第12話「三位一体の死天使」
昨日の嵐が嘘のような、青空。
雲一つない蒼天より舞い降りる、巨鯨の如き威容の飛行船。日本皇国海軍の高高度巡航輸送艦、羅臼だ。その中から響く通信が、五百雀千雪の思考を停止させる。
目の前では今、摺木統矢も表情を凍らせていた。
千雪は恐る恐る、彼の持つタブレットの中へと語りかける。
「兄様……辰馬兄様。その、一週間というのは……?」
向こうにも戸惑いが広がっているようだ。
回線の向こうで、兄の五百雀辰馬が息を飲む気配。そして、それに代わって優しく落ち着いた声が響いた。
『千雪ちゃん、桔梗です。大丈夫ですか? 三人共、無事なんですね?』
「御巫先輩……え、ええ。でも、あの、先程兄様が、兄が、一週間と」
『落ち着いて聞いてください、千雪ちゃん。貴女たちが【シンデレラ】の突然の次元転移に巻き込まれてから、既に一週間が経過しています。そしてようやく、昨夜遅く……千雪ちゃんの【幻雷】改型参号機の反応が復帰したんですが……それが偶然、迎撃作戦を準備する予定の東京で――? 千雪ちゃん?』
御巫桔梗はこのような状況で、冗談を言うような人間ではない。
そして、それが真実であることが千雪にとっては、信じられない現実だった。
それは統矢も同じようで、言葉を失ったまま目を丸くしている。かろうじて顔を上げた彼は、千雪を見て自分と同じ顔を感じたのだろう。なにかを言おうとしては口を噤み、言葉を探すようにして俯いた。
あの次元転移から、一週間後の世界。
それが、昨夜この場所に、遺都東京に放り出された千雪たちの現実だ。
「統矢君、これは……」
「あ、ああ。えっと、桔梗先輩! あの、一週間って……俺ら、昨日来たばかりなんですけど。それって」
あ、と千雪は気になった。
こんな時なのに、気にせずにはいられない。
戦技教導部の副部長、今は皇国海軍のPMR戦術実験小隊の副隊長を務めるのが桔梗だ。その彼女を、統矢は名前で読んでいる。そういえばと、思い出す。あの年上の少女は、儚げな面影に包容力を潜ませて、青森校区では人気の上級生だ。
この時千雪は、自分こそが男子の憧憬を一番集めている美少女だとは気付かない。
ただ、兄の辰馬という恋人がいながら、あの人は統矢にも名前で呼ぶことを許しているのだ。それがなんだか、面白くない。そう思う自分が少しだけ、ほんの少しだけ、嫌になる。嫉妬を感じているのだ。
だが、統矢は自分のことも千雪と呼んでくれる。
呼び捨ててくれる。
そのことを思い出して言い聞かせ、よし、と千雪は心の中で頷く。
すると、統矢の持ってるタブレットが突然叫び出した。
『摺木統矢、貴様っ! 生きているのか、大丈夫なんだな! 勝手にいなくなりおって……五百雀千雪と更紗れんふぁも無事だな? おい、なんとか言えっ! 死んだら殺すぞ、この糞ガキがっ!』
「……えと、はあ。無事、です。えっと……御堂先生」
『御堂刹那特務三佐と呼ばんか! ……そうか、無事か。それで? この一週間、どうだった。私は指揮官として、詳細な報告を求める義務がある』
「どう、って」
『馬鹿者! 健全な男女が一週間のサバイバルだ……現在、上空からスキャンしたが、人間レベルの熱源反応は貴様ら三人しかおらん。で? やったか?』
「やったか、というのは」
『五百雀千雪及び更紗れんふぁと、性交したかと言っているのだ!』
ぼんっ! と千雪の顔が真っ赤になった。
そして、言葉の意味がわからず統矢が固まっている。
極限状態の男と女……やることは一つと言わんばかりに、刹那の声が何度も、やったか、やったのかと叫んでくる。
気付けば見詰め合っていた千雪と統矢は、互いの瞳に映る赤面した自分を見やる。
刹那が直接的で色もへったくれもない単語を叫んでいる間、ずっと。
『DUSTER能力者である貴様はな、摺木統矢! 非常に重要な実験サンプル、生きた検体なのだ! それが普通の女性と性交し、妊娠させれば興味深い……DUSTERの力は遺伝しないとの見解が研究者たちの間では有力だが……おい、聞いているのか! 摺木統矢!』
「あ、ああ、いや……なにも……なにもしてないです! いや、本当に!」
『なんだと……なにをしているんだ、貴様はっ!』
「だから、なにもしてないんですって! な、なあ、千雪! ……千雪?」
『このっ、童貞小僧ぉ! ええい、貴重なデータが取れるかと思ったが……ま、まあ、いい! しかし、何故だ? 既に肉眼で見えているが、どうして五百雀千雪は裸なのだ!』
見上げれば、頭上を覆わんばかりに巨大な艦体が降りてきている。そこから見えるであろう千雪の今の姿は、全裸にバスタオルを一枚巻いただけなのだ。
叩きつける風圧の中で、自然と千雪は零れそうな胸元を押さえた。
同時に、まだ喋り続けている指揮官、刹那へと言葉を選ぶ。
千雪がタブレットのマイクに口を近付けると、遠ざけるように統矢が少し身を引く。半裸の千雪は、先程の会話も加味して避けられていると思えば、一層意識させられて顔が火照った。
「あの、御堂先生……御堂特務三佐」
『なんだ? そうか、やっぱりやったか! どうだ、五百雀千雪! 受精できたか? 孕めそうか? すぐに実験、じゃない、解剖、じゃなくて……うむ、検査したいが、そうもいかん。こっちも忙しいのだ』
「ええ。その……先程聞きましたが、私たちを探すためだけでないと。この東京に、どうして羅臼が? 私たちの捜索にしては、規模が大き過ぎると思うのですが。迎撃作戦、というのは」
先程、桔梗が不穏な言葉を発していた。
迎撃作戦、とは? そういえば、千雪たちが【シンデレラ】の突然の次元転移に巻き込まれる直前……皇立兵練予備校の青森校区はパラレイドに襲われていた。その前は朝鮮半島と沖縄だ。
そう、あの時の……千雪にとって昨日の襲撃は、狙いすましたかのようにやってきた。
【シンデレラ】の起動に呼応するように。
その力が重力制御で宙に舞い、次元転移の光を放つのを見越したかのように。
「そちらの被害は、どうなんでしょうか。昨日……そちらで一週間ほど前、私は出撃する瞬間に【シンデレラ】を抑えようとして、次元転移に巻き込まれましたが」
『青森校区の被害は軽微だ。問題なく迎撃、殲滅できた。呆気ない程にな。だが、いつものアイオーン級やアカモート級に加え、デーミウルゴス級が出現した。さらに』
デーミウルゴス級というのは、パラレイドの中でも比較的希少な個体である。一度の次元転移で現れる数も、五体前後と少ない。その分、個体能力は高く、厄介な敵だ。雑兵であるアイオーン級が蜘蛛、砲兵であるアカモート級が陸亀なら……デーミウルゴス級は正しく、巨像だ。陸上戦艦とも言える四本足の重量級は、進む先で全てを踏み抜き、強力な防御力と殲滅力で死を振り撒く。
だが、それだけではないと刹那は言葉を続けた。
『また、例の飛行型パラレイドが出た……現在、人類同盟でも我が秘匿機関ウロボロスでも、この存在について審議中だ。全く攻撃してこないので、セラフ級と認定されんのだ』
「セラフ級の定義は、確か」
『ああ。セラフ級とは広義の意味で、他の個体と類似性のない強力な人型パラレイド、これをセラフ級と呼称している。だが、既に飛行型は三種が確認され、どれも似ているのだ』
「確か、沖縄にはコードα、赤い個体。そして、朝鮮半島にはコードβ、白い個体」
『うむ、そして先日の青森校区には、黄色い個体……コードγが現れた。勿論、戦闘には介入していないが、興味深いデータがわかったのだ』
「それは……ん、ふぁ……クシュン!」
千雪は寒さに肩を抱いて、小さなくしゃみを一つ。
それでも、統矢と二人で声だけのタブレットを見詰める。
そして、刹那の声は衝撃の事実を告げてきた。
『飛行型パラレイドの三機は、それぞれ沖縄、青森、朝鮮半島の旧北朝鮮特区に出現している。少し待て、データを送る……見た方が早いからな。……どうも、それぞれ個別に同一の目的を持っているかのような動きが解析されたのだ』
送られてきた映像が、タブレットの液晶画面に映る。
それは、北海道を失った日本皇国と、その周辺の地図だ。
赤い光点がそれぞれ、沖縄と青森、そして朝鮮半島の北へ灯った。大雑把ではあるが、やや歪な三角形だ。
そして、データの地図が矢印を描いて、三つの光点が動き出す。
『戦闘には介入せず、不審な動きを見せていた飛行型……三機それぞれが機首と思しき進行方向を示していたので、それを調べた結果だ』
「こ、これは……統矢君」
「あ、ああ。三機はそれぞれスピードや航続距離が違う? そして、これ……ここって」
そう、三つの光点が重なる場所。
それは、この東京だった。
かつてパラレイドによって灰燼に帰し、今は廃都となった東京に……その三種の飛行型パラレイドが集結する可能性があるというのだ。
それがなにを意味するのかはわからない。
だが、それを知る瞬間は唐突に訪れる。
千雪たちは、人類は思い知らされる……パラレイドの最も恐るべき敵意の姿を。
『御堂先生! 沖縄要塞から緊急入電、パラレイドです! それに、青森校区からも!』
『ええい、御堂刹那特務三佐と呼ばんか! 朝鮮半島は!』
『現在、情報が錯綜してて……佐伯さん、レーダーのレンジを』
『わーってる、ちょい貸しぃや! ったく、整備の人間までいいように使われて敵わんなあ! ……まずいで、これ。辰馬! スクランブル! ラスカも! ほら、桔梗! 震えてないでシャンとしいや!』
刹那、空気が震えて沸騰した。
統矢と一緒に天を仰げば、巨大な羅臼のさらに上空で……三つの飛行機雲が互いを塗り潰すように交錯する。
遅れて衝撃波が地上を薙ぎ払い、千雪は統矢に押し倒されるようにしてその場に伏せされられた。
咄嗟に守られた中で、乱れる自分の黒髪の向こうに千雪は見た。
空を乱舞する、驚異的なスピードの飛翔体。
余りに速くて、行き交う姿は肉眼で視認できない。
ただ、気流を生み出し空気を掻き乱しながら、何かが翔んでいるのだ。
『パラレイド、レンジイン! 数は三……例の飛行型です!』
『飛行型、合流! こ、これは……上空監視、怠るな!』
『PMR各機、発進よろし! PMR戦術実験小隊、スクランブル!』
『発艦手順の400番代を省略、スタンバってる奴から放り出せ! 本艦は上空退避、緊急上昇!』
『目標はマッハ10で飛行中! 見てください、御堂特務三佐……三機の機動が……かさ、なる』
アラートをけたたましく響かせながら、羅臼が再び高度を取ろうとする。
その頭上を抑えるように、三つの影が乱れ飛んだ。
音速の何倍ものスピードは、その数さえ何十倍にも見せてしまう。入り乱れる残像が、いやがおうにも千雪の恐怖心を煽った。タブレットは混乱するブリッジの声を伝えてくる。それを握って身を起こす統矢は、奥歯をギリリと噛んで空を見上げるだけだった。
千雪も羅臼から吹き下ろされる風圧にバスタオルを抑えて、ようやく立ち上がる。
「クソッ、見ろ千雪!」
「……見えないです、けど。統矢君? あれが……敵の動きが見えるんですか?」
「あ、いや、えっと……なんだろう、見える、気がする。見えてる感じなんだ、だから!」
血相を変えた統矢が見上げる先は、まるで航空力学を無視した魔の空域と化していた。縦横無尽に乱舞する飛翔体は、その実体は三つ。千雪の目には、とてもじゃないが追えない。空手や柔道は勿論、あらゆるスポーツで鍛えた千雪の動体視力でも、捉えられない。
その、白い軌跡で青空を切り裂く影を、統矢はどうやら見ているようだ。
それがDUSTERと呼ばれる者の、秘めたる力。
自分が死を実感して極限状態になればなるほど、その能力は際限なく解放されてゆく。人間の反応を超え、一秒という時間の感じ方さえ変えてしまうというのだ。そのことを思い出したら、不思議と千雪は震えが止まらない。寒さで凍える身に、冷たさとは違うなにかが這い上がってくるようだ。
統矢が近くて遠い、別の世界にいってしまったようで、怖かった。
「クソッ、機体があれば……千雪! お前は改型参号機へ。俺はれんふぁを連れて――」
冷静な統矢が頼もしく思えて、その声がちゃんと届く距離にいる自分を千雪が再確認していた、その時。刹那の安堵と、増してゆく緊張感を引き裂く、声。
甲高い悲鳴に振り返って、千雪は統矢と一緒に固まった。
そこには、まだ髪の濡れた風呂上がりのれんふぁが、パジャマ姿で立ち尽くしていた。
「あ、ああ……あれは、うっ! あ、ああ……頭が、痛い……千雪さん、たす、けて……統矢さん! ああっ」
れんふぁはふらふらと危うい足取りで、両手で頭を抱えながら歩く。
思わず駆け寄った千雪の、その手を彼女は振り払った。
そして、涙に塗れた顔をあげた時……れんふぁの表情は、異質な硬さに凍っていた。普段のマシュマロのような笑みと、どこまでも緩い雰囲気が霧散している。
そこには、泣きながら虚ろな瞳を見開く人形のような少女がいた。
「わたし……いかなきゃ。たす、けて……もらう、より……たすけ、なきゃ。いかなきゃ、かあ、さん。だいじょう、ぶ……おじい、ちゃんに……会いに」
「れんふぁさん? 記憶が? 統矢君っ!」
「しっかりしろ、れんふぁ! とりあえず、俺と【シンデレラ】に避難だ」
だが、ビクリ! と身を震わせたれんふぁは、不自然に身を正して、ガクガク揺れながら歩く。その腕を再度掴もうとした千雪は、次の瞬間には地面にひっくり返っていた。
武道の心得には自信があったし、道場では免許皆伝の達人だから自負もあった。
その千雪を、ただ歩きながられんふぁは、合気の呼法で投げ飛ばしたのだ。
千雪が投げられたと気付くことも、受け身をとることもできない、それは瞬速の無拍子。全く予備動作のない、神業だ。そして千雪は思い出す……ラスカの【幻雷】改型四号機との模擬戦で、れんふぁは格闘技の合気道や柔術のようなモーション・パターンを見せていた。あれがマニュアル操作ならば、Gx感応流素へ伝えて流し込むだけの経験と鍛錬を、れんふぁが身につけていたことになる。
そしてそれは今、異変の中で証明された。
「ばっ、馬鹿! 千雪、前! 隠せ、丸見えだっ!」
「はっ……見ました、ね?」
「……ハ、ハイ。って、それよりれんふぁを! れんふぁ、待て! れんふぁーっ!」
ふらふらとれんふぁは、【シンデレラ】の前に立つ。
そして、信じられないことが起こった。
ほっそりとした腕を伸ばして、れんふぁが【シンデレラ】へと手をかざす。すると……ツインアイに光を走らせ、ゆっくりと【シンデレラ】が起動したのだ。生体データの認証がどうとか、遠隔操作デバイスがどうとか、そういうレベルではない。
まるで、主である女神の祝福で目覚めた、伝説の聖獣のようだ。
【シンデレラ】はその手にれんふぁを乗せて、胸部のコクピットへと導く。
響き渡る駆動音が甲高く割れ響き、ハイチューンドのラジカルシリンダーが金切り声を歌う。【シンデレラ】の中へと、れんふぁは小さな呟きを残して消えた。
「いかな、きゃ……まって、て、おじいちゃん……未来、に……抗って」
意味不明な言葉と共に、ふわりと【シンデレラ】が浮かび上がる。周囲の重力をコントロールする、一切推進力を用いない浮遊。その頭上ではさらなる異変が、千雪たちへと絶望を見せつけてきた。
吸い上げられるように羅臼を掠めて、【シンデレラ】が天へと舞い上がった。
同時に、頭上で三機のパラレイドが一つに重なる。
合流……否、合体する。
「統矢君……避難してください! 私が改型参号機でれんふぁさんを」
「待て、千雪! 見ろ、あれは……危険だ! くそっ、そうか……羅臼はこれを見越して東京に。でもっ!」
三つの飛翔体は、一つになった。
連結されるように繋がって、そして……各部が流体金属のようにモーフィングするや、手足が伸びて頭部が起き上がる。角が生えた異形の悪魔は、背に棚引く真っ赤なマントを広げた。
そこには、天を支配し地を睥睨する、セラフ級としか形容できぬ人型のパラレイドが現れていた。




