除好きな性格だとは思っていなかったので若干面食らった。
けれどもそう言われてしまうとこちらが拒否する理由も消え失せてしまうため、ここは諦めるしかないと悟り悠斗の方からも頼ませてもらう。
すると掃除をする許可が出されたからか、歓喜のオーラを溢れさせていく彼女はその口角を大きく上げて喜びを全力で表していた。
本来なら面倒な作業のはずなのに、それを任されたことで喜ばれるというのは…何とも不思議な気分になる。
「…でも、張り切ってくれてるところ悪いけどそんなに掃除しなきゃいけないところも無いと思うぞ? 咲が掃除してくれてるからゴミも散らかってないし、一応片付けも心がけてるから物が散乱してるわけでもないし───っ!?」
『……悠斗、その認識は甘い』
……しかしながら、掃除をするという予定が定まった直後ではあれど悠斗から見れば自宅はそこまで大がかりな清掃を必要としているようには思えない。
ほとんど全てが咲のおかげではあるが彼女が定期的に整えてくれているため少なくとも見かけは綺麗だし、彼女と出会ったばかりに広がっていた惨状と比較すれば雲泥の差だ。
あの時の光景を覚えているからこそ、ここまで片付いているなら派手に手を着ける必要もないのではと口からこぼしかけて───。
──その直後、隣から立ち上ってきた凄まじい冷気にも似た気配に無意識で背筋を伸ばしてしまう。
『こういうのは、年越し前にやることに意味がある。新鮮な気持ちで新年を迎えるためにも、ちゃんとお家を綺麗にしたっていう事実を作るのが大事』
「な、なるほど」
『だから、今日はいつも手が届かないところを中心にやっていく。こういう時でもないと後回しにしちゃうところもあるから。…まぁ、悠斗の言う通りそこまでやる場所も無いけど』
それはおそらく、彼女なりの矜持かプライドにも近いものだったのだろう。
この家の家事を担う者として半端な仕事は許さず、やれるところは自身が納得するまでやり切ろうとする。
彼女らしいきっちりとした性格を思わせる一言にはさしもの悠斗でさえ圧倒され、有無を言わせない態度には口をつぐむしかない。
…しかし、咲も咲で彼の言葉には納得せざるを得ない点があったのか掃除をする箇所が少ないことには同意していたが。
『とにかくそんな感じ。悠斗にやってほしいところは───』
「だったら俺は高いところの掃除でも請け負うよ。そっちの方がお互い適任だろうしな」
『………悠斗、今何を見てそう言った? 私の頭付近でも見た?』
「…………気のせいだよ」
だったら悠斗としてもこの大掃除には全力を尽くす限り。
本来無関係なはずの咲がこうもやる気を漲らせて協力してくれると言うのだから、ここに住む彼だって立ち上がらないわけにはいかない。
なので悠斗も心機一転。
休み気分へと切り替わりかけていたテンションを無理やり掃除へとシフトさせ、自分の持ち場を彼女に提案し………そこで自分が失言をしたという事実に思い至った。
……いや、別にそんな意図をもって発言したわけではないのだ。
本当に偶々、特に何かを意識したということでもなく無意識レベルで自分がそうするべきだろうと思って口から飛び出た言葉が偶然そういう意味に聞こえてしまうといっただけで。
…と、言いたいところなのだが結局悠斗が何を弁明しようとも受け手にそういった解釈をされてしまった事実は変わらない。
自身の背丈の低さに少なからずコンプレックスを抱いている節があるらしい咲からすれば彼の言葉はどう考えてもその辺りの事情を考慮した上でのものであり、言い訳の余地もない。
その後、最終的に許しはもらえたものの不機嫌さが加速してしまった咲の態度を元に戻すまでかなりの時間を要することとなり、多大なる労力を割くこととなってしまった。
同時に、これからはもっと自分の発言には気を付けようという誓いも心の片隅で悠斗は固めたそうな。




