1-6 リラ嬢とすまほ
「それでじーさんはまだ帰って来てないのか」
「そうね」
「どこ行くとか言ってたっけ?」
「しらないわ」
ひとまず食堂に移動してから訊いてみると、リラの返事は素っ気なかった。
「あんまりきょうみない」
日頃あれだけ愛情をかけられ、心を砕かれ、身の回りの世話をあれこれしてくれているというのにこの塩対応。
別にリラがグウェンを嫌っている訳ではないし、それなりに好いている気配はあるのだが、しかし如何せん温度差がある。多分グウェンが熱すぎる。
しかしこうもあっさり言い切られているのをみると、じーさん可哀想にと思ってしまう和馬である。
まぁ老人が幼女を口説いたり傅いたり心酔している絵面はかなりヤバいし、リラが腐るほど向けられる情熱に飽いていても、それも普通だとは思うが。
「遅くなるのかな」
リラをスーパーに連れて行くには、グウェンに外出許可を取る必要がある。“人間の生活”に不慣れなリラを連れ出すことにグウェンも一抹の不安を感じているから、事前の報連相は必要なのだ。
「メッセ送ったら、読める状況かな」
リラを抱いたまま、反対の手でポケットからスマホを取り出す。そのまま操作していたら、ふと銀色で視界をいっぱいに塞がれた。
「気になるか?」
リラの頭が画面を覗き込もうと寄って来ているのである。
「この板、しくみがいっこうに分からないわ」
スマホというものは、リラにとって摩訶不思議なものらしい。
「がめんをいじるだけで、遠くはなれた人とすぐにやりとりできるなんて」
それは多分、普通の子どもが感じるよりももっとずっと深い疑問なのだ。
リラの記憶にある時代がいつなのか和馬ははっきり知らないが、それと比べると今はかなり科学が進んでることは確かだ。メールは当然、電話だって概念として存在していたかどうか怪しい。その頃の時代の常識で現代を見ると、リラの感覚は一般とはかなり乖離しているのだろう。
「もじも送れるし、声もとどくんでしょ?」
その他にも色々できる。あんまり言うと、リラの頭がパンクしてしまいそうだが。
「そうだ、平仮名は読めるんだよな?」
「まぁね」
「じゃあ、リラがじーさんにメッセージ送ってみろよ。きっと食い付きがすごいぞ」
「私がグウェンに?」
「ほら」
食卓の椅子を引き、リラを膝の上に乗せる形で腰を下ろす。
「五十音順は覚えてるんだっけ」
「なめてもらっちゃ困るわ」
訊けばリラは胸を張ってふんと鼻を鳴らした。自信満々な様子はむしろ微笑ましい。
「じゃあこれな、今ここにあかさたなって並んでるだろ。ここを長押しするとな」
「ながおし?」
「あぁ……えっと、こういう風にぎゅってちょっと指を置くんだよ。ほら、そしたら、“あ”の上で長押ししたら上下左右に残りのいうえおが出て来るだろ」
「ふーん……」
スマホを握らせてみると、素直にリラはタッチパネルに指を押し当て始めた。絵本と違ってこちらの機械には興味があるらしい。
「やだ、ちがうじが出てきた」
「そういう時はここ」
「この真ん中あたりに、もじをおすたびに出てくる単語はなに?」
「予測候補だよ。その字から始まるよく使う単語とか、その後に続く言葉を出してくれる」
「かしこいのね」
「まぁな」
小さな“え”はどうやって出すの、はてなまーくはどうするの、と色々訊かれながらも数分スマホと格闘し、リラは送るべきメッセージを完成させた。
「そうそう、最後に誰からか分かるように、名前入れとくか」
「そうね」
出来上がったメッセージを見て、リラが満足そうににんまりする。
ぐうぇん かえり なんじ? りら
和馬もこれを受け取ったグウェンが鼻血を吹くほどテンションを上げるんじゃないかと思ったら、同じようににんまりしてしまった。
「よし、ついでに写真も添えてやろう」
思いついて、そう言ってみる。破壊力は高い方が良いだろう。
「写真? 写真もとれるの?」
「撮れるぞ。わりと何でも色々できる」
驚いたように言うリラにカメラを向けるが、ここで斜め上の発言がきた。
「ふーん。でも吸血鬼は、写真にはうつらないのよ。あと、かがみにもね」
初耳である。和馬はあまりファンタジーなものに興味のない人間なので、そういった知識はほとんどない。ニンニクと陽の光がダメ、という認識が辛うじてあるくらいだ。
だがそれも、グウェンを見ていると覆されてしまう。
グウェンはニンニクたっぷりの餃子も、朝の清々しい陽の光も平気なのだから。
曰く、聖水も平気だし、銀器も死ぬほどの効果はないらしい。
“私の場合、軽くかぶれる程度だよ”
と本人は言っていた。
いや、現実の吸血鬼、弱点なさすぎでは。
「リラは今人間なんだから関係ないだろ。――――ほら」
まぁでもそれは吸血鬼の話。シャッターを切れば、画面には可憐な少女がばっちりその姿を写している。
「……ふいうちでもこれだけ美少女なのはさすがだわ」
「…………さいですか」
覗き込んだリラの返答は、写っていることに不満そうながらもさすがの勝気だった。このお嬢様は大変気位が高い。
「そういや、じゃあじーさんは写真に写らないのか」
写真を撮る機会など当然なかったが、鏡にも映らなかっただろうか。今まで暮らしていて、違和感を覚えたことはなかったように思う。
この疑問には、リラが得意げに答えてくれた。
「グウェンは修行をつんだいっぱしの吸血鬼だから、意識してれば写真にもかがみにもガラスにもうつるわよ。へっぽこや中流がだめなの」
やはりグウェンはそれなりのレベルの吸血鬼らしい。しかし、それだけのレベルに至るまでには不便が多そうだとも思った。
「へえ……吸血鬼も大変だな。寝癖とか直せないじゃん」
化粧も難しそうだし、服が似合ってるのかどうかも分からない。それどころか、自分の顔も認識できないのではないか。それはすごく落ち着かないことのように思う。
「……まぁグウェンもたまーに気がぬけてると、あちこちうつってないことはあるけどね」
「マジか」
「めんどうなことなのよ、わざわざ全方位に注意をはらわないといけないんだから」
「確かに、面倒臭いだろうな」
送信ボタンを押せば、あっという間ににメッセージは電波に乗って目的の相手に辿り着く。
さて、どれくらいで気付くだろうか、と和馬が予測を付けていると――――
「何時かと問われれば、それは今だよ!」
バターン! と大きな音を立てながら、食堂の扉が開く。その向こうにはやたらとドヤ顔のグウェン公がいらっしゃった。
「いやじーさん、それはおかしいだろ」
玄関の扉が開いた気配はなかった。完全に突如現れた。どういう仕組みだと言うのだ。
「べつによんだわけじゃないんだけど」
リラの反応もひどく冷めている。
「なんだ、二人とも。私の帰りを今か今かと待っていてくれたのではないのかね。リラ嬢、あんな愛らしいメッセージと写真を送りつけておいて、なんとつれない」
「まってたんじゃないわ。いつかえるのってきいただけよ」
「そうか、それは私の早とちりだったね」
寄って来たグウェンがリラを抱き上げる。
「リラ嬢の写真を見たら、すぐに会いたくなってしまった」
「あっそう」
見ようによっては孫をひたすら溺愛しているじーさんの図にも見えなくはないが、やはり目が本気すぎて絵面がヤバい。それに多分、送り付けた画像は既に待ち受けに設定されているに違いない。
二人の関係はリラの方が偉いようだが、実際今の状況、現代において立場が強いのはグウェンの方だ。
リラ一人では、とても生きていけない。
だからグウェンは、リラを保護する立場にいる。保護する立場に。
だが、このじーさんはリラを将来的にどうするつもりなんだろうと考えると、和馬は自分がしっかり見張っておかなくてはと思う。
だって前世恋人で、今もこの情熱の向けようである。
「そうだ、連絡したのは用があったからだよ」
「リラ嬢がかね?」
「わたしはべつになんにもないわ」
「いや、そのリラ嬢をスーパーまで連れ出しても良いかって話」