第七九話 嵐の去り際
真奈美から訳の分からない要求と提案が繰り出されたことで一時は騒然とした空気が場を満たしていたが、それも時間が経てば落ち着きを取り戻す。
結局、娘云々という話題はいつの間にか霧散していたので真奈美の方も半ばノリと勢いで口にしただけだったのだろう。
…まぁ、他のことに言及すれば咲と真奈美の連絡先交換だけは成立してしまっていたのでそこだけが心残りだが。
付け加えるなら二人が互いの連絡先を登録する際、真奈美から咲に向けて『これで悠斗の昔話を流出してやれるわね! …楽しみにしててね?』なんてことをのたまっていたのだ。
心底やめていただきたいと思ったのは自然なことだったはず。
せめて悠斗の羞恥心が刺激されるような話題が咲の手に渡らないことを祈るばかりだ。
「いやー…それにしても二人って、実は付き合ってるとか無いわけ? 別に私の前で隠す必要はないのよ?」
「………!」
「だからそういうことは一切ないって言っただろ…咲にも失礼だろうが」
「えー…だって若い男女が一つ屋根の下にいるんだから、良い雰囲気になってても良いでしょ」
なお、そうしたことがあってから真奈美はというと咲の愛らしさにすっかりやられたようで…着々と外堀が埋められているような気がしないでもない。
流石に考えすぎだとは思うが。
それに今真奈美が放ってきた言葉。
悠斗と咲が付き合っているのでは、なんて見当違いもいいところな意見の方に意識は集中したためしっかりと否定しておいた。
「だってじゃないっての! …はぁ、昔から母さんはどうしてそんな俺の事情に踏み込んでくるんだか……」
「そりゃ当然よ。息子の友達にこーんな可愛い子がいるんだから、そんなの邪推しまくりたいに決まってるじゃない。……ね、ねっ! 咲さんに聞きたいんだけど…悠斗は結構アリだったりする? こう見えても身内には何だかんだで優しいし優良物件だと思うわよ?」
「……~~!?」
「……母さん。咲が目を回しかけてるからそこまでにしてやってくれ。あと何より俺も気まずいから…」
「あら、残念。ならここまでにしておきましょうかね」
だがその程度の反撃で怯むような真奈美ではなく、むしろ否定しようとすればするほどに勢いは高まってしまい咲にまで飛び火する始末。
子の恋愛事情に踏み込もうとするのはある意味世の母親らしき行動と言えなくもないが、そこに真奈美自身の恋愛話好きという性質が加わってしまっているので圧が凄まじいのだ。
結果、悠斗のみならず咲までも巻き込んでグイグイとやってくる真奈美の動向はまさに嵐の如く。
咲の方は…そんな彼の母から与えられた勢いと質問内容による羞恥で顔は赤面させるばかりだ。
そのタイミングで真奈美もこれ以上は問いただすことが不可能と判断したのか立ち止まってくれたから良かったものの、あれ以上話が続いていたらどうなっていたか…想像したくはない。
「ふぅ…ま、大体やりたいこともやれたし私はそろそろ仕事場に戻るとするわ。悠斗、あんたくれぐれも咲さんに迷惑ばっかりかけるんじゃないわよ? そんなことしたら私が許さないからね」
「…え、もう戻るのか? ていうか仕事は終わったって言ってたよな?」
しかしそこまで散々暴れまわったところでまたもや唐突なことに、真奈美は用事が済んだと言い出して脈絡もなくこの場を後にする姿勢を見せ出した。
予告なくそんな姿を見せられたために悠斗も目を丸くしてしまい、咲もまた同様に理解が追い付いていないのかパチパチと瞬きを繰り返している。
だが向こうはそんな二人に構うことなくあっけらかんとした様子で言葉を返す。
「ん? あぁ、仕事に区切りは付いたって言ったけど終わったわけじゃないからね。年内に終わらせないといけない案件がいくつかあるから、それを片付けておかないと駄目なのよ」
「……なるほど。まだ混乱はしてるが理解した」
「まぁそんなわけだから、悠斗も咲さんに迷惑かけすぎるんじゃないわよ? 女の子泣かせて年明かすなんて絶対認めないからね」
「分かってるって……その辺りは重々承知だ」
どうやら真奈美の弁だと抱えていた仕事が片付いているというわけではなく、あくまでその作業に一度区切りがついたから戻ってきただけとのこと。
もうすぐ年末を迎えるという事もあってやらなければいけないことは変わらず山積みのようで、それに取り掛かるためにも再び仕事場へ戻らなければいけないらしい。
「……あ、それと咲さんのことはお父さんにも報告しておくわよ? 黙ってても驚かせちゃうだけだろうし、ちゃんと言っておくわ」
「うげっ………まぁ、父さんならいいか。変なことにはならないし」
「…ちょっと。それって私相手だと変なことになるって言いたいわけ?」
「現にそうなってるだろ…自覚を持ってくれ」
しかしその一方で真奈美から告げられたことだが、この家に咲が滞在しているという事実は悠斗の父にも知らされてしまうようだ。
…こればかりは仕方がない。真奈美にバレてしまった時点で避けられなかったことだ。
それに考えようによっては父にバレることはそれほど大したことでもなく、悠斗としては母である真奈美にバレたら色々と面倒だから黙っていただけであって父親相手ならばおかしな事態にはならないと確信している。
様々な方向から面白おかしい角度へと突っ走りかける真奈美とは反対に、かなり落ち着いた言動と性格を併せ持ったあの人のことだ。
悠斗の行動にも呆れはするだろうが、何だかんだで最終的には受け入れてもらえると彼も分かっている。
……なお、そんな母と父で彼の態度が変わりすぎていることに真奈美からツッコまれかけたが言葉を濁しておいた。
下手なことを言えば散々な目に遭うのは目に見えている。
「…まっ、いいでしょう。とりあえず私から言っておくことはそんなものね。悠斗も今のうちに言っておきたいこととかある?」
「……なら、今度から帰ってくる時は事前の連絡をくれ。余計なサプライズとかいらないから」
「ふむ、考えておくわね」
「頼むから確約をしてくれ」
なのでその辺りの言葉を飲み込みながら着々と家を出る準備を整える真奈美と他愛もないやり取りを重ねつつ、時間が過ぎるのを眺めていれば早い段階で用意も出来たらしい。
軽い手荷物だけをまとめ終わった真奈美は早々に玄関先へと歩いていき、一応見送りをするために同行した咲と悠斗に向き合い直した。
「じゃあ咲さん…改めてになるけど、うちの馬鹿息子をよろしくお願いするわね? 悠斗が何かしてきたら引っぱたいて止めても良いから!」
『…悠斗はそんなことしてこないと思いますけど、分かりました。任せてください』
「母さんの中で俺のイメージはどうなってるんだか…」
「うっさい。…あ、それともし私たちの娘になってくれそうなら大歓迎だから、その時もちゃんと教えてね! これは冗談じゃないわよ?」
「……!?」
「いいから早く出てけ! ふざけたことばっかり言うな!」
「はーい。…じゃ、二人とも仲良くねー!」
…結局、最後の最後まで真奈美は調子を崩すことなく場を掻き乱して去って行った。
途中で咲に告げていた義理の娘云々などという爆弾発言までも掘り返してしまうものだから、彼女も羞恥ゆえか顔を真っ赤に染めた上で真奈美を見送る結果になってしまった。
そこに対して悠斗が強めの言葉を使ってしまったのはほぼ不可抗力である。
…いずれにせよ、波乱を巻き起こしつつ帰ってきた真奈美との対面はこれを以て収束するのであった。
所々に後遺症が残っているように思えてならないのは…気のせいではないはず。




