想い
これはとある1人の女性の想いを載せた回想録です。文章がおかしい部分が多々あるかと思いますが、「想い」ですので悪しからずご覧くださいませ。
人に私の行動を左右されてきた人生だった。
例えば進路。
私は共働き世帯の上に兄のいる末っ子長女であった。兄は幼いながらに大人の顔色を伺う子どもでわがままを言っているところを見たことがない。しかし、私は幼い頃は我が道を行き、思い通りにならないと癇癪を起こすくらいのわがままな子であった。テレビの番宣で見たおもちゃを見ればおねだりをしていた記憶がある。
そんなわがままな女の子も歳を重ねればわがままも贅沢になっていくのである。
小学校低学年の頃、1番仲良しの友達2人が同じ学習塾に通っていた。放課後も一緒に居られて羨ましくもあり、どこか、疎外感を感じていた。
私も習い事をしたい。習い事を理由に遊びのお誘いを断ってみたい。学校で勉強ができる子と褒められたい。なによりも、放課後友達2人と一緒に居たかった。
私はたくさん母におねだりをした。
全部却下。日をあけておねだりしても無駄だった。
学校で習うから塾に行く必要がないと言われた。
今思えば彼女らは中学受験のために塾に通っていて、私は中学受験をするということもなにも考えていなかったのである。
また母におねだりをすれば怒られて口を聞いてくれなくなると感じた私はこのおねだりを辞めたのである。
もし、同じ塾に通っていたら私はまた少し学力が伸びたかもしれないというたらればを成人した今でも考える。
時が流れて中学3年生。
この時、私は地元の高校にはなんだか行きたくなかったのである。仲良しの子が市外の高校に行くこともあり、それ以外の子とは馴染めているようでなかなか馴染めていない微妙な距離感の関係性の子ばかりが地元の高校に行くことがわかったからである。
この際だから誰も私を知らない人たちと一から関係性を築くのもいいなぁなんて思って地元の高校には行く意思がない旨を両親に話すと目的がないのに市外の高校に行っても続かない。それなら地元の高校へ行った方が送り迎えもしやすいし、何かあった時にすぐ駆けつけられる。との言い分。
地元の高校に行く目的もないんだが。両親だけでなく、母方の祖母、叔母までも意見するようになり泣く泣く地元の高校へ入学した。
結果、地獄のような日々で華の高校生活は楽しくなかった。全くと言っていいほど周りが周りを見ていない、人間性を母親のお腹に置いてきたような人たちの集まりだったからである。私は、2度と高校の同じクラスの奴らには会いたくない。世間話2分くらいで限界である。なんなら見つけたら逃げるレベルである。
そんな高校生活もすぐ終わりに近づいて2年生の秋口。私は当時の担任中心に反抗期兼人間不信期に陥ったのである。誰も信用できない。大人は自分の実績と保身しか考えていない。何が進路相談だ。どうせ大学行けとしか言わないくせに。何も聞かないくせに。
という捻くれ者モード全開で過ごし、担任の進学率の実績の中に入るのが嫌すぎてクラスの中で1人だけ就職希望を出し、所属していた特進クラスから脱却。特進クラスの奴らも反吐みたいな奴らだったからクラスが変わった時少し心が軽かった。
本当は進学もしたかったし、得意分野だった古文の研究を満足いくまで追究したかった。
大学ならたくさん人がいる。いろんな人がいる。この狭い地元を抜けて新しい自分に出会いたかった。
高校生の時は進路の相談を両親にはしなかった。進学したいとは言わなかったし、言えなかった。
幼い頃のわがまま女子は鳴りを鎮め、兄と共に親の機嫌を伺うようになったのである。
なんなら兄は父のモラハラの標的になっていた。見ているこちらがしんどくて夕飯の時間が大っ嫌いだった。
誰にも言えない。友達にも、当時付き合ってた彼氏にも、祖父母にも。祖父母に言ったとしても母に伝わり母からまた苦しいというSOSを私に出されるのである。
母の状況は苦しかったと思う。夫からのモラハラ、精神的DV、性的DVは常日頃だったから。
周りは放っておけと言うだけ。目の前で繰り広げられてみろ。しかも大事な家族同士で。放っておける方が異常だ。夫婦関係に子どもは関係ないと言われたが、子どもからすると関係ある無しで割り切れるものではないのだ。
腐っても親だから。
今私が進学したいと言えばきっと親は止めないが、母があの父から解放されるまでの期間が延びてしまう。そう考えると就職する以外の選択肢はないように思えた。
結局就職した今でも母は父から解放されていないため、過去の私に言いたいのは、こちらが母のことを考えたところで向こうは離婚しないぞと伝えたい。
人付き合いでも左右された。私はアポ無し訪問が大嫌いである。よくある近所の子や同級生が休みの日に突然家に来るアレである。幼い頃、学校や保育園で遊ぶのは大好きだった私だが、休みの日になるとスイッチが切れてお外へ出たくない、出るとしたら大人とお出かけしたくて帰ったら1人でお人形遊びがしたかった子だった。
しかし、それをうまく伝えられない子でもあったので親からすると変な子だと感じたらしい。今と比べて人との距離感が近かったのと、親世代はアポなし訪問をされる、するのが普通の環境で育っていたのもあり、友達が来てくれたんだからいいじゃないかとよく言われた。
私は嫌だった。すごくすごく嫌だった。家にあがられるのも嫌だった。学校のお友達は学校で遊んで、休みの日に遊ぶ時は事前に約束してからじゃないと嫌だったのである。
1人の時間と大人と一緒にいる時間の方が楽しかったのだと思う。
しかし、親から怪訝な顔をされるのはこちらの本意でもないし、こちらからすると1人の時間が欲しいからまた今度ね!なんていう話術もなかった年頃。しかもお出かけから帰ってきたところにいた時もあり、日暮までたっぷり時間があったのである。昼寝がしたい!お布団に潜り込みたい!そんな想いを抱えながらお外で遊んだが、公園もなくボールも何もない環境だったので暇になってしまい、友達から「おうちの中で遊ぼ」と言われた時の絶望感。お前が言うんじゃない。と思ったが、母は家に招き入れるし私はもう本当に不貞腐れてしまったのである。
気づいていると思うが、私は人間関係の構築が苦手である。人間関係以外のものも含め親の存在が世界の全ての幼い頃は親がNOや、NOに近しい反応をしたらそれは全て悪であり、異常であり、排除すべきものであった。それは大きくなった今でも拭いきれていないところがある。
早くこの呪縛から脱却したい。私はとっくの昔に自分らしさを見失っている気がする。何を考えるにも、からかわれないかな、嫌な顔されないかな、こればかり考えてしまう。
様々な事柄に対して「多様性」が謳われている昨今、こんな私でも受け入れてくれる人はいるのだろうか。