2 査読会
承前 彼に採っては不能問題 1 問題提議
「いや、待てって。好きにならなくなるのは妹の方だろ?」
「だから、それなら、奥津城さんだって、俺を、その、好き、でならなくなることだって、充分に有り得るだろう」
「あ?」
「全く考えてなかったんだ。浮かれていて、すっかり失念していたんだ。当然の可能性に全く思い至らなかった」
「いやいや待て待て。当然? 当然は、んなこと考える莫迦がいるかだろうが」
「莫迦だったんだ。いや、今も莫迦だが、少なくとも考えには漸く至った莫迦には成った」
「いや莫迦様待てって」
「遅かったんだ。奥津城さんが好きになってくれたって奇蹟に莫迦みたいに舞い上がっていて」
「いや待てって。そりゃ、まぁ、奇蹟なんて言いたい気持ちは解らないでもないが」
肯定。
「でもな、あんまり沈んでるから、きちんと褒めてやるけど、意外にも意外って程じゃないぜ? そりゃ、万民向けじゃないが、いや、意外でも見た目はやりゃ結構いけるだろうし」
「そういうのをやれないのが駄目なんじゃないか?」
「万民向けならな。けど、お前、清潔感ってかきっぱり清潔、いや、衛生、ってより公衆衛生って方か? まぁ、押さえてるし、女子的にはポイント高いぞ?」
「そうなのか?」
「俺だって講釈垂れる程解ってねーけどな、けど、おされ狙って外してんのと比べりゃ万民向けでも断然ってぐらいは押さえてる、ってのは如何でも良いか。そういう外見含めてお前好きーって娘なら、中身重視だろうし」
それは、一体に、外見は含まれているのかいないのか。
「で、まぁ、戻って纏めると、女子の眼力舐めんなってところか」
「舐めたことはないが」
「俺等からすれば、やっぱり見る娘は見てるね、世の中捨てたもんじゃないねってところ?」
「済まないがさっぱり解らない――いや、さっぱりではないか」
「おや」
「いや、その、奥津城さんのことしか解らないが」
「おぉ。やっぱり恋愛は素晴らしいね? お前が、俺様を好きになるとは、なんて見る目がある娘なんだと言い出すに至るとは」
首肯してから、何処か態とらしかった驚き顔が本当の驚いてのそれに懼らくなってから、口を開く。
「そうなんだ。本当に、見て、気付いて、見つけてくれる。そういう素晴らしい女性なんだ」
自分の中にある、あるとは思っていなかったものを、美点といって見出して、悪いところと思っていたものを好ましい性に変えてくれる。かなりのところは、その、好きになってくれた効果というか、その、疑ってはいないし、そんな効果をもたらす程に、とは、信じ難いところはあるとはいえ、その、所謂、惚れた欲目といった効果に依るところ大ではあると言い聞かせているが。
「だから、俺なんかの良いところを見つけてくれる女性なんだ、他の人だって、というか、他の人の良いところはもっと沢山見出だせるだろう?」
「へ? あ、あぁ、そうくるのか」
「あぁ、そうと漸く気付いた。だから、別れる他無いと――」
「待て。飛躍が激しいぞ。何でそうなる」
「成らないか?」
「成らないって。なんだよ、その三段論法?」
「飛躍は無い、筈だ」
間違っていてくれと願ってしまっている。
「抑々が、初めに気が付け莫迦というレベルだ。そう、だ、俺のことを好きなってくれる女性なんだ、他の、人を、他の男の、好きになる美点だって、きっと、直ぐに、いや、既に見て――」
けっとの毒吐きが無くとも言葉は途切れしまっていただろう。
「何だよ、自虐か」
つまりは、間違っているということか? それなら、良い。そうだと良い。
「褒めて損した」
「いや、褒めてくれた――らしいとは確かに受け取れたが、済まない、何処に誤りがあるか、教えてくれ」
「おいおい、貶しも通じなくなった? なぁ、つまりはこれだろ、あんな素晴らしい娘は俺には勿体無いって」
つまらなそうに、止めてくれていた、酒瓶に手を延ばし、手酌で注いでから。
「いや」
いや違う。
「いや、それは、その、それも確かに初めに気付けということじゃあったんだが」
「気付いて?」
「前にも言ったと思うが、会社で――」
「公認?」
「ということなのか。知ってくれて、それで、注意をしてくれる人がいたから」
「いやいやいや、お前、それ真面目に貶されているから」
「今お前も言っただろう?」
「いや、だからだな」
溜息吐いて、口直しのように、冷酒を呷る。
「あのね、友情疑っちゃうよ? 俺のは発破掛けってのよ?」
「いや、済まない、その、通じていない」
「ってかなぁ、流石に、お前の同僚のこと迄把握しちゃいないからなぁ、お前相手だと、マジもんの忠告ってことだって、アリっちゃあアリなんだよなぁ」
自問のようなので、暫く此方も思案の時に充てた。といっても、思案はし尽くした。し尽くしていないと良いと願いながら。
「だから、そう、俺の身には過ぎた幸運が舞い込んできてくれたことには、気付いていたんだ。でも、其処からは、だから、そう、だからもっともっと大事にして、頑張る、というには、はっきり努力が無くともしたいことというか、して当然のことで、でも、もっと、こう、なんといおうか、やはり努力というか、努めて、なくてもしたいことだから、違うかもしれないが、でも、そう、俺の意識だけでなくというか、高々俺の気持ちだけでは全く見合わないから、俺の意志を越えて、結果も伴うような、奥津城さんに届くというか――」
「はいはいはい、惚気は良いから」
惚気ではない、訳でも無いのだろう。奥津城さんのことを思えば、口にすれば、有難さを噛み締めることができるのだから。
「ってか、そういうのは本人にな」
肯定。
「……言ってんの」
「迷惑だろうとは解っているんだが」
つい。
「それに努力もしているんだが、如何しても、奥津城さんを前にすると、何というか、有難さといおうか、何というか、気持ちが籠み上がってきて」
つい。と、一端口に昇らせてしまえば、如何にも気持ちに言葉が追いつかない、全く全く足りない気分になり、止め処無くなってしまう。
「……聞いてくれるんだ」
「その、とても恥ずかしいからと言うのを何度も聞いてはいるんだが」
つい。そうと言う顔や声さえ、制止とは反対の意気を昇らせてしまう。
「……莫迦っプル」
「いや、莫迦は俺だけだから。いや、済まない。如何にも俺は人に甘えてしまう質らしい、と自覚しているからには、言動で現さないとならないよな。済まない、聞いてくれるからという好意に甘える言動は慎むように努めるから」
「いやいやいや」
毒吐いたのは振りだったのだろう、笑みを浮かべて、旨そうに酒を呑んだ。
「いや、お前はそれがあるから旨いんだよ、嘘偽り無く」
揶う気配も戻ったが、それでも眉を顰めてみせてくる。
「つーか、な、そんな莫迦惚れ状態で別れる言ったって、できるのか? お前のことだから、きっちりシミュレーションぐらいしてそうだが、本気で本気で考えたか? お前と別れるってだけじゃねーぞ? 男できるんだぞ? 愛しの愛しの奥津城嬢にあーんなことにこーんなことを、お前じゃなくて他の奴が、お前じゃない男がするってこと、本気できっちり考えたか?」
「あんな、とは?」
「訊くのかよ莫迦男。自傷行為にも程がある。自虐莫迦男汚名返上には早過ぎたか」
「いや、発破を掛けてもらっているところだとは一応解った――合っているよな? しかし、その、具体で解っていないんだ」
「自虐男論理でやってやろー。良いか、奥津城嬢はお前には過ぎた女神様だ」
肯定。
「客観的いってもモてる可愛い娘なんだろ?」
肯定。
「で、お前みたいな莫迦男にも良いとこみつけて好きになってくれる。ってことはな? 奥津城嬢の躰、ってか端的穴しか見ない糞野郎とだって附き合うってか、ヤられまくられることだって大いにアリな訳よ。おわかり?」
暫し思考して、沸騰した。
「……言うに事欠いたとしたって」
「事欠く?」
何それと恬然と、だろうか。理解しての忿りに眼が眩んでか、眼前の人物の表情さえ解らない。
「自虐男ならこんぐらいは想定してくれないと。自信過多俺様男の、糞男共から俺が抱いてやって守ってやってんだ論理より解り易いだろ?」
「だっからっ」
「奥津城嬢は糞男に引掛かる女じゃない?」
「当然だろう」
「でも、お前には引掛かった」
あ。
「なら、糞糞男連中にだって、好いよーにされちゃうね?」
「そんなことは――」
「あるあるあるーね」
歌いやがる――いや、待て。落ち着け。発破を掛けてくれている――筈だ。筈ではあった、確かに、いや、筈である。今も。それも、別れるというのを止めろと諫めてくれているところだったのだから。
瑕疵はある筈だ。落ち着け。忿りで、忿り以上の何か解らない心情で論理を葬ってしまっている所為だ。落ち着け。別れないで済むという願望にすら邪魔されずに考えることができるなら、きっとある。あった、気はするんだ。忿り以外のところで、違和感めいたものがあった……あってしまった。
「無い」
「言ってみそ?」
挑発っぽい言い方は、いくらかは振りだろうと解るが。
「自虐男に、その、何だ、」
「聞こえないねー?」
「だから、無いんだ」
「駄々子ぉー?」
「だから無いって言っているんだ。してないんだ」
「何を何?」
「してないと言っている。だから、だから、引掛かるというのも可怪しな言い方だが、それを附き合うという言葉と同義でお前が発言したというのは通じていたが、其処迄なんだ」
「其処って何処よ」
「だから附き合う」
「で?」
「だから、附き合っている――いたんだ、俺は奥津城さんと」
「で?」
「だから、そう、それこそ、別れないとって、ことでも……」
「はいぃぃい? これこそ? まさか愛しの女神様を汚してごめんとか? でもね? そんな清らかさんって、糞男の好物よ? いやー、糞男共の直中に旨そーな餌解き放ってやろうなんて流石自虐駄目男、仲間意識が強いってか」
口は幾度も開いた。なのに、声が全く出てこない。
「おっとしまった。これだと俺も駄目男お仲間になっちまうな。訂正訂正。きっちり折り目正しく交際している男女で、一方が汚されたは無かったね? それに、糞男だろうと好ーい? ま、お前が納得できる男でも、やることは一緒だ、奥津城嬢も進んで身を委ねる――もフェミに叱られる? ま、何だって、良いわな、俺はお前の想いの深さに、びっくよ? 大事に大事にする為に他の野郎に――」
「してないって言ってるだろうが。奥津城さんはそんな不用意に触れて良い人じゃないっ奥津城さんだって勿論っ不用意な真似をする人じゃないんだっ」
いくらか逃げた言い回しだったが、今度こそ意が通じた、らしい。虚を衝かれた顔が眼前にある。
「あの、な、まさかとは思うんだが……ヤってない?」
「していない」
「……キヨラカサンダッタノネ」
お読みくださり有難うございます。
束の間且あなたの貴重なお時間の、暇潰しにでも成れたら幸いです。
承後 彼に採っては不能問題 3 雉犬算