【Vol.23】
吉祥寺、井の頭公園。
赤のポルシェのオープンカー。吉祥寺通りを疾走してきて、正門前で鮮やかなドリフトかけて停車する。
女優ばりの華やかな美人がドアをあける。
雪が、助手席から優雅に降りてくる。
つづいてバックシートから、十匹ほどが降りてくる。
「いつでも呼んでね。真夜中ならもっと嬉しかったのに」
セクシーな投げキスをしてポルシェが走り去っていく。
最高級ジゴロのような顔をして、雪、井の頭公園へ消えていく。
配下の猫たちもあとにつづく。
ハーレーの軍団が、吉祥寺通りを駆けてくる。
スキンヘッド、ヒゲづら、サングラス、Gジャンの背中にはバイカーギャングで有名な、ヘルズエンジェルスのマーク。
いかついオヤジ軍団は、全員が胸から猫をのぞかせている。
先頭のリーダーの胸にいるのは、翠。
文化園前で軍団が停車する。
翠が胸元からするりと抜けて、地面へ降りる。
他の猫たちも地面へ降りて、翠の後ろで整列する。機動班の猫たちである。
「おれのハーレーに乗るたぁ、いい度胸だぜ」
ビール腹のオヤジが親指をたててニッと笑う。
翠たちも整列し、肉球ついた指をたててニッと笑う。
「あばよ、マブダチ。また会おうぜ」
リーダーが豪快に笑い、ハーレー軍団が去っていく。
空から飛来してくるものがある。
白鳥たち。
彼らがどれほど美しく伸びやかに飛翔するのか知らない東京の民の、頭上をどこまでも高く滑空していく。
やがて白鳥たちが、井の頭公園の池のほとりに降りたつ。
ひらりと白鳥の背から降りてくる者がいる。
佐倉とその一派である。
うち一匹が、アイパッドを片手にすばやく走る。
池のほとりには雪たちが待っている。
アイパッドの猫は佐倉の補佐役らしい。雪のもとへ駆けていき、アイパッドを見せて報告する。
「地下二階はこれで全員そろいました。怪我人もありません」
雪が微笑む。慈愛に満ちた目で猫たちを包む。
「ありがとう。お疲れさま。もう何も心配いりませんよ」
佐倉は最後尾の白鳥から降りてくる。胸元にはミミとネネが顔のぞかせている。
乗せてくれてありがとう、みんなで食べてね、と、佐倉がマコモのおだんごを差し出す。
白鳥は嬉しそうに佐倉の手からひとつ食べ、それから、そっと佐倉の頬に自分の頬を寄せる。
まるでロマンティックなラブシーンのような姿をみせてから、白鳥たちがマコモの包みをくわえて飛び立っていく。
それを見つめている翠。
膝から崩れ落ちそうになりながら、佐倉の足にすがりつく。
「何でも言うこと聞くよ。捨てないでくれぇ!」
そもそも拾ってないよ、と佐倉のハイキックが翠を見舞う。
涙とともに空を飛ぶ翠。
なかなか足がつかまらなくて苦労している一団もいる。
うむむ、と三木が新宿の空をあおぐ。
うっかり乗った車が手配ミス。方向違いだったため、あわてて途中下車した。
そして次の足が、ない。
困った顔して途方に暮れて、猫たちが三木を見る。
三木、コホンと咳払い。
「戦闘術はございませんが、私にも武器があります。どうか驚かないでくださいね」
みなさんは街路樹に隠れていてください、と前置きをして。国道二十号の交差点で、ガードレールの上に乗る。
猫が二本足で立つ。
かなり目立つ。
『きちじょうじ』
あまり上手ではないが猫にしてはがんばった字で、ボードを出す。
そして右手でヒッチハイクを呼ぶポーズ。
さすがに異様。
化け物じみているせいか、寄ってくる車はない。避けてく車なら続出。
しかし三木は気にしていない。
たった一台がつかまればいいんです、と、どこ吹く風。
さすがに化け物感がありすぎですよ、恥ずかしくないですか、と問う猫たちへ、三木が答える。
「恥ずかしくありません。もういちど陽子と暮らすためなら何でもします」
やがて車の流れを縫って、吸い寄せられるように一台の車。
車はランドクルーザー。路肩に停めて、運転席のドアが開く。
降りてきたのはゴドバシ・エクストリーム便の青年。かつて彼には赤ちゃん猫を三匹、里親になってもらったことがある。
三木がおかしなことをしているので心配でたまらなくなったらしい。
「大丈夫かい、猫ちゃん」
三木の視線に高さをあわせるように、腰をかがめる青年。
その彼へ。
三木、まるで生まれたての赤ちゃんのように大きく目をひらき、うるうると瞳をうるませ、両手を顔の前で組んで、「おねがい」のポーズ。
猫好きなら一瞬でオチるだろう天使の顔。
背後の猫たちは目が点になっている。
人間にとってはどんな猫でも猫かもしれない。しかし猫にとっては。たとえるならば還暦間際の紳士な学者が、セーラー服でアイドルソングを歌って踊りだしたようなもの。
青年はオチた。
「そうかぁ、きちじょうじかぁ、かわいいヒッチハイクだなぁ」
おそらく家でも赤ちゃん猫たちと話をしているのだろう。猫と意思疎通できすぎている不気味に気がつきもせず。
三木を招き入れようと、助手席のドアをあける。
三木をふりかえる。
すると三木の後ろに、三十匹の、猫。猫。猫。
青年、ぎょっとする。
しかし。
三十匹が全員、三木と同じ顔とポーズで「おねがい」をしている。
青年、腹をくくる。
大きな車でよかったな、と思いつつ。
ランドクルーザーが国道二十号を走る。
大型車にもかかわらず、はみだしそうなほど猫が詰まっている。
運転手の膝には三木。肩にも頭にも猫が乗っている。
青年は、マリリンモンロー百人に囲まれたみたいなデレデレになっている。
ランドクルーザーが、歩道をゆく奇怪な子供を追い越す。
アリス。
サイケな服着て、背中に狙撃銃。インカムに何かを話しかけながら歩いている。
猫たちを送り出すことにすべてを使ってしまったから。
路銀すらも残っていない。すがすがしいほど空っぽになって、どこまでも歩いていく。
「雪…。きこえてるかい?」
「はい」
「会いたいよ」
「今どこですか。迎えに行きます」
「それはダメ。猫たちはみんな長旅で疲れてる。おまえはゴールで待っててほしい。みんなを癒してやってほしいんだ」
「そうやって自分の分も残さないで猫に尽くすから、歩いて帰るはめになるんです」
「ごめん」
「いいですよ。わかってます」
「愛してる」
「ええ…」
雪がすこし照れくさそうに笑う。
「この通話は全社員に聞こえています」
ははっとアリスが笑う。
「みんな見慣れてるだろ。いまさらだもの」
そうですね、と雪。
瞳が銀色に光る。
そして言う。
「アリス、朗報があります。次の角を左に曲がって百メートルほど歩いてください」
アリスは疲れて、もう何も考えていない。言われた通りにただ歩く。
そして見つける。
ゴミ捨て場に、スケボーがある。おまけに肘膝のプロテクタまで。だいぶ使い込まれて擦り切れているが、まだ使える。
アリス、元気百倍の笑顔。
「雪、愛してるよ!」
国道二十号。激しい車の流れの中を、スケボーの子供が走り抜けていく。
ひゃっほー!
と嬉しそうにすべっていく、ド派手なサイケ。
あやうくレクサスが子供を轢きそうになってて運転手がブチキレる。
運転席の窓をあけて子供に怒鳴る。
「親は何をしているんだ、道徳を教わってこい馬鹿野郎!」
一方、桃と莉々。
まずそのみっともない恰好をなんとかしなさいと桃に怒られ、量販店で安いリクリートスーツを調達してくる。
それで手持ちのお金が尽きる。
「何よそのビンボー。桃を吉祥寺に運ぶの、あんたの仕事よ?」
莉々、困る。
ゴミであふれた新宿の裏通りには、路上駐車の錆びた自転車があちこちに積んである。
いくつかを物色して莉々、チェーンのかかっていない自転車をみつける。
ハンドルに手をかけようとする。
その手を、アイスピックが襲う。
間一髪で逃げる莉々の手。
今のは脅しじゃなかった。本気で莉々の手を刺す気でいた。
すっかりおびえている莉々を、塀の上から桃が見下ろす。
「あんたまさかと思うんだけど。盗難自転車だなんて汚れたものに、この桃を乗せるつもりじゃないよねぇ?」
もうヤケクソで。
鬼の顔して髪ふりみだして、莉々が新品の自転車で国道二十号を全力疾走する。
背後では自転車屋が満面の笑みで、いってらっしゃいませと手をふっている。
自転車の後ろカゴには桃。
自転車屋にサービスでつけさせた毛布を敷いて、えらそうに寝そべっている。
桃の手首には美しい腕輪がついている。
よくみればそれは腕輪ではなく、クレカ決済のスマートリングである。
風に吹かれて、桃が優雅にのたまう。
「あんた、いいトライアスロンの選手になれるよ」
井の頭公園。
スケボー投げ捨て、アリスが雪のもとへ駆けていく。
泣きそうなほどの感動の再会。
…と、なるはずだったが。
アリスと雪とのあいだに一匹の猫が立つ。大八車でここへ来た、十一班の班長、白猫のタマである。
深々とアリスへお辞儀をする。
「いままで、お世話になりました」
御苑のそばでホームレスをしていたお爺さんと、一緒に暮らしたいのだという。
最後にアリスに会いたくて、インモラル退職のあいさつと、育ててもらったお礼が言いたくて、ここで待ってたのだと言う。
喜びに満ちて微笑むタマは、ベターハーフをみつけた者の顔。
すこし離れた路上では、大八車のお爺さんがいる。
必ず幸せにします、とアリスへ頭を下げている。
アリス、この世の終わりのような顔。
道のまんなかに仁王立ちして、タマの名を叫ぶ。
「いつでも帰ってきていいからな。お金に困ったら言え。おまえの給料は貯金してある。おまえの席も残してあるからな!」
タマがふりかえる。
心からの最後のお辞儀をして。
愛してくれてありがとう、と瞳で伝えて。
お爺さんのほうへ駆けていく。なんの迷いもなく一直線に。
お爺さんは両手をひろげてタマを抱きとめる。
雪の毛皮に包まれて。
泣いて泣いて泣き疲れ、ようやく涙が枯れた頃。
間の悪いことに莉々たちが来る。
桃がアリスの顔をのぞきこむ。タマの件は知ってたらしくて大笑いする。
「やぁだアリス、失恋でもしたみたい。ウケるぅ!」
火に油を注いで面白がっている。
そこは吉祥寺、井の頭公園。池のほとりの自然文化園、水生物館。裏手には人の背丈ほどの雑草が生い茂っている。
夕暮れ時。
たくさんの葦に囲まれた、静かな場所で。
アリスの正面に莉々が立つ。
たくさんの猫たちが、ふたりを見守っている。
莉々が腰のチェーンから金の鍵を外して、アリスへ渡す。
よく洗って磨かれた鍵が、アリスの手に収まる。
「礼は言う」
機械のような顔してアリスが言う。
「御苑の社屋を潰してくれた罪は許してやる。どこへでも消えろ」
莉々、唇を噛みしめて、うなづく。
アリスの目をみつめ。
「これだけは言わせて」
泣くまいと堪えて。拳をきゅっと握りしめて。
「ごめんなさい。裏切った。役立たずだった。みんなに怖い思いさせて怪我させた。迷惑かけて、後悔してる」
そして、アリスとみんなに背中をむける。
猫たちが一歩しりぞいて、莉々のための道をつくる。
猫の輪をかきわけて遠ざかる莉々の、背中が見えなくなっていく。
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