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【Vol.10】

 むうう、な顔をして莉々がキーボードと格闘している。

 あいかわらずタイピングができない。デスクのすみには小さな猫ベッドが作られていて、仔猫のミミとネネが眠っている。

「もうやめた!」

 いらいらして莉々、キーボードをほっぽらかす。携帯を出してフリック入力しはじめる。

 ミミとネネ、片目をあける。

 ふたり目をかわし、どうしようかと相談する目。そしてそのまま見守る目。

 莉々はミミとネネを見る。手伝ってくれることを期待する目だが、ミミもネネも動こうとしない。恨めしげな目をしながら莉々はフリック入力をつづける。初日とは違い、手つきが滑らかである。左手に携帯、右手にマウス、なんとか一人で入力できるようになっている。

 三木が感心した顔で手元を見ている。

「上手ですね。もうタイピングは一人前ですよ。ただ…」

 どう言ったものか考えつつ。

「たいていのコールセンターでは情報漏洩防止のため、携帯は持込禁止です。弊社で許されているのはきわめて稀なケースです。永遠にここに勤めるならそれでもいいですが、他社へ転職できるオペレータになりたいなら、やはりキーボードは練習しておいたほうがいいでしょう。どんな技術もいつかどこかで役に立つようにできています」

「…そうなン?」

「はい。この世に不要な知識や技術はありません」

 にっこりと三木。

 そうか、と莉々、キーボードを据え直す。

 ぎくしゃくとタイピングソフトを打ちはじめる。

 三木はその横顔を見ている。目だけが笑っていない顔で。

 他社へ転職、の言葉に反応した莉々を。


「ちょっと、いいかしら」

 佐倉が三木に声をかける。

 莉々はタイピングに集中している。

 三木は小声で「失礼」と席を立ち、佐倉のあとをついてフロアを出ていく。

 残されたミミとネネ、顔を見合わせる。

 莉々は三木の姿が見えなくなったとたんに携帯ひらいてゲームを始める。サボり三昧タイムになったと思ったらしい。

 ミミとネネ、猫ベッドの底からマチ針を出す。

 二匹で両手をあわせてマチ針を空高く掲げる。

 顔を合わせて、おたがいの目を見る。

 うん、と、うなづきあってから。

 いきなり莉々の手の甲に、二匹の全体重かけて、ブッ刺す。

 莉々、叫び声あげて天井まで飛びあがる。

「いてぇよ、ひでぇよ、勉強すりゃいいんだろチクショー!」


 社長室にはアリスと幹部三匹がいる。

 おかけくださいと雪にうながされた三木、困惑。本当に座る場所がない。しかたなし社長のデスクの上に正座する。

 雪が横から手を出してマウスを操作し、デスクのパソコンに資料を出す。

「陽子さんの件です。怪我をさせた犯人と経緯がわかりました」

 モニタに顔写真と簡単なプロフが映し出される。

「公園の近所に住んでいる男性です。猫嫌いでボランティア団体とは前々から揉めていました。無職、三七歳、高校中退で職歴なし、実家住まいです。自分がよく散歩する公園で野良猫への餌やりをされたことへ立腹し、動きの鈍かった陽子さんを野球のバットで殴りました。なんとか逃げた陽子さんは防災倉庫に隠れましたが、ボラさんの餌やり時間にも倉庫から出ることができず、衰弱していました。先日の保護団体の公園一掃作戦は、この男から猫たちを守るためのものでした」

 三木、氷の表情。

 怒りを表に出さないようにしているが、毛皮の下で何かが爆発しているのが感じられる。

 アリスが言う。

「私が陣頭指揮をとる。どんな復讐がしたい?」

 三木、無言でモニタをみつめている。

 やっとのことで口をひらく。

「復讐は望みません。戦争は新たな憎しみしか生みません。この男にも親がいます。無実の親御さんを悲しませてはなりません」

 アリスたちはおたがいに目をかわす。

 沈黙。そして。

 アリスが言う。

「おまえがそうしたいなら、仕方がない」

 三木は正座も崩さず目を閉じて、辛そうに悔しそうに耐えている。

 佐倉が無表情で三木を見ている。


 また夜がやってくる。

 佐倉はコールセンター室の扉をうすく開け、いつものように三木が勉強しているのを確認する。フロアの遠くにぼうっと灯るランタン型のライトが、三木の姿を静かに包んでいる。

 佐倉は扉をしめる。

 地上へ出ていく。


 夜の御苑を静かに走る。

 資料は頭に叩き込んである。

 迷いもせずに、あの公園の、すこし離れた民家へ着く。

 二階の窓にかかったカーテンから明かりがもれている。

 資料で見た顔写真と同じ中年男が、パソコンに向かっている。

 なにやら罵詈雑言を書き込んでいるらしいのが表情から伝わる。

 老けているのに幼い顔つき。他人と接触することをやめた高校時代から心の成長が止まっているのだろう。

 さて、と。

 佐倉は大声で鳴く。男のカンに障るよう、耳障りな高い声で。

 男が大きな音をたてて椅子をけとばして窓へ来る。

 乱暴に窓をあける。

 ぎょろぎょろした目で夜の路地をにらみつけている。

 そしてその家の門の上に座って鳴く佐倉をみつける。

 頭に血がのぼったらしい。

 男がどたばたと階段をおりてくる。

 サンダルをつっかけて玄関から出てくる。

 手には野球のバット。

 佐倉が尻尾をふって挑発し、ひらりと門から降りる。


 そこかしこに街路灯があり、新宿の夜は住宅地も明るい。

 男がバットをふりまわして追ってくる。

 だが外に慣れていないらしい。バットしか持っていないのに腕が重そうで、見知らぬ通行人とすれちがうたび目に怯えがうかぶ。そして自分が弱いことへの怒りが自身ではなく佐倉へ向かっている。

 佐倉は悠々と夜道を歩く。

 ときおり後ろをふりむき、男がついてきているのを確認する。見失われたりしないよう、わざと物陰で休んだりもする。

 男は転びそうになりながら走る。

 数百メートルも進んでいないが息をきらしている。

 神田川はすぐそこである。


 街路灯に照らされて、佐倉が舞う。

 ひらりと神田川の中へ。

 男が咳こみながら追いついてきて、柵につかまって川の中をのぞきこむ。

 佐倉はいない。

 川幅は二十メートルほどか。水量はほとんどなく、コンクリートの両岸は干上がっている。川の中央にわずかな流れがあるだけである。猫が隠れられるほどの岩もない、鳥も魚もない、人工的な川である。人目をひく華やかな茶トラの猫を、見失うはずもない。

 クソネコどこいった、と、つぶやいて。

 男が川岸に背をむけ、あたりの遊歩道へ目をむける。

 ベンチの影から飛び出す佐倉。男の後頭部にハイキックをかけようとする。

 しかし。

 佐倉より先に飛び出すものがある。

 黒い毛皮とカギシッポ。

 そいつが男を蹴りとばす。

 げふっ、と変な声をあげ、男が川へ落ちていく。

 けっこうな高さのある、コンクリートの川底へ。


 黒い影が、川岸の遊歩道へ着地する。

 落ちる男を見ていた通行人が悲鳴をあげる。

 救急車とパトカーのサイレンがきこえる。

 黒い影が佐倉に囁く。

「逃げるぞ。急げ」

 我に返って佐倉、影の後を追う。


 公園まで戻り。

 黒い影がふりかえる。

 翠である。

 しょうがないやつ、といいたげな視線を佐倉へよこして言う。

「幹部が命令違反しちゃダメだろう」

 街路灯の反射を浴びて、にぃっと笑う。

「おまえは先に帰れ。罪は俺が背負っとく」

 行け、と凄まれて。

 覇気に負けて佐倉、来た道を戻る。


 あの男の家から老婆が出てきて、佐倉とすれちがう。

 おそらくは母親だろう、男によく似た顔。泣き顔をとりつくろっていたが、口元は笑っている。どうやらあの男は親にまで疎まれていたらしい。


 翌朝。

 社長室には入りきれないため外の廊下で、臨時朝礼が開かれる。

 幹部、管理職がずらりと並ぶ中。

 アリスは物言いたげな渋い目をして通達する。きのうのあの男は怪我をした。一命はとりとめたが病院から出てくることはないだろう、と。

 そして翠と佐倉を見る。しれっとして目をそらして並んでいる二匹の前に立ち。

「翠は命令違反。佐倉は監督不行き届きでな」

 PSG1の銃尻で、二匹まとめて鉄拳制裁する。

 三木は何も言わない。

 おそろいで頭にコブつくって苦笑いでいる二匹を、申し訳なさそうな顔で見ている。

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