【Vol.02】
小雨が降りつづいている。
音もなくあたりを灰色に包んでいる水滴の中から、透明なビニール傘があらわれる。
アリスが傘をさしだす。仔猫たちのダンボールの上に。
ゆっくりと弱っていく仔猫たち、大きな瞳をアリスへむけるが、その瞳からの光は弱々しくなっている。
アリスが傘をダンボールに立てかけ、仔猫たちを水滴から守る。
そして極彩色なエプロンドレスのポケットから皿とミルクの紙パックを出す。
しゃがみこんでダンボールをのぞき、仔猫たちの前に皿を置く。紙パックを切り、ミルクを注ぐ。
戸惑う仔猫たち。
皿の匂いを嗅ぐ。
それが食べられるものであること、ゆっくり、ゆっくりと脳が理解する。
そして。
いきなり仔猫たちが皿に顔をつっこむ。
もう何も見えない。
世界にはオヤツと自分しかいないような顔で、顔を白い飛沫でくしゃくしゃにして、狂ったようにガツガツむさぼる。
ふふ、とアリスが唇をゆがめて笑う。
「これ、ヤギミルクだよ。美味いだろ」
ようやく皿をきれいに舐めとり、仔猫たちが顔をあげてアリスを見る。
いい子だ、とアリス。
一匹を掌にのせて自分の胸にあてる。
仔猫はアリスの胸にしがみつく。
「名前が要るね。おまえはミミだ」
そしてダンボールに残っていたもう一匹も抱き、自分の胸にあてる。
そっくりな顔の二匹がアリスの胸にしがみつき、おたがいの瞳をみつめあう。
「おまえはネネだ。ミミとネネ。いい名前だろ?」
まるでこの世でいちばんの宝物のように仔猫たちを抱いて、アリスが歩きはじめる。
緑地帯の雑草を、鋲ビスだらけのアリスのブーツが踏みしだいていく。その後ろを雪が護衛し、ついていく。
空っぽのダンボールと傘が、無人の緑地に残されている。
新宿御苑、とある茶室の裏手。
猫や幼児が通れるくらいの小さな祠があって生い茂る樹々に埋もれている。祠の奥には錆びた扉がある。
仔猫を抱いたアリスが扉のふちに手をかざす。
生体認証らしい。無音で扉がひらいて、アリスたちが消える。
やけに近代的なリノリウムの廊下をアリスが歩く。
御苑の地下の、違法建築。地下水を排出するポンプのモーター音がかすかに響いている。
ときおり猫とすれちがう。どの猫もアリスを見ると、どこか嬉しそうな顔になり、敬意を払う姿勢をみせる。
アリスが廊下のつきあたりの扉をひらく。
そこは体育館ほどもありそうな広いオフィスで、無数のパソコンブースが整然と並んでいる。
各ブースには猫がいて、インカムをつけ、電話でお客様対応している。大企業のコールセンターのようだがただひとつ違うのは、オペレーター全員が猫である。
「ありがとうございます。新規のご契約ですね」
「かしこまりました。状況を確認いたします」
言葉を話す猫もいる。
話すかわりにAIの音声読み上げソフトを使い、タイピングで対応している猫もいる。
あっけにとられている仔猫たちをアリスがなでる。
誇らしげな顔をして。
「BPOていうんだ。大企業から総務やら人事やらの部署をまるごと引き受けて代行する。うちでは主にインフラ系、ガスとか電力とか水道とか通信のことな。そこからコールセンター業務を請け負っている」
仔猫たちにそっとキスをして。
「コールセンターはな、支出は人件費と家賃がほとんどだ。それをこうしてタダ同然に抑えることができれば、確実に儲けられる」
いつのまに後ろに黒い猫がいて、雪とひそひそ話をしている。
恰幅のいい陽気な黒猫は、さっきの虐待男を車道につきとばした猫である。名前は翠。自信に満ちた笑顔で、アリスをからかう。
「普通に経営してればな黒字だろうがな。やたら猫に尽くしたがる社長のせいで、豪華な社員寮にカネ使いすぎてて、いつも貧乏だぜ」
うるせぇわ、とアリスが翠を小突こうとするが、さらりと翠は拳をかわす。
ガハハと笑って翠、フロアを横切って逃げていく。それをアリスがズカズカ歩いて追っていく。
翠がフロアを出て、エレベーターへ。
追うアリス、つづく雪も、エレベーターでさらに地下へと降りていく。
エレベーターの扉がひらく。
仔猫たちがアリスの胸で、大きく目を見開いている。
体育館ほどのフロアがパーテーションで細かく仕切られている。情報系と医療系の入り混じった、緊迫した空気が仔猫を圧倒する。
「本当の赤字の理由は、こいつだよ」
アリスが笑う。
「BPOで稼いだ金を、野良猫保護に使っている。インフラ系の仕事を請負えば都市の血脈を読めるからな。情報を集めて、捨て猫を保護して、里親を探して、適切な家庭へ猫を届ける」
横から翠が口をはさむ。
「アフターケアもばっちりだぜ。猫を大事にしてくれた家には幸運を届ける。猫を虐待したり捨てたりした家にはその逆を届ける」
にぃ、と笑って翠。
「俺はその逆ってやつを担当する機動班だ。戦闘力なら俺が一番」
フロアの隅にあるのは救護班のエリアだろう。さっき襲われていた老猫が椅子にかけている。
白黒のハチワレ柄。ひどい目にあわされたのに誰のことも恨んでない穏やかな優しい目をして、救護班の猫たちと話をしている。
老猫がアリスの姿をみとめ、お世話になりました、と会釈する。
「ここは、猫による野良保護組織ですね。御苑の地下にもあるとは知りませんでした」
「似た組織は全国にあるな」
「けれど救える命は全部の捨て猫のうち五パーセントもありません」
「それでも進むんだ。全員を救えないからといって目の前の一匹を見捨てていいことにはならないよ」
「どこでもボスは似たことを言いますね」
「…詳しいな。名前はあるのか」
ああ、と、老猫が微笑む。
拝借します、と言い、そばのパソコンを操作する。グーグルアカウントのストレージから履歴書を出して表示し、アリスに見せる。
「三木と申します。以前は練馬の組織にいました。社労士相当の実務力はあります。こちらに越してきて、落ち着き先を探しています」
「てことは今日からうちで勤めてくれるのか?」
「雇っていただければ助かります」
「日本では年間八万人の行方不明者が出ている。そのうちの長期不明者の戸籍を借りて、税務や社保を処理してる。うちの人事はめんどくさいが、三木さんならすぐに慣れるよ」
「ご期待に沿えるよう尽力します」
アリスと三木が握手する。
後ろで翠と雪が顔を見合わせる。
えらい人材が拾えてしまった、ラッキーだな、と。
翠がアリスの胸の仔猫たちをのぞきこんで目を細める。
「にしても可愛いなぁ。この仔らは、言葉は話せるのかい?」
横から雪が微笑んで。
「話せるかどうかは大人にならなければ分からないでしょう。ただ、理解はできてます」
「そうかい。そいつぁ上々だ」
アリスが仔猫たちをなでる。
「おまえたち、私の言葉はわかるか?」
仔猫たちは顔を見合わせる。
わかっているような、いないような顔。
アリスはポケットから皿を出す。
そして声高に。
「ゴハンだ」
仔猫たちの顔がぱぁっと輝く。
ああ伝わってるなと確信の顔で、アリスが床に仔猫たちを座らせる。皿にカツオのたたきを盛って出す。
仔猫たちは頭から皿へダイビングする。
アリスは仔猫たちの頭をなでながら語りかける。
「うちはな、言葉がわからない猫は里親を探して人間の家に嫁がせる。言葉がわかる猫はここで仕事をしてもらっている。大人になってからでいいから考えてくれ。どこの部門で働きたい?」
あっというまに皿を空にして、仔猫たちはキョトンとする。
まんまるなお目々をさらに丸くして、アリスを見あげる。
アリスは仔猫たちへ、両手をひろげて歓迎のポーズ。
雪が言う。
「ここは猫の、猫による、猫のための会社です」
アリスが笑う。
「私が社長のアリスだ。株式会社インモラルへ、ようこそ」
その時。
アリスたちの背中で、ガタっと不穏な音がする。
全員がふりむく。
そこにいるのは莉々。人間。おそらくはアリスたちのあとを尾けてきた。おでこも膝も傷だらけ、スーツは泥だらけである。猫の背よりははるかに高いが人間は背をかがめたほうがいい低い天井のもと、膝をついて四つん這いになり、息をひそめて追ってきたらしい。
莉々が手をあげて、言う。
「あたし、コールセンターがいい!」
おまえの席なんかあるか馬鹿野郎、とアリスはパニック。背中のPSG1を抜いて発砲しようとするのを雪と翠が押しとどめる。
ビビる莉々。だが逃げようとはしない。アリスの足にしがみつく。
アリスは足ばたつかせて莉々を踏みまくって引きはがそうとするが、はがれない。
「お願いだよ。何でもするよ。あたしだって資格あるよ。中学卒業の資格だよ!」
「誰だって持っとるわ!」
「とるの大変だったんだ。不登校だったからずっと保健室でさ!」
「会社そのもの向いとらん!」
「しゃべるの得意!ずっとキャバクラしてた!」
「よけい悪い!」
「もうキャバはイヤだ。サラリーマンにあこがれてんだよ。おねがいだよ。きのう十一社めをクビになったんだ!」
「うちが十二社目だろ!」
叫んでからアリス、しまった、の顔。
莉々、足にしがみついたまま、にんまりの顔。
「十二社めになってくれるんだね。やとってくれるんだね!」
ひゃっほー!
とバンサイして踊りあがったところで天井に頭ぶつけて落ちる莉々。
猫用の建屋なので天井が低い。
エレベーターの入口から、くすくす笑う声がする。
ふりむけば、えらい美形の猫が二匹いる。
一匹目は、茶トラの佐倉。いなせで粋な姐さん風。
切れ長の目が笑うとますます細くなる。
「アリスの負けね。自分の言葉には責任を持たなきゃね」
そもそもこのフロアは佐倉の管轄である。翠たち機動部のほか、経理や人事や情シスや法務そのほかバックヤードをまとめて配置してある。佐倉はアリスたちが騒いでいたので様子を見ていた。莉々を叩き出すことになるならそれは佐倉の指揮系統での仕事になる。
佐倉がウインクする。
「私はアフターケア室とバックヤード全般の兼任室長。そこにいる黒い筋肉男の、上司よ」
佐倉の横にいるのは、サバ白の桃。小悪魔的な美少年である。上階にあるコールセンターの幹部だが、面白い騒ぎがあると聞きつけて野次馬しに降りてきた。
どこか人を見下した目をしているが、どれだけ失礼なことをしてもなぜか愛されてしまう不思議な魔力がある。
値踏みする目で莉々を見ながら、桃が握手の手をさしだす。
「桃ね、コールセンター室長なの。新人教育も担当してる。莉々ちゃんの配属は、電力班でいい?」
莉々は嬉しすぎてオイオイ泣きだし、桃の手をにぎってブンブンふる。
アリスは仔猫を抱いたまま、血相変えてみんなに訴える。
「イヤだ!」
もう泣きそうな顔で、心からの叫び。
「ニンゲンなんかに給料払いたくないぃぃぃ!」
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