第四話 忘れ物の被害
長く感じた授業も終わり、ようやく拘束され続けた学校から早々に帰宅していった悠斗は…そのまま今日も今日とてアルバイトへと直行していた。
連日のように続けられる業務は日によっては辛くもあるが、幸いにも今日はそれほど厳しい働きでも無かったためにある程度の余裕は残せた。
なのでその余った体力を残したまま、先日と同じようにして帰ろうとして……見たくない光景が展開されていることから、ほとんど強制的に彼の足は止められた。
(……何で二日連続でいるんだよ。今日はいないと思ってたのに…)
最早デジャヴのような気さえしてくる、帰り道の道中。
先日も通りがかった公園の中で、流石に今日はもういないだろうと考えていた悠斗の予想を裏切るように……小さな体躯を縮こまらせた咲がちょこんとベンチに腰かけていた。
…昨日の一件を経た後でまたもや同じ状況が再現されていることに心なしか頭も痛くなってくるが、それだけだというのならば悠斗もここまで悩むことは無かったに違いない。
というのも、今彼の目の前にいる咲の姿は……見るからに寒そうにしながら震えているのだ。
無理もない。見た感じ最低限の上着は身に着けているようだが言ってしまえばそれだけでしかないのだから。
いくら防寒対策をしているとは言ってもこの時間帯にもなれば気温は急激に下がってくるし、厚着をしていても吹き込む風が完全に防げるわけではない。
傍らに小さな鞄のようなものを置きながら一向に動く気配を見せない咲は…やはり防ぎきれない寒さゆえか、微かにその身を震わせている。
…誰がどう見たって分かる。この寒気に凍えているのだろう。
しかし、だからどうしたという話だ。
昨日も思ったが、ここで彼女を見かけたからと言って行動を起こすほど悠斗は正義感に溢れた人物ではないのだ。
一日前にあった対面はいわば気まぐれにも近いものであり、普段からああして他人に関わろうとすること自体が彼の意識にはない。
なので今日こそは余計な手出しをすることもなく、そのまま帰ろうとして───。
───またも、足を止めることとなった。
(……ここで見捨てられれば、一番楽だったんだろうがな。本当に何で見つけちまったんだか…)
見なかったことにしようとして、通り過ぎようとした折。
そんな瞬間にあっても尚……甘さを捨てきれない自分の性格に、悠斗自身呆れてしまいそうだった。
しかしこればかりはどうしようもない。
生まれついて持った性格として、悠斗はこういった場面に一度出くわしてしまえば中々に見捨てることが出来なくなる。
肝心な時に決意が緩みすぎだと言われれば否定も出来ない。
事実としてその通りなのだから。
だが…ここで何かリアクションをすることも無く通り過ぎていけば、自宅へと帰った後で咲がどのようになったかと思考を乱されることも確実。
自分のことだからこそ分かる。間違いなくそのような事態になる。
…だったら、多少向こうから不審感を抱かれることになってもここで憂いを晴らした方が何倍も良い。
昨日に引き続き、今日まで話しかけることで少なからず警戒はされるだろうが…そこについてはどうしようもないので諦めるしかないが。
(切り替えよう…向こうの事情なんて知らんが、こうなったら引きずってでも家に帰らせるしかない)
二日連続でこんな場所に留まり続ける同級生。
明らかに普通じゃない事情を抱えていることは一目瞭然だ。
こちらとしてもそんな面倒ごとに首を突っ込むつもりは皆無なため、最低限の解決策だけ見出せたらそこで解散で良いだろう。
ひとまずそういった方向性で話を進めることとして、悠斗は…前日と全く同じ流れになりつつあるシチュエーションへと足を踏み入れていった。
「…おい本羽。何で今日もまたこんな場所にいるんだよ?」
「…? ……!」
少しずつ両者の距離を縮めていけば、咲もこちらの存在には気が付いたのだろう。
流石に昨日の今日とあって悠斗のことも覚えられていたのか、最初は疑問を抱えたような表情を浮かべていた彼女も…彼の姿を見れば驚いたような反応をしていた。
「先に言っておくが、別にストーカー紛いなことをしてたわけじゃないからな? 俺もたまたまバイトからの帰り道がここだったから見かけたってだけだ」
「………」
「…俺のことはいいか。そんなことより、どうして家に帰らないんだよ。もう夜も遅いぞ」
だが、悠斗がまず真っ先に弁明したのはこの偶然の遭遇について。
というのも、こちらの視点ではこの二度に渡る対面もあくまで偶然でしかないものだがあちらにしてみればそんな言い分なんて信じられるわけがない。
こんな夜遅くに…それもピンポイントで二日も外で鉢合わせるなどストーキングをされていると考えられていてもおかしくないのだ。
…事実としては全くそんなことも無いので、もしそう思われているのなら先に誤解は解いておきたいという意図の下説明させてもらった。
…が、そう伝えられた咲はどうしてかキョトンとしたような顔を浮かべ、まるでそんな可能性など考えていなかったとでも言うようなリアクションを返してくる。
警戒心が足らないのか、ただ単に天然なだけか…いずれにしてもこんな夜分に一人で佇むような少女とは到底思えない様な反応だった。
「…ん? 『今は家に帰れない』って……親と喧嘩でもしたのか?」
「………」
「違うのか…じゃあ尚更、どうしてこんなところにいるんだ?」
しかしその次に咲からもたらされた返答は、悠斗にとっても予想外なもの。
ちょこちょことした動作で懐から携帯を取り出し、何か文字を打ち込み始めて…『家には帰れない』という旨のメッセージを見せてきた。
…自宅に帰れない、なんて何とも不穏な経緯を感じさせる文字列だ。
パッと思いつく線としては彼女の親と何らかの理由から喧嘩でもして、その勢いで家を出てきてしまっただとかそういった安直な可能性だが…どうやらそれは違うようだ。
フルフルと首を横に振る姿勢から本人直々に否定されてしまったので、ではどうして…という考えを浮かべているとまたもや咲が携帯に文字を打つ。
そうして返ってくるのは……『鍵が無い』という何とも短い一文。
「は…? 鍵が無いって……家に入るための鍵が無いってことか? でも親はいるんだろ?」
「………」
まさかの斜め上すぎる返答が来たことに悠斗も一瞬混乱しかけるが、詳しい事情を聞いていったところ大まかにはこういうことらしい。
咲はこの近所にあるマンションにて両親と共に暮らしていたが、その両親二人ともが一か月ほど遠方に出張をすることになったのだという。
彼女の両親は咲を一人残してしまうことに大層心配していたそうだが…本人曰く家事なんかは普通にこなせるので大丈夫だと念押しし、少々の不安を残しつつも親は仕事を放りだすわけにもいかないのでそのまま家を出た。
……がしかし、ここで不幸な事故というのが発生する。
両親が仕事のために家を空けるとはいえ、咲も咲で学校があるためそのために外には出なければならない。
そうして家を出た後に……つい日頃の癖で、自宅の鍵を持って出ることを忘れたらしい。
…普段ならばすることもなかったありえないミスだが、その時ばかりはいつもとは違う状況に気が抜けていたのだろう。
そして更に最悪なことに、彼女の済むマンションは玄関にオートロック機能が付いているらしく…閉め出されれば鍵でも使わない限り開錠することは不可能。
…これに関しては心から同情する。
悠斗自身もオートロック機能があるマンションに住んでいるから理解できるが、うっかり鍵を持ち出すことを忘れてしまえばあれはどうしようもなくなるのだ。
部屋の中に同居人でもいればまだ何とかできる可能性もあるにはあるが…このケースに限ってはその手すら使えない。
両親は出張。鍵も手元に無いとなれば…自宅に入ることが出来ないというのも納得ではあった。
「……で、家に帰れないからここで呆然としてたと」
「………」
「マジかよ…でもそれって、夕飯とかどうしてたんだ?」
「……!」
「…『お金は持ってたから、それでやり過ごしてた』、ね。まぁ事情は分かったよ。…そこまでのドジを踏んでるとは思っても無かったが」
咲から大体の流れを聞いた悠斗は盛大に溜め息をつきたい気分に駆られたが、落ち込んでいるオーラを垂れ流している本人の手前それはやめておいた。
そんなことをするくらいなら、この現状を解決するための方法を考えた方が何倍も建設的だ。
(家には誰もいなくて、本人も鍵が無いから入れない……詰んでるな。誰か他のやつの家に行くっていう手も…流石に一か月は厳しいって感じか)
顎に手をやり、悠斗もこの手詰まりな状況を打破する方法がないかと思案してみるが…いくら考えても良い案など一向に出てこない。
他に頼れる相手…それこそ咲の友人なんかに頼るという手もどうかと一瞬浮かびはしたが、いくら友人とはいっても一か月連続で居候するというのは彼女の心持ち的にも厳しいといったところだろう。
そもそもその手が使えるのなら最初に使っているだろうし、ここに留まっているという事は…そういうことだ。
(となると…ここに居座り続けるのは論外だ。それをやめさせるために話しかけたってのに何も解決していない。…そうなると、取れる手は一つ……なんだがなぁ…)
…しばしの時間考えてみたが、悠斗の頭の中では解決策も…ないわけではない。
正直これなら一番手っ取り早いし、最も簡単に実行できるので一時的な避難策としてはベストな選択肢だろう。
…それでも、これを提案すればこちら側に何かの下心がありそうだと邪推をされそうで躊躇してしまうのだが…そうも言っていられないのが現在の状況。
これ以上長居し続ければ向こうも体調を崩しかねないので、これ以外の手が浮かばない以上避けようもないのだろう。
(…やっぱりこれしかない、か。まぁ嫌がられたら止めればいいし…言うだけ言ってみよう)
駄目で元々。拒否されたのならそこまで。
打開できる可能性を持つ案がこれしかないのであれば、とりあえずの案として出してみても損はないだろう。
最悪、悠斗が咲から軽く軽蔑されるくらいで被害は済む。
なので半ば諦めの境地になりながらも、悠斗は今脳裏に浮かんだ考えを提案しようとして───。
「……じゃあ本羽。一旦うちに来ないか?」
──そんな言葉を口にした。