1-4 雇用条件について
「本当にあの男に任せて良かったんだろうか……」
結局、和馬は高校に着いてからも落ち着かずに始終そわそわしていた。
思うに、多分アレはただの人間じゃない。気配がなさすぎた。
その事実をリラの言う通りグウェンの眷属だ、だから安心なのだという考えに繋げるべきか、そんな得体の知れない相手にまだ幼い女の子を預けるなんて取り返しのつかないことになるのではと恐れるべきか。
「分からん……」
手元のスマホを弄りながら、溜め息を一つ吐く。
画面にはずらりと様々なレシピが並ぶ。大手のレシピ投稿サイトだ。
“ウチの子はこれでニンジン嫌いを克服しました!”
“少ない手順で、野菜もお肉も摂れるイチオシレシピです”
“我が家で大人気のメニュー。これを出した日は夫も子どもと一緒になって、勢いよく箸を伸ばします”
羨ましいコメントが並ぶが、きっとその内のどれを試しても和馬は同じ成果を得られない。
「……はぁ、おじょーさまの味覚攻略法も分からん」
なんなら自分の陥っている状況だって、未だに分かっていない。
グウェンの屋敷で住み込みで働き始めて早一月。超常現象が起こりすぎだ。
和馬はただの高校生だった。ちょっと苦学生気味で、常に沢山のバイトを掛け持ちしていたが、それでも一般的な高校生だった。
バイト三昧の生活だったのはあれだ。希望の進路はあったけど、それを叶えるにはまとまったお金がいる。親はアテにできそうになかったので、だから自分で稼がねばと常にそればかり考えていた。
割りのいい肉体労働などの単発のバイトも入れていたが、メインは飲食店ばかりだった。グウェンは、そのバイト先の一つである喫茶店にふらりと客として現れた男で。
どうやら、賄いで作っていた料理を褒められたらしい。店長に後からそう聞いた。その話を聞いた時は、ただのいいじーさんかと思っていたが。
それが単なるいいじーさんでないと分かったのは、和馬が面倒なチンピラに絡まれ、そのチンピラにバイト先の店にも嫌がらせをされ、そんでもってそのせいで次々と店をクビになった帰りに元凶のチンピラ共に囲まれるという、不運の絶頂に立たされたとある夜のことだった。
「吸血鬼、なぁ……」
じーさんはじーさんとは思えない身のこなしとよく分からない技で、和馬をピンチから救った。まぁ、タダで助けてくれた訳ではないのだが。
「…………」
手首をそっと擦る。そこにはもう何の痕跡も見当たらない。
でも、血を吸われた。吸われて、契約を、隷属の契約を結ばされた。
隷属――――つまり、グウェンの配下として、その命令に従って生きるという強制的な関係。
無体なことはされていない。隷属の契約自体は裁判沙汰にしたいレベルで一方的というかだまし討ちの要素を含んでいたが、和馬に不利ばかりがある訳ではない。
基本契約は、超偏食なお屋敷のお嬢様に毎日三食作り、食事状況を改善すること。
住み込み、食事に使う材料に制限はなし、毎月バイト代も入る。
そして何より。
グウェンは学費を出すと言った。高校卒業までの学費と、リラの食事状況改善に伴い和馬が将来入りたいと希望している専門学校の学費も出そうと。
嘘ではないと、高校の学費は前払いで本当に出してくれた。
「怪しい話だし、じーさんはヤバいし、リラの食事の世話は想像以上に難しい課題だけど」
和馬は乗ってしまった。いや、隷属の契約があるから乗らざるを得なかった部分もあるが、自分にも利があると判断して頷いた。
「相手が何であろうと」
背に腹は代えられない。多少の怪しさを飲み込んででも、前に進まなくてはいけないこともある。
和馬は料理人になりたかった。それこそ小学生の頃からそう思っていた。どうしても、叶えたい夢だったのだ。
それを思うと、今の環境は悪くない。好きなだけ食材が使える。調理の機会がある。学費だって払ってもらっている。
相手が吸血鬼だから何だと言うのだ。血を吸われて同じく吸血鬼仲間にされる訳でもないのなら、もうこの際何でも良い。気がしなくもない。
本鈴が教室に響き渡る。
和馬はスマホをポケットに突っ込みながら、今日はリラをスーパーに連れて行ってみよう、そうしようと密かに決めた。