第19話「蒼月に吼える」
月明かりだけが照らす廃都は、静寂が死となってどこまでも続く。
かつてこの街には、一千万の都民が暮らしていた。ここには皇都として、国家の中枢があった。経済と流通の一大拠点として、世界と繋がっていたのだ。
それが今は、無残な廃墟となって沈黙に沈んでいる。
封鎖された禁地として閉ざされた遺都、東京。
その中を進む三機のパンツァー・モータロイドは、互いの死角を庇い合いながら周囲を警戒していた。その中の一機、89式【幻雷】改型参号機に乗る五百雀千雪は、先程から頭上を行き交う会話に眉を潜めていた。
緊張して声音の硬い美作総司一尉と違って、先程から五百雀辰馬は流暢だ。
『いや、だから俺は言ったんだけどよ……さっきのアレ、似合わないってな』
『そ、それは、まあ……でも、彼女も必死なのだろう。辰馬君、君のためを思ってだと自分は思うけど』
『そらまあ、わかるけどな。でも、なんつーか……女の子はやっぱかわいいのが一番だって。総司さんもそう思うだろ? な? なあ?』
『……ちょっと前時代的な発想かな。聞く人が聞けば怒るよ、それは。ね、千雪ちゃん』
突然話を振られて、千雪は愛機の首を巡らせる。
前方の白無垢の機体が兄の89式【幻雷】改型壱号機、その隣のカーキ色の機体が総司の94式【星炎】だ。辰馬はグレネードランチャー付きの40mmアサルトライフルに、パイルバンカー内蔵の大型シールドと、通常のトルーパー・プリセットに準じた装備だ。
総司の機体は、火力重視の88mmカノンが両肩から突き出るガンナー・プリセットだ。重量の関係から、手には40mmカービンのみを携行している。
恐らく、三機で小隊行動を取る上でのバランスを考慮したのだろう。
当然の如く、千雪の改型参号機は零距離での格闘戦に特化した前衛、インファイターだ。
指揮官機である改型壱号機が中衛ならば、総司は後衛での砲支援を引き受けたらしい。
その総司の言葉に、千雪は曖昧な返事を返す。
「前時代的、というのは……そうだと思います。けど」
『はっはっは、流石は我が愚妹! わかってるな? お前もいつもブスッと仏頂面してないで、少しはかわいくしなきゃ駄目だぜ?』
「……少しくらいは、私も。それとも……少しもかわいくないんでしょうか。かわいげ、ありませんか? 私」
総司と辰馬は、同時に黙ってしまった。
思わず、改型参号機の豪腕でブン殴りたくなる。そういう気持ちが、操縦桿のGx感応流素に拾われてしまいそうだ。
だが、ややあって引きつる声が返ってきた。
『い、いやあ! 千雪はかわいい、かわいい妹だぜ! な、なあ? 総司さん』
『え? あ、ええ! そうですね、かわいいですね!』
『腕っ節は強いし、文武両道で頭もいい! 腹筋も割れてるしよ!』
『少し資料を拝見しましたが、驚くべき撃墜スコアですよ。並外れた操縦技術ではありませんね! ええ、もう感嘆する他ありません! はは、ははは』
二人のフォローになっていないフォローで、千雪は大きな溜息を零す。
そして、自分が一番よく知っている。
千雪は己がかわいげのない少女であることを知っていた。そして、皇立兵練予備校の青森校区で、誰もが憧れる存在だということには気付いていない。多くの上級生や下級生に憧憬の視線で見詰められても、全く彼女の知るところではなかった。
千雪が振り向かせたいのは、ただ一人。
だが、その少年は今、負傷した仲間の元にいる。
死んだ幼馴染と全く同じ顔の少女に、付き添っている。
そうして欲しいと望んだのが千雪で、彼も今はそうしたいと言ってくれた。
「……辰馬兄様、パラレイドの反応はありませんか? 任務中です、集中してください」
『はいはい、っと。んー、対地センサーにレーダー、反応なし。次元転移の予兆も観測できねえな。地面の下の敵ってなあ、厄介だぜ』
専用のプリセットを装備することなく、高い索敵能力を誇る改型壱号機。|皇国海軍PMR戦術実験小隊《こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》、通称フェンリル小隊の隊長機だ。各々の技量に合わせて極端なチューニングが施された改型弐号機以降と違って、改型壱号機は傍目にはまともなバランスに見える。
だが、やはりそこは戦技教導部が使うじゃじゃ馬チューンだ。
恐らく並のパイロットなら、立たせて歩くことも困難だろう。
そういった意味では、辰馬のパイロットとしての腕は確かで、心なしか千雪は誇らしい。
月光が浮かび上がらせる白亜の機体は、どこかヒロイックで頼もしく見えた。まるで、旧世紀のアニメや漫画に出てくるロボットモノの主人公だ。
そう思いつつ周囲に気を配っていると、突然辰馬の声が緊張を帯びる。
『ッ! ……反応があった、近付いてくる! 500m後方……450、400!』
『こっちでも確認した! 千雪ちゃん、後だ!』
咄嗟に千雪は機体を翻すや、ズシャリと愛機にアスファルトを踏み締めさせる。様々な駆動音が折り重なる中で、振り向いた改型参号機がキュインと関節部を高鳴らせた。
今、人気の失せた大通りを進んでいた三機が立ち止まる。
左右のビルは全て廃墟、明かりの灯らぬ都市の死骸だ。
そして、所々に横転した車両が散らばる中……後方から動力反応が近付いてくる。
潔く必要最低限、バッサリと索敵能力の大半をオミットした千雪の改型参号機にも、接近する機体が認識できた。
だが、その反応は不意に広域公共周波数で呼び掛けてきた。
聞き覚えのある声に、千雪たちは三者三様に安堵の溜息を零す。
『わーっ、タンマ! タンマであります! 撃たないで欲しいでありまーすっ!』
闇の中から浮き上がるように、見慣れた機体が現れた。ロービジ仕様の都市迷彩は、埼玉校区の89式【幻雷】だ。既に軍の第一線を退役した旧型機だが、PMRの基本理論は数十年前から完成しているため、現行の機体との差はそこまで大きくはない。
それでも、勝利のために1%の性能向上、1%の勝率向上が求められていた。
パラレイドとの戦いに勝利せねば、人類と地球は共に滅亡する。
それだけは、確実な100%の未来なのだ。
千雪は緊張感を解くと共に機体を一歩下がらせる。
「……ひょっとして、渡良瀬沙菊さん、ですか?」
『はいであります! 千雪殿っ、自分を置いてくなんて水臭いであります。不肖、渡良瀬沙菊がお手伝いするでありますよ!』
現れたのは、埼玉校区の渡良瀬沙菊だった。自称、千雪の大ファンだという奇特な娘である。一年生だが、そばかすの目立つ元気な笑顔が千雪の脳裏を過ぎった。
そして多分、弾んだ悪びれない声は、その表情を裏付けるように明るい。
だが、子犬のように懐いた声を、苛立ちに尖る言葉が遮った。
『例の三体合体するセラフ級を探すなら、自分も力になれるでありま――』
『なんてことをしてるんだ、君は! 一年生だな? 君たちが出てきては危険だ!』
『ッ……え、えとぉ……お、怒ってるでありますか? 美作一尉』
『当たり前だ! 君たち埼玉校区の幼年兵には待機命令を出した筈だ。まったく、なんてことを……下手をすれば死んでしまうぞ! そういう危険な任務なんだ、これは!』
総司の怒りももっともだが、なにかが千雪の中で引っかかる。
幼年兵を使い捨てて、見殺しにするようなことは避けたい……確かに総司はそう言っていた。そして恐らく、その中に自分たちフェンリル小隊の少年少女は含まれていない。
それほどまでに、千雪たちの高度な戦技、戦闘能力は買われている。
既に正規の海軍軍人でもあるし、千雪は特別な扱いを求めている訳ではない。だが、やはり総司の善意と良心に引っかかるものがある。
そうこうしていると、怒り心頭の総司とは裏腹に、千雪の兄が言葉を選んでくる。
『まあ、それはさておき』
『辰馬君! 全く……千雪ちゃん。悪いが彼女を連れて母艦まで戻ってくれるかい? 大丈夫、辰馬君の護衛は僕が引き継ぐよ』
『その前に、だ。ええと、沙菊ちゃんつったか? なに、なんかいいアイディアでもあるのかい? 例のセラフ級、サマエルを燻り出したいんだがよ』
辰馬は少し神妙な声音を作って、僅かに機体を寄せてきた。
こういう時、辰馬は非情なまでのリアリストで、実際主義者としての実利優先主義を垣間見せる。どの道、戦力として期待できない少女が加入、しかも四人で無事に帰還することを考えれば、この強行偵察任務は既に破綻している。
運良く合流できた沙菊が、運良く復路も無事戻れるとは限らないのだ。
そして、未熟な兵士を守るのは、鍛え抜かれた自分を守る以上に難しい。
それを知るからこそ、逆に辰馬はこう考えた筈だ。
同じリスクが高まるなら、戻るより進もう、と。
そんな辰馬の声に、しょぼくれていた沙菊が息を吹き返す。
『自分、海軍さんとこの整備班に言って、いいものを借りてきたであります! ジャンジャジャーンッ! どうでありますかっ!』
沙菊は乗機を振り向かせた。
千雪の目には、沙菊の【幻雷】がなにかを背負っているのが見える。同時に辰馬がフームと唸って、総司はなにかブツブツと悲観を呟いていた。
だが、千雪には無骨な四角いバックパックが気になる。通常のプリセットでは、こうした巨大な装置を背負うことはないはずだ。そして、恐らく積載重量ギリギリであろうコンテナ状の装置を、辰馬が一発で見抜いて教えてくれた。
『なるほど、ソナーか。確かに羅臼は海軍の高高度巡航輸送艦だ。ここ最近は使わねえが、対潜用のソノブイくらい積んでるわな』
『ういっす! 自分、突貫工事でそれを対地ソナーに改造してきたであります。効果は半径500m四方、地下500mまでの音を拾えるであります!』
『だとよ、総司さん。ここは一つ、諦めて帰るにしてもうちの愚妹に送らせるにしても、ちょっとやらせてみてもいいんじゃないかね』
センサーやレーダーを見てくれていた辰馬が、めぼしい情報を得られなかったことは明白だ。そもそも人類同盟のどの国にも、地中の敵と戦うための戦術ドクトリンは存在しない。
だが、現にセラフ級のサマエルは形態を変形させて再合体、地中へと消えた。
そして今も、虎視眈々と東京のどこかで千雪たちを狙っているのである。
「……違い、ますね。狙われているのは私たちではなく、母艦でもなく……サマエルの目的は」
『ん? 千雪殿、なにか言ったでありますか? ……よーしよしよし、それでは早速探査開始でありまっす!』
沙菊の【幻雷】が、巨大な背の装置からケーブルを引き出す。先端に音波の発振器が取り付けられたそれは、まるで巨大な聴診器だ。それを地面へと押し当て屈みながら、四つん這いになって狭霧の【幻雷】が索敵を開始する。
その無防備な背を守って、千雪たちは警戒心を最大限に高めて周囲を見張った。
落ち着かないのか、先程より多弁になった総司が話しかけてくる。
逆に辰馬はいつもの調子で、緊張感を高めれば自然と黙ってやることをやるだけだ。
『千雪ちゃん、さっきの話……敵の目的というのは? その、パラレイドに関してはわかっていないことが多過ぎる。次元転移で現れ、人類を無差別に攻撃する敵性兵器群。正体不明の無人兵器だと言われているけど……奴らには目的があるのかい?』
『私にもわかりません。でも、青森では……明らかにセラフ級は、法則性のある進軍ルートを選んでるように思えました。そう、パラレイドは恐らく――』
その時だった。
不意に機体を立ち上がらせた沙菊が、スピーカーが割れんばかりの声を張り上げる。
『ソナーに感、あり! 目標を探知したであります! ……こ、これは! 目標、時速80kmで地下を侵攻中! 深度400m、羅臼に向かっているであります!』
千雪の中で、驚きと同時に納得が満ち、自身の推測が確信で上書きされてゆく。
そう、絶対にサマエルは母艦である羅臼を狙う筈なのだ。
そこには、あの【シンデレラ】と……更紗れんふぁがいる。
過去、青森の戦いでもそうだった。れんふぁが【シンデレラ】と次元転移してきた時、呼応するかのようにパラレイドが現れた。そして、セラフ級のゼラキエルもまた、【シンデレラ】が安置され、れんふぁが身を寄せていた青森校区を狙ってきた。そして、昼間の戦闘……サマエルはやはり、【シンデレラ】とれんふぁがいたこの東京で初めて合体、セラフ級の真の姿で襲ってきたのである。
そして、今また……闇夜より尚も暗い地の底で、サマエルが迫る。
咄嗟に叫んだ辰馬の判断は早かった。
『オッケェ、沙菊ちゃん! 大手柄! ソナー装置はここに破棄、あとで回収しな! そいつを背負ってちゃ戻るのが遅くなる。総司さん、羅臼に連絡を。んで、俺と一緒に沙菊ちゃんを守りつつ後退。千雪、お前は――』
その言葉を待っていた。
以心伝心、兄と妹は一つの目的のための最短ルートで、同じ方向を向いている。
言葉を待たず、千雪は愛機の改型参号機に鞭を入れる。フルスロットルを叩き込めば、千雪の気持ちを吸い上げるGx感応流素が、機体中のラジカルシリンダーを爆発させた。もはや隠密行動を棄てた千雪は、スラスターを全開にして来た道を引き返す。
『千雪っ、お前は好きに動け! 先行しろ! 改型参号機の方が速ぇ!』
「了解です、兄様……では!」
駆け出す一歩が長く伸びて、翔ぶように馳せる。
重量級の重装甲、通常の1.5倍ものラジカルシリンダーを積んだ改型参号機は今、さながら打ち出された砲弾のように真っ直ぐ疾走った。大通りを突き抜け、そのまま進む先に小さな光が集合している。それは、僅かな明かりを灯して浮かぶ母艦の羅臼だ。
だが、その艦首を向けた先で……突然、地面がめくれ上がった。
散らかっていた廃車の群れが宙を巻い、アスファルトの下の土砂が竜巻となって逆巻く。その中から、白い巨体がゆっくりと持ち上がった。天を衝く左手には、金切り声をあげて回転する巨大なドリルが尖っていた。
間違いない、セラフ級パラレイド……サマエル。
先程のミーティングで命名された地上用の高速形態、サマエル乙型。
鋭角的な姿は、まるで地の底より蘇った太古の邪神だ。その供物は今、月夜に浮かぶ巨大な羅臼……そして、その中で眠る【シンデレラ】と、れんふぁだ。
「スクランブルは? ……今、艦にいるのは御巫先輩とラスカさん、そして――!?」
その時、千雪は目撃した。
ゆっくりとパラレイドへ回頭する巨艦の先端……不燃性の超軽量ガスを満たした艦体の上に誰かがいる。なにかが、立っている。
夜風に対ビーム用クロークをはためかせる影が、巨大な月を背負って見下ろしていた。
十二時の鐘と共に忘れられた、ガラスの靴になぞらえた大剣を担ぐその姿。
無線を通じて、千雪の耳朶を打つ頼もしい声が響いた。
『【シンデレラ】は……れんふぁは、渡さないっ! 俺はもう……守る全てをなにもっ、なに一つ! 渡さないっ!』
吼える摺木統矢の声と共に、獣の咆哮のような駆動音が飛び降りてくる。
40m近くの巨躯を振り向かせるサマエルの前に、再び地獄から蘇った復讐機が立ちはだかった。




