第四八話 上映中の一幕
──モールを歩くたびにどこかしらから向けられた視線を実感する道中ではあったものの、ようやくの思いで辿り着いた映画館ともなれば流石にそれらの数も減ってくる。
周囲を見ても相変わらず咲に見惚れるように目を奪われる者の姿は確認できるが、ほとんどの者はこれから見る映画に思いを馳せて期待感を高めているといった様子。
そして当然、それは彼らとて例外ではない。
「ほい、これが映画のチケットな。…失くしたりするなよ?」
『…そんな子供みたいなことはしない。でも、ありがと』
これから鑑賞する映画のチケットを買うために待機列へと並んでいた悠斗が二人分の券を購入し終えれば、そのまま咲へとチケットを手渡す。
…その際に言われた言葉が不服だったのか彼女にはムスッとした表情を向けられてしまったものの、しっかり礼の言葉は投げかけられたので本気で怒っているわけでもないのだろう。
『お金も払う。いくらだった?』
「ん? あぁ、金は別にいいよ。今回は俺が払うから咲は気にせず受け取ってくれ」
「………!?」
だがしかし、そうしてチケットを受け取ろうとした時に咲が何気なく尋ねてきた事柄に悠斗が答えれば…驚愕したかのように目を見開かれる。
『…駄目。お金はしっかり払わないと悠斗の負担になる。それは私も嫌』
「気にしなくていいって。そもそも負担になるほどの金額でもないし、これでも懐に余裕はあるからな。…それに、今回は俺から誘ったことなんだからこういうところで格好つけさせてほしいんだよ。そういうことで…どうだ?」
「………」
悠斗が二人分の映画料金を払ったうえで咲には特に代金も求めないと伝えただけなのだが、それも彼女にしてみれば驚くのには十分すぎたようだ。
それでも彼女が言う事も分からないことは無い。
咲の性格を考えれば悠斗に一方的に己の負担まで押し付けることを好むような人間ではないというのは分かり切っているし、その証拠に自分の分はきっちりと支払うという姿勢を見せている。
……だとしても、悠斗とてそう言われた程度で引き下がるほど甘くはない。
前提として最初から咲にも払わせるつもりならば悠斗もそのつもりで動いていただろうし、彼女にも言ったが懐事情としてはさして問題も無いので彼が負担すること自体は大したことでもないのだ。
あまり触れたことはないが、悠斗は以前からとある場所にてアルバイトをしているために彼個人で自由に使える小遣いに関してはかなりの余裕がある。
加えて、両親からも家に居れないことに対する申し訳なさからか時折生活費とは別にまとまった金額を自由に使っていいと言って貰うことがあるため、どちらにせよ所持金は増えていく一方。
それに彼の場合…こういう時でも無ければ小遣いを消費するタイミングが無いとも言い換えられてしまう。
高校生としてそれはどうなのかと自分でも思わなくもないが、悠斗は普段から物欲が薄い傾向にあるため浪費するようなことはほとんどない。
せいぜいがたまの趣味であるゲームセンターに赴く程度のことで、それ以外にはほとんど金をかけない。
それこそ、こうして咲と出かける場でも無ければ…貯まっていくだけの所持金の使い道に頭を悩ませるだけである。
ゆえにここは色々な意味でも悠斗に奢らせてくれると助かるのだ。
あと、これは彼の個人的な意見になってしまうが…些細なことだとしても、今日はせっかく二人きりで遊びに来ているのだから少しは格好つけたくなるのが男心というもの。
支払いの一部を負担することで格好つけになるのかは甚だ疑問だがそういうことにしておきたい。
だから、それを素直に彼女へと伝えれば…咲は返答に困ったような。
しかしどこか嬉しくも思っているような、複雑な感情を露わにして……こくりと首を縦に振る。
『…それなら、分かった。ここはお言葉に甘えさせてもらう』
「…っ。あぁ、是非そうしてくれ……っと、もうすぐ上映時間っぽいな。もうそろそろ向かっておくか」
「………!」
返ってきた肯定の意を汲み取れば、もしかしたら断られるかもしれないと考えていた悠斗も思わず安堵の息を吐いてしまう。
幸いにも事態は彼にとって良い方向へと転がっていってくれたので、何か問題を生じさせることも無く咲へとチケットを手渡すと…もうじきで映画の上映時間になることに気が付いた。
一応残りの時間に余裕はあるものの、席を確保しておくのと映画を見るための準備を整えるために済ませておくべきことを考えれば早く向かっておいて損も無いためこのタイミングで向かってしまうことにする。
そう決めてしまえば、咲もこれから始まるひと時を楽しみにしているようで…彼から受け取ったチケットを胸に抱きながら悠斗の隣を歩いていくのだった。
◆
──辺りにはぼんやりとした暗闇が広がり、少し見渡してみようとしてもその全容を把握するのは容易ではない。
そんな空間が広がる中でいよいよ二人も待ちに待った映画は上映されており、余裕を持って席に座ったため落ち着いて鑑賞出来ている。
そして、今現在二人が見ている映画の肝心な内容であるが…素直に白状してしまうと今日見る映画をセレクトしてきたのは咲であるため、悠斗は詳細を直前まで知らなかった。
文句はない。そもそも今日彼女のやりたいことに付き合うと宣言していたのは悠斗の側なのだから、何を見ようともそこに付き添うのは当然のことである。
…まぁ、それはそれとしても映画の中身に興味を引かれるかどうかはまた別の話というわけだ。
そもそもどんな映像作品を好むかなんて人によって千差万別であるし、全てが全て好みが一致するなど奇跡的な確率でしかありえない。
なので、今回見る映画もともすれば悠斗にしてみれば退屈なものになるかと少し考えていたわけだが…結論から言えば、それは杞憂であった。
(…これ、結構面白いな。こういうジャンルはあまり見てこなかったからチェックもしてなかったけど…意外と良いかもしれない)
今彼らが見ている映画は分かりやすく言ってしまえば恋愛ジャンルに含まれるものであり、その内容もかなり王道に近い。
これまでにこういった分野の作品に触れてこなかった悠斗にとっては全くの未知の世界であり、果たして自分も見れるものだろうかと少々懸念していたのだが………。
そんな考えは全くもって無意味であった。
というのも、彼らが見ている映画はどうやら世間でも上映前から話題になっていた人気作だったらしく初見の悠斗からしてもかなり見ごたえがある。
そして肝心の中身についても、内容自体は主人公でもある高校生の少年が幼馴染のヒロインと様々な障害を抱えながらもそれを乗り越えて絆を育んでいく──という非常にシンプルなものなのだが、その渦中にある感情の揺さぶりが凄まじい。
特に幼馴染の言動は一挙手一投足の全てに彼女の激情が宿っているようで、傍から眺めているだけでも思わず目を引き付けられる程の振る舞いがそこにはあった。
(人気があるっていうのも納得だ。これだけの完成度なら注目を集めて当然だろうし…)
既に場面はクライマックスにも近く、気が付けば物語は感動的なラストを迎えようとしているのだから名作というのは本当に時間を忘れさせてくれる。
最初は好んで見られるかどうかという点を思案していたことなどとっくの昔に忘れ去り、今となっては悠斗も眼前の映画を満喫しているのだから心底そう実感する。
……しかし、だ。
悠斗は目の前の面白さに夢中になっていたあまり、ほとんど失念してしまっていたが…これはあくまで恋愛映画である。
日頃彼が見慣れているジャンルとはまた異なるものであるがゆえに、悠斗が予想していないような展開がやってくることも十分にあり得るのだということを…うっかり忘れていたのだ。
「ん…? ……っ!」
物語は既に山場を越えた終盤。
となれば当然、この長くも短く思えた流れを締めるためのワンアクションがあってもおかしくはないわけで……こういったジャンルではベタな幕引きだが見慣れていない悠斗にとっては完全なる想定外。
主人公とヒロインのキスによって終わりを迎えていく光景を前に、思わず彼も息を飲んでしまった。
…別に、だからと言って何があるというわけではない。
こういった映画であればそういうシーンがあるのは当たり前のことだし、見ている側としてもそれを心待ちにしている面だってあるのだからむしろ無ければ不満が募るくらいだろう。
……が、この場において悠斗だけはそうではない。
このジャンルに触れてこなかった身として不意打ち気味に、画面越しとはいえ男女のキスシーンを見せつけられる。
まだそれだけならばマシだったが…加えて言えば彼の隣には友人である咲がいるため、言い表しようもない居心地の悪さが積み重なってしまうのだ。
(気まずいな……いやでも、咲ならこういうのは案外見慣れてたり───?)
──それは、本当に何気なく取った行動だった。
今に至るまで隣にいることは理解していながらも映画に意識を集中させていたため、目線を向けることは無かった咲の姿。
しかしここに来て思考の乱れが動きに出てしまったのか、特に意識することも無く悠斗は横にいる彼女に目を向けて………。
「………!」
…一体いつから見ていたというのか。
偶然にも悠斗のことを見ていたらしい咲と、ばっちり視線が合ってしまった。
されど、言葉はない。当然だ。
もう終わり間近とはいえ現在は映画が上映されている最中なのだから、いつもなら使えるはずの携帯が使えず咲の言葉は届くことがない。
ただ…そうだとしても。
あるいは最初から、言葉など不必要なものだったのかもしれない。
そんな予感を確定させるかのように、今二人は薄暗い空間の中で互いのことは彼らにしか認識出来ていない状況下にある。
ここで何が起ころうとも、どんなことをしようとも。
周囲にはまずバレないだろう状況にあって……咲は少し戸惑った様子を見せながら。
──しかしながら、その直後に花が咲いたように綺麗な笑みを彼に向けてくれた。
(……っ!? …馬鹿かよ、俺は。こんな時に何考えてるんだ…!)
辺りは薄暗く、他に目を向ける対象が少なかったゆえだろうか。
その笑顔はいつも見ているはずなのに…普段より何倍も魅力的に思えてしまって。
内心、咲のことを可愛いと…彼女の異性としての魅力に気が付きかけてしまった己の心を、悠斗は必死に押しとどめていた。
…それだけは、気が付いてはいけないことだ。
何せ、今の彼らがこの関係を維持出来ているのは…咲が彼のことを信頼してくれているから。
たとえ彼女が傍に居ようとも、妙なことをしてくるはずもないと信じてくれている咲との関係性が成り立っているからこそ繋がっているものなのだ。
だというのに、ここで悠斗が咲へと想いを寄せるような事態になってしまえば…今の関係は破綻することが目に見えている。
だから、今胸の内で覚えかけた感情には見ない振りをする。
幸いにも反射的に熱くなった頬は咲には見られていないだろうし、返答として彼女には苦笑を返しておいたので彼の胸中までも読めたわけではあるまい。
ゆえにここは安心して───悠斗もようやっと終幕を迎えようとしている映画へと再び目を向けるのであった。
──だが、視線の先を隣の彼女からスクリーンへと戻した悠斗はこの暗闇ゆえに気が付けなかった。
彼の隣にいた少女の瞳が、何かを見つめるようにして潤んでいたことも。
そして咲の頬もまた……熱を持ったように、赤らんでいたことも。




