第一話 寡黙少女との出会い
少しずつ肌寒さが増してくる十一月の中旬。
世間ではそろそろ暖房器具のお世話になる機会も増えてくるだろう今日この頃。
次第に冷え込んでくる空気が全身に染み込んでくるようであり、そんな道中を歩く一人の少年──水上悠斗もそれは例外ではなかった。
「…寒いな。もう少し早く帰れてたら良かったけど……無理な話か。それよりもさっさと家で温まろう…」
上着を着用してもなお貫通してくる寒気に嫌気が差す独り言をこぼしながら、アルバイト先からの帰りで遅くなってしまった夜道を歩いていく彼以外に人の姿は確認できない。
…普段ならこんな愚痴を吐きながら歩くことも無いのだが、周囲に誰もいないという環境が気の緩みにつながっているのかもしれない。
別に誰かから咎められることもありはしないと思うが、一応褒められたような癖ではないので止めておこうか。
「帰ったら風呂に入って…あぁ、夕飯の準備もしないといけないよな。だったらまた適当に惣菜でも……うん?」
まだ自宅まで少しある距離を考えれば、我が家まで到着するのはあと五分ほどといったところだろう。
あまりこの外気に晒され続けたくはないので、早く帰ろうと改めて決断し……そこで、ふと悠斗の視界に入ってきた光景が彼の足を止めることとなる。
彼が通りがかった道の端にあったのは、何の変哲もない小さな公園。
昼間の時間帯であれば小さな子供たちが走り回りながら遊んでいるだろうことが窺える遊具が立ち並ぶ土地の片隅にて……そこにあるベンチの一つに座り込んでいる少女の姿に意識が引き寄せられてしまった。
「……あれ、本羽だよな。何やってんだ…?」
人気のない夜の公園にて一人佇む少女の姿。そんな人物の正体は…奇しくも悠斗にとっても既知のものであり、よく知る同級生でもあった。
まだこちらの存在に気が付いていないらしい彼女の名は、本羽咲。
悠斗の通う高校の一年生でもあり、彼と同じ教室に所属しているクラスメイトでもあるので当然存在は知っていた。
…だが、そんな彼女は悠斗の高校でもその名を知らぬ者はいないだろうと言いきれてしまうほどの有名人でもあり人気者でもあり…その知名度の原因はひとえに、咲の容姿にある。
知名度を引き上げる要因として一役買っている濃紺色のウェーブがかったロングヘア。それに伴って抜群に整えられているとすら感じられる愛嬌のある顔立ち。
そして何より……悠斗と同じ高校一年生という年齢にしては低すぎる身長がそれをさらに押し上げているのだろう。
彼と比較してみてもこちらの肩にギリギリ届くか届かないかといったレベルの背丈しか持たない彼女では、目立つのも致し方ないというもの。
…まぁ、校内ではそんなミニマムなサイズ感からマスコット的な人気を博しているのだがそれはまた別の話だ。
それに咲の知名度を高めている要因はそれだけではない。
これは詳しい理由も原因も分からないが……どういうわけか、彼女は日常生活において一切の声を発しないのだ。
授業中然り、友人との対話中も然り。
とにかくあらゆる場面において咲が話すことは無く、コミュニケーションは携帯を介した文面やジェスチャーを用いて成立させているとのことだったが…そんな彼女が、どうしてこんな場所にいるのだろうか。
今更繰り返すまでもなきことかもしれないが、咲という少女は学校内では比類する者無き人気度を誇る人物だ。
…あちらから会話を振ってくることがないという欠点こそ抱えているものの、それを含めてもなお愛くるしい容姿や仕草によって対話相手の保護欲を刺激してくる彼女の周囲には常に誰かしらの姿があるし、悠斗もそんな彼女の姿を幾度となく教室で目にしてきた。
だからこそこんな寂しい場に咲が一人でいることに驚かされたわけだが……まぁ、こちらには何の関係もないことだし、早いところ帰った方が賢明というものだ。
…こういう時に正義感が強い人物であれば、彼女に何かしらの声を掛けてやったりするのだろう。
しかし、悠斗は申し訳ないがそこまでの正義感に溢れた人間ではない。
どうして彼女がここにいるのかという点に対して疑問こそ持つことはあったが、だからと言ってあちらの事情に踏み込みはしない。
そもそも悠斗はクラス内でも積極的に咲と交流を持っているわけではないし、どちらかと言えばその間柄は同じクラスなだけの他人と言った方が適切なくらいだ。
向こうだって彼のことは認知していないだろうし…ほとんど初対面の男からいきなり話しかけられたところで混乱するだけだろう。
ゆえにここは特に何かアクションを起こすことなく、関わることも無く立ち去るのが正解なはず……なのだ。
(…本羽のやつも、放っておいたら勝手に帰るだろ。こっちが心配しすぎたって不審に思われて終わるだけだ)
未だにベンチに腰掛けながら無表情とも似つかない感情を浮かべている少女の姿は気にかかってしまうが、ここで自分が声を掛けたところで状況が改善するとは思えない。
だからこそ…そのまま素通りしようとしたところで、向こうがそれまでは全く見せていなかった動き。
この冷え込みゆえに自然と取ってしまうような仕草……小さな掌を擦り合わせるようにして顔のすぐ近くまで持ち上げ、自身の息を吹きかけるような素振りを目にしてしまったことから、悠斗も自分の考えに変化が生まれてしまった。
(……あぁ、ったく…! …仕方ない)
数十秒前までは下手に接触するつもりもなく、素通りするはずだった悠斗の足。
…それでも、寒そうに手を擦る咲の姿を一目見てしまった瞬間…ここで見て見ぬ振りをしてしまえば、どうしようもなく後味が悪くなるのだろうという考えが浮かび上がってきてしまったのだ。
彼女の姿を見て見ぬ振りをしようとした後に、都合の良い…甘い選択肢が出てきてしまったことは自覚している。
けれど…だとしても、ここでその後味の悪さを無視して去ってしまえば自分は必ず後悔するという、半ば確信にも近い予感があることも事実だった。
なればこそ、悠斗は矛盾した考えを持つ己の頭に呆れつつも進む方向を変える。
たとえ最善の行動ではないのだと理解していても、こればかりは自身の感情の問題なのでどうしようもない。
何の関係もない第三者ではないからこそ……誰よりもこうなってしまえば見捨てるという決断を下すことなど出来やしないという、心のどこかで甘さを捨てきれない己の性格はよく熟知してしまっているのだ。
笑いたければ笑えばいい。
今までの人生で蓄積されてきた経験によって構築された性分は否定のしようもないのだから、こうと決めてしまえば悠斗は嫌々ながらも他人に手を差し伸べてしまうだけだ。
…なので一旦公園からは離れてとある物を調達し、彼はその場から微塵も離れる気配を感じさせない少女の元へと向かっていく。
相変わらず微動だにしない表情からは、彼女が何を考えてここにいるのかなど皆目見当もつかないが……そこは今気にしたところで意味もないか。
そんなことよりも今は少しでもこの現状を改善させるように努めることが重要だと判断し、悠斗は咲へと話しかける。
──これが後に、奇妙な縁を結ぶことになる二人の出会い。
そして徐々に甘さを見せていく彼らの…最初の一歩であった。