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【Vol.01】

 小雨が降っていた。

 仔猫が泣いていた。

 アスファルトの片隅で、車に轢かれたのだろう母猫が横たわっている。とうに息はない。血の流れるアスファルトで冷たくなっている。そのそばで空腹の仔猫が二匹で途方に暮れて、天を仰いで泣いていた。

 けれどその声はあまりにか細くて。

 激しい車通りの音にかき消されて、どこへも届かない。

 ぷるっ、と仔猫たちが寒さにふるえる。

 ぷわぷわの産毛だらけのキジトラの仔猫たち。

 まだ独りでは生きていけない。このままここにいれば数時間とたたないうちに、母猫と同じところへ逝くことになるだろう。

 仔猫たちの助けをもとめる声が、寒さと疲れでしだいに小さくなっていく。


 樹の上に、アリスがいる。

 年は七歳くらいか。ふしぎの国のアリスにそっくりの形をしているが、趣はだいぶ異なる。サイケデリックなパンク仕様で極彩色に染まり、わざとズタズタに裂いたエプロンドレスは無数の金のピンで飾られている。背中にはPSG1。本人と大差ないほど長い銃身の狙撃銃を背負い、まるで年配のような醒めた目をしている。

 新宿御苑の、欅の樹上。

 まるでユキヒョウのように大きい銀色の猫が丸くなって眠っている。名前は雪。彼を枕にしてアリスが寝そべり、インカムから流れる無数の声を聴いている。そして人を小馬鹿にしたような笑みで唇を歪める。銀のピアスのついた深紅の唇を。

 アリスが背からPSG1を抜き、スコープをのぞく。

 小さな丸い、十字の目盛のついた視界。

 小雨のふりはじめた中、男の姿が映る。御苑から少し離れた緑地帯にいる。網をかまえて草むらの老猫をつかまえようとしている。老猫は動きも鈍くて頭に怪我をしていて、全身の毛を逆立てて本気の戦闘モード。男は狂暴で憎々しげな顔をしている。どうみても飼い主ではない。虐待や毛皮などが目的での捕獲。動物愛護法違反。犯罪である。

 アリスはPSG1を構える。

 発砲する。

 弾が男の頬をかすめ、一筋の血を流す。

 平然としたアリスの表情。おそらくはわざと外した威嚇。殺意はない。

 男は頬に手をやり驚いている。あたりの樹の枝かなにかで切ったと思ったらしく、そばの枝を睨みつける。

 アリスがインカムへ囁く。

「足止めはした。人間には機動班、猫様には救護班を」

 了解、とインカムから返答がある。

 男がそばの枝を払いのけ、逃げようとする。

 その足元に、黒い猫の影。

 男が足をすべらせる。歩道から横断歩道に出ようとしたところ。歩行者用信号がもうじき赤になるタイミング。

 転んだ男を、走り抜けていくトラックがひっかける。おそらくそこに歩行者がいたことにも気づかず、トラックが去る。

 男が歩道にいる。肩がつぶれて倒れている。

 救急車を、と叫ぶ人々の声。

 緑地帯には屈強な猫たちが現れる。こっちだ、と老猫を導き、草むらへと姿を消す。


 樹上にて。

 スコープから一連の動きを見ているアリス。安心した顔をして老猫の姿が消えていくのを見送る。

 スコープから目を外そうとした時。

 視界に仔猫が映る。

 母を亡くして泣いている。二匹のキジトラの仔猫たち。

 アリスがインカムへ言う。

「もひとつ発見。こっちは私が出向く。たまには私も現場に出たい」

 枕になっていた雪が、そんなアリスを目を細めて見ている。

 そしてアリスよりも先にふわりと音もなく地上へ舞い降り、待ちの姿勢。

 邪悪な笑いをうかべてアリスも飛び降りる。

 雪の背中へ。

 アリスを乗せて、雪が走り出す。


 御苑のそばのアスファルト。

 莉々がしゃがみこんでいる。冷たくなった母猫へ痛ましげな目をむけてから、仔猫たちを掌にのせる。

 すこしは安全だろう歩道の街路樹の根元へ、仔猫たちをおろす。

 湿ったダンボールが落ちているのを拾って形を整える。タオル地のハンカチをしいて、仔猫をダンボールへ移す。

 雑に染めた金髪、水商売風の派手なギャルメイク、ごてごてのアートネイル、そして真紅のキャバ嬢スーツ。年は二十を過ぎたばかりか。色素が薄くて小動物のような可愛さがあるが、長い夜職のせいか、やさぐれて荒んだ空気感がある。

 ダンボールに手を入れて、仔猫をなでている。

「ごめんね。あたし無職でさ。明日のゴハンもないんだよ」

 なでられた仔猫、まるで莉々の言葉がわかっているよう。顔からこぼれそうなほど大きな瞳で、じっと莉々を見上げている。

 莉々はシャネルのバッグからボールペンを出す。

 ダンボールに大きな字で『ひろってください』と書く。

 書いて、自分の文字をみつめて、何かを考える。

 そして。

 仔猫と一緒になって、自分もダンボールに入る。あたしも拾われたいよ、と言いたげに。

 ダンボールの中の穏やかな世界。莉々は仔猫をなでながら空をあおぐ。妙に落ち着いた、あるべきところへ自分が収まったような、しっくりきている顔。

「どこへ行ってもクビになるんだぁ。あたしだって良い子なのにさぁ」

 ふふふと笑って莉々、SNSでバズっていた陽気なメロディを口ずさむ。

 双子の仔猫たちがシンクロしてリズムをとる。

 小雨に汚れたダンボール、一人と二匹が奏でる即興のミュージカル。

 つかのまの小さな天国。

 けれど歌の終わりに、莉々が絶句する。

 あるべきでないものが、そこにある。

 ダンボールのふちに。

 巨大な、ゴッキーが。


 声にならない莉々の絶叫。

 ダンボールをけとばして、飛び上がって逃げていく。

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