XXですが、酒場ですので『マスター』と呼んで下さい
酒場のマスター視点です。
私の店に来たお客様には、願わくはみんな幸せになっていただきたい。
この世界は1000人の冒険者が勇者と呼ばれる最も強い存在を目指して戦い合う世界です。
バッヂをつけた冒険者たちは、殺し合うもよし。協力するもよし、裏切るもまたよし。
逃げ回るもよし、奪いにいくもよし。
自由っていいですね。
1000日が経つと新たな冒険者が補充されます。
その時に生き残っていた者が一人であれば、その者が真なる勇者とされます。
勇者は、世界の栄光も名誉も金も勝ち取る事ができる。
夢がありますねえ。
まあ、999人の敵を殲滅させるなんて、そうそうできることではありません。
夢物語と言われても仕方ないです。
私はもうそんなことには興味など無くなって、今はもっぱら酒場の経営に勤しんでいます。
殺し合いや、狩りや、略奪と戦う冒険者たちのオアシス。
やりがいがあって面白い仕事です。
「せっかく剣士の称号を得たのに、こんなもんクソだ~! 俺はザコッ! 便所の紙の方がまだ役に立つぜ~」
お若いお客様がくだを巻かれています。
こんな時は、話を聞くに限ります。
ここは昼間はカフェ、夜は酒場の店。
ですので、こんな昼間の時間帯に酔っ払いがいらっしゃることは稀ですね。
何か事情がおありのようです。
「お待たせいたしました、ジンレイムです」
「っく……婚約者も出ていきやがったし……うう……もう終わった……人生詰んだ……」
泣き上戸のようですね。
だからといってマスターは詮索いたしません。
話されたいときにお聞きするのが大切ですからね。
「マスターごめんね! こいつ、昼から酒飲んでさ、ちょっと酔っぱらっちゃって」
「かまいませんよ。何やらお辛いことがあったとか」
冒険者の相棒でしょうか。
隣に座った赤魔導士のお客様が、泣いている剣士のお客様を揺さぶりました。
「おい、いつまでぐだぐだ泣いてんだよ」
「だ、だって……うう……お、俺が、必殺技の一つもできてりゃあ、こんなことには」
「まだレベルあげの途中なんだって。冒険に出てすぐはあがらないよ」
「うう、魔導士さんは魔法がポンポン言えてさ、こんな俺みたいなクソザコの気持ちわかんねぇよ! 俺なんか、俺なんかっ……うっ……うわああああん」
じめじめされることこの上ありません。
仕方がありませんね。
このままカウンターにきのこが生えてしまっても困ります。
「お客様方はパーティーなのですね」
話を振ると、赤魔導士様はああ、ついさっき知り合ってダンジョンに潜ってきた、とうなずきました。
「だけど、こいつのレベルがなかなか上がらなくて……」
「そうでしたか。ちなみに今はどこを?」
「アルケスティスの洞窟の探索」
「ああ、そうでしたか。あそこは蛇やら百足やらがたくさん出るでしょう」
「そうなんだよ。それで何回かリタイアしたら、こいつ、自信なくしちゃってさ」
私は隣の赤魔導士様に、ご注文の冷えたリル・ウォーターを提供します。
リルというのは柑橘系の緑の実です。さっぱりするんです。
もちろん、ノン・アルコホールです。
昼間ですから、大人としてはかくありたいですね。
「ていうか、オジサンさあ」
「おや。酒場ですから、マスターとお呼びください」
「はは、マスターはさあ。いつからこの仕事してんの」
「はっきりとは覚えておりませんが……かなり前からですねえ」
「すげぇよな。でも」
赤魔導士のお客様の目がにんまりと持ち上がります。
おやおや。
「噂に聞いてたよりも、不用心だね」
「どういうことでしょう」
彼は私の胸元につけていた冒険者バッジを指差します。よく見てますねぇ。
「あんたが『ボス』なんだろう。俺は知ってるんだ。いつでも訪れることのできる最初の町の酒場のマスターが実は」
「それ以上はおやめ下さい」
と、私はお客様をいさめました。
春先は時々いるんですよね。
こういうヤカラが。
赤魔導士様が私に向かって、
『ファイア・ボム!』
と詠唱しました。
グラスが割れてはいけません。
私は慌ててバリアの呪文を唱えます。
なんとか無事でした。
ああ、びっくりした。
「お客様、酔いすぎですよ」
今ならそういうことにしてもいいですよ。
できればお勘定を済ませて、すぐに帰宅してほしいものです。
「見てただろ!? 一滴も飲んでねぇよ!」
なぜか怒り出す魔導士のお客様。
いや、もうお客様ではありませんね。
「今は油断しただけだ。降伏しろ。次は当ててやる」
「うーん。最終通告ですが……次に攻撃されたら、お客様ではなく『敵』と扱いますよ。今なら昼間からの酔いのせいにできます」
「だから俺は飲んでねぇっての!」
冷静そうに見えたのですが、残念です。
隣のつぶれて寝てしまっているお連れ様も、そのつもりでしょうか。
まあ、後で構いませんね。
「死ねェッ! 灼熱の炎!」
全く、木製のカウンターにそのような炎魔法を近づけるなんて、どのような心づもりなのでしょう。
焦げていないか心配です。
私は攻撃魔法を発動した赤魔導士に向かって、人差し指を向けました。
「残忍な悪魔の嚥下」
これはお客様のご注文を復唱するように、はっきりと詠唱するのがコツです。
間違えると、ものすごく気性の荒いツバメが無数に出てきてしまうという怖い技です。
さて、私の右手の人差し指の先から、契約済みの悪魔が出てきます。
今回は闇魔法なので、サタンのサッちゃんです。
どうぞよろしくお願い致します。
私の指の先端から、まるで油が滴るように、黒くて濃密な霧が現れ始めます。
初めは微かですが、あっという間に黒い霧が形を変え、絡み合いながら蠢動し始めます。
一つの大きな生き物のようですね。
角が頭部に生え、尖った耳と裂けた口。
目は赤く、宝石のようにキラキラと輝いています。大きなお口がキュートです。
魔界でスカウトしたかいがありました。
サッちゃんは私の指の先から完全に分離すると、空中でふわりと一回転しました。
そして――。
「うわ!? あっ、ああああぁぁぁあっ! ああ、あ、あっ」
赤魔導士を頭の先からがぶりと食べてしまいました。
サッちゃん、おなかすいていたんですかね。
以前よりも、嚥下が速い気がします。
後にはチリ一つ残りませんでした。
さすがのサッちゃんです。
満足したようにサッちゃんは私の爪をひと舐めすると、指に帰ってくれました。
それにしても驚きました。
木製のカウンターの上で炎なんて。
私は一枚板のカウンターを見て、小さく叫び声をあげました。
端の方が黒焦げになっています。
これは百万年に一本しか生えない、クリフォトの樹で作った貴重な物なのです。
全く、最近の若者は、火で木が燃えると習わないのでしょうか?
私は心を落ち着かせながら、ワイングラスを磨きます。
夜からはカフェはバーになるのです。
グラスを十も磨いた頃でしょうか。
「ん……あれ? 赤魔導士さんは……?」
カウンターで寝ていた剣士のお客様が、むくっと起き上がりました。
「別の場所に行かれたようですよ」
と、私は事実をお伝えします。
「えぇぇっ!? 俺の財布も、貴重品も、アイテムも、全部預けてたのに……!? 帰ってくるって言ってました!?」
「いいえ。もう帰ってこなさそうでしたよ」
と、私は事実をお伝えしました。
「うわぁ……どうしよ。すみません! 俺、無一文なんです! っていうか、荷物、全部なくなっちゃった」
「ふむ」
攻撃してくる気配はありません。
どうやら、赤魔道士の暴走のようです。
というか、彼は無銭飲食のようです。
どうしましょう。
これは初めてのケースです。
私は首をひねって考えました。
困った。
今度は中指のナッちゃんの出番でしょうか。
悪には鉄槌をというのが、私の密かなポリシーなのですが。
「こっ、ここで! 働かせてください!」
おや。
おやおやおや。
「働きたいと言われたのは初めてですねぇ」
「あっ、そうなんですか!? すみません、俺は剣もからっきしなんで、掃除くらいしかできないと思うんですけど」
「掃除?」
「ああ。はい、俺は五人兄弟だったもんで、人並みの簡単なことしかできないんですが」
「ほうほう」
「あっ。あと、料理はわりとできると思います。母ちゃんいなかったから、兄ちゃんと家のこと全部やってましたから……まあ、それも、たいしたものとかできなくて、庶民の家庭料理って感じですけど……」
「採・用!」
素晴らしいですね。
料理ができる人材が来てくれました。
「私は酒と飲料は作れても、料理はからっきしなんですよ」
「ええっ、そうなんですか! 意外です。マスターは何でもできそうな感じでしたから」
マスター。
良い響きですね。
何度言われてもいい。
なかなか見どころのある青年じゃないですか。
「俺、ルーカスっていいます!」
「よろしくお願いしますね」
もう少し仲良くなったら、ルーちゃんとでも呼びましょうか。
私は、新人従業員のルーカスに、リルの実を絞った冷たい水を出してやりました。
「うまい! 染み入りますッ。いい匂いしますね」
「ええ。リルの実がちょうど半分残っていたので」
「ありがとうございます~」
幸せそうなルーカスは、大柄な犬さながらの忠実さがありそうです。
忠実な下僕は大好きです。
(さて、住み込みなのは当然として)
何年ほどかけて返済して頂きましょうか。
私はクリフォトの樹の一枚板の値段を伝えるべく、ゆっくりと口を開きました。
おわり
マスターは勇者であり、魔王でした。
というオチでした。