第五五話 果たしたい目的
「…まっ、こんな所かしらね。私の方はまとまったわ!」
「かなり量があるな…これ、全部一人で食べるとか言わないよな?」
「なわけないでしょ。家族に渡す分よ、家族分。そこら辺は考えてるわ」
「…だったらいいんだけどさ」
あれからしばらく時間が経った後。
悠斗はお菓子作りが一段落したという旨の報告を咲から受けたため、せっかくなので彼も見に行ってみると…ダイニングテーブルの上にかなりの量のチョコブラウニーが広げられていた。
一つ一つ個包装でラッピングがされていたため実際の個数はそこまででもないのだろうが、それでも思わず驚くくらいの数があったので聞いてみれば…あれだけで里紗一人の分らしい。
まさか彼女が一人でこのボリュームを食べ尽くすのかと一瞬思ってしまったが…どうやら彼女の身内に渡す物が大半のようだ。
…それはそうか。流石にこれだけの量が女子一人の身体に収まるとは到底思えない。
「それに比べて…咲はそれだけでいいのか? 随分少なく見えるけど」
『これでいい。私は一個だけあれば十分』
「…そうか」
しかしながらそれに対して、こちら側。
ふと横を見てみれば机に広げられた無数のスイーツとは別に、咲の分として確保されているたった一つの袋が置かれている。
それ以外にはただの一つとしてなく、里紗と比べれば明らかに少ないので良いのかと聞いてみれば…表情からも不満は見られないので言葉通りこの一個さえあれば良いのだろう。
ならば悠斗から言うことは無い。
咲がそれで納得しているというのなら口を挟むことでもないのだから。
「……ふん。本当にあんたってやつは、幸せなものよね」
「…いきなり何だよ」
「知らないわよ! ただ文句が吐きたくなっただけ!」
「理不尽すぎる…」
ただ、そうして満足そうな笑みを咲が浮かべる最中で二人のやり取りを眺めていた里紗から唐突に暴言が飛ばされてきた。
…それらしい原因も変な挙動を見せた覚えもないので怒られるようなことに心当たりがないのだが、ああなった彼女は下手に刺激をしない方が良いというのも理解している。
「…ま、いいか。それより里紗。お前はこの後どうするんだ」
「私は普通に帰るわよ。ここに居座ってたら流石に帰るのが遅れすぎるし、家族にも心配されちゃうしね」
「なるほど」
こういう時は変に逆らうような真似をせず、絶妙な加減で話題そのものを逸らしてしまうことが最善だ。
ゆえにここでもその対処法をそれとなく実行してみれば結果は大成功。
さりげなく話をこれからのことに切り替えてみれば里紗の意識もそちらに傾けられたようなので、悲惨な未来は回避できたようだ。
「咲も…私は帰るけど、頑張りなさい。応援はしてるから!」
『里紗…ありがと』
「…何の話だ?」
「あんたは知らなくていいのよ。…じゃ、あまり長居するのもあれだし帰らせてもらうわね」
すると、話の方向的にも時間的にもそろそろ帰ろうかとなったタイミングで…里紗は咲に向けて訳の分からないことを伝えていた。
言葉からして何らかの激励のようでもあったが、聞いていた悠斗からすると一体何のことやらわからず…頭には疑問符が浮かぶばかり。
明確な答えも教えてもらえずじまいだったため最後まで意味は不明瞭なまま、意味が伝わったようで力強く頷く咲とは対照的な光景でもあった。
しかしそれ以上は里紗も咲に何かを言うこともなく、淡々と荷物を鞄に詰めていくとそのまま帰ろうとして───ふと、何かを思い出したように悠斗と咲を交互に見つめていた。
「…? おい、どうした。顔になんかついてるか?」
「………?」
「……いいえ。そういえば私と悠斗が初めて話してから、もう少しで…そろそろ二週間が経つのねって思っただけよ」
「それが…どうしたんだよ」
不意に彼女が口にしたのは、思い返せば短くも思える里紗との付き合い。
これだけの距離感の近さとなった今では信じられなくも感じられるが、確かに里紗と初めて会話を交わしたのは今から二週間ほど前の話。
あの時、とんでもない勘違いと暴走から始まった彼女との縁は奇妙なことに今でも継続されている。
一つでも選択肢を間違えていたらこうはならなかっただろうという確信もある綱私の中で、こうして今関われているのは喜ばしいことだが…それが一体どうしたというのだろう。
「…何でもないわ。私の考えすぎでしょうし」
「いや、そこまで言われたら気になるだろ…」
「だから何でもないわよ。…じゃあ咲、またね」
『…バイバイ。また明日』
だが、そこで里紗から何かが語られるのかと思えば返答は何もなし。
肩透かしを食らったような、答えが気になるのに聞かされないモヤモヤ感を味わうこととなって気持ち悪くもあるが…それでも、彼女が続けて言葉を出す雰囲気は皆無。
そのまま何か言いたげな顔こそしていたものの、実際に言葉が出されることは無く咲に別れの挨拶をすると颯爽と帰ってしまった。
…残された悠斗は、そんな里紗の態度に言いようのない不安を覚えさせられたまま。
◆
その日の夜。いつも通り咲の美味なる夕食を味わった悠斗はしっかりと彼女に礼を伝え、いつものようにソファでのんびりとした時間を過ごしていた。
ただ、何というか………そんな変わらない日常の中にも普段と違う点が一つだけある。
(…なんかさっきから、咲がこっちをチラチラ見てくるんだが…何だ?)
…悠斗も特別洞察力に優れているというわけではないが、こうも露骨に視線を感じれば嫌でも気が付く。
先ほどから事あるごとに突き刺さってくる横からの視線……端的に言えば、咲が向けてくる視線である。
しかし困ったことに向けられる視線というのも心当たりが全くなく、彼女が何を伝えようとしてこんな目を向けているのかが一向に分からないのだ。
普段なら悠斗は悠斗で、咲は咲の時間をソファで過ごしているためにこんなことも無かったのだが…それだけに意図が掴めない。
反応からして咲は悠斗に何かしら伝えたいことでもあるのかと考えもしたが、仮にそうだとすれば早く伝えればいいだけだ。
日頃の咲であればその程度のことを躊躇うような性格もしていない。
…となれば、用件だと思われる視線の中身は余程口にしづらいことなのだろう。少なくとも彼女にとっては、だ。
(そうだとすると…俺から出来ることがほとんど無いんだよな。下手に話題を振るっていうのも変だろうし…)
依然として態度をおかしくした咲の反応に思うところもあるが、だからと言って悠斗の方から何かアクションを起こすというのも不自然になってしまう。
結局、その後も咲の奇妙な視線の動きは続いたまま解消されることも無く…悠斗からも打開策が打ち出されることは無かったためにぎくしゃくとしたまま時間だけが過ぎ去っていった。
『…それじゃあ、私はこれで帰る』
「あ、あぁ…分かった」
普段に比べて格段に彼らの間にあった会話量は少なく、明確にそうだと言われたわけでもないのに言い表しようもない気まずさのようなものが漂っていたリビング。
状況にわずかなりとも変化があればそれはそれで良かったというのに、咲が彼女の自宅へと帰る時間となった今でも改善の兆しは見られていないのが全ての答えだ。
ただ、ここで悠斗が声を掛けるのは最善ではない。
そう思っていつもの如く見送りのため、玄関へと向かった二人の間には…変わらず会話は少なくて。
「………」
(…やっぱり、咲の元気も無くなってるよな。もうこうなったら───)
咲が無口であることは当然の事実だが、そこに加えて今ばかりは表情にも覇気が感じられない。
まるで、やりたかったことを達成できなかった不甲斐なさを悔いるような悲しみを背負った雰囲気を前に、悠斗は………。
「…なぁ、咲。今更だけど…俺に何か言いたいこととかあったか?」
「………!」
…あんな寂し気な表情を浮かべる咲の姿が見ていられず、結果的に彼の方から話題を振ることとした。
「単なる勘違いだったらいいんだけどさ。何て言うか…視線とか感じたから用事でもあったのかと思って──」
「………!」
「──っと! …ん? これって…さっきのチョコレートか」
勘違いだったとすればそれでも構わない。
その時は悠斗が勝手な自意識過剰だったということで彼一人が恥をかく程度で済む。
だが、もしそうでなかったとしたら…咲には思い残すような真似をしてほしくなかった。
ゆえに咲へと何か用件があったのではと語り掛ければ、一瞬戸惑うような仕草を見せた後で彼女は…ギュッと瞳を瞑ると、決意を固めたように手元の鞄からとある物を取り出して悠斗へと押し付ける。
いきなりのことだったので悠斗もあわや取り落としそうになってしまったが、間一髪のところで受け止めると…それは先ほども見ていた咲お手製のチョコブラウニーが詰められた袋のラッピングであった。
『…ずっと見てたのは、ごめんなさい。でも、ずっとそれを渡したくて…機会が無いか窺ってた』
「え、そうだったのか? てっきりこれは咲が食べる分だと…」
「…!? ……!」
彼女から語られた言葉を聞けば真実はあっさりと判明する。
どうやらこの丁寧に包装がされたスイーツは咲が満喫するためのものではなく、元々悠斗に渡そうと画策されていたらしい。
その辺りの勘違いを口にすれば咲は激しく首を横に振っていたため、要は…そういうことなのだろう。
『…だから、その……悠斗もよかったら貰ってくれる…?』
「…もちろんだ。そういうことなら、ありがたく頂かせてもらうよ」
「……~~っ!」
「あっ…おい! 走ったら危ないって……もう行っちまったか…」
照れくさそうにしながらも悠斗へと手渡されたプレゼント。
それも咲からの物ともなれば受け取らない理由がない。
なればこそ、ここは悠斗もしっかりと感謝を伝えて咲に目線を合わせようとすれば…彼女の羞恥心の方が限界に達してしまったようだ。
自分が悠斗へとプレゼントを渡すというシチュエーションが存外堪えたらしく、どんどんと顔を赤らめていった咲は…気恥ずかしさが頂点に達するのと同時に足早に部屋を去って行ってしまった。
彼が忠告をする暇すらない瞬間的な帰宅だったため、ここにはぽつんと取り残された悠斗だけが残された状態。
されど咲が帰ってしまったのなら玄関先に待機している理由もないのでリビングへと引き返し、少し落ち着いたところで今しがた受け取ったばかりのチョコレート菓子を開けてみる。
「……凄い量だな。でも、美味そうだ」
袋を開けてみればそこには詰め込まれていた甘い香りが一気に解き放たれ、魅惑的な甘さを直感させるチョコブラウニーの山がある。
せっかく貰った物なのだ。
全部は無理だが、一つくらいなら今からでも食べられるだろうと思い口へと運んでみれば………。
「……甘いな。さっきより」
…つい数時間前に味見をした時には程よい味のバランスだと思っていたはずなのに、どうしてか今食べたばかりのチョコレート生地は味わいが変化している。
しかし、それを不思議なことに悠斗は嫌だとは思わず…渡してくれた少女のことを思うと、無意識に苦笑がこぼれてしまうのだった。




