第三〇話 喜びの大小
放課後にゲームセンターに寄り道をしたことで少し帰宅するのが遅れてしまった悠斗であったが、その遅れを取り戻すためにも足早に帰れば既に玄関先には咲の靴が置かれている。
どうやら彼女は悠斗よりも先に帰っていたらしく、リビングからは微かに良い香りが漂ってくるのでおそらくは料理をしているのだろう。
だったらタイミングが良かった。
これで悠斗の方が先に戻っていたら待ち時間が発生していたはずなので、それは少々もどかしくもある。
「ただいまー…っと。本羽、先に帰ってたんだな」
「…………!」
なので悠斗もそのまま靴を脱いで廊下を進み、リビングに足を踏み入れていけば予想通りそこには咲の姿がある。
キッチンにて見慣れたエプロンを身に纏いながら髪を一つに結い、当たり前のようにここにいる雰囲気からはここが他人の家なんて事実を全く感じさせないくらいだ。
そんな彼女は悠斗が帰ってきたことを知るとこれまた喜びのオーラを全身から醸し出し、調理の手を動かしながらも笑みを向けてくれた。
…ただでさえ容姿が抜群に整っている咲から向けられる満面の笑み。
もう何度見たかも分からない上に、彼女に対してそんな感情など抱いていないというのに…やはり咲ほどの美少女が浮かべる笑顔というのは破格の威力を有している。
何だかそれを見続けていれば思考がおかしな方向に偏りそうだったため、ふっと視線を逸らすと意識を切り替えて彼女に声を掛けていった。
「すまん本羽、今って時間あるか? 無理そうなら後でもいいんだが」
「…? ……!」
「…そうか。ならちょっとだけこっち来てもらえると助かる」
今の彼女の様子を見れば料理をしていることは明らかなので、もしかすれば邪魔になってしまうかという懸念も湧き上がってくるが…事実かどうかは別にして今なら中断しても問題はないらしい。
ほんの少しだけ悠斗の呼びかけの意図が分からずに困惑するような素振りこそ見せたものの、そこは用事を聞けば良いと思ってくれたのかエプロンを外すとちょこちょことした動きで彼の後ろをついてくる。
彼らが向かう先は普段から時間を過ごす場として活用されているソファであり、悠斗がそこに腰掛ければ咲もそれに続いてちょこんと座っていく。
ここまで来てしまえば…後はもう渡すだけだ。
『悠斗、何か話すことでもあった? そっちから呼ぶなんて珍しい』
「あぁいや、今回は話すとかじゃなくてな…ほら。これを本羽に渡そうかと思って呼んだんだよ」
『……これは?』
そう言って未だに流れが掴めていないのか、疑問符を頭に浮かべる咲を横目にしつつ悠斗は…ソファのすぐ近くに置いていた紙袋を彼女へ軽く手渡す。
これの中身はお察しの通りつい数十分前に寄って来たばかりのゲームセンターの景品が詰められており、持ってみれば分かるが中々の重量がある。
なお、渡されても咲はまだ事態が飲み込めていないのか紙袋を受け取りつつも顔には混乱の情が見られる。
「実はさっきまでゲームセンターに行って来たんだけどさ、その時に獲った景品なんだよ。よかったら貰ってくれ」
「………!?」
「ん? 『これ、全部景品!?』って…そうだよ。そんなに驚くことか?」
強く困惑したように紙袋を受け取っていた咲だったが、その中身の内訳を聞くと同時にさらにそれらの感情は強まったように思える。
主に彼女が困惑している原因としては、見せられた文字から察するにパンパンに詰め込まれた袋の中身全てがゲームの景品であるという事実らしい。
…まぁ、無理もない。
普通ならこれだけの量を持ち帰ろうとすればどれほどの金額を浪費したのだという話になってくるし、きっと咲の思考としてはとんでもない金額を貢がれかけているという点に至っているのだろう。
もちろん実際は悠斗もそれほど莫大な金額を投入し続けたわけではなく、ほとんどの景品はあっさりと獲得したために合計だと三〇〇〇円に届くか届かないかといったところだ。
「別にそこまで金かかったわけじゃないし、こういうのも割と得意だから偶にやるんだよ。ただ俺の場合って…ぶっちゃけ景品狙いって言うよりもゲームを遊ぶことを重視してるからさ。こういう物の後始末って困るんだ」
「………」
「だから気に入ったのがあったら好きなだけ本羽にやる、って話だ。遠慮なんてしなくていいし、そっちが気になるって言うなら今までの礼も兼ねてってことにしておいてくれ」
『……分かった。じゃあ、これは私がもらう』
「是非ともそうしてくれると助かる。俺が持ってても宝の持ち腐れだしな…」
金額的にも悠斗の負担にはそれほど重いものではなく、たまの趣味としてはむしろ軽い部類に入る。
そもそも咲にも語ったが、悠斗にとってゲームというのは遊ぶ過程を重視しているものであって景品そのものには大した価値を感じていないのだ。
だからせっかく獲得したとしてもその後の扱いは雑になってしまうことが多いし、そうなるくらいなら咲の手元に渡った方が景品だって喜ぶだろう。
『でも、こんなにいっぱい…何が入ってる?』
「ほとんどはぬいぐるみだな。動物だったりキャラクター物が狙いやすそうだったから、そこら辺を重点的にやってきたんだが…」
「…………っ!」
「おっ、そういえばそんなものもあったな…どうだ本羽? そういうのってお前は好きだったり───本羽?」
…だが、そんなことを考えつつも咲と会話を重ねていた悠斗の言葉は、ある時を境に途切れることとなる。
というのも、咲がゴソゴソと中身を探るようにしながら小さな掌を紙袋へと突っ込み、その中に押し入れられていたぬいぐるみを一つ取り出した途端……明らかに眼前のマスコットの魅力に魅入られているのだ。
彼女が取り出したのは、悠斗が適当に選出してきた動物のぬいぐるみの一つ。
デフォルメされた犬をモチーフとしたかのような風貌に、どうしてかやたらと丸っこいフォルム。
特徴を切り出せばそれだけ。
…だというのに、咲はそれを見た瞬間に両手でその犬を抱えながら瞳を眩くキラキラと輝かせている。
誰がどう見ようとも気に入ってくれたことが一目瞭然なリアクション。
送った側としても、それだけオーバーな反応をしてくれるならプレゼントした甲斐があるというものだ。
──だが、そのような微笑ましい光景を目にしていたからこそ悠斗は少々油断していた。
咲にしても彼女が気に入るぬいぐるみを渡されたことで少なからずテンションは高まっていたらしく…抱え上げられた犬を引き寄せたかと思えば、そのままの流れで彼女は強く抱きしめながら頬擦りをし始めた。
(………っ!)
…悠斗の贈り物は、余程気に入られたのだろう。
ぬいぐるみを抱きしめた上で蕩けそうなオーラを全開にしながら頬を擦り合わせる姿なんかを見せられればそれはよく伝わってくるし、言葉にせずとも理解出来る。
……ただし、その感情は少し大きすぎたのかもしれない。
見るからに幸せだという雰囲気が全開の咲と、そんな彼女に抱きしめられるぬいぐるみが合わさった光景。
正直言って、可愛い要素が集まりすぎているがゆえに……微笑ましく眺めていた悠斗の意識も少なからず感化されてしまうほどには目に毒な景色だ。
今も尚ぬいぐるみを抱きしめ続ける咲の姿は…とても可愛らしくて。
それこそ、無意識下で思わず頭を撫でてやりたいなんてことを考えてしまうくらいには魅力的なものだったから───。
「………?」
「……あっ」
──気が付いた時には、もう遅い。
あまりにも魅力に溢れすぎていた咲の姿を前にして意識せずに彼女の頭へと手を置いていた悠斗は、突然の事態に疑問の目を向けてくる咲を見て初めて自分がしでかしたことを理解させられた。
「…わ、悪い! その、えぇっと…いきなり頭なんて触られて不快だったよな。ただ何て言うか…本羽が可愛かったから撫でたくなったというか…」
彼女の許可も無しに咲の身体へと触れるという愚行。
普通なら軽蔑されても不思議ではない失態を犯したのだと彼が理解すれば、謝罪の言葉を即座に並べていくのは当然のことであった。
「…と、とにかくすまん! 突然本羽の身体に触るような真似して…!」
『……別に、悠斗なら嫌じゃない。むしろもっとやってくれていい』
「………え?」
……が、そんな彼の謝りも咲の言葉一つで一気に吹き飛ばされることとなる。
全くもって想定外の流れ。
大して距離が近いわけでもない男子から頭を撫でられなどすれば、本来は激怒されるか拒否されるのが当たり前だというのに…返ってきた言葉はその真逆なのだから今度は悠斗の方が混乱させられてしまう。
「…い、嫌じゃないのか? 自分で言うのも何だけど、頭を撫でられるなんて…」
『もちろん、他の人ならちょっとは嫌だ。でも、悠斗は大丈夫。撫でてもらえたら嬉しい。それとも悠斗は…私に触るのは、嫌い?』
「そ、そんなことは無いけど……だったら、お言葉に甘えて…」
「…………」
(…これで、いいんだよな? 女子の撫で方なんて正解も分からないぞ…)
試されるように、されど懇願されるように………。
彼女の方からやってほしいなどと言われれば、こちらが断る理由なんてゼロになる。
だから今度は先ほどまでとは異なり、きっちりと無意識にではなく彼の意思で咲の頭に手を持っていき…そっと艶やかな髪を撫でていく。
すると、相変わらずぬいぐるみを抱きしめたまま悠斗に頭を撫でられた咲はというと…どうしてか、心地よさそうに瞳を閉じればこちらに身を委ねるかのように身体を倒してきた。
(っ! いくら何でも無防備すぎるだろ…いや、こっちのことを信頼してるからこそなんだろうが、だとしても限度ってものがあるだろうに…!)
はにかむように薄く微笑みながら悠斗に身体を預ける咲の姿は、見ようによっては彼のことを誘っているようにしか映らない。
無論、彼女にはそんな意図などあるはずもなく…純粋に悠斗のことを信用しているからこそここまで距離を近づけているというのはとっくの昔に理解していることだ。
……ゆえにこそ悠斗は下手な真似をするわけにもいかず、悶々とした心情を抱く羽目になっているわけだがそこは一旦隅に置いておく。
『…悠斗、ありがと。この犬のぬいぐるみ、凄く可愛い』
「…うん? あ、あぁ…それなら良かったよ。獲ってきた甲斐がある。まぁそういうのなら他でも買えそうだけどな…」
…だがしかし、何故かやたらと距離を近づけてくる咲も不意に懐から携帯を取り出すと何かを打ち込むような動作を見せ、今打ったと思われる文章を向けてきた。
そこに書かれていたのは感謝の言葉であり、おそらくは今に至るまでしっかりと口にしていなかったことを思い出して律儀にも伝えてくれたのだろう。
けれども、本音を言ってしまえばこういったタイプのグッズはそこらの店を回れば似たようなものが見つけられるとも思う。
今回は偶然にも悠斗が獲得してきたものが咲の好みに合致していたようだから喜んでもらえたが、探せばいくらでも同じような商品は転がっているはずだ。
そう思ったからこそ、素直にその考えを漏らしたわけだが……瞬間。
悠斗がこぼした言葉にムッとしたような態度になった咲は、こんなことを言ってきた。
『…それは違う。私が言いたいのは、悠斗がプレゼントしてくれたから嬉しいっていうこと。そこは勘違いしないでほしい』
「……! そ、そうか…悪かった」
『分かってくれたなら…良い』
…咲から告げられた言葉に、悠斗は大きく感情が揺さぶられる。
それもそのはずだ。
まさか女子から…それも咲から、彼自らプレゼントしてくれたものだから嬉しいなんてことを言われれば…否応にも感情は掻き乱されるものなのだから。
言った当人に自覚があったとしてもなかったとしても、彼の心臓は痛いほどに脈打ってしまう。
…その後、結局悠斗は止めるタイミングが分からなかったために咲が『もう大丈夫』だと言ってくるまで撫でることを継続することとなった。
彼女の頭を撫でている間、どうしても至近距離となってしまうことで意識することとなる咲の整った顔立ち、陶器のように滑らかな肌。それに…どことなく甘いような香り。
どれもが悠斗の理性をガリガリと削ってくるために相応に体力気力を消耗させられた気がするが、何とか乗り越えられたのは自分を褒めても許されると思う。
…それに、これもある意味では役得なのだろうと考えれば決して損というわけでもないはずだ。
そうした紆余曲折がありつつも、中々に収まらない心臓の高鳴りを自覚しつつあの場はお開きとなった。
咲も調理途中だった料理の仕上げをするのでキッチンに向かうとのことだったため…それを皮切りとして別行動になったという形である。
…全く、咲と対面したばかりの頃はこんなことになるなど想像すらしていなかったというのに、今となっては同じ家で過ごす間柄にすらなってしまった。
人生何が起こるか分からないなんて言ったりもするが…それにしてもこれは流石に予想してみろと言う方が無理な話だ。
(……俺も、大分染められてきてるってことなのかね。最初はあれだけ関わり合いになることを避けてたっていうのに…今じゃ本羽がいることが当たり前だ)
ソファに腰掛けながらキッチンにて作業をする咲の姿を捉えれば、ついつい先ほどの情景が浮かんでしまい…自然と頬に熱が集まりそうになる。
何とか首を横に振って意識してしまうことは避けるが、それはそれとしてもやはりこの現状は特異なのだろう。
咲がいること然り、彼女と時間を共有していること然り。
人の慣れというのは恐ろしいが、いつの間にやら悠斗も彼女がここにいることを違和感にも思わなくなってきている。
(まっ…それもあと少しの話か。どっちにしても一か月が経てば俺たちの関係も元通り。あくまで今だけが少し特別ってだけだ)
ただ、今現在続いている彼らの関係はあくまでも期限付きのものであるという事実は悠斗も忘れていない。
一か月が経ち、咲の両親が出張から帰ってくれば二人が共に過ごす理由は消滅し…必然的に元の生活へと戻されることを余儀なくされる。
それを残念だとは思わない。
どちらかと言えばこの状態が異様だったというだけであり、本来なら交わることもなかったはずの縁が今は少々拗れているだけなのだから。
ゆえに…自分たちの距離がいつか離れるものだとしても、それは悲しくも何ともないのだ。
──どこか心の奥底で、微かに痛んだような気がする感覚には悠斗も目を背けてそんなことを思っていた。
はい、ここまでで第一章は終了となります!
咲と悠斗の出会いを綴ってきたこの章でしたが、いかがでしたでしょうか?
些細なキッカケから互いの家へと通い詰めることとなった彼らの関係性。その一端を少しでも面白い、甘いと思っていただけたら幸いでございます。
そして次から始まる第二章ですが、ここから二人の物語も加速していきますのでぜひぜひ期待しておいてください!




