第三三話 動かぬ証拠
悠斗を呼び出した張本人、里紗から想定外に過ぎる追及を受けてしまったが…そんな追撃はまだ終わらない。
下手な言い逃れで済ませることなど許さないとでも言わんばかりに、鋭い眼光を向けてくる彼女との距離はさらに縮まり……逃げ場さえも消え失せた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! まずそもそもが誤解だ! 俺と本羽はそんな関係じゃなくて…!」
「だったら何だって言うのよ! あの子の連絡先を持ってる時点であんたが怪しいのは確定なんだから、さっさと何を企んでるのかを吐きなさい!」
「だから、企んでるなんてこともないってのに…!」
もはや里紗の中で悠斗の印象は自分の親友を狙う軽薄な男といったところなのだろう。
手段や目的が不明瞭であったとしても、自分の知らぬ間に咲と距離を近づけていた人物に対して過剰に警戒心を高めているからこそ…ここまで話は拗れているのだ。
「…いい? 咲はね、自分で喋れないからそこに付け入ろうとする輩が後を絶たない。今は大分マシになったみたいだけど…ただでさえあの子は可愛いから、そこに釣られた連中が擦り寄ってくる。私はそんな連中からあの子を守ってあげないといけないの」
「………!」
…もう、この状況で悠斗が何を言おうと信じてはもらえないだろう。
確かに里紗の言っていることも正しいのかもしれない。それは真実だったはずだ。
咲は自分の言葉で話すことが出来ないし、その点につけこんで彼女との距離を縮めようとした者は確実にいたんだろうから。
もちろん、悠斗はそのようなつもりは微塵もない。
咲と関わり始めたのは完全なる偶然だし、時間を共有するようになってからも彼女のことを可愛らしいと思う事こそあれど…それはマスコットを愛でる感覚に近い。
恋愛感情など持ち合わせてもいないし、そこは向こうだって同様だ。
…だというのに、一方的な思い込みだけで自分たちの関係を決めつけられ、果てには咲に疚しい目的でもあるのだろうと言われている。
それに関しては……悠斗も、少し言い返さなければならないと思った。
「…高西、俺は本羽に対して何かを企んでるなんてことはない。そこは断言できる」
「どうかしら? 少なくとも私から見れば…あんたも今までと同じく、怪しい相手としか見えないわよ」
「だからそれは………」
ただし、言い返したところで…それで相手を納得させられるかどうかはまた別の話。
少なくとも里紗には通用せず、相も変わらず場の状況は平行線のまま動かない。
…向こうの言い分も、理解できないことはないのだ。
言い方がきついために印象がずれてしまいそうだが、彼女の言葉の意図を汲み取ればその内容は徹頭徹尾咲のためという点に集約される。
鋭くも真剣な眼差しだってそうだ。
こうも睨まれてしまっているのも、向こうの認識において悠斗が咲をよからぬ目的を持って近づこうとする輩だと誤認されているからに過ぎない。
何をするにしても、まずはその誤解を解かなければ話が進められることは叶わない。
ゆえに何とかお互いの間にある認識のずれを正そうとするが……悠斗にしても、里紗への弁明として語ることが出来る内容は限られている。
まず、咲と過ごす家を同じくしていることは間違っても口に出来ない。
彼女の疑念を晴らしたいのなら真っ先に伝えるべきことなのかもしれないが、だとしてもこれは少し周囲へと与える影響が大きすぎるからだ。
これだけ咲を大切に思っている少女ならば、おいそれと彼女の不利益になる情報を漏洩させることも無いとは思いたいが…悠斗の視点からすれば里紗は信用していいかどうかも判断がつけづらい。
よって、放課後の過ごし方については明かすわけにはいかないのだ。
……誤解は解きたいが、そのための弁護材料については一切語れない。
もうこの時点で詰んでいると言っても過言ではないだろう。
ではどうしたものかと考えるものの…要点をぼかして伝えてしまったためか、里紗は悠斗への疑念をますます強めてしまったらしい。
全身から溢れる威圧感はさらに強くなり、ただでさえ近かった距離は今や接触してしまいそうなほどに近いものへと変貌している。
…打つ手は無しか。そう思った時。
──不意に悠斗を壁へと追いやっていた里紗の腕が、小さな掌によってパシッとわしづかみにされた。
「……え?」
「ん…? …さ、咲っ!? 何でここに…!?」
『…里紗。悠斗に何やってるの』
その腕自体には大した力が籠っているわけでも無い。むしろ非力なもので、振り払おうとでも思えばすぐにどかせる程度。
…が、そこに立っていた人物の正体こそが今の彼らにとっては重要だった。
背丈は見るからに小さく、どれだけ高く見積もっても悠斗と里紗の肩にすらギリギリ届くかどうか。
そして腰にまで届く濃紺色の髪は美しい艶を保持しており、彼女の魅力を際立たせ…見る者全ての視線を釘付けにさせる顔立ちは、抗いようもない愛らしさを兼ね備えた幼さを強く感じさせてくる。
小さな片手には携帯を持ち、自らで打ち込んだのだろう文字を見せつけながら……酷く不機嫌そうな表情を隠そうともしていない。
ここにいるはずがない咲が、そこには立っていたのだった。
「ど、どうしてここに咲が……誰にも言ってなかったのに…」
『それは今はどうでもいい。…それより里紗、悠斗から離れて。距離が近い』
「あ、えぇと…ごめんなさい…」
何故咲がここにいるのか。先ほどまで剣呑な雰囲気を全開にしていた両者の思考は奇しくもこの時ばかりは一致していたはずだ。
…ただし、彼女からしてみればそんな彼らの困惑など知ったことではない。
場の雰囲気に流されることなく淡々と己の言うべきことを伝えてくる咲の一言一言には、抗おうとする意思すら湧き上がることも無いほどの力強さがあるようで…ついさっきまで威圧感に溢れていた里紗ですら、今は大人しい子犬のように指示に従っていた。
悠斗も悠斗で、ようやく里紗の圧迫から解放されたことでほんのわずかに息苦しさからは解放されたが…それよりも聞きたいことが山のようにある。
『…悠斗、ごめん。里紗が迷惑かけたみたい』
「いや、まぁ……別にそれはいいんだけどさ。それより…何で本羽がここに来てるんだよ」
「そ、それっ! 私も聞きたい!」
『それも説明する。……里紗、少し静かにしてて』
「うっ……は、はぃ…」
(……なんか、高西に対しては本羽の当たりがいつもより強いのは気のせいなんだろうか)
咲から悠斗に対して、里紗が迷惑をかけてしまったと謝られてしまったが…別にそこはいいのだ。
確かに急展開の連続で驚きはしたものの、ある意味あれは言いがかりをつけられただけで実際に迷惑を被ったというわけでもなかった。
もしもあれであることないことを噂され、周囲の悠斗に対するイメージを落とすなんて真似をされていたりしたら…流石に許せなかっただろうが、あれくらいなら全然許容範囲内だ。
……それと、咲が来た途端に急速に勢いを弱らせて縮こまってしまった里紗の姿が少し哀れだったからというのも理由としてはある。
気のせいか咲の言葉も少し強い気がするし、何となく……咲と里奈、二人の間にある関係性も見えてきた気がする。
…ちなみにその後、咲からここにやってきた経緯をまとめると大まかにはこのようなことだったようだ。
まず、彼女は悠斗から『帰宅が遅くなる』という旨の返事をもらった後にそこまでは不自然にも思わずそのまま帰ろうとしたそうだ。
なのでいつものように親友である里紗を帰宅に誘おうとして……ふと、彼女の存在が見えないことにも気が付いた。
…ここで初めて、咲は何か嫌な予感がしたと語る。
自慢でもないが里紗は常日頃から学校でのほとんどの時間を彼女と一緒になって過ごしている。
もちろん時と場合によっては別行動をすることもあるので必ずしもずっとというわけではないが、そういった場合にも里紗は咲に用件を報告してから離れていくのがいつものことだ。
だというのに…今日に限ってはそれすらも無しに彼女の姿が見えない。
そこに加えて……ふと悠斗から送られてきた、『呼び出しをされたから帰宅が遅れる』という文言も同時に思い浮かんできた。
…ありえない仮定だというのは分かっている。だとしても…そこで咲は、自分の親友が悠斗と自分の関係性に勘付いたのではないかという考えに至った。
そうと仮定すれば後の話は単純だ。
常に咲にべったりでありながら、彼女のことを大切な親友だと断言してくれている彼女なら…自身へと近づいてくる不埒な相手に対して容赦はしない。
無論、それが疑わしい相手という段階であっても、だ。
普段ならそれもありがたいし、気遣ってくれることにも感謝はしている。
…ただ、里紗の場合は咲への愛しさが溢れるばかりに暴走しがちな傾向もあるため、その気遣いが巡り巡ってトラブルを誘発することもあった。
もしや今回もそのケースではないかと思い至った咲は校内のあちこちを歩き回り、彼女を探し……そして見つけた。…見つけてしまった。
距離が離れていたために自分の存在には気が付いていないようだったが、声量が大きかったために会話内容は丸聞こえ。
そこから聞こえてきたのは…悠斗が自分によからぬ目的を持って近づいてきた輩であり、なおかつその事実を疑いもしていない親友の声。
……既にそれを聞いただけで我慢の限界を迎えた咲は、盛大な勘違いをしている親友へと制裁を下すために場に割って入った……というのが事の顛末とのことだ。
「……つまり、俺は高西の暴走に巻き込まれただけだと」
『その通り。里紗は悪い子ではないけど、たまにこうやって勝手な思い込みで動くところがある。…悠斗、ごめんなさい。ちゃんと釘を刺しておくべきだった』
「うぐ……っ!」
一通り話を聞き終えた悠斗は大体の流れというものを理解し、どうやら自分は厄介な事故のようなものに巻き込まれただけという事実を咲から知らされた。
彼女も彼女で…こういった事態は初めてというわけでもないのだろう。
どこか顔には呆れの感情を滲ませながら、自らのミスを指摘され続けて居心地を悪そうにしている里紗を見つめていた。
…そんな里紗はというと、自分が良かれと思ってやっていた行動が全て裏目に出ていたというのだからその気まずさだって半端なものではないのだろう。
よりにもよって咲から呆れられているというのも、彼女を追い詰めている一因に違いない。
「……た、確かに今回は私が悪かったわ。水上も…ご、ごめんなさい…」
「…あぁ、うん。まぁ…実害が無かったし気にしてないからいいさ。ただ次からは気を付けてくれれば───」
「で、でもね! それでもまだ聞きたいことはあるわ!」
『……今度は何?』
先ほどまでの威勢はどこへやら。
借りてきた猫とでも表現出来てしまいそうなほどに意気消沈した様子の里紗であったが、このままでは空気に呑まれると思ったのか…何とか気を持ち直して言葉を続けてくる。
そんな彼女が聞きたいこととは、一体何だと言うのだろうか。
「咲……あなたどうして、こんな男を名前で呼んでるの! そんなに親しくしてるのは流石に見過ごせないわ!」
(……あっ、そういえば言われてみればその通りだな)
…里紗が次に指摘してきた点は、確かに彼女の立場からすれば思い至って当然の疑問。
今までは悠斗本人への尋問と彼への疑念が強かったために言えなかったのだろうが、咲までもがやってきてしまった現状であればそこに考えが至るのも無理はない。
当たり前のように悠斗のことを下の名前で呼び、それを当然のように受け入れている悠斗。
里紗の中で咲が男子とそれほど関わることが無かったという発言が真実だと言うのであれば…それもまた信じがたいことなのだろう。
何せ、異性を名前呼びするともなればそれなりに親しき間柄であるのが一般的だ。
友人知人、恋人など関係性はどれでもいいが一定値以上の親密度があることは確実。
だから里紗も引っ掛かりを覚えたのだろうし、悠斗もそれについてはどう誤魔化したものかと頭を悩ませ………。
……それよりも早く、咲がこのようなことを言って質問に返答した。
『それは当たり前。今の私は悠斗の家でお世話になってる身。だったら名前で呼ばせてもらうくらい普通のこと』
「……ちょっ!? 本羽!?」
「…………はぃ?」
……それは、何てことも無さげに告げられた一文。
しかしながら、悠斗と咲の間にある秘密を赤裸々に暴露する……何よりの動かぬ証拠であった。




