第五話 まさかの事実
夜間の公園に呆然と佇んでいた咲を己の家に招待するという、何とも突発的な案を出してきた悠斗。
だがこれに関しては本音を明かせば断られるのが前提だと思っていたし、向こうも受け入れることはないと思っていた。
そもそもまともに話してまだ二日と経っていない男にいきなり自宅へと誘われて、それを受け入れる方が稀だろう。
普通はそんなことになれば何か疚しいことでも考えているのかと警戒するのが当然だし、こちらにそんなつもりはこれっぽっちもないが…事実がどうあれそう思われるのは間違いない。
ではどうしてそれを承知の上でこんなことを提案したかと言えば、単にこれ以外の手で解決策が見つけられなかったからだ。
ここにいる自分たち以外の誰かに頼るという手も使えず、知り合いに掛け合ってみるという手段すら知人の絶対数が少ない悠斗ではまともな効力を発揮しない。
…それに、学校内でも圧倒的な人気を誇る咲をどこの誰とも知らない相手に預けたりすればどんなことになるのか想像もつかないというのも大きかった。
本人に危機管理意識がほとんど見られないので、良からぬことを考える輩の下に送りだせばどんなことになるのかを予想して…真っ先に破棄したという次第である。
ともかく、提案しておいて何だが断られることが前提にあった策。
もちろん咲も受け入れることなく拒否するだろうと予想して……二人並んで歩く今の彼らの姿がその未来予想図を完全に否定していた。
「…なぁ、俺の方から言っておいて何なんだが…本当に良いのか? クラスメイトの…しかも男の家に来るなんて」
「……?」
「…『何も駄目なことなんて無い』って…いや、駄目だろ。常識的に考えて」
どうしてこうなったという思考がぐるぐると渦巻く悠斗の隣を平然とした面持ちで歩いていく少女を見ながら、特に悩みもせずにこの案を受け入れた咲の言葉にツッコミを入れる。
そう、もうこのやり取りを見てしまえば分かると思うが、どういう思考を経たのか咲は先ほどの悠斗の提案をそのまま了承したのだ。
…あの時は流石の悠斗といえどもそれはそれは驚かされたものだ。
何せ咲が選ぶことなどありえないだろうと思っていた選択肢を真っ先に選ばれてしまったのだから、そのようなリアクションにもなるというもの。
言い出しっぺの側である悠斗の反応としては間違っているのかもしれないが…思わず危機感を忠告してしまうくらいには動揺させられた。
「もし俺が本羽に対して変なことでも考えてたらどうするつもりだよ。取り返しのつかない事態にでもなってからじゃ遅いんだぞ?」
『…そう言う人は、何もしてこない。悠斗なら心配ない』
「だからそういう話じゃなくて…もっとこう…警戒しろって話だ」
ただそんなことをつらつらと説うてきても、肝心の本人には全く響いていない。
それどころか無根拠でありながら問題ないなんて言ってくる始末なので、良い捉え方をすれば信頼されているのだろうが…もう少し注意深く行動してほしい。
こちらの精神の安寧のためにも、切実にそう思う。
…あと、これは流れの中でさりげなくだったが咲のこちらに対する呼び方がいつの間にか名前呼びになっていた。
今に至るまで特に名乗った覚えもなかったのだが、一応クラスメイトではあるので覚えられていたのだろう。
いやまぁ……隔絶した魅力を持つ美少女である咲から名前呼びをされているなんて学校の連中に知られれば凄まじい憶測を立てられかねないので別の意味で悩みの種が出来てしまったが、そこは一旦置いておく。
「はぁ……じゃあこれだけは言っておくが、仮に俺が本羽に妙なことをしそうになってたらぶん殴ってでも止めていいから。俺も変な騒ぎになるのは勘弁だからな」
『…じゃあその時は、そうする』
「…どっちかと言えば、男の家に躊躇なく上がることを躊躇ってほしかったんだが」
打ち込まれた文字の羅列を見れば咲も警戒心ゼロというわけではないようだが、それでもこの現状に対して疑問くらいは抱いてほしかった。
無いとは思いたいしそのような事態を招く気も皆無だが、悠斗とて男。
咲ほどの美少女と同じ空間にいれば何をしでかすかなど想像もつかなかったため、この事前注意はある意味必須でもあった。
そんな注意を受けてしまった咲はというと、一体何を言っているのかという態度を崩すことなく返事を返していたが。
…本当に、何故男子である悠斗が気を揉み続けて女子である咲が無警戒なのだろうか。
普通お互いの立場を考えたら逆の反応になるのではないかとも思う。
(けど本当に…見た目だけなら最高って言えるくらいには整ってるんだよな、本羽のやつは…だからって何か思うわけでもないけどさ)
今現在も自身の隣を歩いていく背丈が極端に小さな少女のことを見つめる悠斗の内心は、思わず目を惹かれそうになってしまうほど容姿が優れた彼女の見た目に向けられる。
こうしてつい触れ合ってしまいそうになるほど距離を近づけているからこそ実感できるが、やはり咲の見た目の良さは圧倒的な域だ。
十人が見れば十人が振り返るだろう天性の愛らしさと、それに伴って周囲の人間の保護欲を掻き立ててくる小動物的な雰囲気。
悠斗も学校にて時折見かけているためその人気っぷりは知っているつもりだったが、間近で見るとクラスの連中が彼女に夢中になる理由も理解できる気がした。
と、そんなことを考えていると…どこかから悠斗の服の袖をくいくいと引かれるような感触があったためそちらに視線を向ける。
当然、そんなことをしてくるのは一人しかおらず…目を向けた先にいたのは上目遣いで見上げてくる咲である。
「ん、どうした? 何か用事でもあったか?」
「………」
「ん…? 俺の家がどこかって? あぁ、そういえばまだ言ってなかったな」
何かを言うわけでもなくただただジッと悠斗の目を見つめてくる咲の姿は見ようによっては非常に可愛らしくもあったが、状況を考えれば疑問の方が先に浮かび上がる。
そんな彼の問いに答えるようにして、差し出された携帯に示されていたのは『悠斗の家はどこにあるの?』という旨のものだった。
確かに尋ねられてから思い至ったが、まだ咲に彼の自宅がどの近辺にあるのかということは伝えていなかった。
流れが流れでもあったため、仕方ないと言えば仕方ないのだが…いい機会だしこの際に言っておくとしようか。
「俺の家も普通のマンションだよ。とはいっても親は二人とも仕事で家にはほとんどいないし、大体一人暮らしみたいなものだけどな」
『…私と一緒?』
「まぁ似たようなものだと思うぞ。…あぁほら、少し見えてきたけど……あれが俺の住んでるマンションな」
「………? …!」
「…どうした。そんな驚いたみたいな顔して」
夜間ゆえに少し見えづらくもあるが、歩いていく内に少しずつ悠斗の自宅も見えてきている。
咲があてもなく佇んでいた公園からそこまで距離も離れておらず、通っている学校からもそこまで時間を掛けずに歩いていくことができるためアクセスとしては中々といったところだろう。
身長的に確認が難しいだろう咲にも分かるように指さしをしながら示してやれば…何故か、彼女は悠斗が指し示した地点を見て驚いたように目を見開いている。
…別にマンションの外見も特筆して注目するほどではないと思うし、ありふれた見た目の建物なのでそこまで驚くことでも無いと思うのだが…何か気になることでもあったのだろうか。
呑気にもそのようなことを考えていた悠斗。
まさかその次の瞬間に咲からもたらされた言葉によって、更なる衝撃がこちらにも襲い掛かってくるとは……夢にも思うことなく。
見開かれた瞳をパチパチと動かしながら、再び打ち込まれた文章を見て…思考が空白となった。
『…悠斗の住んでるマンション、私の家と同じ』
「………はぁ!?」
…それだけは無いだろうと思い無意識に除外していた可能性。
短い一文に込められた文から分かるのは……咲とまさかのご近所であったという、予想外すぎる事実であった。