【Vol.12】
「…で?」
雪が笑っている。
冷たい怒りを顔の下に隠して微笑んでいる、ものすごく怖い顔で。
アリスと莉々、ふたり並んで正座して、汗だくでバーベキューの串を作っている。野菜と肉とを猫の一口サイズに切って、つまようじに刺していく。猫用とはいえ三百匹分は、かなりな作業量になる。
雪のうしろにはマグロやタイなどの刺身もクーラーボックスに入れられ山積みになっている。
雪の手には、桃から借りたアイスピック。サディスティックにぴしっと音をたてる。
「バーベキューの買い出しに行って、肉を買い忘れてきたんですね」
作業台に立ち、ふたりを見下ろす雪。
「こんなことなら最初から自分が電話注文するべきでした」
アリス、冷や汗。
「ごめんなさいもうしません」
莉々も、冷や汗。
「あたしという者がついていながら、ごめんなさい」
こめかみがプチっとなるアリス。
「まるでおまえが目上みたいな言い方しやがるじゃないか」
莉々もこめかみがプチっとなる。
「ガキが偉そうにしてんじゃないよ」
「なんだとう!」
つかみあいのケンカになる寸前で、雪のアイスピックが音たてる。
ガンガン!
とふたりの頭で火花を散らす。ふたりまとめて頭にコブ。
「いいかげんにしなさい」
すいませんと言いつつ作業をつづけるアリスと莉々。
そして雪が横むいたとたんに、ふたりそろって顔を合わせて、あっかんべ。
懲りてないらしい。
作業台のすみっこには猫ベッド。
お祭り騒ぎに巻き込まれないよう、ミミとネネが避難している。
二匹で丸くなって、おたがいの毛づくろい。
ときどきチラっとアリスたちを見て、しょうもないなぁ、の顔をする。
ベッドの隣には、ちいさな豆皿。仔猫用にとりわけたタイの刺身がみじん切りになって盛ってある。
つるん、つるん、とヒマつぶしがてらで仔猫たちがタイを口にする。
美味しくてたまらないようで、一口ごとに目を細めている。
なんて可愛いんだろう、と仔猫に見とれて、作業の手が止まっているアリスと莉々。
同時にふたり、おたがいが同じ顔していることに気がつき、ぷいっと横をむく。
こんなに仲が悪いのに、息がぴったりである。
もうじき夜になるだろう、表参道、高級住宅街。
通称「迎賓館」とよばれる、ペルソナ社所有の娯楽施設がある。政治家などを酒池肉林で歓待するための施設である。
表向きはただの豪邸である。
タカハシ、サイトウ、ワタナベの三人が、表玄関から少し離れたところで待機している。
揃いのダークスーツにサングラス。一見サラリーマンのようだが少々手荒な仕事も手がけている空気感がある。
襟を正し、直立不動で、目の奥を光らせ、出入りする車を確認している。
今夜ここに、元総務大臣の中竹先生の連絡係が来ると聞いている。
急ぎでお伺いを立てねばならないことがあり、依頼主の使い走りで出向いている。
「なぁ…」
小声でサイトウが言う。
「接待する美女軍団、テレビでよく見る芸能人も大勢いるって、ほんとかな」
タカハシも小声で答える。
「おれに聞くな。知るわけないだろ」
「そりゃそうか」
しばし沈黙。
運転手つきの超高級車が何台か、玄関に吸い込まれていく。
しかし、中竹先生の連絡係とやらを乗せた車はまだないらしい。到着すれば合図があるとの事なのだが。
「なぁ…」
小声でワタナベが言う。
「ペルソナのバックにいるのが中竹先生だろ。若いやつらに奴隷労働させて搾取した金が中竹先生と与党に流れる、窓口になってるのがペルソナで。なんでそんな自分の餌場に中竹先生の連絡係が来るんだ?」
タカハシも小声で答える。
「だから、おれに聞くな。知るわけないだろ。今夜の接待客に用があるついでにおれらへの用も済ますとかじゃねぇの」
「そうかぁ」
しばし沈黙。
また超高級車が何台か、玄関に吸い込まれていく。
「なぁ…」
小声でサイトウが言う。
それを遮ってタカハシが語気を荒げる。
「おれに聞くな。知るわけないだろ。おまえと同じ、ただの兵隊だ」
「聞くぐらい、いいじゃねぇか。ヒマなんだ」
「じゃ、勝手に聞いてろ」
「インモラルの連中、殺すのかな。全員?」
タカハシ、暮れかけた空を見る。
どうだろな、と遠い目をして。
「今夜はそれを聞きにきたんだろ」
御苑の夜も更けていく。
猫たちの夜。
大吟醸のビンは何本も空になってそこらに転がり、楽しく酔った猫たちが、ネコジャネコジャと踊り明かす。
いくつもの焚火があちこちで燃え、バーベキューの串をくべられている。
マシュマロを溶かして遊ぶ猫もいる。
猫舌なのに焼きたての串にかぶりつき、熱さでと飛び上がってる猫もいる。
アリスはさっきから目のまわる忙しさで汗だくで駆けずりまわっている。すこしでも猫たちに楽しんでほしくて準備した。会が始まってからは給仕にいそしみ、ついでに日頃は話ができない社員たちに声をかけてまわる。話はできてなくても管理者たちからの報告やデータで動きは確認している。いつもありがとう、きみにはこんな美点があること知ってるよ、と伝えて回っている。アリスにとっては雪以外のすべての猫が、世界で二番目に大切なダイヤモンドである。
雪も莉々も、アリスを補佐して駆けまわっている。
莉々は要領はいいらしい。焼けてる串のありかは把握していて、駆けながらポイポイと美味しいところを食べて回っている。
雪は疲れもみせずに立ち働いている。見ているアリスのほうが雪を心配してしまう。すこし休んでくれと頼み、消化のよさげな刺身を雪の口に放りこんでやる。
梅子はブランデーで酔ったらしい。マグロのあぶりをつまみつつ、ぽーっとした目で通りすがりのイケメン猫にみとれている。
桃は隣で、独占欲ばりばりの嫉妬の目で梅子を見ている。両手は女子社員からの貢ぎ串でいっぱいになっていて食べきれてない。なぜか男子社員からの貢ぎ串まで混じっているのを不可解そうに首かしげつつ、ウイスキーをストレートであおる。
「梅、どこ見てんだよ。桃のことだけ見てればいいのに!」
梅子、かちんときた顔。
「なにそれオーボー。お兄ちゃんなんか大きらい!」
にゃんだとう! と勃発している兄妹ゲンカ。飛んできたアリスが二匹の口にぽいぽいとマシュマロを放りこんでいく。もぎゅもぎゅマシュマロを口で溶かしているあいだはケンカもできずに平和な顔。
翠は機動班のみんなと輪になってネコジャネコジャを踊って歩く。
興に乗って、拳をふりあげる。
「さあ、室長を胴上げだー!」
うわ、こっち来るな、と佐倉が焦った顔になる。しかしもう遅い。
班員たちは面白がって一歩引く。
酔った翠がひとり突進してくる。
さも大切そうに佐倉をお姫様抱っこして、空高く掲げる。
まわり中から歓声が飛び、注目の的。
よくもこんな目立つ真似して恥かかせてくれたね、と佐倉。
翠の腕を蹴る。
高く、美しい弧を描いて夜空へ飛ぶ。
ダーツの矢が闇を裂く。
いくつもの矢が翠の毛皮をきれいに縫って、そばの樹の幹へ打ちつける。
翠、身動きとれない。
見事な技に喝采がわく。
かなわねぇなと翠がニヤリ。
ふふんと鼻で笑って佐倉。
「幹部、なめんなよ」
ガラスの器に注いだ大吟醸を高く掲げて、祝杯のポーズ。
「野郎ども、黙ってあたしについてこい!」
ひときわ大きな歓声が上がる。
それでこそ俺の女だ、と翠が大笑いしている鼻先に、おまえのじゃない黙れとダーツがかすめてく。
御苑の樹々が揺れ、宴が最高潮になる。
夜更けの迎賓館、玄関口。
タカハシたち三人は、変わらず直立不動でいる。
小声でサイトウが言う。
「なぁ…」
タカハシが即答する。
「知らん」
サイトウ、勝手に話しはじめる。
「そもそもあのインモラルてのは何なんだ。誰も社長に会ったことがないっていうよな」
「おれも会ったことねぇぞ」
「おれもない。ヒラだしな。じつは狐狸のたぐいが会社やってるとかって噂もあるくらいだし」
「得体がしれねぇから、こうして対処の方針をお伺い立てにきてんだろ。中竹先生の意図に逆らうようなことがあったら、おれらのほうが殺されそうだ」
「だよなぁ」
ふたりの隣から、くかー、と変な音がする。
見ればワタナベが、立ったまま居眠りしている。
夕暮れ時からずっとここにいるのだから疲れるのも無理はないが。器用なやっちゃな、と感心するタカハシたちである。
カーラジオも消してある真夜中。
連絡係は今夜は来ないかもしれないなとタカハシが思う。
ふいにタカハシの胸ポケットで、スマホがバイブレーションする。
自分の上部組織からの連絡である。
通知をあける。
なるほど、とタカハシ。
「お伺いをたてる必要がなくなった。引き上げるぞ」
停めていた車へ乗り込む。黒のセルシオ。運転席へタカハシ、助手席へサイトウ、半分ねぼけたワタナベは後部座席へ。
発進する車の中で、サイトウが聞く。
「どうしたんだ」
ワンブロック進んでから、タカハシがナビのニュースサイトをつけてみせる。
こいつだよ、と。
ニュースでは、日本オリンピック委員会の経理部長が地下鉄に飛び込んだと報じている。
あー、と、納得のサイトウ。
「この人、中竹先生に逆らってた人。そんな気骨のある男が自分から飛び込むわけないよなぁ。つまり」
「地位があっても消されるんだ。正体不明の下請けなんて、消さない理由がない」
「目的地は決まったな。じゃ、次は方法を決めないとな」
後部座席でようやく目がさめたらしいワタナベが言う。
うろんな目をこすりつつ。
「しかし、誰をどう消せばいいんだ。やつらの正体は?」
めんどくさそうにタカハシが答える。
「情報は、むこうから来るよ」
明け方に。
猫たちがみな寝ぐらへ引き上げ、東の空が明るくなりつつある。
アリスが大きく伸びをする。
さあこれからが、最後の仕事だ、と。
そこらのものを片っ端からゴミ袋へ放りこんでいく。
薪も、残飯も、夢の跡のなにもかもを。
莉々もせっせとゴミを分別していく。そして水場へ運ぼうとしている。
アリスがそれを止める。
「洗わなくていい。全部捨てるから」
莉々が怪訝な顔。
「なんで。まだつかえるよ?」
「洗うほうが人件費がかかる。社員の時間も会社の資産だ。常に原価計算しながら動いてくれ」
雪が肩をすくめる。
「地球環境より自社の利益優先。その発想が公害病の源なんですがね」
アリスがまぜっかえす。
「どこの会社でもそうしてるだろ。うちだけが地球優先したって貧乏が加速するだけだ」
ちなみに、とアリスの指が電卓を叩く。
「莉々、いちおう聞くだけ聞いとけ。今日までにかかってるおまえの教育費はこれだけで、生んだ利益はゼロ円だ。社員がよく辞める会社ってのは、見えない資産がそれだけ目減りしている経営下手だ。そのへんもよく見て次の会社選びをするといいぞ」
もう疲れ果ててて理性もどこかへ飛んでる莉々は、その会話が意味する深いとこまで考えていない。ただ聞きたいから聞く。それを相手がどう感じるかまでは配慮できてない顔で。
「アリスにとって、いい会社って、どんな会社だ」
「客と従業員に優しい会社だな。おまえもキャバで経験あるだろ。客からボったくる店は嬢からもボる。嬢がボッたくりの分け前にありつける店はない。まずは目の前にいるやつ幸せにしないやつには近寄っちゃダメだ」
「アリスは、人に優しいのか?」
「どうだろな」
ははっ、と乾いた笑いをうかべて空をみる。
ゴミはなんとか片付いて山になり、あとは集積所へ運ぶだけになっている。
「私は猫にだけ優しい。明日はもっと猫たちに尽くせる自分になれるよう努力しているよ。もっと強くなりたい。稼げるようになりたい。雪に地球ひとつまるごとプレゼント、してみたいなぁ」
雪が肩をすくめる。
ばかな人ですねと微笑んで。
「いりませんよそんなもの。アリスが笑っていてくれればそれで充分です」
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