第六話 重なった住処
「いや、本羽の家と同じマンションって……マジで言ってるのか? …俺を騙そうとしてるとかじゃないよな?」
『…そんなこと、しない。本当に偶然同じ家』
「……そうかい」
まさかの咲と悠斗の自宅が同一のマンション内にあるという驚愕の事実が判明してしまったが、当然悠斗は今までそんなこと把握していなかった。
そもそも学校でも抜群の人気度を誇り、屈指の有名人でもある咲と家を近くにしているなんて知っていれば…あそこでも関わろうとなんてしなかったに違いない。
関わりを持ってしまえば周囲に自宅が間近であるという情報まで漏洩するリスクが高まるし、そこからあることないことを邪推される危険だって高まるのだから。
そんな危険性を背負い、自身の学校生活の平穏を脅かそうとなんて進んでしたいとは思えなかった。
ゆえにこそ悠斗の視点ではまだこの状況が咲による盛大なドッキリか何かなのではないかと疑っているのだが…当人の言い分を聞く限り、その線もなさそうだ。
彼女の態度を確認すれば咲もこの流れに心底驚いているような様子であったし、そこに嘘偽りは感じられない。
…もしこれが巧妙な演技だとするのなら、正直に言って悠斗にはお手上げである。
全く見抜ける気がしない。
「あー……何というか、狙ったわけじゃないけど…悪い。流石に本羽も家の場所を知られるのは嫌だったよな」
『…何で悠斗が謝る?』
「何でって…だって本羽の家の場所を赤の他人に知られたんだぞ? そんなのお前だって嫌だろうし…別に言い触らしたりなんて真似は絶対にしないけど、偶然でも知っちまったら謝るべきだろ」
だが、今悠斗がするべきことはいつまでも驚愕の感情に身を浸らせることではない。
確かに咲と自宅が同一の建物内であったという事実には大層驚かされたが、それと同じくらいに彼女に対する申し訳なさが込み上げてくる。
まぁそれは当然だろう。
本人が意図しておらず、経緯がどうであったとしても…悠斗が咲の自宅場所を突き止めてしまったことに変わりはないのだから。
それも単にクラスメイトの家というのならともかく、相手が咲であるということも重要だった。
学校内でも性別や学年問わず人気を誇る美少女の咲ともなれば、当然彼女と関わりを持とうとする輩は後を絶たないに違いない。
…親しい相手ならばともかくとして、そんな人物に自宅の住所を渡す者などそうそういないはずだ。
当然咲もそういった類に属する人間の一人だろうし…事実、悠斗も校内で咲の自宅場所を把握している人物がいるなんて話は耳にしたことも無かった。
だというのに、ここにきて図らずとも悠斗がその場所を知ってしまった。
ありえない仮定であるし、万が一にもそのようなことをするつもりはないが仮にこの情報を悠斗が第三者へと流してしまえば…どうなるかは想像に難くない。
まず間違いなく咲のプライバシーは失われるに等しいだろうし、最悪彼女と距離を縮めたいと考える輩が押しかけることすら予想できる。
そういった可能性があるからこそ、悠斗は咲に彼女の自宅を知ってしまったことで気分を害したことを謝ったのだが………。
『…別に、悠斗は悪くない。それに私も、悠斗になら家を知られても問題なんてない』
「……あのな、こう言いたくはないけど本羽はもっと危機感を持て。もし俺がお前の家の場所を吹聴しようとしてたらどうするんだ?」
『悠斗はそんなことしない。信じてるから大丈夫』
「大丈夫って……はぁ。こんなこと言うのもあれだけど、何でお前はそんなに俺を信用してるんだよ。俺たちの付き合いなんてまだ二日も経ってないんだぞ?」
…気分を害するどころか、謎に咲からの信頼感を高めていたらしい返答にこちらの方が溜め息を吐いてしまう始末だった。
別にそう言ってもらえること自体は嬉しい。
咲ほどの人気者からこんな言葉を貰えるなんて悠斗の交友関係を考えれば奇跡のようなものだろうし、誉れでもあるのだろう。
…ただ悠斗も言うように、二人の関係性は決して長いわけではない。むしろ遥かに短い部類に分けられるだろう。
同じクラスに所属していたという意味なら数か月にも及びはするが、そこでまともに会話をしたこともない悠斗と咲ではお互いの性格を知る機会すらなかった。
対面して会話をした期間に関しては先日が紛れもない初であり、数字にしてみれば二日と経過していない。
…さらに付け加えるのであれば、悠斗が何か特別なことをしたというわけでもないのだ。
彼自身咲の印象を好意的なものにできるほど愛想を良くしていたわけでも無いし、それどころか言動はぶっきらぼうとすら言える。
どう考えたところで咲の信頼を勝ち取った場面などあるわけもなく、それゆえに彼女の態度が分からないわけだが……その答えは張本人から教えてくれた。
『…だって、悠斗はココアをくれた』
「……うん?」
『昨日、公園にいる私を不思議そうに見てる人は何人もいた。でも、そのうちの誰も話しかけてなんてくれなかった。悠斗だけ、私を心配してくれてた』
「…そんなの、本羽に良い顔をしたかっただけって可能性もあるだろ。それだけで信用なんて出来るわけがない」
『本当にそう思ってるなら、そんなこと言わない。それに…そうだとするならあんなにあっさり帰るなんてありえない』
「……それはあれだ。高校生が二人で密会をしてるところを見られたら補導されるかもしれないからだよ」
咲が悠斗を信用している根本の理由はどうやら昨日の一連の行動にあったらしい。
…そこを指摘されてしまえば弱いのだが、理解は出来た。
彼女は夜の公園に一人佇みながら途方に暮れている中で、ただ一人声を掛けてきた悠斗のことを…その後にされた行動こそを見て彼の人となりを判断していたのだ。
若干恩着せがましい言葉を投げかけられつつも、彼女のことを心配しているのが分かる発言を繰り返して何かをするでもなく去っていく姿は…その瞳にどう映っていたのだろうか。
もちろん、悠斗としてはそのことを素直に認めるわけにはいかないので適当に誤魔化したが。
…理由が流石に苦しいことは自覚しているため、おそらくバレバレだということも同時に理解しながら。
『とにかく私は悠斗が信頼できると思った。だからこうやってついてきてる』
「……この後で、とんでもなく恐ろしい目に遭うかもしれないんだぞ?」
『その時は私の見る目が悪かっただけ。それに…悠斗はそんな割の合わないことはしない』
「…そこまでお見通し、か。…分かった、それなら俺も潔く受け入れるよ」
咲は悠斗のことを信頼に足る人物だと認定し、ここまで足を揃えて歩いてきている。
その判断が正しいかどうかは置いておくにしても…今の彼女はそう考えているという事実は揺らがない。
…だったら、悠斗もその判断には相応の覚悟を返すべきだと思った。
どうせ何を口にしたところで咲の考えは変えられないのだ。
ならばこちらも折れるところは妥協し、可能な限りの配慮に注意を回した方が賢明だと判断したのだ。
それに何より…咲が述べていた割の合わないという言葉も、理由の比重としては大きい。
これに関しては最悪の事態が実現してしまった時のことだが、仮に悠斗が男子高校生の欲望を抑えきれずに咲へと襲い掛かってしまったとして…その時点で彼の社会的地位は地に堕ちることが確定する。
何せ、学校内でも有数の知名度を誇る咲に対し、ただでさえ目立たない立ち位置にいながら本人の容姿もパッとしない悠斗が何かをしでかしたなんて噂が広まれば…それだけで彼の評判は最悪なものとなる。
良くて校内に居場所は消滅し、悪ければそれ以上の悪夢が蔓延る高校生活へと一変することは目に見えている。
どう考えてもメリットとデメリットが釣り合っていないため、少なくともそのリスクを考慮できる悠斗がそんな馬鹿な真似に及ぶ可能性はゼロと言ってもいいだろう。
「…けど、あくまで家に招くのは一時的な避難先としてだからな。そこはハッキリさせておく」
『分かってる。流石にそこまでお邪魔はするつもりはない』
「…なら良いんだけどさ。今回のは…余計なお節介みたいなもんだ。俺にできることなんてたかが知れてるし、過剰に期待されても困る」
それらの思考を終えれば、再び彼らの足は悠斗と咲の自宅があるマンションへと進められていく。
最早納得した…納得させられたとも言い換えられる考えがあることは否定できないが、ここまで言われてしまえば言い返しようもないのだから仕方がない。
ひとまず今は、この寒さを凌げる室内へと咲を案内するとしよう。




