第三五話 目撃者
「…なぁ、マジで見て行くのか?」
「当然でしょ。ここで私がしっかりと観察して、水上が咲に対して妙なことを企んでいたらしっかりと対処しておかなくちゃ…」
「その疑い、まだ晴れてなかったのか…」
「…とりあえず、家の中少し見させてもらうわね」
──里紗が「悠斗の家を見て行く」と高らかに宣言した後。
堂々と口にされた瞬間は何を言っているんだと呆気に取られたものだが…その言葉が嘘でも虚勢でも無かったと思い知らされたのは直後のことである。
…まさかあの言葉通り、彼らが放課後の時間を共にしているマンションまでついてくることになるなんて思っていなかったから驚かされたものだ。
だが悠斗と咲にしても…特に彼女が二人の家にまで付き添ってくること自体は拒否もしなかった。
無論、誰でもやってくることを許可したわけではない。
今回は里紗がこちらの関係性に勘付いたことから詳しい事情を教えることになったという経緯があったからこそであり、それ以外の者は依然として招くつもりもないし教えるつもりもない。
里紗についても、彼女がこの件について気が付けたのは咲と関わりが深かった親友だったからであって自分以外の者は気づく様子も無かったと語っていた。
なのでこれからは第三者にバレる心配も無いだろう。
その辺りの事情を加味して、彼女だけ例外ということで家にやってくることを許可したのだ。
…まぁ、許可を出さなければ無理やりにでも家の場所を突き止められそうだという恐怖心があったからというのも否定はしないが。
『…ごめんなさい、悠斗』
「…いや、どうして本羽が謝ってるんだよ。そっちが謝るようなことなんて何もないだろ?」
ただ、そんな中にあってこの場にいるもう一人の人物……他の二名と比較しても明らかに群を抜いて背丈の小さな少女である咲は非常に申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
彼女がそのような顔をする原因は…語らずとも明白であろう。
『だって、里紗がここに来たのは私が原因でもある。元々学校の人には誰も教えないって約束だった。なのにそれを破っちゃったから…』
「…ふぅ、あのな。別にそこは気にしなくてもいいんだよ」
「………?」
咲が浮かない顔をしながら気にかけていたのはやはり里紗をここに招く要因に自分がなってしまったことだったようで、いつになく気分を沈めてしまっていた。
……それでも、悠斗は特にこのことを問題だとは捉えていない。
何故ならば…これは咲が故意に招いたわけでも無ければ意図してこの状況を作り上げたわけでも無い。
「高西のことに関しては本羽だけの責任ってわけじゃないんだ。強いて言うならこれは…事故みたいなものなんだし、防ごうと思って防げた事態でもない」
『で、でも…ここのことがバレたのは私の責任で…』
「でもも何でもない。なら逆に聞くが…仮に俺と本羽の立場が逆だったとして、同じことが起きたとしたらお前は俺を責めるか?」
『……それは、責めない。仕方のないことだから』
「だろ? ならそれが答えだよ。幸い高西も本羽の不利益になるようなことは言い触らさらないだろうし、これからまた気を付ければいいさ」
「…! ……」
今日の件に関しては二人にも予想など出来なかった突発的な事故にも近く、断じて咲一人の責任なんてことはないのだ。
あえて言うのなら各々のタイミングが悪かったというだけであり、特定の誰かだけが責任を負う必要は皆無。
そのことを丁寧に説明してやれば…ようやく彼女にも納得してもらえたのだろう。
ぱちくりと瞬きを繰り返す瞳にも安堵を感じさせるような光が宿り、ふにゃりと崩された口元からは悠斗の言葉を素直に受け止めてくれたという事実を実感させてくれる。
数秒前までとは態度が雲泥の差であるが、やはり咲はこうでなくては。
いつ何時だろうとマイペースな言動を見せつけて、気が付いた時にはいつの間にかこちらの心の緊張など溶かしてくる。
言葉など無くとも、ただ彼女がそこにいるだけで不思議と心が落ち着いてくる気さえしてくる。
そんな彼女が浮かない顔など…似合わないにも程がある。
だから悠斗もようやく笑みで返してくれた咲を見て微かに息を吐き、そっと…咲の頭を優しく撫でた。
「………!」
「あぁ…嫌だったか? それなら止めるけど」
『…大丈夫。もっと続けて』
「…了解」
咲を慰めるという意味合いでも、安心させるという意味でも。
以前に一度経験しているためさほど緊張はしなかったが、静かに彼女の髪を優しく撫でれば…その選択肢は正解だったらしい。
瞳をそっと閉じながら悠斗に身を委ねるかのようにする咲を眺めつつ、彼もまた彼女を決して傷つけないように細心の注意を払いながら継続する。
何者にも邪魔されない、二人だけの時間。
いつまでも続きそうなこの穏やかな時間を───されど、不意に耳のどこかで聞こえてきた足音が彼らの意識へと入り込んできた。
「ふむ…意外と防犯面はしっかりしてる建物なのね。部屋は少し狭いけれど…まぁこのくらいが普通なんでしょう。待たせたわね、二人とも何して────は?」
「………あっ」
「………?」
…リビングへと繋がる扉を開いて入って来たのは、それまで家の全体像を見せてもらうということで少しの時間場を後にしていた里紗である。
彼女は悠斗と咲が長く時間を共にしているという家の様子を確認しておきたかったようで、それが済んだのか独り言を呟きながら戻ってきていた。
が……そのタイミングは最悪である。
何せ、硬質的な音を響かせながら開け放たれた扉の先にて里紗が視界に捉えたのは悠斗が咲の頭を優しく撫でまわしているという光景。
二人にとってはただのコミュニケーションの一環でしかなくとも、傍から見ればどう考えても単なる友人同士でやるようなことではない。
なおかつ、撫でるという行為を享受している咲がそれを当たり前のように許容し、さらに言えば……それに対して彼女が何とも喜んでいるようなリアクションをしていたのもマズかったかもしれない。
悠斗に撫でられている間、その口元はこれ以上ないほどに緩められていた咲の表情。
その笑みは誰がどう見ようとも…彼のことを信頼しているという証。
「……ふ、ふふふ…」
「…た、高西?」
…だがそれでも、その光景を直視した側がそれをどう捉えるかはまた話が変わってくる。
それこそ、現状で誰よりも親友である咲を大切に思い……彼女の身を案じている里紗がこれを目にしてしまえばどのようなことを思うのか、なんてことは言われるまでもない。
…不穏な笑い声を出し始め、心なしか全身から漏れ出しているオーラがどす黒いものになりはじめた彼女の思考がどんなものかなんてことは…正直考えたくないが。
それと、ここで下手なことを口にすれば己は血の雨を見ることになるという嫌な確信が悠斗にはあった。
血の雨を出す原因が何なのかは、想像もしたくないところである。
「…あー……二人とも。こんな状況で聞くのも野暮だとは思うけれど…何をしているのかしら?」
「………お、落ち着け高西。一旦冷静になった方が…」
「私はいつだって冷静よ? もうこれ以上は無いんじゃないかってくらい頭はクールダウンしているわ。でも、そうね…」
…嘘である。里紗の態度は明らかに冷静さなんて欠片もない。
少し見れば彼女の内心が噴火直前の活火山程度には荒ぶっているのが手に取るようにわかるというのに…言葉だけは落ち着いているように見せかけているのが逆に怖い。
なお、咲の方も流石にこの状況はマズいと思ったのか今は悠斗の傍らでオロオロとしている。
もしも出来ることなら彼女からも弁明してくれると助かったのだが…そこまで求めるのは酷というもの。
それに、今この時を持って…咲の言葉すらも無意味になると悠斗は悟ってしまったのだからどうしようもない。
「…水上。あんたはとりあえず……一発ぶん殴らせなさい!」
「ちょっ、待て! 誤解だ誤解!」
「何が誤解だって言うのよ! 問答無用!」
鬼気迫る雰囲気で握りこぶしを向けてきた里紗の動きを回避しながら、彼の家は一時乱戦状態となった。
聞く耳も持たないといった様子で怒りを露わにする里紗と、その感情を一身にぶつけられながら何とか回避する悠斗。そして何とか場を鎮めようとフォローに回る咲。
…混沌極まりない場が再び落ち着きを取り戻すのは、それから数分後のことであった。




