第五一話 贈り合う者
満足したように試着室へと咲が向かった後。
暇を持て余すことになった悠斗であったが、そこまで時間もかかることはなく咲の試着は済んだようで割とすぐに出てきた。
…しかし結局、彼女があの店で購入したのは悠斗が良いと評価したブラウス一着のみである。
「…本当に良かったのか? あっちの服も悪くなかったと思うぞ?」
『問題ない。これで満足』
今も尚先ほどの店で購入したばかりのブラウスが入れられた袋を満足げにしながら抱えている咲に尋ねてみるが、結果は変わらず。
…別に、彼女自身が気に入って買ったというのならこちらが横やりを入れる筋合いなどないし、そこは咲の自由だ。
にもかかわらず悠斗がここまで念押ししているのは…あの流れではまるで、悠斗の意見があったから彼女が服を買ったようにしか思えないからだ。
もちろん、的外れな自意識過剰な思考でしかないことは重々承知の上。
……だとしても、その考えが完全に外れているようにも思えないのだ。
──悠斗から見ても、咲が彼のことを少なからず好意的に受け入れてくれているのは理解している。
でなければ男の家にか弱い女子が一人上がり込むなどという選択肢を取るなんてありえないだろうし、大なり小なり信頼してくれているのは確かだ。
しかし、その信頼に根付く感情が単なる知人への信用なのか、はたまた……全く異なる感情なのか。
それは分からない。
そして、悠斗が咲へと向けている信頼に根付いた感情が……一体どのような色を持っているというのか。
まだ関係を持ち始めて一か月と経っていない間柄。距離感を定義付けするには焦燥的すぎる段階だろう。
それでも、こうして共に出掛けることまで許容出来ている相手に対して抱く情感としては……ただの信頼感のみで成り立っていると断言するにはどうしても不足しているように思えることも事実なのだ。
『悠斗…何かあった? 上の空みたい』
「えっ……あぁいや。…何でもない。ただちょっとぼーっとしてただけだ」
「…………」
…が、柄にもないことを考えていたからか。
少々上の空気味になっていたことを咲に指摘されたことで悠斗の意識は再び現実へと舞い戻り、軽く頭を振って冷静になれば彼女もそれ以上は追及してこなかった。
……今は、これ以上考えるのはよしておこう。
悠斗一人でこのようなことばかりを考えていたところで答えなど出るわけもなければ、今すぐに分かりやすい結論が生まれるとも思えない。
だからこれ以上は……止めておこう。
『ならいい。…でも、悠斗も楽しみにしておくといい』
「ん? …楽しみって何の話だよ。面白いことでもあったか?」
そうして悠斗の思考は中断され、元通り咲との会話が繰り広げられていく。
一歩一歩の歩幅が小さい彼女を置いていかないように歩くペースには注意しながら、依然として人混みに溢れたモール内を闊歩していく。
しかしながら…その中で若干の含みを持たせるような言い回しをしてきた咲の言葉に、彼の意識は引っ掛かりを覚えた。
咲の言う楽しみとやら。内容は全く不明瞭だが…どことなく揶揄うような意思を感じるのは気のせいだと思いたい。
…ただし、その予感が間違いではなかったと分かるのはすぐ後のことである。
『今度悠斗の家に行く時、このブラウスを着て行ってあげる。悠斗が好きだって言ってくれた物。…少しくらい見惚れても、私は何も言わない』
「な……っ!?」
気のせいか少しだけニマニマとした笑みを向けながら放たれた言葉は、そのような文言。
…悠斗が好みだと言っていたあの服を、彼の前で着てくれるという宣言は悠斗の心臓を掻き乱すのに十分な破壊力があった。
だがしかし、その発言にもわずかばかりの誤解があるように思えてならない。
確かに悠斗はあのブラウスを見て好みのタイプだと思った。そこは間違いない。
…されど、あの時の心情を振り返るとすれば悠斗はより咲に似合いそうだからという言葉を強調して彼女に伝えていたはずだ。
これならば咲の可愛さを引き立てられるだろうし、どちらかと聞かれればそちらの方が良い…そのようなニュアンスで伝えていたはずである。
…まぁ、悠斗の好みとも全くの無関係ではないためあながち外れてもいないのだがそこは無視するものとする。
何より言及したいのはそこではないのだから。
おそらくの話ではあるが、咲はあの時の彼の発言を…そのブラウスの方が自分は好きだと言う一文のみに集中して意図を解釈したのではなかろうか。
だからこそ、今こうして購入したばかりのブラウスを。
…悠斗が好きな服を、彼の前で着て見せるなんてことを言いだしたのではないだろうか。
「ちょ、ちょっと待て!? 俺は別に咲が着たところを見たいなんて言っては───」
『…え、悠斗。私がこれを着たところは見たくない?』
「……ぐぅっ!」
……しかもこの問題。
何が厄介かと言えば…曲がりなりにも悠斗自身がその姿を少し見てみたいと思ってしまっていることが困りどころなのだ。
何とも情けない言い分ではあるし、言い訳にもならないが…こればかりは否定も出来ないのでどうしようもない。
そもそも、咲ほどの美少女が少なからず己の好みに当てはまった服装を目の前で着こなしてくれると言ってくれているのだ。
…これを断れる男がいるというのなら、是非ともその人物を教えてほしいと悠斗は切に思う。
「………み、見たい…!」
「…………!」
気恥ずかしいなんてものではない。完全敗北である。
されど、己の本心から生まれる欲には逆らうことも出来ず…結局は本音を吐露して見てみたいという旨を明かすこととなった。
そしてそれを聞かされた咲は…何とも嬉しそうに笑みを深め、全身から歓喜のオーラを振りまいていた。
『それなら尚更、ばっちり見せてあげる。…楽しみにしてて』
「……あ、あぁ」
口元に指を当て、まるで小悪魔かのように揶揄いの情を含めた咲の姿。
それは普段の私生活ですら見せてこなかった表情の一つであり…見慣れていないがゆえに、悠斗の情緒は掻き乱されていく。
日頃はまず見られないだろう咲の仕草を前に、こういった仕草すらも形となって抜群の蠱惑さを放つ彼女の素振りは…正直悪くないどころか平常時とは異なる魅力を全開にしておりむしろアリだと思ってしまった。
……何だか、日常生活の中でも咲の掌の上で踊らされ始めているような気がするのは単なる杞憂なのだろうか。
「──お、これって…」
「………?」
大まかに咲のやりたいことも済ませることが出来たようで、時折視界に入った店を物色はしつつも二人はあてもなく彷徨っていた。
…と、そんな時に悠斗は通路の一角にある店先にて広げられていた棚が目に付いた。
『悠斗、何か気になるものでもあった?』
「ちょっとな。見て行ってもいいか?」
『当然。遠慮なんてしなくていい』
そうなれば隣を歩いていた咲にもそのリアクションが気取られるのは自然な流れであり、一応確認をしてみれば向かっても問題ないとのことだったので見させてもらう。
そして問題の店だが…彼が訪ねたのはある意味異色の目的地。
何せ、店先に並べられていた商品のほとんどは…大量のヘアアクセサリーだったのだから。
「……? ……」
「こういうのって結構種類あるんだな…見てるだけでも目移りしそうになりそうだ」
『…悠斗、アクセサリー欲しい?』
「ん? あぁ、別に俺が使うってわけでもないけどな。せっかくだし咲にどうかって思って」
『……私?』
訪れた店のターゲットと悠斗の性格を考えればまず彼が興味を持つことは無いだろう場所。
しかし、悠斗とて理由もなしにこんな場所を見たがったわけではないのだ。
要点だけをまとめてしまえば、このショップ……主にアクセサリー類を取り扱っている店舗を見た時に、咲がこれを身に着けたらどうだろうという考えが浮かんだということだ。
「そうそう。今更過ぎるけどさ、咲って料理とかする時に髪をまとめたりするだろ? でもその時も前髪はまとめてなかったし…時々邪魔そうにしてるのを見てたからさ。だからいっそ、こういうのでまとめるのはどうかなって」
『なるほど。確かにそれは前からちょっと思ってた』
「…あと、これは余計なお世話になるかもしれないけど…咲がこういうのを着けてるのって見たことなかったからさ。せっかくだしプレゼントさせてくれ。いつもの礼も兼ねてな」
「………!」
悠斗から咲へと述べたように、彼女は常日頃から二人分の食事を作ってくれているが…その時に悠斗は、咲がまとめられていない前髪が鍋やフライパンに入らないようにと配慮している光景をよく目撃していた。
調理に入る際には長い髪をポニーテールにしてまとめてはいるものの、前髪だけはそのままだったので煩わしくしているようにも見えたのだ。
であれば、いっそのこと前髪にも使えるようなヘアピンの一つでもあったら良いだろう。
そう考えた悠斗は、偶然にもここで発見した可愛らしいアクセサリーの並ぶ場所で咲に好きなピンをプレゼントしようと決めたわけだ。
それらの理由を踏まえた上で、彼女にもどうかと尋ねれば…喜んでもらえたのだろう。
コクコクと首を縦に振る様子からは受け入れてくれた姿勢が垣間見えるので、少なくとも真っ向から拒否されるようなことはなくて安心した。
『…だったら、せっかくだし悠斗に選んでほしい。私に似合いそうなものを』
「え? いや、俺は普通に咲が気に入ったものを渡そうと思ってたんだけど──」
『私は…悠斗が選んでくれたものがいい。それは駄目?』
「…いいけどさ。じゃあ、そうだな……」
…だが、その直後に咲から懇願されるようにして頼まれたことは少し想定外だった。
何となくの想定ではここから咲に適当なものを見繕ってもらい、何か気に入るようなものがあればそれを贈ろうと思っていた。
しかし、まさか彼女の方から悠斗に選んでほしいなどと頼まれるとは夢にも思っていなかったため多少面食らってしまう。
…無論、咲自身がそれを望むのであれば断る理由はないが。
(どれにするか……流石にこれは派手過ぎるし、咲はあまりこういうのは好きじゃなさそうだ。といっても地味過ぎるとあれだし…)
内心、ぶつぶつと独り言を繰り返しながら溢れかえらんばかりの量に満ちた棚から咲に似合いそうな一品を選別していく。
最初は気軽なテンションで咲に思い出として残るようなものでも渡そうかという、安易な思考を巡らせていたが…こうなると雑に済ませるわけにもいかない。
少なからず彼女のことを着飾る要素を悠斗の手で選ぶのだから、可能な限り最高の結果を手渡してやりたい。
そんな考えを続けながら、何かないかと探していき───一つのヘアピンを手に取る。
「……これ、かな。多分、咲ならこれが一番似合うと思う」
『どれ? …おぉ、凄く綺麗』
悠斗が手に取り咲へと向けたのは、デザイン的にはそこまで特筆したものではない。
全体的に白で彩られた中で、外側は薄く水色の装飾で縁取られただけの非常にシンプルなアクセサリー。
ただ、それでも…白と水色の配色は幻想的な形で織り交ぜられ、その見た目が何とも魅入られそうな雰囲気を発している。
「咲なら単色も良いかと思ったんだけど、普段の様子を見てたらこう…淡い色合いも良さそうだと思ったからさ。…ちょっと地味だったか」
『ううん。悠斗がそう思ってくれたなら…これがいい。一番良い』
「…そうか、じゃあこれにするよ。ちょっと買ってくるから待っててくれ」
これを選ぶまでにも色々なアクセサリーを眺めてみたが、悠斗の主観ではこれ以上にピンとくるものは見つけられなかった。
あるいは…直感的に、咲を着飾るためにそれ以上の品は存在していないと理解していたからかもしれない。
それでも、幸いなことに咲の方も悠斗が選んだヘアピンをはにかみながら受け入れてくれたためこれを買うことに決定する。
会計自体はつつがなく終わり、再び咲の元へと戻ったところで…悠斗は彼女の肝心の品を贈る。
「これ、良かったら使ってくれ。…あ、もちろん無理にとは言わないぞ?」
『……ありがとう。すっごく嬉しいし、悠斗がくれたものなら大切にする。…着けてみても、いい?』
「…っ! …あぁ、咲の好きなようにしてくれたらいいさ」
たった今購入したばかりのヘアピンを咲へと贈れば、彼女はそれだけで…感極まったように受け取ったピンを宝物のように胸に抱く。
その表情は、心底幸せだという感情がしみじみと伝わるようで…思わず直視することすら難しく思えてしまうほどに、魅力的な可愛さがある。
『…どう?』
「……やっぱり、咲はそういうのもよく似合うな。いつもより顔が見えるし…可愛いと思うよ」
「………!」
されど、そのままおずおずと手に持ったヘアピンを自身の前髪へと装着した咲が改めて顔を上げれば…その姿もまた倍増した愛らしさが存在している。
先ほどまでの下ろされた前髪も当然良かったが、こうして見ると髪をまとめた方が彼女の美しい瞳もよく見えて美貌は更に磨きがかけられたようだ。
そして彼女から求められた感想にも嘘偽りなく似合っていると答えれば、満足はしてもらえたらしい。
頬に手を当てながら、緩み切ってしまった彼女の口角を目にすれば…このプレゼントも間違ってはいなかったと思える。
何気ない二人のやり取りから生み出された、多くの甘さを兼ね備えた雰囲気の中。
彼ら自身もまた気が付かぬうちに作り上げた世界の中で、悠斗と咲は──お互いのことを微笑みながら見つめているのだった。




