第三話 立ち位置の差
(………眠い。昨日の睡眠時間が足らなかったか…?)
翌日。咲と妙な邂逅を果たした悠斗は……先日の奇妙な出来事を経たにもかかわらず、今日は普段と何も変わらないいつも通りの日常を送っていた。
まぁそれはそうだろう。
いかに彼女との出会いがあったとしても悠斗の日常生活が劇的に変わるわけでも無いのだし、特に当たり障りもなく今日一日が終わっていくだけだ。
そんなことを考えながらまだホームルームが始まる時間ではないため、騒がしさに満ちた教室の中で彼は一人適当に時間を潰している。
…なお、この教室内で悠斗と暇のある時間を共に過ごしてくれるような友人はいない。
いや、正確に言えば会話ができる友人は何人かいるのだが…その誰もがどちらかと言うと広く浅い付き合いであるため、いつでも関わっているわけでも無い。
必然的に悠斗は一人で過ごす時間が多くなり、こういった時には大抵時間潰しも兼ねて授業の復習をしていることがほとんどだ。
そんな努力の甲斐もあって今では学校の成績だとかなり上位に食い込んできているので、一概にこの現状が悪いとも言い切れないのが難しいところである。
(…何か喉乾いてきたな。時間もあるし、飲み物でも買ってくるか)
ホームルームの開始までまだ十数分残っているが、逆に言えばその程度の時間では勉強をするには少々余裕が足りない。
だったらこの時間は暇なだけなのかとも思うが…ちょうどタイミング良くと言うべきか、少し喉も乾いてきたので潤すためにも自動販売機へと向かうこととした。
さほど距離も離れていないし、暇つぶしとしても悪くは無いだろう。
「んー……どれにするかな。まぁ悩んでても仕方ないし…適当にコーヒーにでもしておこう」
昇降口付近の自動販売機にまでやってきた悠斗は相も変わらず騒がしさに包まれている校舎に耳を傾けつつも、眼前に広がっている飲料の数々からどれを選ぼうかと首を捻っていた。
そこまで飲み物に対する好き嫌いが無い身としては、正直どれを選んでも大差はないのだが…こういうのは選ぼうとする時間にこそ意味がある。
なのでそこそこの時間を自身が購入する飲み物の選別に費やしていたわけだが、結局最終的に選んだのは普段から口にしているコーヒーだった。
数少ない好みとしても悠斗は甘すぎるものは避ける傾向にあるため、いつもは程よい苦みを含んだコーヒーを飲むことが多い。
今日もその例に漏れず、つい普段の癖も出て日頃と変わらないものを選んでしまった。
…まぁ朝から続いていた眠気覚ましの一環とでもしておけば理屈の上でも筋は通るだろう。
誰にしているのかも分からない言い訳だがとりあえずそういうことにしておく。
「んっ……ふぅ。やっぱここのコーヒーは外れが無いよなぁ…苦味がちょうどいい塩梅だ」
今購入したばかりではあるが、このコーヒーもわざわざ教室に持って帰ってまで飲むほどの内容量でもないためこの場で飲み干してしまおう。
どうせここで飲もうがあちらで飲もうが飲み終えたら空となった缶を捨てに来なければならないのだから、そこの二度手間を思えばここで済ませた方が良いという判断である。
そういった考えもありながら喉を鳴らしながらカフェインを摂取していけば…元々中身もそこまでの量ではなかったのだろう。
すぐに流し込んでいたコーヒーも底を突いてしまい、残されたのは空き缶となったゴミだけであった。
「一杯飲むだけでもかなりスッキリした感じはするな。さて、もうここに用事もないし、そろそろ戻っておくか……うん?」
傍にあった空き缶を捨てるためのゴミ箱へと缶を突っ込んでおけば、本格的にここに留まっている理由はなくなってしまった。
だったらやることこそないが、もう教室まで戻ってしまおうかと考えたところで…ふと悠斗の視界に目を引く存在が入ってきた。
「そうなのよ。だから今日通学路の途中で危うく転びそうになっちゃって…って聞いてるの、咲?」
「………」
「本当? そんなこと言って、実は別のこと考えてたりするんじゃないの?」
「………!」
「…そこまで言うんだったら、まぁ今回は信じてあげるわよ。でも今日だけなんだからね?」
そこにいたのは、ちょっとした塊となってこちらへと近づいてくる女子の一団。
和気あいあいとした雰囲気を前面に押し出しながら明るい空気を周囲に振りまく彼女らだが…悠斗の意識は、そこのさらに中心。
一人の女子と特に仲を良さそうに会話を……一方がもう一方にひたすら話しかけているだけだが、会話らしきものを繰り広げてる風景にこそ意識が引っ張られた。
それはあの集団のより中心にいる人物、咲である。
つい先日直接言葉を交わしたということもあって妙な縁でも出来てしまったのか、普段なら大して気にも留めないはずなのに何故か今日に限ってはどうしても気になってしまう。
当然、向こうは会話に夢中になっているようなので悠斗のことなど意識の内にもないのだろうが…別に反応としてはそれが普通なので何かを思うこともない。
(…隣にいるのは、高西だったか。本羽と仲が良いって噂は聞いてたけど…それに違わずって感じだな)
思わず目を向けてしまったので女子の集いにも意識を向けられるが、その中でも一際存在感を放つ咲。
そしてその隣に立っている女子もまた、彼女に決して劣らないレベルで魅力的な容姿を持っているので、周囲から集まっている視線が凄まじい。
彼女の名は高西里紗。
こちらも咲と同様、悠斗と同じクラスメイトであり直接話したことこそないが知名度という意味では咲にも負けてはいない。
咲はどちらかと言えば小動物というか、マスコット的な愛らしさと保護欲を刺激してくるフォルムゆえに人気が出ていたが里紗は美人寄りの見た目だ。
濃い目の茶髪にまとめられたセミロングの髪型からは彼女自身の活発的な性格も垣間見えるため、クラス内では時折リーダー的な立ち位置に回ることもある少女である。
そんな里紗は……どういった経緯なのかは不明だが、普段から咲とよく絡んでいる光景が確認されるため美少女同士の貴重な接触という事で注目されることが多い。
巷の噂では、うちの高校の二大美少女がこの教室に集まっているなんて言われることもあるとかないとか……真偽は不明だが。
(…まぁ俺には関係ないわな。あんな人気者とお近づきに…なんて考えるだけ無駄だし、そもそも近づきたいとも思わん。それより今日のバイトの時間を確認しておかないと…)
だが、悠斗の意識が向けられるのはそこまで。
どれだけ彼女たちに周囲の目線を独占するような魅力があろうとも、思わず守ってやりたいと考えてしまうような愛らしさがあろうとも…所詮は別世界の住人。
クラス内でも目立つ立場にない悠斗では不用意に接触しようとしたところで冷たい目を向けられるのがオチだろうし、そんなリスクを背負ってまでやろうとも思わない。
昨日の咲との対面に関しても、あれは半ば事故のようなものであり今後自分たちの間で何があるというわけでも無いのだ。
そんなことに意識を割くくらいならこれからの予定に時間を使った方が余程こちらのためにもなる。
悠斗の思考はそんなものなのだ。
なのでそれ以降はこちらもあの女子の集団に目を向けるのは中断して、とっとと教室へと戻るべく足を進めていった。
───その歩みを、ジッと見つめる目があったことには彼も気が付くことは無く。