第21話「ガラスの靴が引き裂く先へ」
波間に浮かぶ、白い月。
ゆらゆらと揺れる水面に今、月影と共に巨人の姿が映っていた。
五百雀千雪の側で、摺木統矢の97式【氷蓮】セカンド・リペアが身を引き絞る。巨大過ぎる剣を鞘へと納め、まるで居合い斬りに精神を研ぎ澄ませる侍のよう。
目の前には今、新たな姿となったセラフ級パラレイド、サマエルが迫る。
サマエルの背後からの援護射撃も、圧倒的な装甲表面を奏でるだけだった。火花を歌いながらも、全く意に介さず襲い来る敵意。
だが、広域公共周波数に呟かれる統矢の声は、酷く落ち着いていた。
あの瞳に逆巻く暗い炎が、燃え爆ぜて烈火と化す瞬間。
『【グラスヒール】、アンシーコネクト、モードS……フルドライブッ!』
身構える【氷蓮】の手元で、巨大な単分子結晶の剣が鞘と繋がる。
刃を鞘に納めたまま、鍔にあたる二丁のビームハンドガンが輝き出した。そのまま銃身が回転するや、鞘へ銃口を向けて接続される。それはまるで、現在の人類が生み出せぬ極小サイズの粒子加速器から、鞘へとエネルギーをバイパスするかのよう。
唸りを上げて【グラスヒール】の鞘が震えながら光り出す。
目の前に迫るサマエルを睨みつつ、千雪は愛機89式【幻雷】改型参号機を身構えさせた。だが、背に庇う統矢の機体から声が走る。
『出力安定、アブソリュート……千雪っ、下がってろ! こいつでっ――』
千雪は機体を翻して浅瀬を走る。
巨大な鋼の壁と化したサマエルに相克して、【氷蓮】が苛烈な光を呼び込んだ。
統矢の絶叫が闇夜を貫く。
『沈めっ! はああああ……食らってぇ、寝てろぉぉぉぉぉぉっ!』
抜刀。
鞘走る剣が、輝きの奔流を解き放つ。
刃が纏う光が、夜空さえ両断するように突き抜けた。
新たに建造された、【グラスヒール】の鞘……それは、単分子結晶の刃を保護するためだけのものではなかった。二丁のビームハンドガンと直結されることで、そのエネルギーを増幅……放たれる剣閃は、粒子の切っ先となって全てを断ち割る。
光の刃が、サマエルを擦過した。
僅か一瞬、月まで伸びるかのようなビームの斬撃。
一拍の間をおいて、サマエルが突進を鈍らせ【氷蓮】を避けた。
パラレイドが、人類の兵器を避けた、よけたのだ。
「統矢君っ!」
『このまま畳み掛けるぞ、千雪っ!』
遅れて、千雪の背後で水柱が上がる。
それは、切断されたサマエル丙の豪腕。
目の前で傾きつつすれ違うサマエルは、丙とでも言うべき第三の形態で海に逃げてゆく。その腕は根本から断ち切られており、バランスを著しく欠いていた。
そして、千雪以外の者たちにも伝わっただろう。
はっきりと今、パラレイドは動揺していた。
無感情な殺戮装置の集合体、パラレイド。末端の雑兵クラスからセラフ級にいたるまで、恐るべき連携と統制で襲い来る天敵……個にして全、全にして個。なんのタイムラグもなく一繋ぎで駆動するシステムが今、破綻して見えた。
やはり、セラフ級は――!?
だが、考えるより先に千雪は飛び出す。
「チャンスですね……この間隙に、全てをぶつけます! 統矢君っ!」
『決めるぞ、千雪!』
波涛を泡立たせながら、東京湾の奥へとサマエルが逃げてゆく。その巨体が振り向く鼻先へと、千雪は改型参号機を押し出した。
自らの機体を砲弾にしたかのような、突破力が爆発する。
大質量の重量級パンツァー・モータロイド……【幻雷】改型参号機。
その厳つい姿が、限界加速で拳を引き絞った。
さながら、海と空とを引き裂く地上の流星。
スラスターの光で尾を引き、破滅へ死をもたらす禍星だ。
「正中線……捉えました。穿つっ!」
サマエルは残った片腕を振るい、千雪の肉薄を嫌うように繰り出した。
しかし、千雪は避けない。
逃げない……回避しない。
攻撃に全てを集中し、見切る。最小限の動きで、直撃だけを防ぎながら前へ。前へ、先へ……鋼の拳を限界まで振りかぶれば、改型参号機の全身でラジカルシリンダーが絶叫をあげた。
サマエルの攻撃が、改型参号機を掠める。
火花を散らして、巨大な質量が装甲を擦り、削ってゆく。
左側を突き抜けた一撃が、改型三号機の空色の外装を引剥した。あまりにもあっけなく、重装甲が嘘のように解れてゆく。風圧と衝撃とが襲う中で、千雪は愛機の悲鳴を聴いた。我が身を引き裂かれるような想いの中、さらに踏み込む。
千雪の改型参号機は、空色の破片をばらまきながら……零距離を取った。
サマエルの戦車のような下半身に降り立ち、拳を打ち出す。
それは、人類最古の武器。
人間が初めて振るう武器。
誰もが生まれながらに持ち、産声とともに握って振りかざしたもの。
拳だ。
合金製の特殊構造で、近接打撃用に鍛造された鉄拳が炸裂する。
インパクトと同時に、サマエルがピタリと動きを止めた。
「統矢君、今ですっ! 分離して空に逃げる前に!」
『おうっ! ……見てろよ、千雪。俺はもう、独りで戦ってる訳じゃ……むしろっ! さっさと分離、しや、がれえええっ!』
改型参号機は、最後の一撃を放って行動不能になっていた。
右腕がひしゃげて砕けると同時に、サマエルの表面は陥没。
師範クラスの古武道を習得した千雪の、無手の体術が表現する破壊の芸術……正拳突きは、サマエルの背後まで突き抜けて海を割った。
東京湾がサマエルを中心に左右に押し開かれる。
その中へ、迷わず統矢は飛び込んできた。
彼の【氷蓮】は、鞘を背に戻して両手で大剣を振りかぶる。
真っ向から唐竹割の要領で、統矢の切っ先が中心線をなぞった。
真っ直ぐ一直線に、縦に斬撃が走る。
『っし、やったか! ……チィ、まだ分離しない。ってことは!』
行動不能になった千雪の改型参号機は、ガクンと揺れて倒れ込む。統矢の【氷蓮】は、自重より1.5倍程重い改型参号機を、苦もなく抱えて持ち上げた。
片腕で肩に大破した改型参号機を担ぐや、統矢は離脱しようとした。
ひび割れノイズが走るモニタにそれを見ながら、機体をチェックしつつ千雪は叫ぶ。
「統矢君、サマエルが……もしや、この形態、サマエル丙は」
『なるほどな、海戦用に特化した防御形態ってとこか。陸海空、全ての戦場に対応する全領域殲滅兵器……だがっ!』
周囲で突然、海水が渦を巻いた。
サマエルは残った片手を無限に伸ばして、周囲へ巨大な竜巻を生んでゆく。その中に統矢と千雪を閉じ込めて、そのまま伸びる腕を巻きつけようとしてきた。
周囲を乱舞する水圧と拳の中、統矢が上だけを見て飛ぶ。
【氷蓮】は最新鋭のPMRで、そのスラスター出力は強化されている。だが……もはやデッドウェイトと化した千雪の改型参号機を抱えているため、その圧倒的な推力が奪われていた。
徐々に月夜の星空が狭くなってゆく。
真上に丸く小さく、外への出口が閉じてゆく。
「統矢君っ、私を捨ててください! この子、重過ぎます」
『黙ってろ、千雪っ! 舌を噛むぞ! ……この程度っ、【氷蓮】ッ! 飛べ……翔べえええっ!』
統矢の絶叫しっぱなしの声が、裂帛の気迫を絞り出した。
同時に、【氷蓮】は隻眼を輝かせながら飛翔する。
周囲を取り巻き圧してくる。サマエルの腕をすり抜けて、空へ。巨大な渦潮の中心となったサマエルを見下ろし、千雪が無重力を感じた、その時。
その刹那、僅か一秒にも満たぬ一瞬。
統矢は、片手でぶら下げていた【グラスヒール】を、真下へと投擲する。
神罰の雷の如く、全力で投げられた巨刃がサマエルに突き立った。
次の瞬間、ふわりと半壊した改型参号機が浮かび上がる。
宙へと千雪の機体を踊らせた統矢は、同時に自分も最後の力で横に並ぶ。
まるで、手に手を取っての輪舞曲に舞うように。
夜想曲の調べが、沈黙の中で二人だけの時間を作った。それは、繊細で緻密な操縦、そして操作だ。二機分以上の重さを全力で空へと押し上げた、その限界上昇点での反転。既に機能の大半が死んでる改型参号機を、まるでリードするようにバランスを整えて持ち上げ……その横に自分も並ぶ。
必死で死に体となりつつある愛機を繰りながらも、千雪は思った。
まるで、統矢の一秒、彼だけの瞬間は……その密度がまるで無限に膨らんだかのような|錯|覚を現実にする。人智を超えた判断力と反射神経、そして演算力。それはもう、神業という言葉ですら生ぬるい。
「統矢、君……もしや、これが? これなんですか……統矢君の力。DUSTERの力」
『決めるぞ、千雪ッ! あれを二人でブチ抜くっ!』
「あれを……はいっ! 動いて、いい子だから……最後の一撃、蹴り抜いて!」
二機のPMRが急降下、揃って突き出す脚部を尖らせる。
統矢と千雪、二人は今……機体を重ねての蹴りを打ち出した。それは、見上げるサマエルの下半身に突き立つ、【グラスヒール】へと吸い込まれてゆく。
ガタガタと揺れながらモニタが死に、操縦席で火花を散らしながら配線が千切れ舞う中……千雪の渾身の蹴りが冴え渡る。統矢と同時に放った必殺必中の一撃は、二人で同時に【グラスヒール】を押し込んだ。
クレーター状に海が陥没し、天へと激流の如く波が屹立する。
水柱の中心で今、千雪は統矢と共にサマエルを貫いていた。
ヘドロの海底が顕になる中、二機のPMRの同時攻撃が敵を沈めて押し込む。
次の瞬間、サマエルの巨体は光りに包まれ……三つの影が舞い上がった。
「分離しました! ……クッ、限界です。統矢君、追ってください!」
ラジカルシリンダーのオーバーロードで、改型参号機は完全に沈黙した。絶対元素Gxによる精神感応波で駆動する、人工筋肉ラジカルシリンダー……だが、負荷が限界を超えれば動かなくなるのが道理だ。
予め千雪の高度な操縦に追従するよう最適化され、高い限界値を誇る特注品でも同じである。
そのまま海が元に戻ろうとする中、千雪は沈んでゆく。
地球へと押し込み、単分子結晶の刃を蹴り抜いて穿った一撃……乾坤一擲、最後の力でさえ、サマエルは倒せなかったようだ。空には今、三機の飛翔体がフォーメーションを組み直している。それを見上げる改型参号機の視界が、どんどんモニタを砂嵐に変えた。
だが、統矢は静かに【グラスヒール】を拾って納刀、背負い直す。
そして、両腕で簡単に千雪の機体を抱き上げた。
「と、統矢君!?」
『俺の……俺たちの、勝ちだ。俺はもう、独りじゃない。みんながいてくれる。そ、それに、まあ、あれだ……千雪が、いる。もう、独りじゃない。俺たちは、一つだ』
「そ、それは……あの、ええと……いいんですか? 私……期待してしまいます、よ?」
『見ろよ、千雪……終わりだ。致命打を受けて、奴は分離し再合体……だが、もう新形態はねえよ。三位一体、三体合体……既に手札は全て出しきった』
統矢の声は、妙に落ち着いていた。
勝利の確信に満ちて、穏やかささえ感じる。
そして……千雪は今、豊満な胸の奥に高鳴る鼓動を聴いていた。鼓膜の奥に反射するかのような、大音響の心音が膨れ上がる。
みんながいると、統矢は言ってくれた。
みんなとは別に、千雪がいるから……確かにそう言った。
次の瞬間にはもう、大破した愛機のコクピットで千雪は真っ赤になる。天使のラッパが高らかになる中で、真面目な優等生の中に潜んだ乙女心が爆発する。
あっという間に、普段は秘めていた想いが痛々しい妄想を連れてきた。
ウェディングベルが鳴る。
ハネムーン、青い海に瀟洒なコテージ……二人きりの、初夜。
共に暮らす家での、新婚生活。
二人の愛の結晶、出産……そこまで千雪の暴走した妄想が広がっていた。無表情の無感情で通った、クラス委員の優等生は……少し思い込みが強すぎて、時々痛い娘だった。
「統矢、君……私、子供たっくさん産みます。バンバン産みますので」
『あ? なに言ってんだ? おい、千雪……』
「そうですよね、私たちは一つですよね……一つに、なりたいですよね! 私と一緒ですね、統矢君!」
だが、頭上では再合体したサマエルが月に舞う。
巨大な満月を背負って、蒼い光の円に翼が広がった。最初に見せた形態、サマエル甲だ。飛行可能な空戦形態で、尖った耳や背の翼はまるで神か悪魔か。
しかし、ゆうゆうと陸へあがった統矢の【氷蓮】は、その両腕にスクラップ同然の改型参号機を抱いていた。
そして、統矢が確信する勝利が近付いてくる。
既に心を一つにし、絆で決意を束ねて紡いだ戦友たち……戦技教導部にして|海軍PMR戦術実験小隊《かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》の仲間たち。フェンリルと呼ばれた戦士たちの逆襲が始まる。
『んじゃ、まあ……みんなとトドメといくか。悪ぃ、千雪。降ろすぞ』
「堕ろすだなんて……私、産みたいです。産みます、そして統矢君と育てて、明るい家族計画を、ひぁぅ!?」
夢見心地だった千雪は、突然愛機を降ろされ……というよりは、放り投げられて落下する。王子様とお姫様のような雰囲気が霧散し、鋼鉄の狂戦士はスクラップとなった戦友を手放したのだ。
それは、頭上でサマエルが両腕を天へ突き出すのと同時。
禍々しい姿で、サマエルが上へかざす手と手が光を呼ぶ。巨大なエネルギー反応と共に、肉眼で目視できる程の巨大な光球が生まれる。そして、膨らんでゆく。
恐らく、あれがサマエルの最強最大の攻撃……星さえ削って大地を消し飛ばす、恐るべき戦略レベルの破壊攻撃だ。だが……その災厄が放たれる前に、フェンリルたちの声が響き渡る。吼え荒ぶ戦士たちの最後の力が、殺戮の熾天使を追い詰めていった。




