【Vol.06】
新宿御苑に莉々がいる。
季節外れで平日で、観光客もほとんどない芝生の中で。
眉にシワよせて、ナイフ投げ。
桜の幹に的をぶらさげ投げてはみるが、まったく当たらない。
ダーツも投げてみる。アイスピックも投げてみる。しかし的に届きすらしない。
翠が樹上で寝そべり、莉々を見ている。
だめだこりゃ、の顔。
一段上の枝には佐倉がいる。
同じ、だめだこりゃの顔をして頬杖ついて寝そべっている。
翠が言う。
「あいつ、雪が引き受けてくれるんじゃなかったのか。レスキュー室に配属希望したんだろ」
佐倉も言う。
「レスキューの流れの、最後のアフターケアだけはあたしの管轄よ。機動班とギフト班」
「俺に憧れて機動班にきたのか」
「憧れてないけど泳ぎを生かせるのは機動班しかないの」
「せめて憧れてくれ。俺のヤル気が湧かなすぎるぜ」
ひらりと樹上から舞い降りる翠。
莉々の手にあるものを全部ひったくる。
「よく見ろ。こうやるんだよ」
ダーツ。アイスピック。公務員公式拳銃ニューナンブ。
すべて的のド真ん中に命中。
本職の佐倉たちほどではないが機動班エースを名乗るだけはある凄腕を披露する。
ほー、やるじゃん、と莉々。
「感心してねえで何かおまえも自分の武器みつけろや。泳いでるだけじゃ機動班は勤まらないぜ」
「あんたは何のプロなの?」
「俺か。ナイフだ」
スチャッ、とその手に握られているサバイバルナイフ。刃渡りが広くて先がギザギザに尖った、触れただけでも肉がミンチになりそうな。
風が斬られる。
ダーツやピックの刺さった的が、一瞬で、木っ端微塵になる。
莉々、びっくりして声も出ない。
「たぶんおまえ機動班も向いてねぇ。レスキューでも運輸とか、もちっと穏やかな班を選んだほうがいいぞ」
ひらりと舞い、翠は消える。
そして樹上にあらわれる。
佐倉の隣の枝に。
すぐそばに翠がいる。
じーっと佐倉を見ている。
佐倉、かすかに眉根を寄せる。
「…なにか陳情でもあるのかしら。給料アップならアリスに交渉してちょうだい」
「いいじゃねぇか見てるくらい。かまってほしくて遊んでほしくてウズウズしてるのを我慢して、いい子にしてるんだ。ほめてくれ」
この忙しいのに何をばかなこと言ってるんだか、と呆れる佐倉。
入ってきたインカムに耳を傾ける。
「あとは私が教育しておくわ。若松河田で事故発生。あなたはそっちに急行しなさい」
残念そうに翠、唇の端を歪めて笑い、消える。
つれねぇなぁ、とボヤきつつ。
地上では莉々がゲラゲラ笑っている。
やーいオッサンふられてやんの、と。
ふふっと笑って佐倉、莉々に訓練をつづけるよう指示する。
莉々、自分の手元の武器をながめて考える。
「もっとちがうの、ないの?」
「どんなのならあなたの戦闘スタイルに合いそうなの?」
「アリスが持ってるやつ」
佐倉、乾いた笑いをうかべる。
無理よ、と。
「あれはPSG1」
「なにそれ」
「対テロ用の特殊狙撃銃。精度は世界トップクラス。初弾を無音で撃てるから暗殺向きでもある。百メートル先から一センチの的を射貫けるわ。有効射程距離は一キロだけど、アリスの眼があれば数キロ先からでも撃てる」
「へー。いいなぁ」
よくわかってない顔で莉々が言う。
いい武器さえあれば強くなれるとカンチガイしている顔で。
「あのね。アリスは化け物なのよ」
「顔が?」
「正体が」
「へー」
このアホ相手にどんな言葉を使えば伝わるものか。
佐倉はこめかみを押さえつつ言葉を選ぶ。
「千里眼。だからPSG1を生かせるの。川でのあの動きを見て、まともな生き物じゃないのはわかったでしょ」
「およげないのはわかった」
「半分は猫だもの」
「アリスと雪って、デキてんの?」
「パートナーって言ってあげて。魂の半分。あなたの考えてる間柄とは違うわ」
「わかった。だからあのデカいピストルちょうだい」
「アリスの私物です。欲しけりゃ自分で買いなさい」
「けち」
「新品価格で一千万円。重量は七キロ。それを片手で振り回してるのよ、子供の体で」
「…あたしエンピツでいいや。これならタダだ」
離れた樹上に桃がいる。
午後の日差しを浴びて、アンニュイな顔をして。
人間にたとえれば十七才くらいの美貌が永遠に続いているような存在。それが御苑の樹々の枝の上で、大きな伸びをする。
インカムからはひっきりなしにコールセンター室からの指示を求める声が響いている。桃はどうでもよさげに小声で指示を返しているが、どこか心ここにあらずな目をしている。
下界を見下ろす。
御苑の門のむこうに大量の人間たちが行き交っている。
うっとおしいなと感じる。
猫の敵。みんな死ねばいいのに、と。
そして会社の看板を思い出す。
コールセンター室に入る手前の通路に掲げてある、古い銅板。
『IMMORAL Co. Ltd』
たしかに不道徳な発想だね、と自嘲する。
遊び半分で猫たちを大勢殺された恨みがあるとはいえ。
ああもう仕事する気分じゃないや、と。インカムのスイッチを切ろうと耳元へ手をのばした時。
桃の後頭部に鈍い衝撃が走る。
「痛ったぁい、何するんだよぅ!」
ふりかえれば梅子がいる。
武器は使わない徒手空拳の、正拳突きがキマった姿勢で。
「お兄ちゃんのバカ。いまコール殺到しててこっち戦争なのよ。さっさと戻れ。とっとと働け!」
ボロボロにくたびれた様子のアリスが、社長室へ入ってきてソファへ倒れる。
同じように疲れた様子の雪もつづいて入ってきて、アリスのそばに横になる。
ありきたりな日々。何も事件はないけれど、ひどく気分が落ちてて鬱になってることもある。
もういやだ、とアリスが涙声で言う。ひとりごとのように。
「疲れた。仕事は好きだよ。だけど時々、何もかも捨てて逃げたくなるんだ。雪だけ抱いて、南の無人島とかにさ」
雪がアリスを見つめている。
ソファに横になったまま。
「なぁ、雪。私もう三か月くらい、丸一日休んでる日がないんだよ」
雪は返事をしない。
そうですね、と言いたいけれどそれすらも言えない、重い空気。
「このヤマが終わったら休もう。南の島に行くんだ。長い長い休暇をとるんだ」
むりやり体を起こしてアリス、社長デスクまで足を引きずっていく。奥のカーテンをあける。天井まで積みあがったダンボールをかきわけると、金庫があらわれる。
金庫をあける。
中身は金色の大きな鍵がひとつだけ。それを握りしめてソファへ戻る。雪に甘えるように寄り添って倒れる。
雪の鼻先で、鍵をふってみせる。
「南の島。この鍵で、入れる…」
沖縄の無人島に電気水道をつなげて建てた、保養施設の鍵である。雪とふたりきり貸切にして使うために買ったが、一度も行ったことはない。
いつか行こう。
アリスはいつもそう言う。
けれどおそらく永遠にアリスは行かない。雪とふたりきりの休暇はとらない。寂しいと口では言いながら、明日にむかって走りつづける。金色の鍵を信仰の対象のように大切に胸に抱いたまま。
アリスは眠る。
ソファで丸くなり、頬に涙の跡を残して。
寝顔をみつめて雪は思う。
いっそ…。
雪は大きく口をあける。
赤く裂けた口の中、肉食獣の牙が光る。
いっそ。
無防備に眠るアリスの白い首から目が離せない。
いっそ。
猫の本能が伝えてくる。頸動脈のありかを。
いっそ。
この脈をひとおもいに噛みきれば、黄泉の国で永遠に休暇をとれる。誰にも邪魔されない永遠の時間を。
さあ噛め。
本能が叫ぶ。
アリスが目をあける。
今まさに襲いかかろうとしている雪の牙が映る。
アリス、意味を理解した顔。
まるで極楽浄土にいるような蕩けた目をして、首をさしだす。
天国への階段をバージンロードにして昇ろうとしているような。
頬を上気させて夢見る少女の顔をして、願いをかなえてもらえる瞬間を待っている。
雪、寂しそうに微笑む。
アリスが休暇をとらないのと同じように、自分もまた、永遠にこの首を噛むことはできない。
おそらくはこの先もずっと。
アリスが薄目をあける。
雪が正気に返ったことを知り、悲しそうに目を伏せる。
ユキヒョウのように美しい猫をさも大切なもののように見つめて。
「愛してるよ」
雪も同じ視線を返してくる。
「愛してます」
アリスは静かに手をのばし、雪の背中をなでる。
そっと何度も。
そして静かに抱きしめて。
こみあげてくるものが堰を切ったように溢れる。
顔がグシャッと壊れる。大声をあげて泣きはじめる。
子供のように。
長い長い時間、ずっと。
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