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【Vol.07】

 かつてアリスは人間だった。

 父と母に愛されて、郊外の小さな家で暮らしていた。

 もうじき小学校だった。赤いランドセルを買ってもらった。

 冬のある午後、雪と出会った。

 母はスーパーへ買い物にでかけた。アリスの手をひいていたのだが特売に気をとられているわずかな隙に、アリスがその手をすりぬけた。

 スーパーの裏の公園で。

 ベンチの下で凍えている猫がいた。

 銀色の猫だった。

 目と目が合った。

 一秒で、それが自分の半身だと感じた。

 猫のほうも同じことを感じたのか。アリスが手をのばしても逃げなかった。なでても逃げなかった。抱っこをしたら、おとなしく抱かれていた。

 血相を変えた母が、スーパーから走ってきた。


 母はクシャミをしながら、猫を放すよう訴えてきた。

 夜になれば父も会社から帰ってきた。

 猫アレルギーの母がいるから猫とは暮らせない。父がそう言い、アリスから猫を奪おうとした。

 アリスは口をつぐみ、猫にしがみついて離れなかった。

 魂の半分だなんて言葉は知らなかった。どう伝えればいいのかわからなかった。

 ただ、この猫と離れたら自分は生きていけないことだけは本能で理解していた。


 アリスはその夜、客間で眠った。

 アリスが猫を放さないから、親と同じ布団で寝ることができなかった。今夜はここで眠ってね、と言われて、客間に布団を敷かれた。

 猫と抱きあって眠った。

 腕の中にふわふわの温かい愛がいた。

 両親のとは種類が違う、半身からの温かさだった。


 朝、目が覚めた。

 猫はいなかった。

 父も母も、アリスの目を見なかった。顔をそらしていた。

 裏切られたことを、アリスは知った。


 家を飛び出した。

 保健所がどこにあるのかなんてアリスは知らなかった。

 それでも走った。

 車道も、信号も、わからなかった。

 いきなり目の前が真っ赤になった。

 トラックの急ブレーキを聞いたかもしれなかった。


 自分が魂になったことを感じた。

 意識が薄く広く広がっていき街全体を包んだ。

 半身を探すのは簡単だった。

 同じようにアリスを探している魂がいた。

 ふたつの魂が、よろこびでふるえながら、冬空のかなたで溶けあった。


 ユキヒョウのような猫だった。

 アリスはその存在を、雪、と呼んだ。

 ふたりでその街を去るとき、最後に一目、と、かつて住んでいた家を上から見た。

 父と母がいた。

 黒い服を着て、廃人のような様子で、僧侶の読経を聞いていた。


 アリスは彼らを許せなかった。

 飼えないならせめて里親探しをしてほしかった。

 猫は愛玩動物だから。ヒトと共にでなければ生きていけない特殊生物。野生動物ではない。

 イエネコを特殊生物として進化させてしまったヒト族の一員として、責任を果たしていてくれたなら、悲劇は起きなかっただろうに。

 あれから何十年か経った今でも、アリスは思う。

 もしかしたらあの時代にも、機動班がいたのかもしれない。

 身勝手な理由で猫を殺した若夫婦へ、一番大切なものを奪う形で報復をしたのかもしれない。


 子供はみないつか生きる目的をみつけて親元を出ていく。

 アリスはそれが人より少し早かっただけ。

 七歳のアリスは雪を愛して、街を出ていった。


 あれからどのくらいの年月が流れただろう。

 雪を愛したから、雪の同族も愛した。猫たちのために走っているうち、珍妙ではあるが肉体を得ていた。会社も、仲間も、経験も、実績も。魂だけでいた頃より不自由にはなったが、強く利口になっていった。雪は出会った時のままの姿で、変わらずに美しかった。

 社長室の小窓をあける。

 雪がてきぱきと忙しく立ち回っている。変わらずアリスの半身として、ストレイキャッツ・レスキュー室の総括をしてくれている。

 視線を感じて、雪が目をあげる。

 アリスが目だけで伝える。愛してるよ、と。

 かすかに笑みで雪が応える。わかってますよ、と。


 そこへ電話が鳴る。

 フォーダイヤ銀行、担当者から。

 アリスが電話に出ると、申し訳なさそうに大量の汗をかいてるだろう声で言われる。

「さきほどメールでもお伝えしましたが、今後の融資は金利を引き上げることになるようです。昨今の為替やナスダックの影響によるものでして」

「さようですか」

「一度お時間をいただけませんか。直接お会いして状況のご案内をさせていただきたいのです」

「とんでもありません、メールで十分です。フォ-ダイヤ様にお手間いただくほどの案件ではございません」

 冷たく笑ってアリスが答える。

 為替もナスダックも関係ない。タイミングからしても、これは威嚇だ。ペルソナに逆らうな、という。

 このままペルソナの奴隷として九割の中抜きをされて搾取されつづけるなら生かしてやってもいい。だが上場してライバルになるならその前に潰す、という意味である。

 おたがいに腹はわかっているがそうとは言わず、ビジネススマイルをうかべて握手をかわす。

 今後ともよろしく、と定型文をもって電話を切り。

 苦い顔をするアリス。

 フォーダイヤからのメールを幹部チャットへ添付する。


 フォーダイヤ銀行、某法人営業部。

 デスクで担当者が釈然としない顔で腕組みしている。

 どうした、と目で上司が問いかけてくる。

「インモラルさんなんですけどね」

「おう。金利か。ゴネられたか?」

「きわめて紳士的ですよ。もしかしたら浜横に逃げられるかもしれないんでそこだけ釘さしたくて面談申込んで、断られたとこです」

「で?」

「声がね…」

「…ああ」

「女の赤ちゃんみたいな声で」

「世の中いろんな体の悩みのある人がいるからな。そこは触れるな。実体のない法人に架空融資してるんでなきゃ大丈夫だ」

「そこは確認済です。大田区に本社がありましたよ」

 はっはっはー、と笑いあう担当者とその上司。

 彼らは知らない。

 インモラルから見せられたのが、巧妙なAI生成ダミー映像であることを。


 社長室に幹部が集まる。

 フォーダイヤからの威嚇メールを受けての緊急会議である。

 アリスが自分のモニタを見せる。

「うちの取引先は二社ある。ペルソナともうひとつが、ベルベットリンク社だ。独立系と通信系のBPO会社が合併して去年設立したばかりだが事業歴は長いからノウハウはある。ベルベットからの受注を増やせればいいんだが、問題がある」

 桃、佐倉、雪、真剣な顔で聞いている。

 アリスはコールセンターのオペレータたちの成績表を表示する。一時間に何本受信できているか、クレーム発生率はどのくらいか、などがグラフ化されている。

「ペルソナは汚職のデパートなんて呼ばれてるだけあって、直営のコールセンターは応対品質がそれほど良くない。下請けに対しても品質はそれほど求めてこないのが唯一の美点だ。しかしベルベットは違う。業界トップはウミルート社だが、ベルベットはウミルート級の応対品質を求めてくる。営業かけるならうちの応対品質をアピールしなけりゃならない。オンラインだけでだ」

 ああ、と幹部三匹が渋い顔をする。

 ペルソナには得意としている営業手法がある。主に政治家相手にである。表参道の高級住宅街に自社の迎賓館がある。そこへ抱き込みたい政治家を招き、酒池肉林を浴びせ、醜態の証拠を撮ってそれをチラつかせて操る。古くさくてバブリーな手法だが、令和の今もしている企業は実在する。

「銀座で飲ませて機嫌をとるくらいなら珍しくないが、うちはそれ系の営業が一切できない。オンラインのみでの営業になる。だから。ずばぬけた数値で品質を掲示できないと相手にされない」

「つまり」

「現在ベルベットから受注しているのは水道の引越手続を請負うコール部門だ。ここに力を集約したい。インモラルがベルベット含めた他社より群を抜いて好成績だとアピールできれば、取引拡大につなげられる」

 なるほど、と桃。

 百匹近くいるオペレータの成績はすべて記憶している。水道班の誰のどこを強化すれば成績が上がるか、桃の頭の中で補習プログラムが組み始められている。

「あのねぇ、桃ねぇ、しばらく教育係に専念したいなぁ」

「わかった。そのあいだは私が室長補佐を兼任しよう」

 すると桃は嫌そうな顔をする。

 どう言おうかな、と言葉を選びつつ。

「梅子に残業代くれるだけでいいよ。アリスって業務マニュアル暗記してないじゃん。たかがキャビネット五段分くらい頭に入ってないとコールの管理者は務まらないよ。アリス、邪魔」

 邪魔。

 アリス、ショックでガーンな顔になる。


 会議が終わる。

 桃、桜につづいて社長室を出ていこうとする雪を、アリスが呼び止める。

 ちょっと内緒でな、と言いながら。

 社長室の奥のカーテンあけて、ダンボールをかきわけて。

 奥にいくつかのキャビネットが隠れている。うちひとつの引出をあける。

「企業防衛資金。雪は、わかるよな」

「大体のことは。うちでも用意してるのは知ってましたが、具体的にはチェックしていませんでした」

 アリスが書類の束を渡す。

 クラウドに保管してあるから書類がなくても用は為すのだけれどと言いながら。

「もしも私が志半ばで死んだら使ってほしい。半年は無収入でも生きていけるようにしてある。資金が尽きる前に事業を立て直してほしい」

 わかりましたと言いながら、雪が書類をめくる。

 そして。

 途中で手が止まる。

 おどろいたように目を見開いて、アリスを見る。

「吉祥寺に…?」

 アリスが茶目っ気たっぷりに微笑む。

「幹部に内緒で作るの大変だったんだ。ほめてくれ」

「内緒にしなくてもいいでしょうに」

「びっくりさせたかたんだ。雪にほめられたかった。私はいつだって雪のことで頭がいっぱいだよ」

「ええ、知ってます」

 困った人ですね、と雪が笑う。

 ご褒美に、とアリスのおでこにキスをする。

 うっとりしながらアリスが囁く。

「もしも私が死んだら、一口でもいい。私の肉を食べてくれないか。死んでも離れたくない。雪の中で溶けていたいんだ」

「約束します。一口といわず全部、骨も残さずに食べてさしあげますよ」

もし少しでも楽しんでいただけましたら、

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