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第6話「フェンリルの産声」

 その夜が寝付けなかったことを、五百雀千雪(イオジャクチユキ)は生涯忘れないだろう。

 一日の出来事として許容できる範囲を、大幅に超えた真実の濁流(だくりゅう)に溺れたからだ。しかし、その現実に対してまだ、第三者でいられる千雪はよかったかもしれない。

 暴かれたDUSTER(ダスター)能力の正体。

 更紗(サラサ)りんなと更紗れんふぁの、遠くて近い不思議な接点。

 あと……弁明は聞いたが、御堂刹那(ミドウセツナ)を押し倒していた摺木統矢(スルギトウヤ)の青い若さ。

 どれもが、千雪にはショックだった。だから睡魔の訪れは遅かったし、ウトウトし始めた頃には叩き起こされた。その夜は誰にとっても、長い一晩になった。

 千雪が重い(まぶた)に朝日を疎ましく感じているのは、そういうことだった。


「どした、千雪。寝不足か? 眠そうな目、してるな」


 忙しく生徒たちが出入りするパンツァー・モータロイドの格納庫(ハンガー)で、千雪は声に振り返る。そこには、相変わらず周囲と違う()(えり)姿の統矢がいた。

 周囲の者が鉄仮面のように扱う、無味無臭の無感情を見ても統矢はいつも気軽に喋る。千雪の表情がまるでわかるかのように、気さくに声をかけてくれるのだ。


「……そんな顔、してますか? 統矢君」

「ああ、いつものジト目が五割増で重そうだ。それよか、戦技教導部(せんぎきょうどうぶ)の機体は全部あっちに搬入済みだろ? 行こうぜ、御堂刹那の奴……せ、先生を待たせるとカンカンに怒るからな」


 そう言って歩き出すので、千雪も統矢の背を追う。

 昨夜遅く、再びパラレイドの次元転移ディストーション・リープ反応があった。

 場所は朝鮮半島、韓国と中華人民共和国の間にある旧北朝鮮特区だ。半世紀ほど前までは破滅的な独裁国家があったが、今は政権が崩壊して空白地帯となっている。中国と韓国、両国が一緒に統治する経済特区となった場所だ。

 そこを昨晩、パラレイドの大軍が襲った。

 その一報が飛び込むや、日本皇国(にほんこうこく)の全土を緊急警報が突き抜けた。

 幼年兵(ようねんへい)たる皇立兵練予備校こうりつへいれんよびこうの各校区も、第一種臨戦態勢に突入したのだ。

 だが、不思議と統矢は緊張感を見せず、ポケットに手を突っ込んで歩く。

 乗る機体がない今、千雪には(つの)る苛立ちを隠しているのが見て取れた。


「なんだっけ、あの女、御堂先生が言ってた……【シンデレラ】だっけか。れんふぁの乗ってたアレ、もう羅臼(らうす)に積み込んだみたいだ。仕事早いのな、ったくさ」

「ええ。でも、この非常時に戦技教導部だけ羅臼に集結というのは、どういう意味でしょうか」

「さあな。ただ、パラレイドと戦わせてくれるなら文句なんかないさ。……機体、ないけどな」

「統矢君……あの、もしよければ私の――」

「いいよ、遠慮しとく。あのピーキーな改型参号機(かいがたさんごうき)、お前より上手く使える自信ないしさ」

「そうですか……」


 とぼとぼと二人が歩く先で、高高度巡航輸送艦こうこうどじゅんこうゆそうかんの羅臼が出港準備をしている。そのPMR(パメラ)格納庫には既に、千雪たちの機体は運び込まれていた。

 そして勿論、トリコロールで塗られた謎のPMR、【シンデレラ】も。

 多くの生徒が幼年兵として編成し直される中、千雪たち戦技教導部の者たちだけが呼び出されていた。どうやら青森校区側も了承済みのことらしいが、説明は一切ない。行けばわかるとばかりに、先生たちはなにも言わずに半ば放り出した状態だ。

 巨大なカタパルトが突き出た格納庫ブロックへと、統矢のあとに続いて千雪もタラップを上がる。


「っと、いたいた! ちょっと統矢、遅いじゃない! っと、千雪も一緒? なにやってたのよ」


 広い広い格納庫へと出れば、見慣れた金髪の矮躯(わいく)が早足で歩いていた。キョロキョロと落ち着かない小動物のような少女は、同じ戦技教導部のラスカ・ランシングだ。彼女は統矢を最初に見つけるや駆け寄ってきて、そのあとで千雪に気付いて眉を潜めた。

 平然としていられる千雪だったが、そうしたい気持ちを統矢は気付いてはくれない。


「なにって、さっき連絡を貰ったばかりなんだよ。ほら、俺たちクラスが一緒だから」

「そ、そうっ! ならいいわ、許してあげる」

「……え、なにその上から目線。どした? あ、腹が減ってるのか」

「ち、違うわよっ! 統矢、アンタね……レディを食いしん坊扱いしないでくれる?」

「そっか、悪かった、スマン。……じゃあ、これはいらないか」


 統矢はいつのまに調達したのか、ポケットから軍用タイプのカロリーカムラッドを取り出した。健康的な栄養バランスを考慮して作られた完全食で、スティック状の固形食だ。色々な味があるが、千雪はココア味という名のチョコレート味が好きである。

 ラスカは統矢の取り出した携帯食料を見て、一瞬瞳を大きく輝かせた。

 だが、思わず食べ物にリアクションしてしまった自分に気付いたのだろう……慌てて腕組み、プイとそっぽを向いてしまう。


「な、なによっ! そんなの、PMRのコクピットにあるサバイバルキットに入ってるじゃない! 勿論、アタシのアルレインにも積んであるわ!」

「そうなんだよ。俺がクラスのみんなと使う89式【幻雷(げんらい)】、予備機に回されたからな。ほら、俺が戦技教導部ごとこっちに来たから。ありゃ、パーツ取りに使われて骨も残らない感じだな」

「呆れた……そこから引っこ抜いてきた訳? ホント、男って食い気ばかりね!」


 いや、それはラスカに言われたくないのでは……と千雪は思ったが、あえて口には出さなかった。ラスカはそのまま大股に、肩で風斬り歩き出す。どうやら目的地は一緒のようで、千雪も統矢と一緒に歩いて、揺れるツーサイドアップの背中を追う。

 途中で擦れ違う整備員たちは、忙しそうに走り回っていた。

 格納庫には、ざっと見てPMRが二個小隊規模……このクラスの(ふね)としては異様に少ない。まばらな94式【星炎(せいえん)】は、普段は見たことがないネイビーブルーに塗装されている。

 そして、仕様もカラーリングもまちまちな千雪たち戦技教導部の、五機の89式【幻雷】改型(かいがた)は酷く目立った。向かう先でケイジに固定されているが見えて、その周囲に人が集まっている。

 先を歩くラスカは、ちょっと歩調を落とすと統矢に並んで振り返った。


「で? 何味(なにあじ)?」

「ん? ああ、さっきの……チーズ味だけど」

「なんで! どうしてフルーツサラダ味じゃないのよ。……ま、まあ、いいわ。我慢するから、ほら!」

「なんだ、結局腹が減ってるんじゃないか。ほら、やるよ。あんま食うと太るから気をつけろよ」

「うっさいわね! アタシはカロリー消費も高いし、代謝が激しい方だから関係ないの!」


 統矢の手からひったくるように携帯食料を奪い取ると、早速ラスカは開封して食べ始めた。一生懸命カツカツと食べてる姿は、アホっぽいのに少しかわいい。

 そんなやり取りをしている内に、格納庫の奥で千雪は兄の五百雀辰馬(イオジャクタツマ)が手を降っているのを見つける。並べられた自分たちの機体の前に、既に彼は副部長の御巫桔梗(ミカナギキキョウ)と一緒にいる。勿論、更紗れんふぁも一緒だ。

 今、やはりというか、ついというか……どうしても千雪はれんふぁを直視できない。

 それでもれんふぁは、ぽてぽてと走ってくると千雪の周りを一周してから腕に抱き付いた。


「千雪さんっ! おはようございますっ!」

「おはようございます、れんふぁさん」

「昨夜、朝鮮半島にもパラレイドが……場所、近いですよね。この間は沖縄だったし」

「朝鮮半島、特に北部の旧北朝鮮特区は軍事的な要衝(ようしょう)です。PMRの配備数も充実してますし、いざとなったら人類同盟(じんるいどうめい)を通じて在韓米軍の部隊が展開すると思うので。それに、もう戦闘は終息していると聞きました」

「……いつまで続くんでしょう、こんなこと」


 れんふぁの問いに応えられる人間など、この時代の地球には一人もいないのだ。千雪はそう思うが、同時に一人だけいるような気がする。それは、統矢をDUSTER能力なる怪しげな力の覚醒者と断言し、秘密裏に行動を起こし始めている人間。秘匿機関(ひとくきかん)ウロボロスの特務三佐(とくむさんさ)と名乗る、謎の少女……否、謎の幼女。御堂刹那なら、なにかを知っているのではという予感は今、千雪の中でとてもリアルなものになり始めていた。

 そして、同時に不吉な凶兆だとも思える。

 こうして戦技教導部が集められたのも、あの刹那の(つる)の一声なのだから。


「よう、統矢! 同伴出勤とはやるねえ……いつでも持ってっていいぞ、うちの愚妹(ぐまい)を」

「おはようございます、摺木君。ラスカちゃんも、千雪ちゃんも。あとで佐伯瑠璃(サエキラピス)さんも来るそうです。以後、このメンバーの管轄が軍に……海軍に移るとか」


 千雪はとりあえず、ニヤニヤ締まらない笑みの兄、辰馬を一発ド突いた。こういうことが気安くも日常茶飯事な兄妹仲(きょうだいなか)だったし、手加減する千雪の拳を、二発目は手で受け止めてくれる辰馬は優しい。

 統矢と同伴出勤……なんと甘美(ウットリ)な響きだろう。

 恋愛経験ゼロな千雪には、なんだか嬉し恥ずかし、そして恥ずかしくなるくらいに嬉しい。なのに、顔はいつもの無表情で、黙って兄へ拳を繰り出すしかできない。

 そして、肝心の統矢はなんのリアクションもなく、桔梗と話している。

 心なしか、距離が近い、気がする。

 自然と千雪は、兄を懲らしめる拳に力がこもった。

 いつものあの、有無を言わさぬ声音が響いたのはそんな時だった。


「揃っているな、貴様ら! 御苦労、以後は貴様らは幼年兵とは別の軍人扱いとなる。正規の皇国軍人と変わらぬ権限と責任が発生する、そのことをまずは頭に叩き込め!」


 今日も朝から、御堂刹那はトップギアでロケットスタートだ。

 常人ならエンスト不可避なテンションで、彼女は小さな身体をピンと伸ばす。姿勢の良い佇まいは軍人のそれだが、ややサイズの大きい軍服が全く似合っていなかった。

 だが、一同の前に来た彼女は、長い長い銀髪をかきあげながら言葉を続ける。


「それと、新しい私の部下を紹介する。おい、自己紹介を……ん? いない、だと……ええい、またかっ! どこだ、彌助(ヤスケ)! 八十島彌助(ヤソジマヤスケ)特務二尉(とくむにい)!」


 振り返った場所にいるべき人間がいなかったからか、とたんに刹那は猛烈に怒り出す。その声が、天井の高い羅臼の格納庫に木霊(こだま)した。

 そして、ずっと向こうで【星炎】の頭部装甲から、ハシゴを鳴らして降りる小さな影。

 近付いてくるその男は、くたびれた白衣を()()るように着た子供だった。

 そう、丁度見た目は、見た目だけは……今の刹那と同じ年頃の少年に見えた。


「ハッハッハ、すまんね刹那。いやなに、海軍で独自にチューンした【星炎】だ。まだ配備数、というか制式配備前の物で14機しかない。見れる時に見ておきたいのだよ」

「御堂特務三佐と呼ばんか、(しめ)しがつかんっ! だいたい、どうしていつもそうなのだ」

「ふむ、つまり刹那は君自信が感じる小生の奇行、それも一方的に奇天烈(きてれつ)極まりない言動だと断じている、小生の生き方に対しての説明を求めているのだな? よかろう、話せば長くなる」

「黙れ。そして、いいからこっちに来い! ……はぁ、どうしていつもいつも」


 にこやかな笑顔がなんだかイラッとする、そんな印象を受ける眼鏡の少年がやってくる。彼は刹那の隣に立つと、居並ぶ戦技教導団の面々を見渡したあとで、ゴホン! とわざとらしい咳払いを一つ。そうして、眼鏡のブリッジをクイと、手袋で覆った指で押し上げる。


「はじめまして、青森校区戦技教導団の諸君。小生は八十島彌助、技術士官だ。階級は特務二尉とかいう怪しげなものだが……なに、遠慮無く彌助兄様と呼んで(なつ)いてくれたまえ……む!」


 真剣な表情で図々(ずうずう)しい自己紹介を終えた彌助は「むむむ……!」と千雪を凝視してきた。なにごとかと思った時には、一歩前へと踏み出た彼の手が……あろうことか、制服の上から千雪の胸の膨らみをモシリと鷲掴(わしづか)みにする。

 反射的に千雪は、全く表情を変えずに……遠慮無く彌助の鳩尾(みぞおち)に膝蹴りを叩き込んでいた。


「ふごお! なんという御褒美(ごほうび)……小生、達しそう、である。フ、フフフ……いいぞう!」

「御堂先生、ブン殴ってもいいでしょうか」

「蹴ってからいうな、馬鹿者。はあ……八十島彌助、貴様のような男が同じウロボロスの人間かと思うと、私は恥ずかしい。ええい、恍惚(こうこつ)の表情をやめろ! この変態が!」


 ウロボロスとかいう秘匿機関は、よっぽどの人手不足なのだろうか? 刹那もそうだが、彌助も見た目はほんの子供、どう見ても十歳前後だ。

 だが、頬を赤らめ息を荒げた彌助は、不快そうに顔を歪める刹那の隣で起き上がった。


「いい乳、いい蹴り、そしていい反応だ。小生が思うに、今やっと確信したのである……君が五百雀千雪君か。君の改型参号機、そのGx感応流素ジンキ・ファンクションの反応レベルを上げよう。もっとフィードバック限界を高めにとって、フ、フフフ……うむ! いいぞ、もっと鋭く(はや)くなる」

「! ……御堂先生、この子は。この方は」

「こんな下衆(げす)でもPMR研究の一人者でな。さて、本題だ」


 刹那は大きな溜息を零すと、やれやれと肩を(すく)めつつ喋り出す。


「青森校区戦技教導部の諸君、現時刻を持って諸君らを日本皇国海軍の准尉(じゅんい)待遇とする。これは陸海軍共通で通用する正式な階級なので、それを忘れるな」

「……だってよ、お前ら。刹那ちゃん、どゆこと? 部長の俺も全然聞いてない話なんだな、これがな」

「だから今、話している……五百雀辰馬。これより貴様らは皇国海軍の軍人として特務部隊に編入される。その名は……|皇国海軍PMR戦術実験小隊《こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》。コードネームはフェンリル小隊だ」


 (おどろ)く千雪は、自分の驚愕(きょうがく)が自分のものだけではないことを知る。

 誰もが目を点にする中で、ニヤリと笑った刹那の表情が(ふく)みを持って冴え冴えと輝く。そこには、悪巧(わるだく)みを秘めた野心のような、もっと恐ろしく暗く鋭いものが感じられた。


「現在、主力兵器であるPMRを運用する陸軍が戦場の主役だ。空軍は廃され、海軍は輸送任務や戦略支援、偵察機による哨戒(しょうかい)と索敵任務……ようするに雑用の丁稚(でっち)だ。そういう現状を打破すべく、アメリカ海兵隊のPMR部隊に(なら)った新機軸の海軍PMR運用ノウハウを模索する部隊が編成された。それが、皇国海軍PMR戦術実験小隊だ」


 そして刹那は、はっきりと告げる。幼年兵である千雪たちの、逃れられぬ宿命の見えぬ(かせ)を再認識させてくる。


「以後、貴様らは皇国軍人として、幼年兵たちに死ねと命令できる。そして私は……貴様らに死ねと命令できる。覚えておけ。死にたくなかったら私の命令には絶対服従だ! ……安心しろ、私は盤上(ゲーム)(こま)が減るのは嫌いだ。死んだ駒に価値はないし、貴様らの価値を消しはせん」


 かくしてここに、新たなる魔狼が産声をあげた。全国の校区でも強豪の戦技教導部、通称フェンリル……北の大地で牙を研いできた千雪たちが、名実ともに軍の部隊として戦うことになった瞬間だった。

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