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【Vol.08】

 コールセンター室。

 お客様からの電話応対がすべてのブースから響き、回線の混雑タイムまっただ中である。

 桃は静かにキレている。

 目の前には、莉々。

 その両肩には一匹ずつ、双子の仔猫のミミとネネ。

 きょとんとしている仔猫たち。

 へらへらと愛想笑いをしている人類ひとり。

「あんた佐倉んとこ行ったんじゃなかったの」

「なんでだろ。戻っちゃった」

「桃、いま忙しいの」

「あ、気にしないで。あたし勝手に遊んでるから」

「…」

 つい反射的に、桃のアイスピックが風を切ろうと唸りをあげた時。

 コールセンター室の扉のベルが点滅し、紳士的に三木が入室してくる。

 あ、ミッキー! と莉々が手をふる。

 三木が静かな笑みを莉々へ返す。

 そして桃へ小声で。

「佐倉さんから様子を見るよう言われてきました。よろしければ私がしばらく莉々さんをお預かりします。まだコールの研修は必要ないのですよね?」

「…いいの?」

「研修以前に社会人としての基礎教育が必要ではないかとの佐倉さんからの伝言です。それならコール業務に不案内な私でも教育係が務められましょう」

 三木が莉々へ微笑む。


 御苑のベンチの、桜の下で。

 芝生の遠くで子供たちの遠足の声がきこえる。

 引率の先生の声も楽しげで。

 森の香りのする風がながれて、莉々は気持ちよさげに伸びをする。

 三木は隣で悠然と座る。

「どうしてもコールの仕事がしたいのですね」

「うん」

「どんなところが惹かれますか」

「あのさ、うちさ、ビンボーだったんだ」

 莉々が遠い目をする。


 居間と台所しかない小さな長屋だった。

 父親はいなかった。

 母親は駅前のピンサロに勤めていた。いつも酒くさくて不機嫌で殴ってくる人だった。

 ごはんも小遣いもなかったから、給食が頼りで生きていた。

 夏休みになれば民生委員が来て、たまに菓子パンをくれた。

 ホームレスの炊き出しに混ざっていたこともあった。

 ドブ川でつかまえた魚を生で食べたら寄生虫に感染し、病院へ担ぎ込まれた。

 そのまま施設送りになり、中学は保健室で過ごして卒業した。

 病院以後は母親に会っていない。

 そのままキャバに勤めて生きていた。

 だけど。

 小学校の同級生にはお父さんがいた。

 スーツを着ていた。

 小さい頃からずっと、灰色のビジネススーツが幸せの切符のような気がしていた。

 ある夜、キャバクラで接待中に、酔客に言われた。うちの会社で雇ってあげる、と。

 翌日、大喜びで酔客の会社に押しかけた。

 けれど酔客は、自分の言葉も覚えていなかった。


 莉々の心に火がついた。

 絶対に会社員になる。

 百社応募したら百五社から断られるほどの有様だった。それでも気まぐれで雇ってくれる会社もあった。そして十日と経たずにクビになった。

 安定したかった。

 明日もここにいられると、信じられる場所へ登りかった。

 大企業への憧れが、気が狂いそうなほど募っていった。

 落ちない床の上を歩きたい。ただそれだけしか望んでいないのに。

「あたし、桃もアリスも、スキだよ。はじめてできたトモダチだもの」

 そうですか、と三木がうなづく。

 トモダチじゃなく上司だと、教えるのはもっと先にしよう、という顔で。

「キャバにはひとのサイフぬすむやつしかいなかった」

「桃さんは優しいですか」

「あいつはウソつかない。きついけどね。いつも本音だ。信用できるよ」

「アリスさんも嘘をつきませんね」

「あいつ、ほんとはあたしのことダイスキじゃん。あたしオトナだからね。ひねたガキでも許してやるんだぁ」

 あっはっはっ、と空に抜けるような笑い方をする莉々。

 三木はびっくりして莉々をまじまじと見る。

 その生い立ちで、環境で、なぜこんなに空へむかって手を伸ばそうとできるのか。

「私もあなたが好きですよ」

「うん。知ってる。あたしもミッキーがスキだよぉ」

「自覚ないかもしれませんが、スタート地点が悪かっただけです。あなた、伸びてはいるのですよ。初日より今日のほうが前に進んでいます。あきらめさえしなければ、いつか必ず、望んだ場所へ出られます。それがいつなのかは今はまだわかりませんがね」

 三木が一枚の紙を出す。

 トークスクリプト。お客様からの問い合わせに対して言うべき文言がチャート式で書かれた、脚本のようなものである。

 読んでみてください、と言われて、莉々が紙を手にとる。

「お電話ありがとうございます。東々電力の莉々でございます。本日はいかがなさいましたか」

「引越をすることになりましてね」

「それでは現在のご契約の解約からお手続きをいたします。お客様番号はおわかりですか」

 三木はその先を読もうとする莉々の、手元の紙を肉球で止める。

 ふふっ、と三木が笑う。

 さあ思い出してごらん、というように。

「敬語もわからない人だったのに、すらすら読めているでしょう。あなたは出来る子です」

 焦らなくても大丈夫。さあ一緒に歩きましょうね、と言おうとして。

 三木はもういちど、びっくりする。

 莉々がもう顔からこぼれそうなほど目を見開いて、三木を見ている。

 言葉も出ないほど息をつめて。

 そして。

 ゆっくりと、たくさんの、涙がその目からこぼれていく。

 両肩のミミとネネが、顔を見合わせる。

 よくわからないけど、たいへんでち。

 そんな顔をして二匹、莉々の頬をなめる。

 なかないで。だいじょぶだよ、あたちたちがついてるよ。

 そんなこと言っていそうな顔をして。


 その夜。

 コールセンター室に三木がいる。

 闇の中にブースがひとつ。そこだけボウッと灯りがともり、三木が真剣にスクリプトを読んでいる。

 忘れ物をとりにきた梅子が、オバケとまちがえて悲鳴をあげる。

 三木が我に返って、スクリプトから顔をあげる。

「申し訳ありません、私です、三木です、まだ生きてます」

 腰が抜けた梅子が床にへたりこみ、恨めしげに三木を見あげる。

「すまないのですが、もう少しここにいさせてください。莉々さんの、コールの研修も担当できるようになりたいのです」

「たかがニンゲンなのに。そこまでしてあげるの?」

「わかりません。ただ…」

「ただ…?」

「いずれ、社長のダミーが必要になる日がくると思います。いつまでも山田一郎とアバターで乗り切るわけにもいきませんでしょう。たとえばベルベットリンクへ直接出向いて、重役陣の前で営業プレゼンできたらいいなと思うことはないですか」

「ああ…」

「莉々さんには、ナイフや銃よりも強い武器があります」

「どんな?」

「あきらめない気持ちです。あのお嬢さんにはバックギアがついていません。どれだけ打ちのめされても空しか見ていないのです」

 種を蒔きましょう、と三木が言う。

 たくさん蒔けば、ひとつくらいは芽が出ます。芽を、人を、育てることができない企業に未来はありません、と。


 そのころ最下層フロアの社員寮。

 猫ベッドを枕にして莉々が眠る。ミミとネネをしっかり両手でホールドしている。

 ミミとネネ、ちたぱた手足をうごかして莉々の手から出ようとするが、出られない。

 あきらめた顔をして、すぴー、と眠る。

 そこへ忍び足で近寄る者がいる。

 アリスである。

 莉々が熟睡しているのを確かめて、ミミとネネをそっと引き抜く。

 仔猫を奪って遁走。

 目を覚ました莉々、追ってきてアリスを後ろからドツく。

 蹴り返すアリス。

 無音の大乱闘。

 ミミとネネはアリスの胸にしがみつき、安心しきって眠っている。

 音がなくても目覚めてしまう周囲の社員。迷惑そうな顔をしながら全員、他人のふり。

 PSG1の銃尻を顔面に叩きこんで勝利のアリス、仔猫をさらって悠々と引き上げる。

 莉々は、悔しさで歯ぎしりしながらそのまま周囲の社員猫に埋もれて眠る。


 社長室のソファには、アリス、仔猫、雪。

 ソファが寝室も兼ねてるらしい。

 おとなはしょうがないでちね、と他人事の顔をしつつもアリスの胸で安心しきって眠る仔猫たち。

 にんまり満足で輝く顔のまま眠るアリス。

 雪の口元には苦笑がうかぶ。しょうがない人ですねといいたげに。くるんと尻尾を巻きつけて、アリスと子猫を守るように眠っている。静かな仮面の下で、雪も仔猫にメロメロなことが寝顔にかすかに浮かんでいる。

 三者三様の、天使の寝顔の猫団子である。

もし少しでも楽しんでいただけましたら、

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