第五二話 一日の真実
──その後、悠斗が咲へと少しのプレゼントを贈ってからは何ともむず痒く…それでいて甘い空気が漂うばかり。
悠斗から贈られたヘアピンが余程嬉しかったのか、時折自分の頭へと手をやりながらそこにある物の存在を確認して咲は緩み切った笑みを更に緩ませる始末。
加えて、そんな光景を目前にして悠斗もまさかそこまで喜ばれるとは思ってもみなかったため…自分が贈った物でここまで嬉しそうにしてくれたのなら何よりだと微笑ましく咲を見守っていた。
結果、二人の周囲に形成されたのは他の何者も立ち入ることなど出来ようはずもない甘い雰囲気。
どう見てもただの友人同士でしかない者達が作れる空気ではなく、傍からすれば完全に恋仲にある男女だと誤解されたに違いない。
事実として、悠斗と咲当人は気付きもしなかったが…彼らのすぐ傍を通りがかった男は嫉妬の目線を向け、家族連れやカップルなんかは空気に当てられたのか頬を赤らめながら温かい視線を二人に送っていた。
……色々な意味で周辺に被害を振りまいてきた彼らである。
まぁ何はともあれだ。
贈られたアクセサリーを嬉しそうに身に着ける咲とそれを横目に歩いていく悠斗は、その後もモールのあちこちを巡った。
時にあてもなく彷徨い、時に不意に視界へと入ってきた気になる店へと足を踏み入れてみる。
そんな何てことも無い時間ではあったが、どこか満喫したような時間は……気が付けばあっという間に過ぎ去っていく。
「もうこんな時間か…早いもんだな」
「………」
悠斗が携帯に表示された時刻を確認してみれば既に十八時を優に過ぎている。
冬という季節感も相まって外も日は落ち始め、そろそろ帰るための空気へと移行し始める頃合いだ。
その事実は二人も察しているのだろう。
これまでに過ごしてきた時間が存外楽しめるものだったがゆえに、それが終わってしまうことを惜しく思う自分がいる。
されどそれは、今に至るまでの時間を満喫できたことの裏返しでもある。
ここへと辿り着くまでに共有してきた彼らの道程。
そこの過程がこれ以上なく充実したものだったからこそ…悠斗も内心でこの外出が終わってしまうことを残念に思っているのだ。
「…そろそろ帰るか。あんまり遅くなるのもあれだし、そうならない内に───?」
『……悠斗、帰る前に一つだけいい?』
しかしそんな思いはおくびにも出さず、悠斗はなるべく平常心を保ちながら帰るか否かをそれとなく尋ねる。
そうすれば……いや、それを言いきるよりも早く。
咲からは、どこか遠慮がちにしながらもある提案が出された。
『この後、一か所だけ行きたいところがある。帰る前にそこだけ行きたい』
「…そう、なのか? いや、もちろん良いけど……どこに行こうって言うんだ?」
『それは、まだ内緒。とりあえずついてきてほしい』
「……分かった」
咲が少し不安そうな面持ちを滲ませながらも申し出てきたのは一つの案。
もう少しで帰ろうかというこのタイミングで言いだしてきた意図は分からなかったが…どうやら彼女はまだ向かいたい場所というのがあったらしく、そこを訪れたいとこのこと。
それならば悠斗にも異論はない。
どうせ急いで帰宅したところで目立った用事もないのだから、多少帰宅時間が遅れるくらいならば問題も無いだろうし付き添うにしても誤差のようなものだ。
…ただ一つだけ、目的地をぼかされたことは引っ掛かりもしたが…まぁそこは追々判明することでもある。
そう考え、悠斗はテクテクと歩き始めた咲の後ろ姿を追っていくのだった。
──悠斗が目的地すら知らされることなく歩き始めてから数分後。
幸いにも距離はさほど離れていなかったようですぐに到着することは出来たが…辿り着いた場所は何とも予想外であった。
「ここって…屋上、だよな」
『そう。少し前からクリスマスに向けたイベントをやってるみたいで、こうやって綺麗に装飾がされてる。だから来てみたかった』
「なるほど。…これは流石に調査不足だったよ」
二人が現在訪れているのは数時間の時を過ごしていたショッピングモール。
しかしながら、一度として向かうことは無かった場所の一角……屋上のテラスにも似た雰囲気を持った箇所へとやってきていた。
そしてこれは悠斗も知らなかったことになるが…何とこの場所。
咲から聞いて初めて知ったがクリスマスが間近に迫ってきたことでイベントをやっていたらしく、そこかしこがイルミネーションによる装飾で幻想的な輝きを放っているのだ。
次第に暗くなりつつある周囲の景色とも相まって非常に美しい風景がそこにはあり、さらにこれにも少々驚かされたが…意外なことに、辺りには二人以外にそれほど人の姿は確認できない。
おそらくだが、この場所のイルミネーションはそこまで大々的に告知がされているものでもないのだろう。
でなければこれほどまでに綺麗な景色が作り上げられているスポットはもっと人で溢れかえっているだろうし、ここまで空いているのは奇跡と言う他ない。
「にしても、咲はよくこんな場所知ってたな。思い出でもあったりするのか?」
『……思い出は、ある。でも、それは…私のものじゃない』
「…どういうことだ?」
こんな穴場スポットを知っているというのなら、もしかしたら咲は以前にもここを訪れたいたのかもしれない。
経緯は知らないが、悠斗も把握していなかったこの場所が既知だったというのならその可能性は高い。
だからそれを確かめるためにも質問をして…返ってきた言葉には首を傾げる結果となる。
咲の言い分からすれば、このイルミネーションが燦然と輝いている景色には何かしらの思い出があるということ。
だが、それは……彼女自身のものでもないと言う。
答えているようで答えていない様な、曖昧な返答。
その意味を探って頭を唸らせていると…今度は向こうの方から問いかけられる。
『悠斗は、覚えてる? 今日が何の日か』
「…そりゃあ覚えてるさ。お前の両親の結婚記念日だろ? だからここにも来たんだしな」
『正解。じゃあ…今日巡ってきた場所も、ちゃんと思い出せる?』
「…? 咲、さっきから何を言って───」
相も変わらず彼女から投げかけられる言葉は不明瞭なまま。
尋ねられる発言の節々からその意図を掴もうとはするものの、あやふやなまま伝えられる文言はそれを確固なものとするためには足りなくて………。
結局、咲がここで何が言いたいのかは分からずじまいだ。
『悠斗と映画を見て、洋服を見て……最後にここに来たいと思ってた』
「…それは、どうしてだよ」
『………悠斗には言ってなかったけど、実は今日回ってきた場所は全部…私のお父さんがお母さんにプロポーズをした日と全く同じことをしてた。見てきた場所も、やったことも、全部同じ』
「………え?」
──だからこそ、次に咲から教えられた真実には心底驚かされた。
心なしか赤らみを増している咲の頬を意識の片隅で認識しながら、照れくさそうにしつつも彼女から語られたことは…悠斗のそれまでの思考を吹っ飛ばすのに十分すぎるインパクトを有している。
『昔からお母さんにその話を沢山聞かされて、いつか私もそんなことをしてみたいって思ってた。…黙ってたのは、ごめんなさい』
「…そ、それはいいけどさ。何でまたそんな……」
『…多分、ずっと憧れてたから』
「憧れてた…?」
憧れ、という言葉に込められた感情は……一つにまとめきれないほどに溢れ出ていて。
未だにその真意は掴めていないのに、不思議と引き込まれていくような…そんな魅力が今の咲からは醸し出されている。
『…いつか、仲の良い人とこうやって思い出の場所を回りたいと思ってた。だからこの前悠斗に誘ってもらえて、お父さんとお母さんの思い出の場所に来られて…嬉しかった』
「……っ!」
──そう伝える彼女の姿は、これまで見てきたどんな表情と比べても綺麗だった。
手に持った携帯で口元を隠すようにしながら、気のせいか潤んだような瞳を向けられながら告げられた言葉には…確かな情感が読み取れる。
…そしてこれも単なる思い込みに過ぎないかもしれないが、咲の背後にあるイルミネーションによって照らされる形で際立つヘアピンの装飾が…何とも言えない魅力を倍増させているように思えてならない。
「…それ、相手が俺で良かったのか? せっかくの記念だったんだろうに」
『違う。悠斗だから良かった。…私にとって悠斗は大切な人。だから、ここに一緒に来てほしかった』
「…っ、そうか。だったら光栄な限りだけどさ」
だが、悠斗がさりげなく振った質問にも咲は迷うことなく答えを返してくる。
そこまで思い入れのある場所ならば、悠斗でなくても他に誘うべき人がいたのではないか…と。
ただそれでも、咲の答えが変わることは無い。
一切の迷いも躊躇もなく、悠斗だからこそここへと一緒に来たのだと言ってくれた彼女に彼は…不覚にも、嬉しさを覚えてしまった。
彼自身も意図していない心の奥底で、何か覚えのない感情が芽生えそうになって…それを自覚するよりも前に彼女が言葉を紡ぐ。
『だから今日は、悠斗と一緒に来れたことが一番の思い出。…ありがと』
「…礼なんていらないって。元々俺から誘ったことなんだ。咲にとって良い思い出になったんなら、それが俺としても一番だよ」
「………!」
…今日一日を通して得た思い出。
それまで両親から言い聞かせられてきただけの見聞ではなく、紛れもない咲だけの思い出。
それを作る一助を担ってくれた悠斗に見せてくれた蕩け切った笑みは、どう見ても彼への揺るがない信頼感と……それ以外の何かがあるようにも思えて。
ふにゃりと緩みを思わせる咲の雰囲気とも相まって、至上の愛らしさを放ち続けていた。
──結局、イルミネーションによって飾られた景色が広がる屋上で互いの内心を語り合った悠斗と咲はそれから少し経った後に帰宅することとした。
しかし、二人の家へと戻るための帰路に着く中で咲はいかにも今日の流れに満足したように微笑を浮かべ、別れる直前まで幸せそうなオーラを振りまいていた。




