【Vol.18】
明治神宮、銀杏の並木。
遠ざかるアリスたちの後姿を見送っているタカハシ。
三つ数えてから、アリスのあとを追う。
だが走ろうとした時、立ちふさがるものがある。
三人の行く手、正面に立つ黒い猫。二足歩行でサバイバルナイフを持っている。右手でチャチャッとナイフをもてあそびながら。
薄く笑う。
「つれねぇなぁ。俺と遊んでくれないのかい?」
タカハシ、舌打ち。
足止め係が残っていたとは思っていなかった。
じり、とサイトウとワタナベが立ち位置を変える。
翠を三方から囲むように。
三人が目で合図をし合う。まずはこいつを片付けないと先に進めないらしい。ならば、と。
タカハシ、土のえぐれた草むらを見る。
翠も、横目でちらりと地面を見る。
そこにはさっきの暴発拳銃が落ちている。
「それ、ニンゲンのだろ。拾っていいぞ。待っててやるから」
暴発したての拳銃である。昔のコルトのように不安定であることが証明済。またいつ暴発するかわからない危険な拳銃など、誰も触りたくない。
「欲しけりゃおまえが拾え。ナイフより飛ぶぜ?」
ほらよ、とばかりにタカハシが道を譲る仕草。
いやいや、と翠も道を譲る仕草
「警察に拾われてからじゃ遅いだろ。おまえのゴミだし、拾っておけよ」
「いや間に合ってる。ナイフしか持ってない可哀想な猫ちゃんにプレゼントしてやるよ」
どうぞどうぞ。
いや、どうぞどうぞ。
美しき譲り合いの図を、なんでサバイバルナイフ片手の殺し合いの場でせにゃならんのだ、と。サイトウとワタナベが困惑している。
ああもういい加減にしろよ、の顔にふたりがなった時。
タカハシも同じことを思ったらしい。
癇癪起こしたように、地面の拳銃を蹴る。
タカハシの後方へ飛んでいく拳銃。
地面につく瞬間に、バフッ、と爆音をたてる。
もういちど暴発したらしい。
三人と一匹、無言。
粗悪品ではなく不良品だった。
舞いあがる土煙がおさまる頃に、翠が口をひらく。
「転職するなら相談に乗るぞ?」
「猫に就職の世話されるほど落ちぶれてねぇよ!」
ブチギレのタカハシ。目線でサイトウに合図。
サイトウ、ワタナベ、肩のガンホルダーから拳銃を出す。
暴発拳銃と同じモデルのYC9。
タカハシは地面から枯木の枝を拾って、翠へ向ける。
にたぁ、と笑う翠。
おお怖ぇなぁ、と挑発する物言いで。
ジャンプする。
バネのある跳躍力で三次元的な狩りをするのが得意な種族である。
タカハシ、翠を見失う。
後ろの高みから、翠の笑声がする。
動物病院近くの公園で。
臨時の緊急幹部会議になる。
場所をペルソナに知られた以上、何かの形で彼らもしくは元大臣の関係組織から、襲撃はあるとみるべき。いつ、どんな方法か。それをどう防ぐか。およその方向性はすでにある。そのプランを急いで具体化せねばならない。
莉々は輪の中に入れない。
アリスに怒鳴られ、うるさいからと右の足首に金属チェーンをつけられ、みんなから離れたブランコの柵につながれている。
犬じゃないんだチェーンを外せ、とわめいたが、ペルソナ側のスパイにわざわざ会議を聞かせる阿呆はいない。
真剣に話をしているアリスと幹部たち。
莉々はすこし離れた柵から、アリスの胸を見ている。
服の下で、ときおりモゾッと動いている。
ミミとネネ。
かわいかった。
仔猫中毒とでもいうべき症状が莉々の中にずっとある。もういちど撫でたくて、抱きたくて、我慢ならなくなっている。
莉々は公園の砂利から軽めの小さな粒を拾う。
アリスの胸めがけて投げる。
うまく当たらない。
二粒目、三粒目、音をたてないよう気づかれないよう静かにそっと投げていく。
小学生が好きな子にちょっかいかけて嫌われてるのと似たようなもの。マイナスの反応でもいいから自分に気づいてほしくて、声をかけてほしくて、ついつい余計なことをする。
アリスは砂利に気づかない。会議に夢中でいる。
莉々も気づかない。仔猫が眠りをさまたげられて、胸のキャミソールのベッドの中で、ぐずりはじめていることを。そして莉々の反対側の、アリスの胸から這い出してきていることを。
佐倉だけは気がつく。アリスの胸が不自然にモゾモゾしていることを。
おやおや、と思って見ている。
まだ産毛だらけのフワフワの赤ちゃんである。アリスの胸元から出たところでその下の膝にすべり落ちるだけだろうと佐倉は予測する。
しかし。
カンガルーのように顔をのぞかせる仔猫たちは、落ちない。
そのまま、ふわりと宙へ浮く。
会議を聞きながら、佐倉は目だけで仔猫を追う。
なぜ浮いてるのだろう。
まるで鳥の胸の羽根のように、風に乗って浮遊しているようにみえるのだが、目の錯覚だろうか。
佐倉は仔猫から目が離せない。
会議に夢中でいるアリスたちにも相談できない。
作戦の役割分担と流れが決まり、アリスが立ちあがる。なお佐倉は負傷者として、作戦には補佐的ポジションしか与えられていない。
アリスが莉々をふりかえる。
「ついてくんな。裏切者」
凍りつくような声で言い、足のチェーンも解かずに公園を出ていく。
莉々は汚い言葉で泣きわめいてアリスを引き留めようとする。けれどアリスは聞こえてもいないよう。
莉々の罵りの声が背中に遠ざかっていく。
仔猫たちは公園出口まではアリスの肩口に浮かんでいた。けれど風が吹く。羽根のように軽く、仔猫たちが空へ浮かぶ。
佐倉はその背に、透明な、仔猫の頭ほどしかない小さな羽根が生えているのを見る。
まるで、化け物アリスの胸の中で、仔猫が孵化でもしたような。
明治神宮。
茂みから茂みへ。翠の声が反響している。黒猫の位置がつかめない。
すぐ足元から枯葉を踏む音がする。
だが誰もいない。
耳をすませたとたん、自分の耳あたりで風を切る音がする。
サイトウが撃つ。
しかし当たった気配もない。
どこだ。
見回すが何もない。
いや、ある。
銀杏の枝から、カギシッポがのぞく。
ワタナベが撃つ。
何もない。虚しく硝煙が上がるだけ。だが黒い短い毛がぱらぱらと降ったように感じる。
焦るな、とタカハシは自分に言い聞かせる。
混乱させて消耗させるつもりか。
猫のくせに面倒な真似を。
そのタカハシのはるかに高い枝の上、翠の本体が愉快そうな笑いをうかべている。
サイトウひとつ、ワタナベふたつ、と数を数えながら。
「撃つな」
タカハシが小声で指示を出す。
「弾切れを狙ってやがる。無駄弾を使うな」
サイトウ、ワタナベ、ちいさくうなづく。
その鼻先で、かすかな笑い声がきこえる。
そこか、と。次こそ外さないよう慎重に撃つ。
だが弾は風を撃っただけ。
ワタナベ、ポケットを触って新しい弾倉があるのを確認する。
カチッと音がする。弾切れである。新しい弾倉に交換するだけじゃないかとつぶやき、ポケットに手をいれる。
その瞬間、ふくらはぎに激痛。サバイバルナイフが肉を裂く。
体が地面に落ちる。つかみそこねた弾倉が、地面に転がる。
サイトウ、目を見開いてワタナベを見ている。
怖くて弾倉を替えられなくなる。
神経を研ぎ澄ます。
次で仕留める、と。
からかうような黒猫の声が耳元にこだまする。来いよ、と。
撃つ。
何も落ちない。ただ風が吹いている。
おそらく今のが最後の弾、と思ったとたんに足に激痛。
サイトウ、叫び声をあげて地面に転がる。
今、立っているのはタカハシだけ。得物は木の枝のみ。
おれの負けか?
あきらめたような顔で木の枝を放り捨てる。
足に激痛がくるのを待つ。
そして。
足元に黒い影が流れた瞬間、ポケットからハイポイントを抜いて撃つ。
いつのまに拾っていた、地面に落ちていたはずの不良品。
ついに弾が当たったか。
翠の目が驚愕で見開かれて静止する。
だがその目に映っているのはタカハシではない。空から降ってくるものがある。
翠の体は弾かれたように転がり、銀杏を蹴って空へ飛ぶ。
タカハシの目が翠を追い、晴天の空へ。
そこへ。
仔猫が空から降ってくる。
二匹で一緒に手をあわせてマチ針を握り、タカハシめがけて落下する。
声にならない悲鳴が空に広がる。
ちょうど上をむいたタカハシの、眼球にマチ針が刺さっている。
ぴよんぴよんと針が揺れている。
血をこぼしながら。
仔猫の背中の羽根はたたまれたのか、今はない。綿花のように軽い仔猫が、ころりん、と地面に転がる。
いたずら仔猫ちゃんね、と佐倉の腕が二匹を抱いて、明治神宮をあとにする。
銀杏の枝のてっぺんで、翠が佐倉を見下ろしている。
悶絶するタカハシへ哀れみの目をくれてから、ひどいじゃないかと佐倉を追う。
「俺のことも心配してくれ。怪我してないけどよ」
佐倉は艶然と微笑んで。
「心配しないわ。あなたの腕はわかってるから」
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