第7話「空へと広がる新たな脅威」
五百雀千雪が丸い船窓から見やる外の景色は、戦争そのものだった。
|皇立兵練予備校青森校区の敷地内に停泊した羅臼の周囲は、武装したパンツァー・モータロイドがひっきりなしに行き来している。カーキ色の89式【幻雷】は、この校区の生徒たち……幼年兵が乗る機体だ。
通常のトルーパー・プリセットで出撃に備える機体が、隊伍を組んで並ぶ。
中には対艦用のバズーカ砲や有線ミサイルランチャーを抱えた機体もある。
どれも皆、千雪にとっては同じ学校の生徒、同窓の仲間が乗るPMRだった。
「――千雪、五百雀千雪! 貴様、余所見とは余裕だな? 私の話を聞いていたか?」
鋭い刃のような言葉に、千雪は視線を声の主へと戻す。
ここは羅臼の中、士官用の一室だ。目の前では腰に手を当て、スクリーンの前に立つ矮躯がこちらを睨んでいる。この部隊……急遽編成された青森校区戦技教導部の面々、|皇国海軍PMR戦術実験小隊《こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》の指揮官、御堂刹那特務三佐だ。
彼女は小さな体を懸命に逸らして、精一杯の威厳を演出していた。
「すみません、御堂先生。……御堂特務三佐。話は聞いています、続きをどうぞ」
「そうか、ならいい。見ろ! これが先日、沖縄要塞を襲ったパラレイドの映像だ」
スクリーンに悲惨な戦場の惨劇が映り込む。
PMRのガンカメラが捉えた、人類の天敵……パラレイド。その姿に、同じ机を囲む五百雀辰馬や御巫桔梗、ラスカ・ランシングなどといった面々も息を飲む。
南海の島を埋め尽くす、冷たい殺意で駆動する殺戮兵器の群体。
続けざまに刹那が見せる映像はどれも、皇国陸軍の苦戦をはっきりと刻んでいた。それでも確か、先日の沖縄要塞での防衛戦は勝利で集結した筈だ。多大な犠牲を払って。
見ていた仲間の面々からも声があがる。
「こりゃ、いつものアイオーン級だな。それとこっちはアカモート級か……代わり映えしねえ感じだけどよ」
「前衛のアイオーン級が数で押してきて、後方からアカモート級の援護射撃ですね」
「典型的な物量作戦じゃない! 沖縄の連中、なにやってたのよ! ま、まあ、勝ったからいいんじゃない? 次元転移してきた分は全部、ブッ潰してやったんでしょ?」
ふーむ、と唸って、兄の辰馬が腕組み椅子の背もたれに沈み込む。彼の隣では桔梗が、なにか気になることがあるらしく刹那に映像の再表示を促していた。繰り返しスクリーンに映し出される惨劇を前に、流石のラスカも色を失っている。
そして千雪は、この場にいない一人の少年のことを気付けば想っていた。
摺木統矢がこの映像を見れば……どの写真に対しても、あの眼差しを注ぐだろう。
全てを燃やして焼き尽くすかのような、紅蓮に燃える暗い輝きの瞳で。
だが、先ほど格納庫に呼ばれて出ていった統矢は、このミーティングにはいなかった。
この大事な集まりで集中力が欠けている自分に溜息を零しつつ、千雪はふと表示されているスクリーンの写真を見やる。そこになにか違和感を感じたのは、桔梗が声をあげたのと同時だった。
「御堂先生、この映像にも……止めてください、これにも」
「ん? ああ、気付いたか。それと、御堂特務三佐と呼ばんか。……まあ、作戦のない時は私もこの青森校区の教員、そして戦技教導部の顧問だが。今は貴様らの上官だからな」
「失礼しました、御堂特務三佐。あの、先ほどの映像……そう、これです。他のものにも」
椅子から立ち上がった桔梗は、スクリーンまで歩いて刹那の隣に立つ。こうして二人で並ぶと、刹那の童女然とした小ささは嫌がおうにも目立った。
桔梗は表示されたスクリーンの映像の、その一点を指差す。
そこには、空の上に小さな黒い点が映っていた。
「他のものにも映っていましたが、これは……?」
「ああ、よく気付いた。流石は部で一番の狙撃手だ……いい目を持っている」
刹那は連続して映像を切り替え、それぞれの空にある黒い点を手にした鞭で指した。確かに千雪も感じた謎の違和感……それは、大半の映像に染みとなって刻まれている。
沖縄の青い空が硝煙に燻ぶる、その中に黒い点が映っているのだ。
そしてそれは、日本皇国及び人類同盟の航空機である可能せはゼロに等しい。
パラレイドが跳梁跋扈する戦場での飛行は、イコール撃墜に等しい自殺行為だからだ。
「我が軍、ひいては人類同盟の航空機ではない。勿論、ウロボロスでもこの件に関しては関知していない。これも恐らく、パラレイドの戦力と思われる」
「へえ、空飛ぶパラレイドねえ……刹那ちゃん、どゆこと? 俺らにもわかるように話してくんねえかな?」
辰馬の言葉にクスリと笑って、桔梗が「辰馬さん」と釘を刺す。
へいへい、と生返事で身を正した辰馬は、その瞬間にはもうニヤケた優男の表情を引っ込めていた。そこにはもう、減らず口の冗談ばかりな部長の姿はない。新しく発足した皇国海軍PMR戦術実験小隊……通称、フェンリル小隊の部隊長の顔があった。
「だから御堂特務三佐と呼べと……全く! これだからガキは嫌いなんだ、腹が立つ!」
「刹那ちゃんだってガキんちょだろ? まあいいや、御堂特務三佐殿。是非、本件に関しての詳しい説明を願い出るものであります!」
「クッ、調子のいいことを……まあいい。見ろ! 先ほどの映像を拡大したものがこれだ」
刹那はスクリーンの映像を切り替えた。
そして、画質のやや荒い拡大したものが大きく表示される。
それを見た瞬間、思わず千雪も眉根を寄せて身を乗り出し、じっと映像の中心を凝視してしまった。額を寄せ合うように、ラスカも辰馬も同じようにして机の上に前のめりだ。
それは、この時代には珍しい飛行機、航空機に見えた。
三角形のフォルムは全翼機、大昔のステルス爆撃機を思わせる。
「ちと絵が荒いぜ、こいつはよ」
「なにこれ? 三角が飛んでんの? ちょっと、もっと鮮明な画像はないの!」
「……一応、我々ウロボロスで独自に解析し、コンピューターによるCG補正を行ったのがこれだ」
苦虫を噛み潰すような顔で、刹那が次の映像を表示させる。
スクリーンの画像を上から塗り潰すように、徐々に鮮明になって色付く機影……フルカラーで綺麗な姿になったのは、空を飛ぶ真っ赤な航空機だ。
それは正しく、空を飛ぶパラレイド……今までの長い戦いの歴史で、初めて現れたタイプだ。
「人類同盟ではこれを新たなタイプと認定する動きがある。そして、これが先日の旧北朝鮮特区で撮影された映像だ。仔細は省くぞ、こっちにも例の空飛ぶ三角が映っている」
今度は一転して、昨夜遅くの朝鮮半島での戦闘画像になった。
つい千雪は、映像のアチコチに映る中国のPMRに目を奪われる。
「95式【梅水】ですね。この塗装パターンは本国仕様でしょうか。武装は、これも珍しい……着剣しての銃剣突撃。やはりパラレイドとの戦闘は近距離白兵戦が――」
「うおーい、愚妹よ、千雪よぉ……声に出てんぞ、声に」
「アンタね、千雪……どんだけPMRオタクなのよ。んでー? この絵?」
ラスカが唇を尖らせて、机の上に両腕を投げ出し突っ伏す。
彼女の碧眼が見詰める画像は、夜明けに白み始めた空に……やはり、黒い点。もはや言われるまでもなく、刹那が拡大したものを表示させる。
またしても戦場の空に、三角形が映り込んでいた。
「解析画像を重ねるぞ、よく見ておけ……これが、二機目だ」
またしてもコンピューターで補正した画像が上書きされる。そこには、先ほどの赤い空中パラレイドと非常に酷似した姿が現れた。
やはり、全翼機のようなシルエットで、白に塗られている。
「こっちのは白だ。なんだ? 敵さんにも、パラレイドの野郎にもパーソナルカラーがあんのか?」
「どうでしょう……なんともいえませんね、辰馬さん。御堂……特務三佐。この空中に現れた飛行タイプのパラレイドは、どのような戦闘介入を? 作戦への影響は」
桔梗の言葉に、黙って刹那は首を横に振る。
「飛行タイプは初めてだが、全く戦闘に介入した形跡はない。爆撃もしてこないし、そもそも沖縄要塞でも旧北朝鮮特区でも、戦闘中はその存在に軍は全く気付かなかったのだ」
「偵察、ということでしょうか? 観測が任務の機体とか」
「まだ判断できんが、はっきりしていることが一つだけある。連中は……パラレイドは、空を飛ぶタイプを有している。強力な光学兵器による絶対対空能力で、この星から空軍を消滅された連中が……自分たちだけはのうのうと戦場の空を自由に飛び回れるのだ。この意味がわかるか?」
すぐに千雪にも理解できたし、周囲の仲間たちにも伝わったようだ。
今、この地球上で航空戦力は存在せず、制空権などという言葉は過去の遺物になった。パラレイドとの最終戦争において、圧倒的な対空戦闘能力を持つ敵に航空兵器は無力化されたのだ。今は空軍を持つ国は少なく、存在していても輸送や偵察等、支援任務しか行っていない。それは、海軍が僅かな偵察機や輸送機、そして大型の巡航飛行船を持つ日本皇国も同じである。
だが、先の沖縄要塞、そして昨夜の旧北朝鮮特区での戦闘は、その常識をひっくり返す。
敵は、開戦より三十年近くが経過した今、初めて航空戦力を見せてきた。
基本的に陸戦兵器のPMRを中心とした人類同盟は、この脅威に今後さらされるかもしれない。完全に敵の制空権の下で戦わねばならず、飛行タイプのパラレイドを地上から迎撃できるかどうかはまだ未知数だ。
「この、赤い方をコードα、白い方をコードβと呼称している。我々ウロボロスでも事実の確認と究明を急いでいるが……ポジティブな要素など一つもない。敵は悠々と空を飛べるが、我々がこれを迎撃するために航空戦力を差し向ければ、それは地上から光学兵器で全て叩き落とされることになる」
部屋の中を不気味な沈黙が満たした。
だが、それも長くは続かなかった。
突如ドアが開かれ、少年の弾んだ声が響く。それは千雪にとっては、重苦しい中での清涼剤のように感じられた。
入室してきたのは、統矢ともう一人……八十島彌助特務二尉だ。
「本当なのか、おい! あ、ええと……八十島特務二尉」
「ハッハッハ、小生のことは彌助兄様と呼んでくれたまえよ!」
「お、おう……彌助、兄様? えっと、だからさっきの話!」
「ああ、事実だとも。摺木統矢、君の擱座した97式【氷蓮】は既に運び込んでいる。今、小生の設計で新しい装甲を新造しているところだ」
「つまり、また乗れるんだな? あの機体で俺は、戦えるんだなっ!」
「勿論! 君が急げというから突貫作業で行っている。御巫重工からのデータも入手済みだ」
周囲の視線に気付いた統矢は、その中に千雪を見つけて顔をあげた。彌助の背格好に合わせて身を屈めていた彼は、背を伸ばすや千雪の前にやってくる。
そして、それが当然であるかのように千雪の手を握ってきた。
「千雪、聞いたか! 俺の【氷蓮】、直るんだぜ! お前が手伝ってくれた俺の図面、使ってくれてさ……パーツはないからあいつが、あ、いや、彌助の奴が造ってくれるってよ!」
「そ、それは……おめでとう、ござい、ます」
「ああ、やったぜ! これで俺もまた戦える……あの機体はまだまだ戦えるんだ」
手を握る手にさらに手を重ねて、笑顔で統矢は千雪の手を大きく上下させる。少し面食らった千雪だが、たちまち頬が火照るのを感じた。恐らく赤面してるであろう顔が熱くて、思わず千雪は俯いてしまう。
そんな彼女に全く我関せずで、統矢は満面の笑みで話を続けていた。
【氷蓮】が直る……あの子が治る、それは嬉しい。
でも、今の嬉しさは多分、肌で感じる温もりと柔らかさの方が強いかもしれなかった。
「摺木統矢! 貴様、早く座れ! いいか、かいつまんで説明するぞ……ん? おい、更紗れんふぁはどうした? ったく、あのウスノロが! この後は実験が控えているんだ、奴も呼んでこい!」
イライラと声を荒げた刹那に気付いて、ようやく統矢は千雪の手を離した。
そうして統矢は、彌助と一緒にドアの方を振り向く。
だが、そこには誰もいない……皆がそう思った時だった。
そっと、ドアの隙間かられんふぁが顔を出す。彼女は半分ほど顔を覗かせて部屋の中を見渡し、そうしてまた引っ込んでしまった。
「あ、あのぉ……恥ずかしいんです、けど。上……なにか羽織るもの、ないですかぁ?」
「いいからさっさと入って来い、更紗れんふぁ! いちいち説明するのが面倒だ、摺木統矢と一緒に話を聞け! 新しいパラレイドのことだ、貴様らの……私たちの敵のことだぞ!」
「で、でもぉ……なんでわたし、こんな格好を」
おずおずとれんふぁが部屋に入ってきた。
そして千雪は絶句する。
咄嗟に桔梗が、辰馬の両目を背後から手で覆った。
ラスカは「げっ!」と乙女らしからぬ言葉と共に固まってしまう。
流石に統矢も目を逸らして、千雪の視線に気付くと「こ、困るよなあ? な?」と妙な笑みを浮かべた。なんだか嬉しそうに見えて、ちょっと千雪は嬉しくない。
ニヤけた締まらない顔の統矢に、ムスッと無表情をいつも以上に仏頂面にしつつ……何事かと千雪も首を捻る。
れんふぁは、裸に近い格好で立っている。
裸の方がまだ、と言いたくなるような服で立っているのだ。
「みっ、見ないでくださぁい! こ、ここ、これは……そこの特務二尉さんが」
「ハッハッハ、照れないで彌助兄様と呼んでくれたまえ」
「この人が! こんな服を着ろって……なんですか、こんな水着みたいな、下着みたいなの! 信じられないですっ」
一言で形容するなら、紐だ。
れんふぁは水着を着ている、下着をはいてるという感じではない。
紐で縛られているという形で、どうにか局部を隠している状態だった。
皆が揃って見詰めれば、得意気に彌助が喋り出す。
「これから【シンデレラ】の起動実験をするだろう? あの機体は謎が多く、更紗れんふぁの生体データが認証キーとなって起動するようだ。言い換えれば、彼女にしか動かせないと思われ、しかし多くの未知の技術が――」
「ええい、御託はいい! 八十島彌助特務二尉! 貴様っ、なにを考えているのだ! なんという破廉恥な……更紗れんふぁ、貴様も貴様だ! なぜ、はいそうですかとそんなものを着る!」
「刹那、そう怒らないでよ。どの生体データが認証キーになってるかとか、【シンデレラ】のデータを取るためのスーツなんだ。小生の趣味は少ししか入ってないよ」
ふええ、とれんふぁは泣きそうになっている。
制服の上着を脱ぐと、千雪はそれを彼女に羽織らせてやった。その間もずっと、兄の辰馬は「見えねえよ、おい桔梗」「見なくていいんですよ? 辰馬さん」と、恋人とイチャコラしていた。
そして統矢はと言えば、バツが悪そうにしているものの……やはり顔が緩んでいる。
やはり、面白くない。
面白くないので、つい頬が膨れてしまう千雪だった。
ともあれ、新たな脅威……空に出現したパラレイドの対策も急がねばならない。既に人類同盟の大人たちも動いているだろうが、これで人類は空の戦場を失ったばかりか、一方的に制空権を握られたに等しいのだ。
更なる戦いの激化を前に、千雪は緩い場の空気に溜息を零すのだった。